ゆうゆうインタビュー 大塚晶則

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パドレスの中継ぎエースとして目覚ましい成績を収めていますが、メジャー1年目の感触を聞かせて下さい。

当然のことですが、渡米前から「オレは絶対やれる」という自負はありました。その気持が無いとメジャー行きの決意はできないですから。でも正直に言うと、ここまで上手くいくとは思ってなかったかな… (笑)。「メジャーでも抑えられる」という確かな手応えを感じたのは、スプリングトレーニングでちょっとした出来事があって、それが僕のコントロールを格段に向上させたからです。


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パドレス入団が決まり、背番号16のユニホームを持ってタワーズ・ゼネラルマネジャーと握手する大塚晶則投手= 12/11/03
——スプリングトレーニングの出来事を具体的に言うと。

パドレスの主力捕手はラモーン・ヘルナンデスとミゲル・オヘダ。2人とも185cm以上で日本人のキャッチャーと比べて大柄です。的が大きいから投げやすいと思うでしょう? 最初は全く逆でした。日本人は小柄だから、ミットを顔の位置に近づけて、見た感じでも低く構えることができます。でも、メジャーのキャッチャーは巨漢なので、体ごと低めに構えられない。ミットの位置だけを低くするからミットと顔の間隔が空いてしまう。ピッチャーはキャッチャー全体を見るので、どうしてもミットと顔の空間を意識してしまうのです。僕の場合はどうしても球が高めに浮いてしまう。的が絞れないんです。だから、最初の頃は全然コントロールがつかなかった。思い余って、キャッチャーに 「顔をミットの位置に近づけてくれ。大きく構えても、顔を少しだけ下げてくれ」 と願い出たのですが、最初は誰も重大事とは受け取らずに、ふざけて寝そべって構えたり… (笑)。仕方がないので、キャッチャーに指示して欲しいとコーチに頼み込んで、僕の要求を通してもらいました。そしたら、途端にミットに集中できて、バシバシとストライクが決まるようになったのです。コーチとキャッチャーから 「お前に必要だったのはこれだったのか!」 と納得してもらいました。


—— デビュー戦 (LAでの対ドジャース戦) で敗戦投手になりましたが、その後は13試合連続無失点という見事な内容。黒星発進から何かを得たような印象を受けましたが…。

その通りです。負け投手になりましたが、逆に「こういうピッチングをすれば抑えられる」という解答を得たような気がしました。あの試合でサヨナラヒットを打たれたのはサイン通りに投げたフォークボール。それが甘い所に行ってしまった。キャッチャーとのコミュニケーション不足もありましたが、やはり僕は直球とスライダーが武器なので、勝負球には自分の意志を通すべきだという確信を得たのです。僕のスライダーは何種類かの変化が出るので配球の組み立てが有利になります。ストライク先行で打者を追い込んで、自信のある縦のスライダーで仕留めるという攻め方がベストですね。日本と違って、大リーグのストライクゾーンはボール1個分だけ左右に広いんですよ。コントロールに自信があればバッターも手が出ないし、力任せに投げるのではなく、丁寧にコーナーを衝いていけばカウントも取り易くなる。シーズンオフの時点からその練習を続けていて、アジャストメントも十分に出来ていたし…。 次の試合から僕は変わりました。


—— NLの新人王争いはメッツの松井稼頭央遊撃手、パドレスのカリル・グリーン遊撃手、そして大塚さんの3人に絞られるとの報道もありますが、新人王タイトル奪取は視野に入れていますか。

うん、当然入っていますね。日本で新人王を取れなかったから、是非メジャーでという思いもあるし、狙っています。でも、そこに目標を置いていません。チームの優勝とワールドシリーズに出場して世界一になることが最終目標ですから。


——大学時代は最優秀投手、プロ野球では1998年パ・リーグ・セーブ王の球歴が光っています。大リーグを目指した理由と時期は。

野茂英雄投手の存在が大きかったですね。野茂さんのファンでしたから。自分の背番号16も、野茂さんのドジャース入団時の番号ということで希望しましたし、僕が近鉄バファローズに入団した時も近鉄時代の野茂さんの背番号11を受け継ぎました。大リーグを意識し始めたのはプロに入って2年目。セーブ王を手にした1998年に日米野球のメンバーに選ばれて、メジャーの打者と対戦した時ですね。メジャーリーガーの迫力ある姿を目の当りにして、彼らと勝負したいという気持が芽生え、その思いが年々強くなっていきました。

