ゆうゆうインタビュー 鈴木 潤一

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suzuki1.jpgすずきじゅんいち監督の最新ドキュメンタリー映画「442」と「東洋宮武が覗いた世界」が、それぞれ8 月21 日と22日にバルボアパークの 写真美術館 =Museum of Photographic Arts=で公開されます。

サンディエゴでの上映を前に監督からお話を伺いました。



442

第二次世界大戦時、主に日系人だけで構成された第442 連隊戦闘団が米陸軍に存在した。

ヨーロッパ戦線に送られた442 連隊は高い士気を堅持し、戦場で激闘を展開して軍功を上げ、米軍史上で最多の勲章を受けて名誉戦傷戦闘団 ( パープルハート大隊) と呼ばれる。

敵性外国人として強制収容された日系人は、アメリカ合衆国への愛国心と忠誠心を戦争だけでなく、人種差別というもう一つの嵐の中で証明する闘いを続けていた。

すずきじゅんいち監督による渾身の長編ドキュメンタリー映画。




——  映画監督を志した理由


簡単に言えば映画が好きだったということです。

映画の持つ世界性というか、必ずしも言葉が分からなくても世界の多くの人に理解できるだけでなく、音楽などの感覚だけでの伝達と違い、キチンと思想が語れることが素晴らしいとずっと思っていました。

監督になるには、当時は今のような自主映画もなかったので、撮影所に入るしかなかったのですが、運良く日活撮影所が助監督を募集した時に大学卒業と重なり、試験を受け採用されました。



——  渡米の契機


僕と妻の榊原るみは再婚同士なので、新たな人生を新たな場所でと思い、こちらに来ることにしました。



suzuki2.jpg——  「442」製作の動機


前作の「Toyo’s Camera ‒ Japanese American History during WW2 ‒」を製作した時に、次はこれを作りたいと思っていました。

アメリカに住んで8年(今年で9年目)、日系社会にいろいろとお世話になる中で、監督として自分ができることは、日系史をきちんと残すお手伝いをすることであり、日本人にそれを知らせることだと考え、仕事ではなく、ほとんどボランティアで製作することを決めました。

日系史を語る上でもっとも哀しく、且つ華やかな442連隊の話は、日系史を語る上で外せないテーマです。

そういう訳で442を作りました。



——  日系史ドキュメンタリーへの情熱


情熱という程のことではないのですが、監督を30年続けてきて、それはほとんどがビジネス目的で作ってきた訳ですが、そろそろ世の中のためになる映画を作ろうと思ったのがきっかけです。

ドキュメンタリー映画をビジネスにするのは簡単ではないですからね。

覚悟を決めて作りました。



—— 
日本人と日系人の視点


日系人と日本人はルーツを同じにする一方、国籍が違い、考えでも違った所が少なくありません。

生まれた国から多くの影響を受けている訳ですから、違って当然なのです。

その違いが、日本人である僕が日系史の映画を作ることで、日系人のかたたちに新鮮に見えるのではないかと思ったのが製作の動機の一つです。が、同時に、当然日系人の心のひだまで分かるとも思えませんし、知識も十分ある訳ではないので、それが実際難しかったことだと思います。



suzuki3.jpg——  撮影中のエピソード


ドキュメンタリー映画は大変なことも多いのですが、いろいろ勉強させられることが多いのも事実です。

特に、「442」の映画では、沢山の死線をくぐり抜けてこられ、且つ現在のアメリカ社会で成功なさっている多くの方々に取材できたのは、かけがえの無いことでした。



——  監督からのメッセージ


とにかく、多くの方に見て頂きたいという思いだけです。



——  妻との出会い


我々は再婚同士です。知り合ったきっかけは、14年前に作った「秋桜」という福島県を舞台にした映画で、妻の娘、松下恵が主演し、妻が愛情出演ということで、出てくれたのが縁で親しくなりました。

つまり、娘がキューピッドになったということです。(笑)




——  今後の展望


この映画が多くの方に受け入れられたら、日系史映画の第3弾として、帰米の話、MIS ( 米国陸軍情報部) の映画を作ろうと思っています。

日本とアメリカの狭間でご苦労なさった帰米の人たちを描くことは、日本とアメリカの間に生きる自分を含めたアメリカ在住の日本人に多くのことを示唆してくれると思っています。



(2010年7月16日号に掲載)
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