September 13, 2025

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日本/アメリカ

 

来ましたね「閑談』 の究極テーマ。私の知人は “嫌米家” が多い。反米感情の理由は、極悪化する銃犯罪、訴訟好きな国民性、節操なき富への執着に絞られる。銃犯罪については、約3億丁の銃が米国内に出回り、内戦国でもないのに、年間48,000人以上が銃弾の犠牲になる事実に「呆れてモノも言えない」と集中砲火を受けた。私が孤立したのはここから。自分も「銃規制派」と宣言した上で「合衆国憲法修正第2条」が保障する個人の武装権は、政府の独裁化を防ぐための崇高な理念でもある」と告げたら、一般市民の命を奪う銃には正義のかけらもないと言わんばかりに、集まった全員から「ケタ外れの理想だな」と一笑に付された。どうやら、日本人の多くは morality (道徳性) と immorality (不道徳性) の境界線を引いて「善」と「悪」の判断から行動規範を設定するらしい。アメリカ人には amorality (超道義性=道徳規範外) と呼ぶべき、善悪いずれでもない権利としての価値基準がある。道徳 vs. 不道徳という単純な構図じゃない。この国は generalize できないし、本質を理解する座標軸に「アモラルの斜軸」をブチ込まないと、たちまち嫌米家になってしまう。自由の国の風に吹かれていたい反面、瑞穂 (みずほ) の国の土に還りたい想いもある。アメリカに永住。日本で永眠。私はそれで行こう。 (SS)
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▽最近、日本に永久帰国する引退組の友人/知人が多い。「健康保険や介護保険があるし、なんたって食べ物が美味しい。物価が安くて、電車やバスで動けるし、それもシニア向け支援制度で乗り放題。治安も良いし 『おもてなしの心』が最高。幼なじみや友達や兄弟がいるし、日本語が話せて、1ドル145円の円安が決定打」とのこと。▽ダンナのアメリカの知人は、中学校の先生として東京のE区へ赴任した。そんな彼がある日、在留カードのために役場のカウンターに行ったとき、誰も並んでいないのに「番号札をお取りください」と指示された。仕方ないので、わざわざ番号札の機械まで行って「1番」の札を取ったら、受付の人がそれを見届けて「1番の方どうぞ!」と呼ばれたという。あるある「日本のお役所仕事」。けっこう笑える。▽「失われた30年」で日本が立ち止まっている間に、世界は様変わりしてしまった。「ビッグマック」「ダイソー」「ディズニー」の日本での価格/料金は世界最安値らしい。そして、給与は30年以上変わらず、平均年収が400万円。韓国より下で世界22位。日本の大卒初任給は250万円で、アメリカは600万 ($42,000)。もはや日本の倍。近頃、日本の不動産に外国からの買い注文が殺到しているそうだが、「日本大好き人間」 の私としては心穏やかではない。“強い日本” の復活を祈るばかりだ。(NS)
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yoko
アメリカ映画を観て育ち、ティーンエイジャーの頃は WOWWOW でアメリカのドラマにハマったせいか、成長するとアメリカ大好きな人になっていた。母には「アメリカかぶれ」と呼ばれたが、洋楽を聴き、映画雑誌「ロードショー」を読み、ファッションを真似して、我が道を行っていた。そして、高校を卒業したら留学したいと思うようになっていた。両親から短大へ進学するように勧められ、2年通ったが、 “卒業後に留学 → アメリカで生活する” という夢は変わらなかった。ほとんどのクラスメートが就職活動を始める中、私は英会話とバイト三昧の日々を過ごしていた。短大卒業後、とても有難いことに両親が留学を許してくれた。「アメリカは危なさそうだから、オーストラリアかニュージーランドにしなさい」と勧めるのを「それなら、カナダはどう?」と逆に説得し、最終的にはアメリカに来てしまった。あれから25年以上が経った。当初は2年だけという約束の短期留学が、4年間大学に通うことになり、グリーンカードを取り、就職し、米国市民権を取得し、最終的には結婚して、こちらで家庭を持った。昔、自分が思い描いていた未来図とは少し違っているが「アメリカで生活する」夢は叶った。 (YA)
