父はスポーツ音痴。私たち兄弟は親子でキャッチボールをしたり、スポーツ観戦に出かけた記憶がない。叔父たちは全員スポーツ好き。家業が化学肥料の問屋だったので、商品化された肥料を保管する縦長の倉庫があった。そこには卓球台やバスケットボールのフープが備えられていた。野球もできたが、縦長の倉庫では「三角ベース」は無理。一塁と三塁を直線の延長上に置いて「長四角ベース」を楽しんでいた (二塁なし)。昼休みや休日には、2人ずつチームを組んだ叔父たちと従業員さんがスポーツに興じていた。私と弟も子供ながら 「兄弟チーム」として参加。遊びとはいえ、大人たちは「勝ち」にこだわり、それこそ真剣勝負。ヒートアップしたのは3番目の叔父 (父の3番目の弟) 夫婦との「親戚友好卓球ダブルス定期戦」。開幕戦は14歳と11歳の我ら兄弟組がストレート勝ち。その後も連勝街道を突っ走る。叔父たちは試合中に夫婦ゲンカを始めるほど本気になっていた。相手がリベンジを狙って猛特訓を積んでいる情報を弟がつかみ、闘争心に火がついた。もはや “スポーツ親善試合” どころではない。白熱ぶりを聞きつけた母が観戦に来て、息子たちがポイントを稼ぐたびに小さくガッツポーズを取る姿は目障りだったが、必死に勝ち続けた。 (SS)