ホワイトソックスに入団したメジャー初年にチームが88年ぶりのワールドシリーズ制覇。 オフシーズンを快適に過ごせて、治安の面でも安心できる都市というのが選択基準になっていました。 サンディエゴならオフに自主トレもできますし、犯罪発生率も低く、家族と暮らすには最高の街だと思いました。 最初に住んだシカゴも気に入りましたが、さすがに冬は寒さが厳しくて … (笑)。 —— 実際のサンディエゴの印象は。 美しい街ですね。 僕自身、シーズンの半分はロードに出てサンディエゴを離れますが、家族を残しても安心という実感があります。 家族は2月から当地で暮らしています。 子供も元気に現地の学校に通い、生活面では何一つ不自由なく、精神的にも満たされた日々を送っています。 ただ、家族でゆっくりとサンディエゴ見物をする時間がないのが残念です。 —— パドレス球団にはどんなイメージを持っていますか。 投手力の非常に強いチーム。 もちろん優勝を狙えますし、自分が攻撃面で貢献できれば良い結果が出ると信じています。 —— パドレスとは単年契約ですが。 関係ありません。 僕としては自ら選んでサンディエゴに来ました。 力の限りチームに貢献し、 ぜひパドレスを優勝に導きたいですね。 そうなれば来年以降にも繋げられると思います。 今はここで長く野球をしたいと思っています。 —— 今シーズンの目標は。 毎年、シーズン開幕前に3割/30盗塁/100得点という数字を掲げています。 パドレスは得点力を必要としているチームですから、出塁して100得点を挙げるというのが一番の目標ですね。 それが僕の役割だと思います。 —— 野球との出会いはいつ。初めから野球少年でしたか。 気がついたら野球をしていた。 そんな感じです。 父が少年野球のコーチで兄が選手でしたから、そういう環境の中で感化されながら自然に野球に馴染んでいきました。 —— メジャーリーグへの夢を抱いた時期は。 大学1年の時に日米選抜大学野球大会で戦ったアメリカ人選手の印象が強く残り、1996年アトランタ五輪で対戦した中南米チームとも再び戦いたいと思っていました。 プロ入り後も、世界を舞台に野球をしたいという気持が続いていましたね。 多分、大学の頃からメジャーへの憧れを漠然と心に抱いていたような気がします。 —— 憧れていた大リーグ選手は。 日米野球で来日したカル・リプケン・Jr. (*注1)。 メジャーを代表する遊撃手で大柄なのに俊敏な守備に驚かされました。 当時、僕はショートを守っていたものですから。 —— 「人生最大の転機」はいつ。 ダイエー・ホークス時代の3、4年目。 1999年、2000年頃でしょうか。 成績が残せず、どうすればプロで生き残れるかと暗中模索していました。 転機を求める一つの方法として、自分の選手登録名を 「井口忠仁」から現在の 「井口資仁」に変えました。 姓名鑑定を行う人からのアドバイスでしたが、気持を切り替える効果はあったと思います。 2001年に納得できる結果を出して、野球人生で最大の危機を乗り越えることができました。 (*注2) —— 日本の野球とメジャーリーグと異なる点は。 基本的に違いはないですね。 でも、個人主義のアメリカですから、全責任を自分が負うといいますか、100パーセント自己管理しなければいけません。 強制的な練習メニューが存在しないのです。 選手にとって非常に楽な反面、実績を残さなければ終わりですから、恐いですね (笑)。 —— メジャー生活で「自分が進化した」と思うことは。 シーズン中、最も大切なのは身体のケアです。 1年目はトレーナーに頼る傾向が強かったのですが、3、4年目になると自分自身が必要としている身体の管理法が分かってきたので、そういう意味では成長していると思いますね。 —— アメリカ生活で困ったことは。 野球生活で困ることはありませんが、実生活では大変なことばかりです (笑)。 家族と買物に出かけてなかなか英語が通じないとか、注文したのと違うものがレストランで出てきたりとか … しょっちゅうですからね (笑)。 —— パドレスでの希望打順は。 メジャーで2番を打って4年目。 2番は自分に適役の打順だと思いますし、今では2番打者の役割も分かってきました。 サインの有無に関わらず、ここは送りバントでランナーを進めるとか、試合の流れの中で自分が何をすべきかを理解できるようになりました。 最初の頃は、犠牲になる場面が多い役割に抵抗を感じたこともありましたけど、今は吹っ切れていますね。 —— 本塁打が出にくいホーム球場、ペトコ・パークの印象は。 ペトコ・パークは確かに広いです。 打撃練習でもホームランが出ませんから (笑)。 僕の役割としては本塁打よりも二塁打、三塁打を打つ方がチームに貢献できますし、足を生かせるボールパークだと思います。 綺麗な球場ですし、打ちにくいという感覚はないですね。 —— 優勝を望むファンに向けてのメッセージをお願いします。 パドレスは投手力のレベルが高く、優勝争いに絡んでくる底力を備えていますし、上昇気流に乗れば必ず勝てるチームです。 僕自身は最大限に足を使ってチームを活気づけていこうと思っています。 そういう刺激をチームに与えることができれば、格段に得点力がアップするのは間違いないですから。 あとは皆さんの応援をお願いします。 —— 心臓移植患者さんへの激励訪問など慈善活動も積極的にされていますね。 いつも大勢の方々に応援して頂きながら、僕らは何も返すことができないでいました。 その恩返しという意味で、オフシーズンに児童施設や小児病棟を訪問させて頂いたら、こんな自分でも皆さんに喜んでもらえることに強い感動を受けたんです。 逆に、僕も「頑張らなくちゃいけない」という気持になりました。 アメリカの知らない土地に来て、いつ手術できるのか分からない状況に置かれている子どもを見舞い、同じ日本人同士が会話を交して互いに勇気を与え合うことで、少しでも元気になってもらえればいいなと …。 今後も機会があれば続けていきたいと思っています。 (*注3) —— 将来の夢を聞かせて下さい。 自分の好きな野球ですから、息の長い選手でいたいですね。 目標としては40歳まで現役を続けること。 将来的には自分が日米で培った野球経験を生かし、若い選手を指導するという夢も描いています。 日本とアメリカの長所と短所も含めて、全てを伝えていこうと思います。 * (注1 )カル・リプケン Jr. =2007年に野球殿堂入りを果たした元オリオールズ内野手。2,632試合連続出場のメジャー記録保持者。2001年引退。 * (注2 )プロ野球史上3人目となる30本塁打 / 40盗塁を記録。 * (注3 )井口選手は今年2月に東大病院の心臓移植待機患者を激励。ホワイトソックスに在籍していた昨年4月、心臓移植のためにシカゴ大学病院に入院していた埼玉県熊谷市の松本拓也君を訪問し (写真 p.14)、支援基金に100万円を寄付。松本君の手術は成功し、現在、日本で元気に生活している。ダイエー (現ソフトバンク) 時代より車イスや自動体外式除細動器 (AED) の寄贈、盲導犬育成への寄付などの慈善活動を積極的に続けている。
(2008年6月16日号に掲載) |