Wednesday, 17 April 2024

2022年/お正月

 

アマチュア占星家SSが予見する新年の世相。2年前の木星・土星・冥王星の大会合を起点に、240年続く宝瓶宮 (ほうへいきゅう) 時代へと世界が移行した。権威より個性を尊重し、国境を越えた人道主義が広まっていく。ネットを通じて社会変革を起こす市民革命パワーを獲得したけれど、これからは膨大な情報に呑み込まれず、借り物でない人生の意味を見つけないと幸福になれない。自己価値を確立すれば、他者の価値も受容できる。それが新時代の本質。240年の巨大フレームの中で、2022年はどんな1年になるのか——。前半と中後半の象意は対照的だ。前半は「博愛」。言い換えれば共感と連帯 (双魚宮木星 SEt 金牛宮天王星)。双魚宮を進む木星は3月〜5月に海王星と会合し (双魚宮木星 COj 海王星=両惑星とも双魚宮支配星)、地球上でボランティア活動が盛んになり、優れた芸術作品が続々と登場する。中後半は「挑戦」。変化と開拓がキーワード (白羊宮木星 SEt 磨羯宮冥王星)。経済界が激動し、パイオニア企業が注目の的に。新年前半の世相に先駆的ビジネスモデルのヒントが隠されている。先んじて準備・着手することが成功のカギ。ラッキーカラーは前半が 「群青=ぐんじょう」 (Pantone社の青系と一致)、後半は 「ワインレッド系」。 (SS)
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▽皆さま、明けましておめでとうございます。1987年に誕生した『ゆうゆう』は多くの方々に支えられて、お陰さまで創刊35周年を迎えることができました。これもひとえに皆さまのご支援の賜物と、心より感謝いたします。▽お正月、日本に里帰りすると決まって、実家の面々総出で成田山新勝寺に初詣に行っていた。昨年は、時期をずらしての「分散参拝」の呼びかけがあり、兄が代表して行ってくれた。2022年は平常通りとなり、参道の店も賑わいが戻るらしい。▽毎年、タイムズスクエアのカウントダウンをライブで見ているNYの知人がいる。極寒の中、5時間以上待たなければならず、何と、オムツを履いて出陣するそうだ。▽コロナ禍で迎える2度目のお正月。会いたい人に会えない。行きたいところに行けない。やりたいことをやれない。ありふれた日常こそが特別であり、奇跡そのものなのだ。失ったときに初めて、その大切さに気付かされた。 ▽「たとえワクチン接種が成功しても、収束には2、3年かかる」とアメリカの疫学専門家が語っている。明けない夜はない。やまない雨もない。過ぎ去らない嵐もない。嵐が去った後は、きっと、素晴らしい景色が広がっている。私たちは、過去に繰り返された感染症の大流行から生き残った 『幸運な先祖』 の子孫なのだから。(NS)
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yoko
明けましておめでとうございます。アメリカのお正月は味気ない。クリスマスで盛り上がった後のおまけっぽい。メインはカウントダウンのみ。年が明けると、元旦は祝日で、その後、すぐに2日 (3日?) から日常生活に戻る。小学生の子供が2人いる我が家もメインイベントはクリスマスだ。アドベントカレンダー、クリスマスツリーにサンタさんへの手紙、クリスマスカード、どこからか突然に現れるエルフ (親がこっそり用意)、クリスマスイブはサンタさんへのクッキーを焼き (私が)、ミルクを用意、娘のリクエストでトナカイ用に人参とリンゴも用意、クリスマスプレゼント (アメリカはプレゼントの数が多すぎる!) などなど、サンクスギビングデーが終わるとクリスマスの準備で親 (私) がいろいろと忙しい。なので、お正月は特に何もしない。私がひとりでお餅を食べてお正月気分を出している感じかな (最近、娘もお餅を食べるようになった)。たまには日本のお正月を味わいたいかも。除夜の鐘、お節料理、お雑煮、年賀状、初詣、かるた、すごろく、こたつ、みかん、猫、寝正月 (笑)。(YA)
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reiko-san
子供の頃、元日になると、車で2時間ほど離れた所に住んでいた祖父の家に行くのが習わしだった。親戚が集まり、美味しいご馳走を食べたり、いとこ達と遊んだり、楽しかった。クリスマスとお正月を一緒にお祝いするスタイルなので、私たち孫は、クリスマスプレゼントとお年玉をいっぺんにもらえる嬉しい日でもあった。祖父はもう随分前に亡くなってしまったが、大きなダイニングテーブルの定位置に座り、コーラを片手にタバコをくゆらせながら、優しく私たちを見つめる笑顔はぼんやりと覚えている。△実家でよく食べていたお雑煮は、父の故郷、島根県出雲地方の岩のり雑煮。煮た丸餅の上に、岩のりを載せただけ。白黒という、ビジュアル的にもとてもシンプルなスタイル。岩のりは甘辛く味がついていて、柔らかいお餅との相性は抜群。そして、お節料理。母の作る黒豆、田作り、紅白なますなど、 どれも美味しかった。△サンディエゴで迎えるお正月も20回目。サンクスギビング、クリスマス、そしてカウントダウンまでが一大イベントというのに慣れてしまい、ゆっくりとお正月を過ごすこともなくなってしまった。黒豆とお餅くらいはちゃんと食べて、少しだけでもお正月気分を味わいたい。(RN)
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suzuko-san
