ゆうゆうインタビュー リー・アン・キム

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サンディエゴ・アジア映画祭 (SDAFF) 組織委員会事務局長、KGTVニュースアンカー、サンディエゴ・アジア・アメリカ・ジャーナリスト協会前会長など、あなたには様々な顔がありますが、これらの立場とご自身のライフワークとの接点について話して下さい。

私の人生における使命とは、人と人を繋ぐこと、人々の声を代弁することだと思っています。自分の感情や意志を表現することは人生での重要事の一つに挙げられます。アジア文化全般を見渡すと、口頭で自らの意志表明をすることは長年抑制されてきたように思えるのです。私は子供の頃から、表現力が人間に与える影響、他人に作用するパワー、意見を共有して意志の疎通を図るという行為にとても関心がありました。ニュースビジネス、刺激的な映画作品、あるいは映画やニュースの後の対話などを通じて私を幸福な気分にさせるのです。映画祭や上映会では、それが私に関心を抱かせない作品であっても、他の人はそこから何かを学びます。この事実によって、私が費やした厖大な時間、夜を徹した努力が報われるのです。SDAFFの来場者一人ひとりは何の偏見も持たずに訪れて、これまで体験したことのない、何か豊かなものを獲得して帰路につくのです。これを私は日常生活やニュース報道を通しても実行しようと試みています。人々は私がコミュニティで数多くの仕事に携わる様子を見て、私を素晴らしい人間だと思っているようですが、実はとても自分本位なのです。私は自分のために頑張っています。何故ならそれが私を幸せにするからです。私はそれ以外の方法を知りません。


——SDAFF組織とサンディエゴ・アジア映画祭の特徴とは。

人生とは興味深いもので、善意の人々や前向きの精神は様々な形で集まってきます。ある時は、たゆまぬ努力の結果として、時には友情、私の愛犬ペペレピュー、そして映画を通してなど̶̶̶。サンディエゴ・アジア映画祭は1999年に計画が進められました。この映画祭は中国人、韓国人、日本人、ベトナム人などが週末に集まり、アジア系アメリカ人との文化交流を体験できる場所です。唯一、自分が純粋にアジア系アメリカ人と感じることができる空間と言えます。問題点を指摘するなら、上映される作品が日本映画や中国映画であれば、観客の大多数は日本人や中国人で占められるということでしょう。私の希望は ̶̶̶ これは実現しつつありますが ̶̶̶ 韓国映画の上映会場で白人、黒人、ヒスパニックそしてアジア系アメリカ人のグループが席を同じくして、その作品を心置きなく賞味堪能している場面に出会うことです。今や私たちは、アジア人の映画に対する蔑視的な態度を改め、他人種に対する偏見を過去のものにしなければなりません。何故、韓国人の私がアジア系アメリカ人の映画作品を気に留めるのか? それは、私自身がその世界の一部だからです。


—— あなたはSDAFF創設の陰で力を注いできたのですね。

恥ずかしながら、その通りです!


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Morita Yoshimitsuユs “Like Asura” (Ashura no Gotoku) (above) and Inudo Isshinʼs “Josee, The Tiger and The Fish” (Josee to Tora to Sakanatachi)
—— 映画や舞台芸術に興味を抱いた経緯を話して下さい。パフォーミングアーツはあなたの人生に重要な意味を与え続けたのでしょうか。

簡単に言うと、私は高校時代に演劇の舞台に立つ機会に恵まれ、スピーチチームにも所属していました。スピーチチームといっても、普通の人が考える部活動とは趣を異にしていました。私は毎週末に自作のコメディ、ユーモアに富んだ演出、ユニークな演技、それにドラマを創作するなど、その才能に秀でていたと思います。イリノイ州のコンテストで1位に輝いた私は自分のコミュニケーションやパフォーマンスの能力を確信していました。大学に進学した時、両親は私がビジネスを専攻したと思い込んでいたのですが、実際には演劇でした。私は一度もビジネスの授業を取ったことがありません。演劇学部の中で私は唯一のアジア系でしたが、当時はアジア人向けの役柄など用意されていませんでした。私はいつも目立たない 「その他大勢」の役でした。そんな日が続く中、サンフランシスコから来た中国人ニュースレポーター、ジョアンナ・ルーの役が私に割り当てられたのです。唯一のアジア人ということで、私がその役を獲得するのは至極当然でした。その役を演じたことで、私の外見と声がコニー・チャンに似ていると皆が口にするようになったのです。勿論、実際に似ていないことは百も承知ですが、つまり私はその役にハマっていたのだと思います。やがて私は、アジア人女性の役が増えない限り、演劇界での私の未来は開けないと見切りをつけました。そして、私のハマリ役で、且つ自信のあるコミュニケーションの才能を活用できるジャーナリズムに転向したのです。