その日米野球でパドレスの守護神であるクローザー、トレバー・ホフマンと出会ったんです。試合前、トレバーはどの選手よりも早く球場に来てグラウンドで黙々と練習をしていました。ランニング、ダッシュ、腹筋、背筋と続いて、その真剣さに声も掛けられず息を呑んでしまいました。練習に取り組む姿勢が誰よりも際立っていて印象的でしたね。日米野球には有力な抑え投手が数多く来ていましたが、その中でメジャー No.1 の抑え投手ですからね。その凄みには圧倒されましたね。クローザーとして9回に投げる立場と8回にセットアッパーとして出ていく立場とでは、気持の上で全然違うんですよ。クローザーの精神的な重圧は比べものにならないし、極度の集中力を必要とします。特に、1点差の場面で最後を締める役目というのはね…。僕は日本でクローザーとしての仕事をしてきたし、その状況には慣れているつもりでしたが、4月30日のメッツ戦でメジャー初セーブを経験してそのプレッシャーを改めて実感し、トレバーに対する尊敬の念が強くなりました。


—— ホフマン投手が9回のマウンドに向かう時に AC/DC の "Hell's Bells" が球場に響き渡りますね。大塚さんのテーマ曲は無いのですか (笑)。

実はあるんです (笑)。僕が出ていく時にも音楽は流れています。でも、演出が付くのはトレバーだけ。これは抑え投手の特権のようなものですから。本当なら僕が自分のテーマソングを持つことなどできません。でも、リクエストをしたんです (笑)。そしたらOKってことになって、メタリカの "Wherever I May Roam" に決まったんです。「何処へ行っても、俺はやるぜ。日本でもアメリカでも」 という意味合いがあるからと、トレバーが選んでくれてね。


—— FA権取得を待たずに、ポスティングシステムでメジャーリーグ入りを果たしましたが、最初に試みた2002年には入札が無かったと聞いています。その経験から得たものは。

FAを待っていたら僕は35歳を過ぎてしまいますから、メジャーに行くチャンスはポスティングシステムしかないと思っていました。ですから、最初の年に入札が無かった時は人生最大の苦痛を感じました。でも、その経験は無駄にはならなかった。翌年、僕は中日ドラゴンズに移籍しましたが、これが大きな収穫でした。信頼できる仲間ができたし、何よりもセ・リーグの野球を経験できたのが大きかった。セ・リーグはパ・リーグと違う殺気立った雰囲気があるんです。巨人戦や阪神戦に臨む時は普通の神経では野球ができません。ヤジはジャンジャン飛んで来るし、応援も"楽団付き"で半端じゃないからマウンドで投げていても地響きがするんですよ。その経験があるから、メジャーに来ても観客からのブーイングなんて屁とも思わないんです。日本と比べればメジャーの球場は静かだし、打者との勝負に集中できますからね。だから、ヤンキー・スタジアムに行っても大丈夫だと思いますよ。先ず、言葉が分からないからね。何を言われようが… (笑)。


—— パドレスの印象はどうですか。日米野球でホフマン投手から薫陶を受けているので、このチームが身近に感じられたのでは。

チームメートは皆が明るい性格で、僕に話し掛けてくれるし、日本についても興味深く訊いてくるし、本当にチームの中にいて楽しいですね。この間、投手のアントニオ・オスナの誕生日にティファナへ行って、食事をしたり、トランプに興じたり、メキシコ音楽のビートに乗ってラテンダンスを教わったり、楽しい1日を過ごしてきました。ブルペンでもアントニオが踊っているのを真似したりして、大分上手くなりましたよ (笑)。英語やアメリカの事柄を訊くのはスコット・ラインブリンク投手とトレバーですね。ブライアン・ジャイルズ選手やフィル・ネヴィン選手もよく話し掛けてくれるし。まぁ、誰とでも片言ながら言葉を交わしますよ。ペトコ・パークのファンの応援ぶりも紳士的だし̶̶̶。日本のプロ野球だと観客が球場に楽器を持ち込んでくるけど、こっちでは子供と一緒に野球を楽しもうというお客さんが多いから、家庭的な雰囲気に満ち溢れていますよね。


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調整のためオーストラリアに向かう米大リーグ・パドレスの大塚晶則投手= 2/5/04、大阪空港
——開幕から2か月が経過した今、克服すべき課題と感じていることは。

やはり英語力ですね。監督やコーチが言っていることは大体分かるんです。キャッチャーからも「深呼吸しろ」とジェスチャー付きで言われるから理解できるし (笑)。でも、自分の意見を伝えることができないのがちょっと歯痒いなぁ…。英語を勉強しなければいけない。試合中に通訳はベンチに入れないんです。でも、それでいいと思って。「あいつは英語できない」 なんてナめられたくもないし (笑)。1年目は通訳の助けを求めても、2年目からはインタビューに自分で答えられるくらいになりたいと思っています。


——大リーグ野球と日本のプロ野球と比べて、大きく違う点は何ですか。

メジャーリーグのマウンドは粘土で固定されていて、スパイクとの噛み合わせが良いから投げやすいですね。一連の投球動作において軸足も踏み出す足も安定しています。これが僕のコントロールが良くなったもう一つの理由です。日本のマウンドは乾いた砂状の土なので安定感が乏しいし、滑りやすいのでコントロールが付きにくいという難点があります。

