Friday, 19 April 2024

スポーツ

 

父はスポーツ音痴。私たち兄弟は親子でキャッチボールをしたり、スポーツ観戦に出かけた記憶がない。叔父たちは全員スポーツ好き。家業が化学肥料の問屋だったので、商品化された肥料を保管する縦長の倉庫があった。そこには卓球台やバスケットボールのフープが備えられていた。野球もできたが、縦長の倉庫では「三角ベース」は無理。一塁と三塁を直線の延長上に置いて「長四角ベース」を楽しんでいた (二塁なし)。昼休みや休日には、2人ずつチームを組んだ叔父たちと従業員さんがスポーツに興じていた。私と弟も子供ながら 「兄弟チーム」として参加。遊びとはいえ、大人たちは「勝ち」にこだわり、それこそ真剣勝負。ヒートアップしたのは3番目の叔父 (父の3番目の弟) 夫婦との「親戚友好卓球ダブルス定期戦」。開幕戦は14歳と11歳の我ら兄弟組がストレート勝ち。その後も連勝街道を突っ走る。叔父たちは試合中に夫婦ゲンカを始めるほど本気になっていた。相手がリベンジを狙って猛特訓を積んでいる情報を弟がつかみ、闘争心に火がついた。もはや “スポーツ親善試合” どころではない。白熱ぶりを聞きつけた母が観戦に来て、息子たちがポイントを稼ぐたびに小さくガッツポーズを取る姿は目障りだったが、必死に勝ち続けた。 (SS)
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▽ 運動やスポーツをすると頭が良くなるというメカニズムが、最近の脳科学の研究で証明されるようになった。ハーバード大学医学部のジョン・J・レイティ博士は著書『脳を鍛えるには運動しかない』 の中で、運動をするとBDNF (神経栄養因子) が分泌され、脳内ネットワークを進化させるという研究結果を発表している。BDNFの他にも、幸福ホルモンと呼ばれる物質がたくさん出て、心と身体を安定させてくれるとのことだ。▽ そもそも運動やスポーツはメリットというより、生きることそのもの、したほうがいいものではなく、当たり前のことだったようだ。太古の昔、狩猟生活をしていた原始人は、走ることによって脳を活性化させ、帰り道や危険な場所を覚えて、無事に家族のもとへ獲物を持ち帰ることができたとのこと。▽ しかし、私たちは、もはや狩猟も採集もしていない。何と、座りっぱなしの状態では1時間ごとに寿命が22分間短くなるらしい。さらに怖いのは、座り続けたことによるデメリットは、後から運動しても取り戻せないらしい。できることなら、30分ごとに立ち上がり、軽い運動をすることが薦められている。ここ数年、スタンディングテーブルとステッパーを仕入れて、立ったまま足踏みして仕事をしている友人が増えてきた。還暦を過ぎると、運動、スポーツ、生きることに必死なのだ。(NS)
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yoko
昔からずっとインドア派の私。子どもの頃、スポーツ全般が苦手だった。特に、グループでやる球技系がダメダメだった。なので、毎年春に開催される全員参加の球技大会がとても憂鬱だった。バスケットボール、バレーボールは全く戦力にならない。(体育の授業中も、なるべく邪魔にならないポジションにいた) テニス、バトミントンも私のところにボール (シャトル) が来たら、ゲームが終わってしまうので、話にならない。大体、無難なドッジボール参加になっていたのだが、そのドッジボールも本当に嫌いだった。どうしてボールをぶつけ、ぶつけられて楽しいのか、全く分からない。ボールをぶつけられたところは痛くてジンジンするし、狙われること自体が本当に恐怖だった。ドキドキしながらボールから逃げるのが恐くて恐くて、必死で動き回るのだが、逃げまくると少人数に残ってしまって、皆に狙われて、さらに恐い思いをする。さっさと当てられて、外野に移動できるとホッとしていた。ただ外野にいても、ボールを取るわけでも、誰かにぶつけるわけでもなく、ボーっと立っているだけの全く戦力外の人だったので、すぐに内野に戻された (・_・、) (YA)
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reiko-san
△ 私の人生の中で一番スポーツに時間を費やしたのは、中学生の3年間だったと思う。どうひいき目に見ても、完全に運動音痴のグループに入る私だったが、何を血迷ったか、中学校に入学すると同時に、バレーボール部に入部してしまった。授業前に朝練、放課後に夕練、週末も練習、長期の休み中もほぼ毎日のように練習があった。ウサギ跳び、空中イス、足首に重しをつけてのジョギング、縄跳び、いろいろやったな〜。ボールのサーブ、トス、アタックで、突き指は日常茶飯事、両腕はアザだらけ。指導してくれる先生も先輩も厳しくて、何度やめようと思ったか。それでも仲良しの友達と支え合って、3年生で引退するまで続けた。万年補欠で、試合もたまにしか出させてもらえなかったけれど、それでも充実した部活生活だった。成長過程であれだけの運動をしたおかげで、体力も結構ついたと思う。△ 今、私がしているスポーツといえば、海でサーフスキー (カヤックに似ている) をパドルすることくらい。今はタンデムにサーフスキー歴数十年の夫と乗っているので、海が少々荒れていても、ひっくり返ることはまずない。いつか、一人用のサーフスキーを乗りこなして、ベイから海に出られるようになりたい。 (RN)
