September 13, 2025

変わっている

 

姪は日本の広告代理店「H社」傘下の制作会社に勤めている。クライアントの切実な要求と〆切厳守の重責を担い (それは業種を問わないが)、とりわけ広告クリエイターには言葉にならないストレスが重くのしかかり、連日、夜明けまで残業を余儀なくされる。変わっているキャラの持ち主が多く、仕事に行き詰まると、常人には考えられない奇抜な行動に出て、新たな発想源を求めるらしい。姪の同僚の1人は動物園から無断でペンギン1匹を連れて職場に現れ、皆を驚かせた。少し遊んだら返しに行くと言うが、どうやって “拝借” して、どのように “返却” したのかは謎だ。創造力とスピードを求められて無理を続け、命を落とした同僚もいたという。姪が言うには「顔の色」の変化が危険サイン。入社当初は情熱にあふれて顔が赤いが、残業で過労気味になると黄色に、次に不安と焦燥感に支配されて青味がかってくる。紫に変わるとヤバイらしい。冗談めかしながら話す姪も死の恐怖に苛 (さいな) まれ、一度退職して休養を取り、数年後に復帰した。ビジネス現場は過酷だ。バブル期に「24時間戦えますか」と歌い上げる栄養ドリンクのCMがあった。近年は「H社」のライバル「D社」の女子社員自殺がクローズアップされるなど、働き方改革が進む。日本の企業戦士の姿が変わりつつある。 (SS)
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▽「ねえ、私って、変わっている?」 日本に永久帰国した友人がLINE電話をしてきた。彼女は35年暮らした米国生活に終止符を打ち、今年の春、熱海市の引退者用リゾートマンションに移り住んだ。「毎日温泉&ゴルフ三昧。日本食も美味しい」と当初は威勢が良かったが、どうも、マンションの住人たちとしっくりいかないらしい。バツ3独身、というだけで十分に変わっているが、自己主張が強く「スーべニア売り場は何階?」「アンビバレントな世界ね」などと、会話に耳障りな英語をちりばめる規格外キャラクターは、マンション中で格好の餌食 (えじき) となっているに違いない。でもそこは、アメリカで鍛えた元キャリアウーマン。「日本人の笑えるネタたくさんあるよ。国際基準に合わないこといっぱいね。エッセイ書くことにした」と、数週間でタフな精神を回復させた。▽「リーダーシップ毒キノコ論」というものがある。飢饉 (ききん) に瀕した集団に、怪しいキノコを果敢に食べる変人がいて「これ大丈夫」と言うと、他の人たちが食べるようになる。結局、そういう集団が最終的に生き残るらしい。考えてみると、自分の周りには、そんなキノコを食べそうな好奇心旺盛な「変な人」が多い。特に、海外在住の日本人は、良くも悪くも変わっている人が多い。「普通」でいることのリスクを考えると、変人って最強かも。(NS)
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yoko
私の名前には、よくある昭和らしい「子」が付いている。小学生のころ、クラスメイトの「えりか」「まい」「あい」などの「子」が付かない名前や「かりん」「なぎさ」「あこ」「みずき」など、当時はちょっと変わっていた名前が羨ましかった。ちなみに、3学年下の妹は「子」が付いていない。母に「どうして私の名前は平凡なの? “子” が付くのも古っぽいし、もっと可愛い名前がよかったのに!」と言ったら、「あんたは “なぎさちゃん”、“かりんちゃん” って雰囲気じゃないでしょ? ◯◯子で合っているよ」と笑われた。変わった名前といえば、1990年代後半ごろから出始めた「キラキラネーム」。当て字すぎて読めないし、読み方も「どこの国の人ですか??」みたいなのがいっぱいある。ペットに付けるのもためらうような不思議な名前の数々。確かに、子供の名付けは迷う。マタニティハイで変わった名前を考えてしまいそうになるのも分かる! でも、息子の名前はシンプルで呼びやすいものにした。娘は生まれ月から取ったクラシカルな名前 (1920年代に人気だった!)。ふたりとも、自分の名前を気に入っているそうなのでよかった〜。 (YA)
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reiko-san
変わっているといえば、私の父。造形教室・幼児教室を自営していたので、自宅にいることが多かった。サラリーマン家族の友達がほとんどで、家にいつも父親がいる、ということ自体がかなり変わっていた。肩まである癖っ毛の髪に、トレードマークのチューリップ帽子。子供番組に出てくるノッポさんにそっくりで、あの頃の一般的な日本のお父さんのイメージからはかなりかけ離れていたと思う。父の周りにも、今思うと変わった人が多かった。彫刻家、写真家、有機農法の農場を共同体で営む人たち、山奥でヤギたちと暮らす人、などなど。子供の頃に父に連れて行かれた場所は、遊園地やテーマパークというのはほとんど記憶にない。代わりに、農場で鶏や豚の世話、田植えの手伝い、テントと食料を車に積んでの行き当たりばったりのキャンプ (野宿という方が合っているか) など。天然酵母のパン作りにハマって、庭に大谷石 (おおやいし) で釜をこしらえ、不定期のパン販売をしていたことも。最近は、日本でもナチュラル志向の生活スタイルを追い求め、まさに私が子供時代に体験していたようなことを楽しむ人たちが増えているようだが、30〜40年前の日本では「変わっている」にカテゴライズされる父と、その家族だった (笑)。(RN)