——ジャーナリズムのキャリアからSDAFF創設へと立ち返った理由は。

1999年までの6年間を早送りします。1996年にサンディエゴに移った私は、1995年から活動休止の状態になっていた地元のアジア・アメリカ・ジャーナリスト協会 (AAJA) 支部の復興を決意しました。それが1999年のことでした。ニュースビジネスの場で多くのアジア人が働いている現実を目にしながら、地元に支部が存在しないのは馬鹿げていると思ったのです。AAJA支部を復興させた私は 「アジア系アメリカ人の問題をより大きなコミュニティに連動させる方法」を模索していました。自分がメディアに関与しているというだけでは物足りなかったのです。そして、映画という方法論に思い至りました。映画はあらゆる境界線を越えた、世界に通用する言語です。誰もが映画というメディアに関心があり、観賞に出掛けます。そこで私は、資金キャンペーンとして3日間の映画祭を立案したのです。調べてみたところ、アジア映画祭はロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、シカゴなどで開催されていました。それまで、アジア系アメリカ人の映画を一大イベントとして上映している事実を知らなかった私は、同志とウェブサイトを開設し、全米に向けて私たちの映画祭への参加を呼び掛けました。初年度は全米各地から60人の映画制作者が作品を送ってきました。その多くは完成度が低く、評価は良くありませんでしたが、私はこのような映画が世の中に60本も存在しているという現実に目を見開かされました。

以前の私は単色の世界で生きていると感じていましたが、それ以後の私の人生はカラフルになりました。自らの使命と喜びの種を見つけたのです! 私は数多くの作品が日の目を見ることもなく、棚の中で眠っているという事実に驚きました。彼らの作品は新鮮で、ユニークで、人々を惹き付け、そして刺激的です。注目すべきは、全てがアジア系アメリカ人によって制作された作品ということです。彼らは性分に合わないという理由から既存のシステムに反発し、両親の賛同も得られず、資金も無く、クレジットカードの借金を背負い、映画制作のために夕食を5ドルで過ごしてきた人々です。この天命のために自分が生まれてきたと、心のどこかで認識している彼らがそこにいるのです。それが私の心を動かし、彼らにヒーロー像を見る思いでした。そして 「今、私の人生は回帰した」 と実感したのです。演劇やパフォーマンスという私のルーツから、ジャーナリズムを通してコミュニティに深く関わり、そしてコミュニティのアーティストたちと繋がっていく ̶̶̶ それが私という人間の存在原理なのです。


—— SDAFFの使命とは。

メディアアートの体験を通して各アジア人をサポートし、支持奨励することです。


—— 作品創作の機会を提供するという意味も含まれているのですか。

51_10.jpg勿論、それも一部です。SDAFFは特殊なイベントで、私は 「SDAFFは必要ない」 という日が訪れることを望んではいませんが、実際のところ、アジア映画祭が存在している理由は、アジア人が主流派となる今後の展開を 「ハリウッド」 が認識していないからです。彼らは未だに私たちを外国人と見ています。消費活動のパターンを見る限りでは白人と同様なのでしょうけれど…。テレビ、コマーシャル、映画、ラップビデオで多くのアフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人が登場する理由は、彼らのコミュニティが映画やアーティストに金銭支援をしているからです。アジア人は映画が上映される際、自分の財力が投票権であること、つまり権力であることに気付いていません。全体として黒人は私たちより経済力がありません。しかし、彼らは財力が権力であることを心得ているので、それを利用しています。ラテン系アメリカ人も同様です。アジア系アメリカ人は他人種より自由に使える所得があるのに…。私たちは何てケチなんでしょう… そう思いませんか? アジア系アメリカ人が大挙して映画館に足を運ばない限り、私たちは見過ごされ続けるでしょう。"Har8q0j_ and Kumar" が封切られた時は興行成績で10位前後に顔を出しました。この時、多くのアジア系アメリカ人は 「ブロックバスターから$1.69でレンタルできるまで待とう」 と自らに言い聞かせていたのです。これは事実です。ハリウッドは白、黒、黄という人種のカラーではなく、グリーン (ドル紙幣) のみを気に掛けているのです。


