三島由紀夫が割腹自決した1970年11月25日。底冷えする当日の朝、家の近くに立っていたスギの神木が倒れていた。忘れ得ぬ秋の記憶。三島が16歳で発表した小説『花ざかりの森』を読んでいた中学生の私は、その流麗な文体に感動していただけに、報道写真で彼の生首 (なまくび) を目にした時の衝撃は言葉にならなかった。魔的な死を選んだ “三島の謎” から50年。世間では、右翼思想と武士道への異常な傾倒を原点として三島の行動美学を分析しているけれど、そこが本質ではないような気がする。切腹そのものが目的だったと思う。(ここからは私の勝手な見解です) 言霊 (ことだま) の邪悪なパワーに縛られた不完全な人間は、例えば「醜い存在」というネガティブな契約を自分と交わしながら、どうにか社会と折り合いをつけ、規範を超えない善良な小市民に自らを育て上げる。一方で、森羅万象を言葉にしたい天才文士の深い欲望は、自分の流儀で死を獲得する瞬間に満たされ、完璧な表現者として軽々と社会を超えていく。冥界で『切腹』という小説を書いている三島の姿が目に浮かぶ。武士道に殉じたというより、文士道を極めた、ニーチェの言う「超人」。顕界 (げんかい) と魔界を遮断する神木が同じ日に倒壊したのも象徴的。妖気 (ようき) 漂う晩秋だった。 (SS)