「京都賞シンポジウム」が3月17日から19日までサンディエゴ市内の4大学で開催され、受賞者による講演会も行われた。基礎科学部門で受賞した根井正利博士 (進化生物学者/ペンシルベニア州立大学教授) に、人生の転機、研究成果の意義、今後の展望などを聞いた。
幼い頃の家庭環境
生家は現在の宮崎市郊外にあり、当時は焼酎を作っていました。祖父が興した会社でしたが、私が生まれた2~3年後、世界大恐慌の頃に潰れてしまい、父は農業を始めることになったのです。私に農業を継がせたかった父は教育熱心ではありませんでした。自分でも父の後を継いで農夫になるものと思っていたのです。
少年時代
戦争真っ只中の少年時代。宮崎市は米軍の空襲で焼け野原となり、私の村も壊滅的な打撃を受けました。ある日、私は畑で金属製の容器を見つけて家に持ち帰り、分解していたら突然爆発! それは小型爆弾で、私は雷管(起爆装置)というものを知りませんでした。このアクシデントで結果的に左目の視力を失いました。その一方で、約1か月間の入院中にいろいろな本を読むことができ、学問への意欲が湧いてきたのです。
高校/大学時代
高校ではトップの成績だったので、先生が父を説得してくれて宮崎大学農学部に入学。父が進学を許してくれたのは地元の大学でした。生物学を専攻していた私は、得意としていた数学を使う集団遺伝学に関心を持つようになりました。その分野を研究している先生が大学にいなかったので、自分で論文を読みながら勉強していました。
アメリカでの研究生活
京都大学大学院で農学博士号を取得。遺伝学を基礎から学ぼうと、奨学金を得てアメリカの大学に1年ほど留学もしました。アメリカでは「新しいことをやろう」というフロンティア・スピリットが溢れていましたね。日本では職を得るために研究している人が多く、私も国内にいれば就職の心配はありませんでしたが、アメリカは集団遺伝学と密接に関係する分子進化生物学の先進国でもあり、この国を研究拠点に定めました。農業とは直接関係のない「進化」について考える人生を本格的に歩み始めたのです。
研究成果
最初に認められたのは、集団が分かれた時期を測定できる遺伝的距離(genetic distance)の理論でした。ヨーロッパ系とアフリカ系の集団は約10万年前に分かれ、東洋人と西洋人の違いは約5万年前に起こり、その後、非アフリカ系が残りの世界を占めたという論文も出しました。遺伝的距離の方法論が各分野で使われるようになり、生物進化のプロセスを図解する「系統樹」作成のための近隣結合法も開発しました。
分子遺伝学への期待
チンパンジーは人間よりゴリラに似ていますが、形態的な違いからは系統関係を説明することができません。解明するには分子レベルの長期的研究が必要です。どうして形態の違いが起こるのか? ダーウィン論(自然淘汰説)を信じている人が多いのですが、私は突然変異の固定化が重要であり、そこから進化を考えるべきだと思っています。
夢を抱く若者へ
ダーウィンの進化理論は150年以上信じられていますが、研究者を目指す若い人たちには固定観念を破るような存在になってほしい。いつの時代でも「ドグマに対するチャレンジ」が求められています。
(2014年4月1日号掲載)