▽東京郊外のマンションへ引っ越した頃のエピソードが忘れられない。真夜中のエレベーター。乗り合わせた仕立ての良いコートに身を包んだ男は、その端正な面差しをサングラスの奥に隠して同じ階の一室へ姿を消した。芸能関係者と分かる華やかな風貌。彼は1970年代のアクションドラマに出演していた準主役級の人気俳優Tさんで、そこに若い愛人を住まわせていたようだ。管理人が不在の時、女性宛ての宅配物を預かっていた私は、誰も受け取りに来ないので、併記されている☎︎番号をかけた。彼女が出た瞬間、うっかりして「Tさんのお宅ですか?」とやってしまった! ガチャン! その女性はひっそりと転居した。小包の中身は果物。娘を心配している母親からの贈り物? そう思うと、他人事ながら切なくなり、差出人へ返送することで私の役目を終えた。何がしかの料金を支払って。▽カードキーで出入りするホテルのような最新式の新居に従姉妹 (いとこ) が引っ越した。えっ! 転居初日にそれを紛失? 防犯上からも再発行に厳しい制約が掛けられて厄介なことに。旦那にバレる前に自力で見つけようと、血眼 (ちまなこ) になってカードキーを探す「奮闘記」を延々20分以上も話す。「結局、◯◯の中に入れたのを忘れてたのよ!」 と大笑いしている。元ガングロの姪が「ママ、何のオチもないじゃん」と冷たく切り捨てた。オジちゃんも固唾 (かたず) をのんで聞き入っていたんだよ。長い話はどんでん返しがなきゃいけない。 (SS)