♪もうい~くつ寝るとお正月♪ 幼い頃は、お正月が来るのがみ~んな待ち遠しかった。それは、レコード大賞や、紅白歌合戦などのテレビ特別番組や、おせち料理もさることながら、自分の親からはもちろんのこと、親戚のおじちゃんやおばちゃん、はたまた近所のおじちゃんやおばちゃんからもお年玉がもらえたから、きっと待ち遠しくて仕方なかったのである。やがて、時は過ぎ・・。お年玉をもらう身からあげる立場となり、もっと時が過ぎて、異国で暮らす身となった今では、お年玉をあげる子も孫も甥も姪もいない・・。ちょっぴり淋しい気分が漂うお正月がそこにあるのは確かである。それに加えて、この国ではお正月の三が日、という祝日ムードは全くなく、1月2日から仕事という会社が多いので、お正月気分に浸っている間もなく、つまらないことおびただしい。よって! やっぱり、お正月は日本だぁ~と、毎年暮れには日本へ帰り、温泉に浸った後は、姉と一緒に作るおせち料理と箱根マラソンを楽しむのを恒例としているのが、この憎っきコロナめ! 昨年も今年も帰れずじまい。あ~あ。私のお正月は、♪あと365夜寝るとやって来るう~!♪ その365夜を楽しく、楽しく過ごしましょっと! 今年も、どうぞよろしくお願いいたします。 (Belle)
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jinnno-san
パンデミック事情で、年末年始に実家に帰るのを見送った。サンディエゴでたっぷり “自粛お正月” を過ごす分、ある分野が優れてきた。コタツでゴロゴロしない分、三が日も辛うじて動いている 笑。お家を何となく大晦日ふうに大掃除しようかな、という気分はモリモリ 笑。しかし、何といってもコレ。出来合いのモノに頼らず、お家でお節を作ろう計画! 前から作ってはいたんだけど、家にずっと居るとなると気合いの入れ具合が違う! 5日前からお買い物開始。どこで何を仕入れるか決めているので5軒のお店は回る。5日間ほどかけて具財を一品一品作っていく。根気がいる作業だけど、ズボラなわたしでもする 笑。元旦の朝には、友達の庭からもらってくる見事な椿で生け花をゴージャスに生ける。生け花をバックに三段重のお節箱を置いて、準備していた具財を淡々と詰めていく。インスピレーション豊かな (言い換えるとテキトーな) わたしはちゃちゃっと詰める。仕上がりは、自分で言うのもナンだけど、超超豪快、じゃなくて豪華! 笑。でも待てよ、、自己評価で、わたしアッパレって思っているだけかもしれないよね。お味も見た目も皆さんにはバレないし 笑。でも! これを読んで、想像して、ニヤニヤしながらお正月を過ごしてみてね!(お裾分け、なーし 笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私は正月が嫌いだ。楽しい記憶が何もないからだ。① おせち:おせちのすべてが不味 (まず) い。毎年、母親がせっせと作っていたから「嫌いだ」と言えず、箸で突っつく。その上、私は餅が好きではない。「食べろ」と言われたら食べられるけれど、味のしない、ぐにゅぐにゅ、ねちゃねちゃした餅は、私にはつまらない食べ物だ。② 蟹:正月に、車で1時間ほど離れた叔父の家に親戚が集まると、おせちと一緒に蟹が出てきた。「お~、蟹だよ!」と、実家では絶対出てこない蟹に頬張りつく。「蟹って、泡っぽい味がするんだな」と子供ながらに感じていた。車酔いしやすい私は、疲れもたまり、帰りの車でよく吐いていた。大人になった今、私は蟹アレルギーであることが判明。両親、気付いてよ・・。③ 新年の抱負:小中学生時代に、冬休みが終わると『新年の抱負』を発表するという課題が出た。年が明けると、なぜ新しい目標を立てなくてはならないのか疑問だった。「自分がやりたいことに気づいた時に、勝手に始めるからほっとけ!」と子供ながらに思った。④ お年玉:学校で「お年玉、いくらもらった~?」と話題になる。友達のお年玉事情を聞くと、私がどれだけ安く見積もられていたのかが発覚する。そういう諸々の経験もあって、私は正月が嫌いになった。(IE)
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毎年、子供たちの夏休みに合わせて日本に帰省しているため、もう10年ほど日本でお正月を過ごせていない。アメリカに来る前までは、 毎年、家族で紅白を楽しんで (演歌はだいたいトイレ時間)、NHKの「ゆく年くる年」を見ながら、ゴ〜ンという鐘の音とともに、アナウンサーの「明けましておめでとうございます」の声で静かに新年を迎えていた。だが年々、家族も高齢化となり、紅白が終了するまで起きている人がいなくなり、私の記憶では自分一人だけテレビの前で新年を迎えていたような・・。そして、日の出の時間を確認してから、 初日の出を拝むために寝る。父が元気だった頃は、家族総出で船に乗って沖に出てご来光を拝んでいたが、いつしか自宅前の海岸で初日の出を眺めるのが恒例となった。今では日本に暮らしている家族がその様子を写真で送ってくれる。初日の出を迎えた後は、雑煮を食べて二度寝。そういえば、我が家ではお正月にカニも食べているが、いつからそんな習慣が続いているのか覚えていない。これが、我が家の新春の過ごし方。ああ、懐かしい。アメリカで過ごす新年も悪くはないが、子供たちにも日本のお正月を味わわせてやりたい。新型コロナが落ち着いたら、今度は冬休みに帰省して、思い切り日本の元日を満喫したいなぁ。(SU)

(2022年1月1日号に掲載)