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suzuko-san
私は、40代半ばにして私自身が出来上がった後、一念発起して、この地に移住した。全く思いもよらない人生の大転換だった。故に、私の中では日本を思い切り引きずっている。考え方の基本もそうだ。何か問題があると、まず先に他人を責めるのではなく、自分が何かまずいことをしたのか?と考える。この国に来て驚いたことは、英語の教師から聞いた「庭師を雇い、その庭師が木から落ちた。その場合、庭師が家の持ち主を訴える」「コーヒーが足にこぼれて火傷 (やけど)。で、その店を訴える」・・などなど。どう見ても、いずれも自分のせいで起きた事故だと思うのに、それがどうして他人のせいになるのだ? 理解不可能。考え方もそうだが、一番引きずっているのは、食事だ。40歳寸前でパキスタンの少数民族の地に移住した友人がいる。一時帰国した彼女に「日本食が恋しくないの」と尋ねたら「40年近く食べたから、もういい」と。私の答えは真逆で、40数年も食べ続けているのだから、和食と離れられない。という訳で、アメリカにいながら普段は和食を主に暮らしている。和食が手に入りやすい当地だからこそ、私は生きられるのだ。買い物一つ行くにも全て運転など、アメリカの不便な面も多少あるが、アメリカの良い面、日本の良い所の両方を享受しながら暮らせることに感謝。 (Belle)
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jinnno-san
パスポート更新のためLA日本総領事館へ。コロナ渦で規制が多いと聞いて、スムーズに事が運ぶのかドキドキだった。完全予約制で混み合うこともなく、ロビーで待機している予約グループをエレベーター係の方がご案内。領事館の階に着いたら、ゲートを通るために列を作る。日本式に皆さん、お利口に指示に従って行動。次に、ラテン系の警備のおじちゃんが、どの窓口に行くかテキパキご案内。効率良くていいねぇ~。そして整理券をもらう、までは日本的、だった 笑。整理番号は77番。掲示板を見上げると、今、27番。エーーーっ! 50人待ち? DMV並み!? 笑? しばらく掲示板をまじまじと見ていたら、警備の人が「大丈夫?」と話しかけてきた (優しい!)。「27番って出てるけど、今から50人待ち?」と焦って尋ねると「あれね、壊れてるから27番から進まないよ」「へ?」「実際に動いてる掲示板はここ」と、全く違う場所に設置され、裏側を向いてる掲示板を指差して 「待ってる人には見えないんだよ、あっはっはー!」・・・60番だった 笑。彼がラテン系で、わたしもラテンのノリだから、別にいいんだけど、いいんだけどおおおー、、コロナ渦の中、段取りよく対応くださっているけどおおー、、これはーーー、、アメリカあるある! 笑! (帰りに立ち寄ったたこやき店の整理番号も77番だった 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私は日本が大好きだ。和食、ゆったり入れるお風呂、コンビニ、そして家族が恋しくてたまらない。そんな毎日が続く。もう長いことアメリカにいるけど、心はいつも日本人だし、この地に骨を埋める覚悟もない。心のどこかで「いつか日本に帰る」と思っている。こんな私だから、いつまで経っても、今住んでいる土地にも馴染めないのかも。アメリカにも日本より良いところがたくさんあるのは分かっているのに、自分の性格が災いして、どうしてもアメリカが合わないのだと思う。まず、私は人見知りが激しい。子供の学校のお迎えも、行って帰ってくるだけで、ママさんたちと話すことはない。散歩をしても、すれ違うご近所さんと挨拶は交わすが、話題が思い浮かばないので「ハロー」「ハワユー」「バーイ」で終わり。でも、近所に住む日本人の知り合いは完全にコミュニティーに溶け込んでいる。ここはまだ新しい住宅街で、皆が同じような時期に引っ越しているはずなのに、彼女はもう、何十年もここに暮らしている古株のように馴染んでいる。誰もが彼女に挨拶をして会話も弾む。スゴいコミュニケーション能力だ。彼女を見るたびに「このくらいじゃないと、アメリカでは無理」と思うのだが、どうしてもできない。やっぱり、子供たちが独り立ちしたら、日本に帰ろうかな・・。(SU)

(2022年10月1日号に掲載)