—— "Shall We Dance?" などの人気アジア映画がハリウッドでリメイクされる最近の傾向をどう思いますか。

それがハリウッドのやり方です。私はゾッとしてしまいます。現在、アジア映画は人気の高まりを見せて、アメリカの配給会社は海外へ出向いて "Shall We Dance?" や "My Fancy Girl" などの映画の権利を買い付けています。ハリウッドはこれらの作品を本当に素晴らしい映画だと称賛していますが、アジア人ばかりが登場する映画をどのように売り込もうとしているのか ̶̶̶。どうするかというと、ストーリーを変えて、アジア人ではない役者を投入し、タイトルを変更し、オリジナルならではの特別な部分を全て取り除くのです。"Shall We Dance?" がジェニファー・ロペスとリチャード・ギアのバージョンになると聞いて、私は愕然 (がくぜん) としました。私が問題視しているのはそこです。配給会社の上層部はこの方法が最良だと考えているのです。私たちはこの愚行を止めなければなりません。そのためには、私たち自身が大挙して映画館に出掛けて入場料を支払い、自分たちに関連している映画作品を積極的に支持するという行動が必要です。


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Lee Ann doing her best “Go Go Yubari” impersonation (Kill Bill) while promoting the SDAFF at this yearʼs Comic-Con.
——今年の映画祭での参加作品数は。

参加申込みの締切を迎えたばかりですが、初年度の60本から年を追うごとに150本、300本と増え続け、昨年は過去最高の350本を記録しました。今年は多くの映画が制作中という状況もあって300本程度でした。それでも今年は素晴らしいプログラムを用意しています。私たちは300本の応募作品の中から120作品を上映して選考し、そのうち90作品が映画祭に登場します。それ以外は私たちの推薦作品です。100万ドル級の制作費を投じた作品やアワード受賞作品の大多数は映画祭への参加料を必要とせず、招待されることになるでしょう。私たちは他の秀作の確保に向けて、実績のある著名な映画制作者に接触し、彼らの作品を上映できるように努力しなければなりません。私たちの映画祭は独特であり、応募規程をやや高めに設定してあります。サンダンスなどの大規模な映画祭で上映された作品は受け入れていません。その理由を端的に言うと、そのような作品には私たちのコミュニティとの接点が感じられないからです。


——映画やビデオを観賞するのではなく、映画祭へ行くことの意味は何でしょう。

私たちの映画祭では、映画制作者とアーティストたちが赤絨毯 (じゅうたん) の上を歩いて入場するという演出で好評を得ており、映画祭参加者のほとんどが出席します。今年は短編映画シリーズが設けられ、日本映画も登場します。4作品は日系アメリカ人によって抑留問題を取り上げており、他にも長池弘史氏の2作品が上映されます。彼は日本から参加しますが、日本のお伽話のような内容です。映画祭では、会場に到着した観客を前に全ての作品を連続的に上映していきます。短編映画は約90分間上映され、その後で出席している映画制作者を紹介します。そして質疑応答の時間へと移行し、観客は 「その時、監督は何を考えていましたか?」 「○○さんとの仕事は如何でしたか?」 などと差しで質問する機会が与えられます。対話や討論は人々を映画祭に惹き付けるポイントでしょう。そうでなければ、映画館に行くのと変わりがありません。

私たちは映画制作者を激励するために営々と努力を続けています。彼らが世間から愛され、評価されている事実を伝えることで、士気が高められて更なる制作意欲が湧くだろうと考えるからです。今年は日本映画の "Josse, the Tiger, and the Fish" (邦題 『ジョゼと虎と魚たち』) や "Like Asura" (邦題 『阿修羅のごとく』) も上映されるので、日系コミュニティからの来場支援を期待しています。