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suzuko-san
私も多少変わった人間だと自負しているが、私の出版社時代の友人ほど変わっている人を、私は他に知らない。彼女はカメラマンとして入社。しかし4、5年で退社して、アフリカやインドの放浪の旅に。挙句 (あげく) にはパラオのホテルで働くも、そのホテルが破産。ならばと、レストランを使って勝手に居酒屋を始めたりと、臨機応変に生きる力を発揮してきた。その後帰国するも、日本は居心地が悪いと、香港から陸路で英国を目指すべく、人生の荷物をバッグパック一つに詰めてエイプリルフールに出発。シベリア鉄道などを乗り継いで、たまたま立ち寄ったパキスタンはアフガンとの国境沿いの、少数民族が暮らす村の祭りに魅せられたとかで、その村にすっかりハマってしまった。電気も水道もトイレもない。文字も紙もない。羊の生贄 (いけにえ) を神に捧げるような種族との生活を始めた。で、日本政府の協力を得て、ダムを作って村に電気を通したり、トイレを作ったり、彼らの生活向上にひたすら取り組んでいる。そんな彼女の村への貢献が認められ、今年春に外務大臣賞を授与された。イスラマバードの日本大使館まで手弁当で出かけ、もらったご褒美 (ほうび) が風呂敷1枚だったと苦笑していた。30年後の現在はダムやごみ焼却炉を作っているはず。こんな変わっている人、周りにいます?(Belle)
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jinnno-san
近所に昔から評判の El Zarape (エル・サラペ) っていう小洒落 (こじゃれ) た小さなタコ・ショップがある。ルームメイトの元彼氏がそこで働いていた縁で、レジの人はもちろん、厨房の人まで顔見知りになった (どうやって厨房と? 笑)。大人気店なので、いつも並んで混んでいる。顔見知りでもニコッと笑って手を振るくらいで、話はできない。その彼氏がいなくなってからは、あまり行かなくなり、そしてパンデミック。まったく行かなくなった。先々週、数年ぶりにブリト−を買いに行ったら、お店は暇そうで、男子がおしゃべりしていた。…ら、その男子が「XX子っーー!」(← わたしの名前 笑) って呼ぶから、誰よ?と、振り返ったら、、厨房の男子じゃんかー! 笑! 名前まで覚えていてくれて! 自慢げに友人のH部長に話すと「あーたが変わっているから、覚えられているのでは?」「はあーーっ?」。ブリトー熱がやまず、2週続けてお店に通った。今度は顔なじみだったレジのおっちゃんが「久しぶり!」と声をかけてくれた。嬉しい〜と思いながら番号札を持って、外で呼ばれるのを待っていたら、スピーカーから番号ではなく「XX子〜XX子〜」笑! 名前呼ばれたから「はーい」と返事して、ブリトーを受け取りに中へ 笑。スタバじゃないですから 笑。変わってるのも、ワルくないでしょ〜 笑。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私は48歳だ。若い時に48歳と聞いたら『すごいババア』と感じていた年齢だ。自分がその歳になってみると『すごいババア』ではないと思った。しかし『ちょいババア』になってきているのは認める。美容師泣かせの多毛だった私が、今では髪が細り、白髪だらけ、プラスM字はげ。若い頃は「天使の輪」がピカピカしていたが、水分カラカラで天使は逃げた。“満月” “あんぱん” と言われていた丸顔も、今は頬の肉もなくなり、 “ムンクの叫び” に近づいてきている。体重に関しては、アメリカ生活26年、かるーく30パウンドは増えましたね。全身鏡で体を横から見ると、胸より腹の方が出ている状態。これではいけない!と、1年半前から2週間に1回、友達とハイキングに行っている。目指すは15,000ステップだ。Nintendo SWITCH の Ring Fit Adventure も始めた。ワクチン接種後にはジムにも戻った。今のところ、体重は安定している。そしてだ! Nintendo SWITCH 2つ分の高額をかけ、1年プランのシミ取りに通っている。バチバチとシミを焼いて、ピーリングをして、きっと美しくなると信じている。私の熟女ボディは「一歩進んで五歩下がる」ように日々変わっているのだ。(IE)
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私が人から「変わってるね」と言われたら、私って天才?と勘違いして、かなり喜ぶと思う。「変わっている」ということは、むしろ人より抜きん出た才能や個性があり、天才肌のような人だと思うから。「普通だね」と言われるより、とてもいいことのように思う。私の子供たちを見ていると、姉妹でも個性がかなり違う。長女はなんでもコツコツと計画を立てて地道に努力するタイプ。真面目で曲がったことをとても嫌う。次女はコツコツ物事を進めるタイプではないが奇抜な発想の持ち主。グループの中に入るより1人でいたいタイプ。しかし、学校へ行くと2人ともすごく大人しくて、引っ込み思案 (じあん) になってしまう。家ではスゴくふざけたり、踊ったりして、みんなを笑わせたりするのに。2人の家での様子を他人に見せたら「変わっている」と言われるのだろうか。いや、おそらく、多くの人が家の内外 (うちそと) では違う人格になっているかもしれない。でも、家族といる時の自分も他人といる時の自分も同じ人間だ。もしかしたら、誰もが家では個性丸出しなのに、外では “普通” を装っているのかもしれない…なんてね。(SU)

(2021年10月16日号に掲載)