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suzuko-san
私は家でじっとして手芸をやったり、楽器の練習に打ち込んだりするより、外で友達とワイワイガヤガヤやって、体を動かすことを遥かに好むアウトドア人間。中学2年生の時、学校にプールが新設された。海辺で生まれ、夏休みには海水浴に慣れ親しんで育った私としては、水泳部ができて、イの一番に入部を申し込んだ。まだ水の冷たい4月から10月までは、放課後毎日練習。秋冬は陸上トレーニングの練習。それだけでは飽き足らなかった私は、春夏は授業前にひと泳ぎ。秋冬は運動トラックを2キロ走る、という生活を毎日続けて、級友に呆れられた。やがて高校3年生に。担任から夏休みの部活は自粛して受験勉強に励むよう、お達しが出たが、無視。夏休み明けも真っ黒な顔で登校し、担任からお目玉をくらったこともあった。大学時代も水泳部 (ま、1年で辞めたが)。このように、私にとってスポーツとは自分がやるもので、観戦するものではない。しかしこの国に来て、フットボールやバスケ、野球などを観戦して、かなり盛り上がっているのに少し驚いた。それも良いだろうが、やはり自分で体を動かして、結果、健康な体作りへの道を進む方がスポーツの本意ではないかと思うのだが・・・。その証拠に、水泳人生を続けてきた私は、毎日を健康印で過ごせている。感謝。(Belle)
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jinnno-san
友達のH部長が、自転車レース?を完走したらしく、ものスゴい運動量だったとえばっていた。運動方法を探していたわたしは、自転車がいいじゃん!っとなった。が、H部長は、石垣島でわたしが酔っ払って自転車ごと溝にぶち落ちたこと、流行のBirdに初めて乗って5秒でこけたことを非難する。わたしは自転車に乗れない、、と。わたしは自動車&自動二輪の免許も持っていて、運転に自信ありあり 笑。で、スポーツ用品店に子供用自転車 (笑) を見に行った。スポーツ店に入っただけで、スポーツした気分になるの清々 (すがすが) しい (図々しい) 笑。店員さんもアスリートみたいにカッコいい 笑。サッカー女子代表のような店員さんに声をかけたら、自転車部門の人を呼んでくれた。試乗させてくれるのねー!と心がピークに達していると、、やってきたオジサマが、ロックを外すのに携帯に書いてある暗証番号を見ているんだけど、その字が、読めず、、笑。眼鏡を探しに行ってしまい 笑、わたしは暫く棒立ち状態 笑。ロック外して出そうとしたら、隣の自転車が横倒しになりそうで、慌ててわたしが支えた 笑。さっきまでガンガン試乗するつもりだったけど、オジサマが気の毒になっちゃった 笑。別のスポーツ店でグイグイ試乗するぜっ!と決めたのだった。 (その場で運動?笑。つーか買わないつもり?笑) (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私の運動神経は中級レベルの「中」だ。私の母親は、私に小さい頃からいろいろスポーツを習わせた。最初はモダンバレエ。クラッシックバレエを習っていると思っていた私は、チュチュもトゥシューズも無縁だと知って、やる気をなくした。なので、母は私に器械体操を習わせた。子供なのにうさぎ跳びを強いられ、やれ側転しろ、やれ逆上がりしろだのコーチに言われ、嫌になった。なので、母は私に水泳を習わせた。悪くなかった。でも、プールサイドのガラス越しに母が練習をずーっと見ているのが、ものすごく嫌だった。そして中学に入り、体操部に所属した。毎日の朝練、放課後の練習、週末練習と、かなりキツかった。その反動なのか、高校入学後は “遊び” というスポーツに熱中した。一挙に百貫デブになった。その頃、知り合いにボディボードをしに海に連れていってもらった。衝撃的な出会いだった。車の免許を取得後、いつも週末は早朝波乗りに行っていた。現在は20年以上のジム通い、時々3〜5マイルラン。何だかんだ、私は体を動かすのが好きだと思う。家事で体を動かすのは、本当に嫌いだけど (笑)。(IE)
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子供の頃からスポーツは比較的得意な方だった。小学校、中学校はバスケットボール、高校は少しだけ硬式テニス、大学でまたバスケットボールをしていた。バスケはチームプレーなので、個人で続けるには、どこか参加させてもらえるチームを探さないといけないので、大学卒業後は自然とやらなくなった。しかし、アメリカに来てから激太りした20代の頃、ダイエットのために始めたのが高校の頃に少しだけかじったテニス。時間がある時は公園にあるテニスコートの横で壁打ちをしていた。ある日、テニスをしていた人たちがダブルスに誘ってくれたのがきっかけで、壁打から人を相手にテニスをするようになった。テニス仲間は良い人ばかりで、週末にテニスに行くのが私の日課となった。おかげで、テニスは今でも私が楽しめる唯一のスポーツとなった。時間があれば週1〜2回はテニスをしに行くが、40代半ばにもなると、昔より確実に筋肉量が減り、頭でイメージする動きに足がついていかない。ついこの間も、無理な動きをして、足がつってしまったばかりだ。長くテニスを続けるためにも、ストレッチや筋トレをしなければと思っているけれど、どちらも嫌いなので、まだできないでいる。(SU)

(2021年9月16日号に掲載)