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Hard at work in her other life as a news-anchor for KGTV Ch. 10.
—— 映画祭は有名人の関心を引き寄せますが、今年は誰が来るのでしょう。

優れた作品と映画制作者に加えてですか? 今年の審査員はリアリティーショー "Last Comic Standing" の優勝者ダット・ハンを始め、元 "The View" のメンバーで "National Geographic" のリサ・リン、"Better Luck Tomorrow" のジョン・チョとソン・カン、"Gilmore Girls" のケイコ・アジェナ、そしてハーレム・リーなどの面々です。忙殺されている人が多いにも拘らず、誰もが私たちの招待を快く受け入れてくれます。これはとても有り難いことなのですが、同時に困ったことにもなりかねません。彼らは多忙を極めていて、映画祭の間に他の用件で移動を余儀なくされるという不測の事態も生じます。つまり、出席の確約を取ることが不可能なのです。でも、大勢の人々が私たちを支援してくれているのは事実です。


—— SDAFFに心血を注いでいるあなたが個人的に好む映画とは。

"Cinema Paradiso" (邦題 『ニュー・シネマ・パラダイス』) が大好きです。最高傑作の一つでしょう。また、韓国映画 "Joint Security Area" は北朝鮮と韓国の兵士の友情を描いており、いかなる境界線があろうとも人類は全て兄弟姉妹であることを実感させてくれます。 それに "Goonies" も今までで一番のお気に入りです (笑)。"Goonies" と同じく "Breakfast Club" などのジョン・ヒューズ作品は全部好きです。私はシカゴ育ちなので "When Harry Met Sally" (邦題 『恋人達の予感』) や "Ferris Bueller's Day Off" (邦題 『フェリスはある朝突然に』)、"Sixteen Candles" (邦題 『すてきな片想い』) にも思い入れがあります。


—— 多忙な生活を送る中で、自由な時間をどのように過ごしていますか。

夫と私は身体を鍛えるのが好きで、一緒にカンフーを学んでいます。私たちは健康そのもの! お酒の楽しみは別として、肉類は口にせず、十分に野菜と魚介類を摂ることを心掛けて、健康的な食事と運動を続けています。私たちはチョイ・リ・フット式カンフーを始めて2年余りになりますが、今では互いに接触しあう激しいスパーリングレベルにまで達しました。


—— 夫婦同士で闘うのですか。

そうです。防具を完全装着しますけどね。自宅にはパンチバックもあるんですよ。夫は抜群のルックスですし、私も最高の身体のコンディションを維持していると思います。他にどんな楽しみがあるかしら? 私は何もしないのが好き ̶̶̶ そうなれるように夢見ています。だって、何もしないという状況が私の人生に訪れることなどないのですから!
 

リー・アン・キム

韓国・ソウル生まれ。1歳の時にアメリカへ渡り、4人姉妹の1人としてシカゴで育つ。メリーランド大学では放送ジャーナリズムを専攻し、韓国系アメリカ人 向けの新聞を発行、同時に大学構内のラジオ局や学生新聞にも関わる。州の政治を取り上げたメリーランドのラジオレポーターでジャーナリストとして頭角を現 し、テキサス州ヒューストンで初めてのTVの仕事に従事する。アラバマ州タスカルーサでCBS系のニュースアンカーを経験。1995年ミズーリ州スプリングフィールドでマイノリ ティーとして初のNBC系のニュースアンカーを務める。1996年にサンディエゴへ移り、KGTV (チャンネル10) の週末ニュースのアンカー及びリポーターを担当。1999年にアジア・アメリカ・ジャーナリスト協会 (AAJA) を復興させた後、SDAFFを設立してサンディエゴ・アジア映画祭を開催。調査報道部門でエミー賞を獲得したほか、2つのAAJA賞を受賞。最近ではサン ディエゴ・メトロポリタン・マガジンにおいて「サンディエゴで活躍する40歳以下のトップ40」に選出される。現在、夫ルイス・ソング氏とラブラドルレト リーバー犬のペペレピューと共にサンディエゴ市内ソレントバレーに在住。


(2004年10月16日号に掲載)