—— 「新モンゴル高校」について ![]() ガルバドラッハ校長先生と家族の皆さん
—— 高校創設の動機と現状 長女が入学した山形西高校の教科書・カリキュラム に強い興味を持ったのです。学習レベルが高く、これからのモンゴルに必要だと。受験を目的とする日本教育の欠点を見直し、モンゴル教育の優れた面である豊かな心の育成をバランスよく取り入れたカリキュラムを目指しました。最大の理由は、モンゴルで高校を卒業しても年数が足りず、海外の大学から受験資格が与えられないという事実。国際水準に達した3年制高校の導入が不可欠でした。 —— 東北大学での留学生活 ![]() モンゴル遊牧民の移動式住居、ゲル
—— 苦労話とエピソード 日本での大学院留学は最初の1年半だけ国費で、その後は私費留学生となりました。家族6人で物価の高い日本で生活することは 厳しく、苦労が絶えませんでした。でも、その苦労が今の私をつくってくれたと言えます。1日に3つのアルバイトをして、4時間しか寝ない日々が続きました。私の妻は一生懸命に働き、家族を支える大きな柱でした。彼女がいたからこそ新モンゴル高校が開校できたので、本当に感謝しています。妻は今年1月に事故で亡くなりましたが、彼女と共有した夢を追い求めていくのが私の使命と思っています。 —— 我が人生の転機 ![]() サンディエゴで開催された「ガラ校長先生歓迎会」
—— 初渡米の目的 新モンゴル高校の卒業生たちの多くが日本へ留学していますが、今後は世界の優秀な若者が集まる米国にも留学生を送りたいとの希望があり、査察のために渡米しました。 もう一つの目的は、毎年サンディエゴから我が高校を訪ねていらっしゃる高橋晃先生、そして遠くから本校を応援していただいている Mongol Education Fund の皆様と会うことでした。 —— 高橋晃先生との出会い ![]() 新モンゴル 高等学校
—— 今後の夢 新モンゴル高校の設立から早くも8年が経過しました。私たちの高校はモンゴルの教育改革の先駆けとなり、これまでに具体的な成果と実績を残してきました。将来は母国全体の教育環境が改善され、質の高い教育が実現されることを願っています。自分が持っている経験や知識を活かして、全国レベルでの教育改革にこれからの人生を捧げることこそが私の夢ですね。 —— サンディエゴの皆さんに一言 ![]() 高橋晃先生とモンゴルの生徒たち
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1963 年5月18日、モンゴル・アルハンガー県に生まれる。1981年ウランバートル市立第53学校卒業後にモンゴル国立大学物理学部に入学、1985年卒業。 1985~95年まで田舎の高校、国立農業大学で物理の教師、教育研究所での研究員、市立第84学校に赴任。1995年10月~1997年3月まで国費留 学生として山形大学で教員研修、1997~99年まで山形大学教育学研究科修士課程、1999~2005年まで東北大学教育学研究科博士課程後期に学ぶ。 2000年10月に新モンゴル高校を開校し、同校の校長兼理事長に就任。愛称はガラ校長先生。 ・家族構成:子供5人。20〜26歳の4人の娘と6歳の息子がいる。孫も2人 ・学生時代の部活動: バスケットボール (モンゴル国立大学のチームメンバー) ・尊敬している人: 父親 ・カラオケ十八番: よく歌うのは「とんぼ」(長渕剛) ・趣味: スポーツ(バスケットボール) ・好きな相撲力士: 安馬 ・ストレス解消法: 家族と一緒にいて、息子、孫と遊ぶこと ・好きな食べ物:ラーメン、アイスクリーム ・得意な料理: モンゴルの肉うどん ・マイブーム: インターネットで情報を探す (2008年10月16日号に掲載) |