▽2001年9月のある日。夕暮れ時に夫婦でテニスを楽しんでいた私たちは、プレーを中断してしまうほど、鮮やかな茜 (あかね) 色に染まる日没の空に釘付けになっていた。その時刻は昔の日本でいう「逢魔時 (おうまがとき)」に当たる。妖気あふれる西日の中に “物の怪 (け)” が潜んでいると伝えられた酉 (とり) の刻。古人はそこに俗界と幽界の接点を感じていたという。この世のものとは思えない、畏怖の念を起こさせる西空の鮮かさは、恐ろしい血の色にも似ていた。不吉な空を呆然と眺める私たち。その心情を適切な言葉で表現するなら、まさしく「何かがおかしい」――。「9.11」の大惨事が起きたのは翌朝だった。▽父と交わした最後の会話となったのは17年前の秋。帰米する前夜、私と父は生涯で唯一と思えるほど胸襟を開いて話し込んでいた。攻撃性が強く、威圧的な父を子供の頃から敬遠していた私は、あの日に限って、生来の鋭さが消え失せ、穏やかに笑う姿を目の当たりにして「何かがおかしい」と感じていた。それから2か月後のある夜、私は何人もの人影に手招きされて、強い光の中へ導かれていく夢を見た。父急死の連絡を受けたのは数時間後だった。人間は無意識のまま異変を敏感に予知するセンサーを備えているが、その意味を知らずに、漠然とサインを受け止めているのかもしれない。 (SS)