ピンチ

1993年にサンディエゴで世界少年野球 (WCBF) が開催された時の話 (古い話で恐縮です)。野球ファンの私は、日米のスーパースターが集まる前夜祭ディナーに出席し、WCBF設立者の王貞治、ハンク・アーロン両氏のほか、ジョー・ディマジオ、デューク・スナイダー、掛布雅之、柴田勲など往年の名選手を前にしてハイパー状態になっていた。各テーブルに1人ずつOB選手が加わると聞いてワクワクしていたら、登場したのはビリー・ノース。陽気な彼はワールドシリーズのチャンピオンリングを私の指にはめてくれたり、ホロ酔い加減で “♬Take Me Out to the Ball Game♬” の合唱指導をするなど、彼の旺盛なサービス精神でとても和やかな雰囲気に。ビリー・ノースって誰?? 今さら尋ねられない。野球オンチの女子編集員が掛布選手を見つけて、プログラム冊子にサインを書いてもらい、サイン入りボールまで頂いてきた。ところがイニシャルは S.K.。「人違いだよ。(掛布氏は) かなりハゲていて、趣味の悪い黄色のネクタイが目印」 と説明した私は、自分の真後ろでご本人が座っているのに気づいた。(S.K.は4月にがんで亡くなった衣笠祥雄氏。伝えられていた通り、優しさと心遣いの人だった) (SS)
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▽小学3年生の時、空のランドセルを背負って登校してしまった。先生にもクラス全員にも爆笑された。男子と一緒に秘密基地で遊んでいたあの頃が懐かしい。▽紙コップ式の自動販売機でアイスコーヒーを購入。すると、まず氷とコーヒーとミルクが出て、最後に紙コップが出てきた。▽銀行に勤めていた頃、社員食堂に行くエレベーターを待つ間、手持ち無沙汰になって、同僚と一緒に天井めがけてジャンプ。平和な行内に非常ベルが鳴り響き、シャッターが一斉に閉まった。▽帰宅途中の満員列車の座席を確保して安心したのか、大きな紙袋に顔を埋めたまま寝てしまった。途中で気が付いたが、降りるまでそのままの体勢でいた。▽新宿発深夜スキーバスに乗った途端、お腹が痛くなった。冷汗が出て痛みは増すばかり。緊急停車してもらって滑り込みセーフ。大きな料金所の地下には事務所とトイレがあることを知った。▽先日、同級生の父親が「ボケないための本」を買ってきたとのこと。一所懸命、熱心に、読んでいた。そして、昨日も買ってきたそうだ。▽結婚した教え子からEメールが来た。「性 (姓?) が変わりました」。まさかとは思うが、恐くて連絡できない。▽ロシアW杯。2試合で1勝1分けの日本代表。悲願の1次リーグ突破へ! ピンチをチャンスに変えて頑張ってほしい。 (NS)
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sheau-ching-san.gif お客様への訪問の際、ミーティングが長くなる場合もあるので、いつも直前にトイレを済ませてから伺うようにしている。何年か前に、ある英語学校へ行った時、「トイレはどこでしょうか」と尋ねたら「そちらです。従業員のロッカーと同じ場所にあるので、この鍵で入ってください」と言われた。手渡された鍵で入ったのはいいけれど、トイレに座っていた時、誰かが入ろうとして、ドアの鍵を開けるガチャガチャという音がしていた。まぁ、鍵が掛かっているから大丈夫だろうと思っていたら、、、、女性の方が入ってきた!! えっ? ウソ? 何で? 私は絶句して、座ったままのピンチ状態に! すると “Oh, sorry. I am just getting my bag. No worries.” と笑顔で言われた! 何これ? 恥ずかしい! また誰かに入られたら困るので、急いでトイレロッカーから脱出! アポの時間になり、その英語学校に入ったら、トイレの女性が受付係!! 信じられない! 不思議な空気に囲まれていた私には逃げ場がなかった。。。。 (S.C.C.N.)
