ギリシャ悲劇『オイディプス王』を引用するまでもなく、父と息子は終生の否定的関係と思っていた。父が他界する半年前までは —— 。父は平気で感情を表に出す直情径行/大言壮語の人だった。ホテルのラウンジで歌う歌手に「ブラボー!」と叫んで立ち上がったり、赤の他人を怒鳴 (どな) りつけたり、誰もが驚く行動ばかりで、私は父との距離を置いていた。父は会社勤めをしたことがなく、祖父の遺産で生活していた。弁護士になる夢は果たせず、不動産鑑定士の資格を取得したが、仕事が性に合わず、50歳頃から引退生活のような日々を送り、生き甲斐を見つけられずに76歳で世を去った。酒浸りの晩年は傍目 (はため) にも哀れだった。父はカンツォーネを愛聴し、オペラやクラシックにも通じていた。彼の魂を救済したのは音楽。私は父の日に 『3大テノール世紀の饗宴』 (パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス) を贈った。最初で最後の父へのプレゼント。すると、父が部屋に飾っていたニーチェの『断章』を額縁 (がくぶち) 付きで送ってきた。「大河と偉大な人間は悠然と曲がった道を行く・・曲折の如きは些 (いささ) かも彼らを怖れしめぬ」 (ちょっと待った! オヤジもオレの生き様も、そんな格好イイものじゃない!)。相変わらずの自画自賛。その年の暮れに冥界へ旅立った。(SS)