Thursday, 28 March 2024

忘れられない

 

若い頃は中古車でアメリカ国内を旅行したが、フリーウェイよりも一般国道や州道を好んでいた。米国の風情と興趣を強く感じ、深く記憶に残る「事件」に遭遇したのもローカル道だった。米軍基地近辺で体験した忘れられないロードトリップ2題。▽30年前、カリフォルニア州道62号線上のジョシュアツリー国立公園前のホテルで、地元に伝わる幻の「Giant Rock Airport」を耳にした。パワースポットと怪奇現象の連載記事を書いていた私は興味を抱く。3日間滞在し、勘だけを頼りに砂漠の道なき道を進んでいくと『未知との遭遇』 の宇宙船発着所に似た、殺風景ながら広大な飛行場が忽然と現れた! 海兵隊航空地上戦センターが近くにあり、エアポートの正体について質問メールを送ろうとしたが、興味本位で米軍と接触するのが恐くなり、ヤメた。▽ネバダ州ファロン海軍航空基地に近い一般国道95号線を走行中、背後から迫る1機の戦闘機 (F-16 ファルコン?) がバックミラーに映る。あろうことか、低空飛行を始めたかと思うと、車の上を轟音とともに掠 (かす) め去り、再び高度を上げ、前方上空で旋回し、正面から同じことを繰り返して姿を消した。恐怖に慄 (おのの) く私。公道を走る私の車を標的にして、機銃掃射の空射シミュレーションをしていたに違いない。その非常識ぶり。どういう了見なのかと腹が立った。 (SS)
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▽子どもの頃、福島県の会津で暮らしていた。日本有数の豪雪地帯で、積雪で2階から出入りしていた記憶がある。かまくらで餅を焼いたり、ソリに乗ったり、ほっぺたを赤くしながら遊んだ。実家は米農家だったが、半年間も雪に閉ざされた生活は、気の遠くなるような厳しい自然との闘いだったと思う。▽昭和35年の春、新天地を求めて、一家揃って上京。開業したばかりの東京タワーの下で家族写真を撮った。セピア色した写真の中で、両親も祖母も兄も私も笑っている。4年後に新幹線が開業し、オリンピック、ビートルズ・・、日本も我が家も元気いっぱい、キラキラ輝いていた。▽学生時代、ワンゲル部に所属していた。初めての山行は至仏山 (しぶつさん)。山頂に立った時、前方に七色の光の輪ができて、自分の影が映るブロッケン現象を目撃。一歩一歩進めば、必ず頂上にたどり着くことを学んだ。▽その昔、両親と姪を連れて「アメリカ西部国立公園ツアー」に参加した。ボディチェックの時に父がカメラを置き忘れ、母の足の裏に魚の目ができ、姪が下着をホテルに忘れたり・・。私といえば、お腹の調子がおかしくなり、バスの最前席と最後尾のトイレを何回も往復した。生まれてこの方「家族旅行」という記憶がない自分にとって、その旅は特別なものとなった。雄大な渓谷より、そんなハプニング続きのドタバタ劇が懐かしい思い出となっている。(NS)
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yoko
小中学生の頃に読んだ本は忘れられない。小学生時代に好きだったのは、動物が出てくる本。『シートン動物記』の「狼王ロボ」「ビンゴ」「野生馬物語」「綿尾ウサギのぎざ耳坊や」などなど。何度も何度も読み返して、挿絵の狼や馬の絵を真似て描いていた。椋鳩十 (むく・はとじゅう) さんの動物文学作品 『孤島の野犬』や『マヤの一生』などは、当時、ジョンという犬を飼っていたので、登場する犬にジョンの姿を重ねながら読んでいた。中学生になってからは、安房 (あわ) 直子さんや立原えりかさんの幻想的な童話集を好んで読んでいた。最初に母が買ってきてくれた安房直子さんの文庫本『南の島の魔法の話』に入っていた「鳥」「きつねの窓」「さんしょっ子」「青い花」はどれも印象的で、色鮮やかな情景が目に浮かぶ短編だった。立原えりかさんの『月あかりの中庭』に出てくるバターたっぷりのオムレツ、レモングラスを使ったお料理、「ミモザ」に出てくる星のケーキなど、どれも美味しそうで、とても食べてみたくなった。将来は童話作家か絵本の挿絵画家になりたいなと思っていた。私には小学2年生と4年生の子どもがいる。どんどん読書をして、大人になっても忘れられないような “自分の好きな本” を見つけてほしいな、と思う。 (YA)
