Sunday, 22 December 2024

北米各地を車で旅した若い頃は、フリーウェイよりもローカルの州道が好きだった。オレゴン州道97号線を北上し、ワシントン州道2号線でカスケード山脈を通り抜け、カナディアンロッキーの “氷河ハイウェイ” を涼風に吹かれて飛ばしていく道中は、まるで風景画の中をドライブしている気分。景観は劇的に変化するし、広葉樹と針葉樹の分布境界にも気付かされて面白い。一方で、ローカルハイウェイでは想定外の事態にも遭遇する。ネバダ州道95号線でファロン海軍航空基地の近くを旅行中、1機の戦闘機 (ホーネットか?) がバックミラーに映し出された。軍事演習場から離れた公道上空にもかかわらず、その機体は低空飛行を始めたかと思うと、私の車の上を轟音とともに掠 (かす) め去り、再び高度を上げる。すると、はるか先の上空で旋回し、今度は正面から同じことを繰り返して姿を消した。イラク戦争時に、米軍機が敵の装甲車をピンポイントの精度で撃破する映像を CNN で何度も見たことがあるが、それこそ私の車を標的にして、機銃掃射の空射シミュレーションをしていたに違いない。私は逃げることもできず、恐怖と困惑の真っ只中に。田舎道をトボトボ走っている中古の民間車を相手に攻撃練習をする非常識ぶり。どういう了見なのかと腹も立った。 (SS) 
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▽初めての海外旅行がアメリカ留学で、そのままアメリカに移り住み、日本への里帰りが唯一の旅行となっている。訪ねたのはアメリカと日本だけ。リタイアしたら世界中の友人知人を訪問してみたい。▽日本へ里帰りする度に、男やもめの父を誘って格安ツアー旅行を楽しんだ。『はとバス 草津温泉日帰りバスツアー』は1人7,980 円。草津の一流ホテルで会席料理を堪能して、源泉かけ流しの天然温泉に入り、湯畑を散策した。『クラブツーリズム ゆったり沖縄4日間』もお薦め。飛行機はJAL で、ホテルはAクラス、全食事込みで1人74,900 円。パック旅行は、日程さえ合えばとてもおトクだ。▽「この観光バスに乗っている人たちはね、みんな幸せな人たち・・・」 と、旅先で父がボソッとつぶやいた。青空の下を歩くとか、知らない土地を旅するとか、それだけで凄いこと。できない人にとっては奇跡に近いことなんだと、無言で教えてくれた。▽「遺影(いえい)にするから、もっと笑って! お父さん!」「こんな感じか、イエーイ! 道後温泉の前でふざけて撮った写真が遺影になるとは思わなかったけれど、旅の本当の素晴らしさを教えてくれた父に感謝したい。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 日本の東京エリアに8年半ほど住んでいた。留学時代は大学の春休み、夏休みと冬休みの長期休暇を利用して、台湾からの観光客をガイドする添乗員のバイトをしていた。その仕事のお陰でバイト代が貯まったし、いろいろな観光地へも無料で行くことができた (^-^)。観光客に人気の大阪、京都、奈良、名古屋、、、関西地方の観光地はもちろん、四国も瀬戸大橋が開通してすぐに行ってきた。箱根から青森までの有名な観光地や温泉巡り、青森から北海道までの海底トンネルも出来て間もない時に行っている( かなり感動!)。函館の素晴らしい夜景、おいしいラーメン、アイヌの人たちとの出会い、、、私にとって本当に最高の体験で、ベストバイトだった。いろいろな所へ行っていたのに、東京の面白い、楽しい、珍しい、美しい場所はあまり分かっていないようで、日本に詳しいアメリカ人の旦那に東京を毎回案内してもらっている。これからも楽しい旅ができるよう期待している。 (S.C.C.N.)
