September 13, 2025

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奇跡!?

 

▽一時帰国する時は、老齢の母を湯治に連れていく。10年ほど前、新潟県内の老舗温泉宿に投宿した。古代ヒノキの内風呂、茶室風味あふれる床の間など、随所に豊かな日本情緒が感じられ、迷うことなくネットで予約を入れた。母も私も初めて訪れた宿。旅館の歴史を紹介する展示場があり、 陳列品の一つ、麒麟 (キリン) を模した中国の純銀製香炉 (煙を焚く仏具) の説明を読んで腰を抜かすほど驚いた。寄贈者は私の祖父! 日付は昭和28年11月。まだ母は嫁いでいないし、私も生まれていない。祖父からは何も聞かされていない。盆栽と骨董品蒐集が趣味だった祖父。宿帳を調べてくれた3代目の若女将から手紙が届き、当時、祖父母は先々代の宿主とは昵懇 (じっこん) で、定宿にしていたようだ。▽18歳頃から3年間ほど、年に一度だけ、11月30日に激しい 「金縛り」 に悩まされた。谷底に突き落とされた衝撃で目が覚める。身動きが取れず、爪先から感覚がマヒして首の皮1枚だけ繋がっているような、今にも幽体離脱しそうな恐怖に襲われたばかりか、ぼんやりと赤味を帯びた人間の顔 (らしきもの) も見えた。なぜ11月30日なのか。過去帳を見て、11月30日と7月31日に一族の命日が集中している事実を知り、身震いした。墓参を心がけた翌年から金縛りは消えた。・・・奇跡か、偶然か、因縁か?(SS)
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▽「すごいね。ロバート・アイガー。雑用係からディズニーのCEOになったんだって」。先日、友人が奇跡の実話について教えてくれた。「受付嬢からHPのトップになった人もいるし、吉野家の社長さんは、アルバイトからの叩き上げよ」。周りが自分に何を求めているのかを理解し、自分に任されている以上の仕事をして、CEOにまで上り詰めた人々だ。▽「点と点が繋がる奇跡的瞬間がある」。スティーブ・ジョブズが残した伝説のスピーチ。大学を中退したジョブズは、忍び込んだカリグラフィーの講義で美しい書体に出会い、10年後、素晴らしいフォントを搭載した史上初のMACを誕生させた。ジョブズがその講義と出会わなかったら、パソコンには美しいフォント機能が無かったかもしれない。▽『ゆうゆう』 が誕生した1980年代はパソコンもファックスも無い時代。1台の薄型ワープロで開業した。真夜中、日本語の活字を求めて LAの写植業者へ車を飛ばしたこともあった。そして1991年、美しいフォントが搭載されたマックが届いた。創刊から36年。多くの人々に支えられて 『ゆうゆう』 をお届けできるのは、ミラクルの連続に違いない。将来どうなるかなんて誰にも分からない。過去と今が、どうにかこうにか未来に繋がると信じて、これからも、目の前のワクワクすることを精一杯やっていきたいと思う。(NS)
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今、ここにこうして暮らしていることは、奇跡の積み重ねだな、と思うことがある。この世に生まれ出てきたことが、まずは奇跡のはじまり。何億分の1の確率で受精し、胎児として母の体の中で成長した私が生まれてきた。致命的な怪我や病気をすることもなく、なんとか大きくなれたのも奇跡! 後悔する自分の取ったあの時の行動や選択の数々、できることならやり直したいと思うことも多々ある。切に願った奇跡が起こらなかったこともあった。でも、半世紀近く生きてきた私のここまでの人生を総じて振り返ると、大切な人や言葉、サポート、チャンスに要所要所で巡り合えたからこそ、今、こうして幸せに生きていると感じてしまう。これって、奇跡以外のなにものでもない! あのアインシュタインも言ったらしい。「人生には二通りの生き方しかない。ひとつは、奇跡など何も起こらないと思って生きること。もうひとつは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること」。来し方行く末、すべての経験と出会いこそ奇跡!と、感謝して生きていく方が幸せそうだ。(RN)
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suzuko-san
