福島生まれなのに、寒さが苦手な私は、幼少時代から冬休みが楽しくなかった。子供の頃からスキーを嗜 (たしな) む北国出身者は多いけれど、私には雪原で遊ぶレジャーなど論外だった。一度も試したことがない。米国から帰省を目指す季節は、緑樹に覆われる初夏、紅葉に染まる晩秋と決めていた。そんな私が、やむを得ず冬休みを取り、亡き父の追善供養で20年ぶりに極寒の東北を訪れた時、真冬の畏怖すべき情趣に打ちのめされた。山形県最古の温泉宿K旅館。木枯らしの低い呻 (うめ) きを耳にしながら、展望風呂から眺めた、凍てついた墨絵さながらの雪景に言葉を失う。旅籠 (はたご) は迷うほど広く、無造作に置かれた明治期の大型時計と無数の番傘、そして江戸期の古色蒼然とした雛 (ひな) 飾りは “凍結された時間” の象徴。宿泊客は私1人。深夜に再び湯殿へ。雪音が夜の静寂を増幅させるのか、大浴場の湯気の中で「物の怪 (け)」が漂う邪気を感じた。それは海外生活者が味わえる異質な陶酔感なのかも。母国の暮らしに身を投じれば、感性が摩滅して異質さも日常に紛れてしまう。憧れとは無いものねだり? そうだとしても、日本という名の “美しい蝶” の羽根に、もう一筋の神秘的な紋様を見た思いがした。齢 (よわい) を重ねた私への、思わぬ冬休みの贈り物。(SS)