メジャー球場の練習用設備の充実ぶりも日本とは比較にならないほど素晴らしいですね。選手の家族のためのファミリールームを備えているし、ベビーシッターも待機しています。選手はトレーニングコーチの指示に従いながら、毎日のメニューに沿って体づくりができます。また、日本と違って、遠征時に家族を連れていくのも自由ですしね。家族のチケット代やホテル代を自前で払えば予約などの手配は球団がしてくれます。飛行機についてはメジャーリーグの凄さを実感しています。パドレスのチャーター機は全席がファーストクラスのシートで、食事やスナックも素晴らしい。ビールも飲めてゲームもできるし、楽しく快適に移動できます。


—— 有力日本人選手のメジャー流出が続いています。日本のプロ野球の空洞化が始まっていると感じます。

よく耳にする意見ですが、僕は日本のプロ野球の空洞化や衰退化というのはあり得ないと思うんです。野茂さんや松井秀喜のような大選手がメジャーに出ても、後から若くて有能な選手がどんどん入ってきますから、それは心配ないでしょう。日本の野球ファンがメジャーリーグのTV中継だけを観て、日本の球場に足を運ばなくなるとは思えないし、僕が日本でプレイしていた時もファンの応援の熱っぽさが伝わってきて、大勢のお客さんに楽しんでもらっているという実感がありましたから ̶̶̶。日本の野球も面白いですよ。


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エクスポズ戦に登板し、2勝目を挙げたパドレスの大塚 = 4/27/04、ペトコ・パーク
—— 将来の夢を聞かせて下さい。

サンディエゴに来て自分の夢が変わりました (笑)。朝、目が覚めて、ミッションベイから太平洋までの素晴らしい景色を自宅から眺めている時が一番幸せな時間です。最高の生活環境 ̶̶̶これが好調の理由だと言っても過言ではありません。今後もサンディエゴで暮らしたいし、パドレスで可能な限り長くプレイしたいというのが偽らざる気持です。40歳くらいまでは現役を続けたいなぁ。引退後もここを拠点にして、日本の有能な選手をスカウトするような立場にもなりたいし、コーチになるのも夢ですね。日本に帰る形になったら、メジャーリーグで積んだ経験を還元して、日本のプロ野球を向上させたいという意欲もあります。先ずは、日本の不安定なマウンドを一つ残らず改善していきたい。あんなマウンドじゃ、ピッチャーが可哀想だから…。


—— パドレス初の日本人選手ということで、サンディエゴのファンも期待を込めて注目しています。地元ファンに向けてのメッセージを。

「優勝を請け負います!」 と言いたいけど、僕1人の力じゃ実現できないから… (笑)。そうだなぁ、今年はペトコ・パークがダウンタウンにオープンして、新球場でプレイできるチームの一員になれたことは幸せですし、チームも好調で優勝戦線に絡んでいるし、僕がしっかりと中継ぎの仕事を果たしていけば、良い結果になると信じています。皆さん、ペトコ・パークでの僕の勝どきの雄叫びを聞きに来て下さい。「よっしゃ!」 (I did it!) という言葉がスクリーンに出ますから (笑)。


—— 三振に仕留めたビクトリーポーズで 「よっしゃ!」 と叫んでいるのですね。

僕の口グセなんです。結構、関西で皆が使う言葉なんですが、これをメジャーに持ってきました。実は、近鉄時代の佐々木恭介監督のトレードマークで 「よっしゃ佐々木」 と呼ばれていたのが、いつの間にか近鉄のイメージになり、選手たちが 「よっしゃ」 を連発するようになったんです。「よっしゃ」 がメジャーリーグの投手の間で定着して、その元祖はパドレスにいたイキのいい日本人セットアッパーだったと語り継がれるのも夢ですね (笑)。


大塚 晶則

サンディエゴ・パドレス 投手。千葉県出身。1972年1月13日生。182cm/90kg。右投げ/右打ち。横芝敬愛高-東海大-日本通運を経て1997~2002年に大阪近鉄 バファローズの抑え投手として活躍、2003年中日ドラゴンズに金銭トレードで移籍。日本のプロ野球時代の通算セーブ数137。個人タイトルは大学4年春 季に最優秀投手、35セーブを挙げたプロ2年目の1998年にパシフィック・リーグ最優秀救援投手。2002年にポスティングシステムで大リーグ入りを目 指すも入札が無く、翌2003年に再挑戦してパドレス入り決定。2年契約185万ドル (年俸平均92.5万ドル=約1億円)。中継ぎエースとして防御率1点台の好成績を維持してチームに貢献している。明美夫人、虎之介君 (6)、ひかるちゃん (3) と共にサンディエゴ在住。
パドレスの情報、ホームゲーム案内は http://sandiego.padres.mlb.com へ。


(2004年5月16日号に掲載)