私は中学生の頃からアメリカ音楽に慣れ親しんでいた。英語が上手に、という欲望は常にあったが、全く憧れてもいなかったアメリカ住まいになろうとは! きっかけはこうだ。フリーランスとしてインテリア雑誌に関わっていた私は“世界のお家事情” というページを任されて、世界各地の家々を取材していた。その流れで、アメリカらしい家の取材ということになり、当時、NYC在住の写真家にその取材を締切り1年前に依頼。その後、締切り2か月前に仕事の確認をしてから、日本を2か月留守にした。帰国して聞いた留守電に「できん!」「ウソでしょ!」。仕方なく、私が急遽、米国在住の唯一の友人を頼って飛んできたのがサンディエゴだった。彼女は独身の私にある男性を紹介してくれて、以降1年に4回サンディエゴ詣で。彼の提案もあり、 サンディエゴ移住を決心したところで 「君、ビザはどうするの?」「ウソでしょ!」。が、一旦傾いた心は簡単に変えられず、私はビザなしで半分移住。さあ、ビザ解決に向けての作業が始まったのだ。そんな中で知り合ったのが元旦那。3回目のデートで彼は私にプロポーズをした。後にも先にも、3回目のデートでプロポーズをされたことなどない。ここぞ!という時に、その奇跡は起こった!という経緯で、私はSD住まいが可能になった。感謝! (Belle)
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jinnno-san
わたしは同じ近所に、ながーーーいこと住んでるけど、周りになぜか子供がいない。幼児から高校生まで見当たらない。ましてや、、コンボイ界隈のようにニッポン人と会うこともない 笑。近くのマーケットでも、珈琲店でも、レストランでも、まず見かけない。しかし! とうとう奇跡が起きた(しかも、さっき 笑)。ランダムな時間に気が向いたら行くマーケットがあるんだけど、最近はセルフキャッシャーができたので、お酒がない時はそちらに並ぶ、けど、なんとなく人間レジに並んだ。コロナの影響もあり、前の人がお金を払い終わるまで近づかないんだけど、今回はその人が支払いをするあたりから、品物をレジのベルトコンベアーに並べ始めた。ら、赤いパスポートらしきものを出してるのが見えた。もしや、我が国の旅券? 目が悪いので字までは見えない。思い切って「日本の方ですか?」 と話しかけてみた 笑。コンボイ界隈では、まずしないであろう 笑。そしたら「はい」だって! 渡米したばかりの頃、ニッポン人学生と出会った時の喜びと同じくらい、やったー!って感動! あの日、あの時、あの場所に行かなければ、1分の差でもあれば、同じレジに並ばなければ、この出会いは決してなかったと思うと、めちゃくちゃな運命じゃーん!と、一人で飛び跳ねたわたしであった(あちらは、そんなでもなかったけどね…笑)  (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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子供が大きなケガもせず、無事に大人に成長するのは奇跡だ、と思う瞬間が何度もある。生まれて間もない頃は、寝返りも打てずただ寝ているだけだが、歩き始めると、家の中にある物がすべて危険物に見えてくる。家具の角、ドア、ちょっとした段差が怖かった。それでも、小さな足でヨロヨロと一生懸命、絶妙なバランスを取りながら歩いていた。それが私には奇跡であり、面白くもあった。時が経ち、子供たちも大きくなってきた。新型コロナパンデミックが始まって間もない頃、次女が久しぶりに公園で遊んでいた時だった。私は子供たちを見ていたつもりだったが、電話に出て話をしていたら、突然、次女が大きな声で泣き出した。モンキーバーから落ちたのだ。急いで駆け寄り、落ちた様子や、背中や足などを強く打っていないか確認したところ、手首の辺りが少し変形しているのに気付いた。落下の瞬間に手をついたらしい。ヤバイ! 電話に気を取られたことをひどく後悔し、娘を抱えて家へ走った。救急外来を受ける医者に診せたところ、骨折していた。幸い、今はきれいに元通りになったが、 事故は突然に起こる。ちょっとした気のゆるみで大ごとになることも。子供がここまで無事に育ってくれたことは、本当に奇跡だと改めて感じている。(SU)

(2022年4月16日号に掲載)