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yoko ドライバーズライセンスを取得して、初めて買った車がハズレだったこともあり、今でも車の調子にすごく敏感だ。いつもと少し音が違っていたり、見たことのないランプが点いたりするとドキドキする。見た目と名前で選んでしまった最初の車 (VW Rabbit Convertible) は、本当にしょっちゅう、どこかしら故障していた。まずはバックギアが壊れた。シフトレバーをいくらバックに入れても、後ろに進まない。頭から駐車をしたので出られない! ピンチ!! 結局、近くにいた人が車を押してくれて出られた。次はクラッチが壊れた。学校に行く途中、なだらかな坂の途中で急に焦げ臭いにおいが! そして前に進まなくなった。またまたピンチ! 端に寄せて、トーイングカーを呼ぶ羽目になった。その日は学校に行けなかった。そして、修理をしても坂道に弱い車だった。下り坂で助走をつけないと登らない。一度、上り坂の途中で止まりそうになり (とってもピンチ!)、ものすごくゆっくりどうにか登り切ったが、それからは坂道があると迂回しまくっていた。そうして直し直し4年ほど乗ったその車は、最後は全く動かなくなり、ジャンクヤード行きとなった。 (YA)
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reiko-san 珍しく夫がサンディエゴにいないある日、ゴミを捨てようと玄関から外に出たところ、後方で、風にあおられたドアが勢いよく閉まった。この時点では、あードアが閉まったとしか思わなかった。ゴミを捨て終わり、植木などをチェックして、さて家の中に戻ろうとドアを開けようとしたら、あれ、開かない。さーっと血の気が引く。夫から散々注意されていたことを思い出した。「ドアの外に出る時は、解錠しておくこと、あるいは鍵を持って出ること」 ガーン! ロックアウトされた! 夫は遥かかなたの外国。アメリカに住み始めたばかりで頼れる知り合いもいない。大ピーンチ! 一人でパニックになるが、3階建てのタウンハウスの2階部分の窓の鍵が開いていることを思い出した。1階部分から柱を伝って2階によじ登り、なんとか家の中に入ることができた。この話を夫にしたら、「よかったね、警察に通報されなくて」と言われた。夫は子どもの頃、同じようなことをして、近所の人に泥棒が侵入していると勘違いされ、通報され、警察が玄関を突き破って家に入ってきたことがあったそうだ。恐ろしや〜。それ以来、ロックアウトされるのがこわくて、家から出る時はしつこいくらいチェックするようになった。 (RN)
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suzuko-san 後にも先にも、私の人生最大のピンチは、米国への入国拒否という処分を受けた時である。以前にも書いたが、私はビザもないのに、勝手にこの国に住むためにやって来た。I-94 で滞在できる3か月で、ビザ取得の方法を探るために。で、知り合いから弁護士を紹介され、労働ビザ取得を試みてそれなりの大金を払った。が、失敗。その弁護士の助言で、2度目は学生ビザの申請を。I-20 を持って。ところがその弁護士は、ティファナの領事館ではI-94 からはどのビザにも変えられない、ということを全く知らなかったのだ。愚かなことに、この国に来たばかりの私もビザに全くの無知。で、2度もティファナの米領事館に足を運び、その度にパスポートに {Rejected] と書かれた。その足でティファナ国境を通過する際、 足止めをくらって調べられる羽目に。前の年に4回も入国、若くもなく独身・・等々の悪条件が重なり、まだ米国の2週間の滞在期間があったのに、それを取り上げられ、入国不可となった。その時点で頭の中が真っ白になった。まさにこれ以上のピンチはない。しかし悪運の強い私は、この事件がきっかけで結婚することになり、見事永住権もゲット。ピンチ転じて福となった。嗚呼めでたし、メデタシ。 (Belle)
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jinnno-san 『スタッフ閑談』の提出日は毎回決まっている。何月だろうが何年前だろうが、ずっとずっとずーーっと同じ日。だのに・・毎回 “いつまでに出してください” 催促メールがきて、スルーするとテキストメッセージが。そして電話がリンリン。とっくに過ぎている締切後のいつ何時までにと約束をし、ギリに提出。なぜ期日が同じ日なのに厳守できないのか (しないのか 笑)。そろそろイヤがられて降板の時期が来るかも、、ピンチ到来! (思ってないけど 笑) で、開き直って自分だけの日記のように今も書いているけど、以前、誰も読んでいないという想定で自分に起きた出来事を記している、と書いたんだけどね。そしたらー! ヒルクレストの洒落たバーで、こXXさんと飲んだときの話・・こ: “甥っ子だか姪っ子だかたくさんいるんでしょ?” 私: “はぁ・・ (心) あれ、そんな話したっけ?” こ: “鍋に最近はまってるんだって? ”私: “まぁそうだねー (心) いや、こXXさんとはヒッサしぶりに会うし、話してねーし” こ: “マジックなんちゃらとか、好きなんでしょー? ” 私: “・・ (心) え? まさかのまさか! ”私: “ゆうゆうの後ろの方のページの話してる? ”やっぱり余計なことは書かない方がいいと悟ったわたし。だけどー、お約束通り、あーたのこと書いたから! Mr.こXX! (笑!)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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最近のピンチ。仕事場を出て、運転中のこと。Miramarエリア。バタバタバタ~とうるさい音が聞こえ、またミリタリーのヘリコプター飛んでるのね、と思いつつの運転。が、タイヤアラームのランプが点いている。何だこれ? しばらく、そのまま運転。けれど、やっぱり心配で路肩に付ける。タイヤパンク発見!! パンクというよりも、タイヤがベロベロに破れている! まずは、子供たちの学校に迎えに行ってもらおうと、とりあえず旦那に電話。いつもは近くのオフィスにいる旦那が、その日に限ってポイントローマにいると言う。しかも子供たちの携帯電話は取り上げ中。ピーンチ!! 急いで旦那が学校に向かったが息子たちがどこにも見当たらない、家に帰るルートを探しているけれど、見つからないとの連絡。ピーンチ! 結局、無事に自分たちで家に帰って来たが、その間約1時間半。私はフリーウェイでパンクした車の隣で待ち状態。暑い、日焼けしてしまう、私のお肌もピーンチ! 旦那がレスキューに来たのはパンク発見から2時間以上も後。その間、3台の車が止まってくれて、大丈夫? 助けは必要かと聞いてくれた。感動した。誰かがピンチの時には、助けてあげようと思った。スペアタイヤの取り換え方も学びました。 (IE)


(2018年7月1日号に掲載)