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yoko 手のかかる幼児が2人いて、時間にもお金にも余裕がない今は、旅といえば、日本へ里帰りか義父母に会いにいくのがそれにあたる。夫の母、父、兄、叔父、叔母は皆ベイエリアに住んでいるので、頑張れば車で行ける。だが、私の小型車にはスペースがあまりない。家族4人で乗り (後部座席はカーシート2台でいっぱい、いっぱい)、小さなトランクはストローラーと小さめのカバンでいっぱいになり、もう何も乗せられない。仕方がないのでルーフバッグを買って、全ての荷物を車の屋根に括り付けて出掛ける。朝の3 時に寝ている子供たちをパジャマのまま車に移し、あらかじめトランクに詰め込んでおいたルーフバッグを夫と2人で車の屋根に設置して出発する —— 旅の始まりだ。子供たちが目を覚ます7 時頃には渋滞する LA も通過しているので、余裕で1回目の休憩をとれる。そんな感じで、お昼過ぎには目的地に到着する。大変だけど、これはこれで楽しい。ただ、長〜い運転道中、畑と道しか見るものがないのが残念だ。 (YA)
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reiko-san △子供の頃、夏休みに島根の父の実家に泊まりに行っていた。東京から寝台列車ブルートレインに乗っていくのがお決まり。大荷物を携えて乗り込んで、自分たちの寝台を見つけて一息つく頃、列車が動き始める。楽しい旅の始まりにワクワクしたのを覚えている。夕食は食堂車で。流れ行く外の景色を眺めながら、レストランで食べるような食事を取れるのが格別で、大興奮。寝台スペースは、カーテンを閉めると自分だけの個室になり、弟と部屋を共有していた私にはそれも特別だった。振動や、駅に停車する度に聞こえてくるアナウンスなどを遠くに聞きながら、眠ったり起きたりを繰り返していたような気がする。寝台車の中はよく覚えているのに、目的の駅に着く頃からのことは何も覚えていない。興奮の連続と睡眠不足で電池切れになり、記憶が消滅したらしい。△初めて一人でタイに旅に出たのは20 歳の時。成人式に着る振り袖代の代わりに、旅費を援助してと親に頼み込んだ。外国に一人旅なんてと最初は母が渋ったが、どうしても譲らない私に根負けし、許してくれた。多少のハプニングはあったが事故事件にも遭わず、楽しい旅だった。今、娘を持つ身となり、この子が一人で旅に出るなんて言い出したら、私もきっと大慌てするだろうな。親の苦労子知らず、である。 (RN)
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suzuko-san 以前、この類のテーマの時、幾度となく書いたが、私は無類の旅好きである。とりわけ世界に出て行く旅が。人生初の海外旅行は、当時1ドルが360 円時代、クルーズ船でグアムへ行く、しかも船上のバンドの一員として…であった。私自身はバンドのメンバーではなかったが、友達がバンドでベースを弾いていたことから、話が回ってきて、半額で行けるというので、11日間の船旅を楽しんだ。その3 か月後、ケンブリッジで2 週間の英語研修を含むヨーロッパ1か月間の旅で、私の海外旅行への欲望に火がついた。以来、昨年夏にコスタリカへ行くまで、世界のどれだけの空港に足を踏み入れたことか…。その自分への疑問に回答すべく、実は、これまでの海外旅行の歴史をコンピュータに入れて記録しようと一念発起し、過去ン1十年分の手帳と10 冊近くはあるパスポートを整理して、まとめ始めている。私は出版社勤務だったのに、これらのお金はどこから回ってきたの?と、自分でもびっくりするほど行っている、行っている。サンディエゴ住まいになってからは、時間に余裕のある生活をしているので、お金の都合さえつけばゴーサイン。これからもイケイケどんどんのノリで、世界探検シリーズは続くのである。 (Belle)
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jinnno-san だいすきー! すきすきすきすきすきー! 何がいいかって、異文化に触れて、自分も異人さんになれる気分 (笑)。そして、向こうもわたしも初対面、何があっても笑い話! いやぁねー、この内面から湧き出る充実感というか、後の後まで残る経験力は、ずっと体に焼き付いていーる! 一番おもしろい時間帯は、夜の飲み屋関連 (わたしは男、か? 笑)。コスタリカでは:超イケメン男友達と飲みに行った帰りに、芝生を見つけたので2人で大の字で寝た、ら、朝日が昇ったころに、なんだかザワザワしてるので起きてみると、周りに牛がいっぱいウロウロしてた 笑。マドリッドでは: 持っていた携帯を奪われる!(自分では笑える ← 笑)。年始の沖縄では:ガイドブックに載っていた飲み屋へ行く途中、ビール200 円の看板に惹き付けられ、中に入ったら、もうそこはパラダイス! なんと! カウンターには取っ手の付いてない蛇口があり“ ひねるとじゃーじゃー出る泡盛 600 円” と! まさかと思って頼んでみると、、取っ手が出てきたー! 蛇口に付けてみると、、、ジャージャージャー!! 泡盛がーー ! 目的の飲み屋には辿りつけず … 笑。 沖縄は、異国だったー 笑! (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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友達の○○ちゃんとは何度も旅行した。 ①サイパン編。職場に電話かけてきて (その頃は携帯がないので、本当に職場ライン)「雑誌 Fine で読者モニター募集していて、旅行代を雑誌が半分以上持つから、安くサイパンへ行けるの。この前、海で撮った二人で写ってる写真、送ってもいい?」と。「そんな話、後でいいだろう…」と思いつつ、長話もできないので「あー、いいよ。勝手にやっちゃって」 と答え、即切り。そして…なんと選ばれちゃったのだ! 思わずスタッフに「風間トオルは来ないんすか?」「来るわけねぇだろ!」。後から雑誌が送られてきた。私、載ってるじゃん! けど、たったの見開き2ページ ( 笑)。②バリ編。格安旅行パッケージ… それが間違った選択だった。ホテルが泣きたくなるくらいボロだった (涙)。ホテルで過ごしたくないので、朝から晩まで外に出ていようと頑張った。おかげで、いろいろな所を観光できた。③その○○ちゃん、筋肉が衰えていく国指定の難病になり、現在は車イス生活。帰省の度に会いに行くけれど、毎回彼女が言うには「 若い時に、一緒に旅行たくさんしていてよかった。今の私には絶対無理だから」。私も○○ちゃんと一緒にいろんな所に行けて、本当によかったよ。 (IE)


(2018年5月1日号に掲載)