米国生活も35年以上になると、抱腹絶倒の間抜け話、背筋も凍る恐怖体験、異文化ならではのエピソード、アメリカ特有の価値体系など、話のネタはいくらでもある。ワシントン州東部に暮らしていた1985年2月、ボールルームダンス競技に熱中していた私は、州大会への出場権を得て、パートナー (3年後に結婚) を連れてFWYを一路シアトルへ向かった。途中にはカナダ〜米国北西部に延びる難所、カスケード山脈がある。そこは氷河に侵食された急峻な山々が続く、6メートルを超える降雪量No.1の深山幽谷帯 (最高峰は4.392メートルのレーニア山)。競技会が終了した夜半前に雪模様となった。翌日の予定もあり、宿泊せずに日帰りする決断を下したが、真夜中に山脈を走行中、チェーンを準備していない事実に気づいて青ざめた。カーラジオが大雪警報とFWY閉鎖を伝えているが、もう引き返せない。空から綿帽子が重なり合って落ちてくるような、見たこともないドカ雪が降ってくる。視界ゼロ。窓から半身を乗り出し、運転を続けた必死のサバイバル。勢い余って「ROAD CLOSED」の路上サインを突き破り (交通管理局の方々、すみません)、死の淵から帰還した。中古車が故障したら凍死は免れなかったが、奇跡的に持ちこたえた。時として、常軌を逸した無分別な決断は蛮行となる。忘るまじ。(SS)