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suzuko-san
我が長~い人生の中には、良きにつけ悪しきにつけ、数々の忘れられない出来事があるが、これは私がサンディエゴに存在を置く上で、最も意味深さを持つ、ある少女との出会いの話。それは7年前。私が「ゆうゆう」のクラシファイドに出してもらっていた家庭教師の広告がきっかけの電話だった。聞けば、その人の知り合いが娘の家庭教師を探している、というもの。早速、その家に赴いて、私は自分の目を疑った。そこにいるのは金髪青眼の6歳の女の子。両親は全くの白人。サンディエゴに生まれ、日本に住んだこともないこの少女は、2歳半から某幼稚園に通い、私が会った時の7歳の彼女の日本語は、既に年相応に流暢なものだった。みなと学園に入学した彼女は、幼稚園長の予想に反し、小学校を見事に卒業。現在中学2年生。だけでなく、卒業式の際には、卒業生代表として袴姿で答辞まで読んだ。誇らしげな姿だった。この彼女が私に言う。「私は先生と出会わなかったら、ここまで日本語を続けていなかったよ」。泣かせるではないか。私は思う。彼女に会うために、ビザも持たず、サンディエゴに勝手に移住してきたのではないかと。一匹狼?である私の、ありそうにもない存在価値を、彼女が認めてくれている。実に忘れられない、件 (くだん) の言葉を胸に、今日も生きる!  (Belle)
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jinnno-san
落し物をした人を見たら、その場で拾って、その人に渡すようにしている、のに、それに反論する人物がいる! ビーチで隣の人の帽子が飛んでいってしまったので、すぐに拾ってあげようとすると、友達のH部長は「やめとけば」と言う。理由は不明 笑。反対を押し切って、拾って本人に渡したら、めちゃめちゃ喜ばれた。何もしていないH部長にも “Thank you!” と言って 笑。別の日に、ダウンタウンを車で走っていたら、歩行者が何かを地面に落としたのを発見。大声で呼び止めても聞こえなかったらしく、その人は反対方向へ歩いて行ってしまった。それでも諦めずに、駐車して、その現場に駆け付けたら、通行人がそのブツを拾い上げ、逆の方向へ歩き始めていた! 拾った人に「あの、コレ、あそこの人のだから!」と軽く説明して奪い取り 笑、持ち主に駆け寄り、肩を叩いて「車から落とすのを見かけて、それから車を停めて、それを他人が拾うのを目撃し、その人を追いかけて取り返し、そしてあなたも追っかけた」と、ゼイゼイ言いながら渡した 笑。自分的には一瞬の判断で、走ったのは部活以来!笑。めちゃめちゃお礼を言われて、めっちゃめちゃ嬉しそうだったのは、何故か一緒に走っていたH部長 笑。この映画のワンシーンのような展開が忘れられん! H部長は次回からは拾ってあげんだろうな 笑。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私の実家がある街は高齢者が多い。帰国するたびによく聞くのは、町内に流れる行方不明者を知らせる放送。80代以上の老人を中心に、外を歩いてどこかへ行ってしまい、迷子になって家に戻れなくなるケースが多発しているようだ。何年も前になるが、雨の中を傘もささずに歩いているおばあさんを見かけた。車を停めて名前と行き先を尋ねたが、長く実家を離れている私には、戻ろうとしている家がどこなのか想像もつかない。幸いにも、おばあさんを知る近所の人が現れて、送り届けてくれたので問題は解決した。これは他人事ではなかった。父も生前、近所のコンビニに行くと言って家を出たきり、丸1日見つけられなかった時があった。コンビニから家に帰る道を間違えて戻れなくなってしまったのだ。夜も眠らずに父を捜し続けたが、帰ってこなかった。結局、家から少し離れた工場の外で一夜を過ごしたらしい。夏だったので、なんとか生きて戻れたものの、真冬の寒い日だったらと思うと今でもぞっとする。あれから何年経っても、父が一晩一人で過ごした工場の前を車で通るたびに、胸が締め付けられる思いになる。きっと一生忘れないだろう。今では、高齢者を見かけると、何か困った様子はないかと、ついつい、しばらく見守ってしまうことがある。(SU)

(2022年7月1日号に掲載)