ゆうゆうインタビュー 高橋シーバソン優子

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ある保険会社の調査によると、老後の不安は「病気や寝たきり、痴ほうになる不安」が最も多く、以下「経済的な不安」、「一人暮らしなどの孤独になる不安」などが続いています。そして、米国の高齢者施設の中での日系人特有の問題は言葉と食事とも言われています。この度、「快適な住まいと安心のサポート体制」をモットーに「サンディエゴに元気な日系シニアヴィレッジを作る会」を立ち上げた同会代表の高橋シーバソン優子さんに、会創設までの経緯を伺いました。


同会創設の動機とは。

現在、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルなどには日系のリタイアメントホームがありますが、残念ながらサンディエゴには所得による入居条件が設けられている施設しかありません。高齢化社会が進む中、“America’s Finest City” と呼ばれているこの街にも、非営利団体が運営する日系人向けのリタイアメントホームが必要だという声は、近年、周りの高齢者を中心に高まっています

米国人の運営する施設で、食事が合わなかった人や米国人と巧くコミュニケーションをすることができずに施設を移った人も少なくありません。自ら選んだ外国暮らしであっても、年齢を重ねるにつれて、母国の言葉や生活習慣が懐しくなってきます。日本語や日本食が恋しくなるものです。定年後の20 ~ 30 年という最も楽しむべき貴重な時間を、同じ文化や習慣を持った仲間と一緒に過ごすことのできる「終の住み処」( ついのすみか) がサンディエゴに存在するなら、とても心強いと思いませんか。選択肢が増えることは、明るい希望ある将来に繋がっていきます。


—— 米国の高齢者向け集合住宅の歴史とは。

米国では1960 年代から20 年間に渡って私設のナーシング・ホームが数多く建設されましたが、いわゆる「姨捨山」( うばすてやま) 的な施設がほとんどで、1987 年に連邦政府の認可システムが改定されたことにより急速に衰退しました。

これに取って代わったのが、NPO や良質な民間企業による「アシステッド・リビング・ホーム」です。素晴らしい信条を持った人々が自宅を開放し、ケアを必要とする高齢者と共に生活を始めたことがそのホームの原形となっています。自立生活型住居、自立援助型住居、ケア・サービス施設、そして医療施設など、介護度の進行に応じて同じコミュニティー内で住居を移動できるような施設もあります。

個人主義の徹底している米国人が、高齢者の「住」と「福祉」の問題に関しては、強い意志で「新しいコミュニティーの創造」として捉えています。その一方で、集団主義の傾向が強い日本人の方が在宅ケアに力点を置いて、より個人の問題として解決しようとしている点はとても興味深いですね。



——日系のリタイアメントホームについて。

ロサンゼルスにある「Keiro Senior Health Care」は1961 年に設立されたアメリカで最大の日系非営利組織です。八百屋さんから身を起こしてロサンゼルスの日系社会のリーダーとなったフレッド和田勇さんが、米国の施設で言葉や食事に難儀している日系の老人たちの姿を見て、彼らが安心して老後を過ごせる施設の提供を目指して創設しました。リタイアメントホーム、中間看護施設、2 棟のナーシング・ホームなど4 つの施設と成人向けのデイケア・プログラムを提供しています。

ワシントン州シアトルでは1975 年に設立された非営利団体「Nikkei Concerns」を中心に日系高齢者の総合的援助が推進されています。同団体は老齢化の進む日系一世たちを案じた二世の有志7 人が発足させました。高齢者用コンドミニアム「みどりコンドミニアム」、高齢者ケアハウス・アパート「日系マナー」、ナーシング・ホーム「シアトル敬老」、デイケア「心会」、保養所「敬老デイケア」、生涯教育講座「日系ホライズン」など、文化に配慮したケアを総合的に提供しています。



—— ご両親についてお話し下さい。
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父・高橋喜八郎さんの瑞宝章叙勲受章を祝って母・静枝さんと記念撮影 (1983 年)
 

大正2 年(1913) 生まれの父は太平洋戦争が始まった昭和16 年に神奈川県横須賀市で写真館を開業しました。戦前、横須賀には鎮守府( 軍港の防備を司る高等司令部) があって、出征する兵隊さんの記念写真をよく撮っていたそうです。10 代の頃に野球の試合でデッドボールが当たり、骨関節結核を発症して足が動かなくなった父は、生涯、身体障害者として暮らしました。出歩けないので、寝床であらゆる本を読破し、手に職をと考えた両親の計らいで写真の技術を学んだと聞いています。徴兵を逃れた父は、戦後、社会党の市議会議員及び民社党県議会議員として8 期32 年間、身障者のための社会福祉事業に尽力しました。

大正8 年(1919) 生まれの母は、敗戦後、日本の復興は「主婦の台所から」と、次々に強力な運動を展開して消費者運動の草分けとなった主婦連合会に所属し、婦人参政権を勝ち取った加藤シズエさんらと共に日夜街頭をデモしたり政府に陳情していました。そんな事情でしたから、私たち姉妹は両親に親らしいことは何ひとつしてもらった記憶がありません。しかし、そのお陰で、自分の人生を自分で切り拓いていく力を自然に身に付けたようです。



—— 我が人生の転機について。

今年の1 月30 日、積年の持病であった腰部脊椎管狭窄症( せきついかんきょうさくしょう) の大手術を受けました。腰から足にかけて激しい痛みに襲われて歩くのも大変になり、3 年前にMRI の検査をしたところ、神経が通っている骨のトンネルが加齢によって狭くなり、神経を圧迫しているとのこと。脊椎の後ろ側の骨や靭帯( じんたい) を削って神経の通り道を広げて、骨の移植後に金属製のスクリューを脊椎に打ち込んで固定する手術が必要だと言われました。健康状態がよくないと満足できる仕事はできません。シニアホームの計画を進めるためにも思い切って手術を受けました。余談ですが、昨年NHK の「紅白歌合戦」の司会を務めたタレントのみのもんたさんも同じ病気に悩まされ、今年1 月に手術を受けたそうです。

私の腰痛もそうですが、キッカケひとつで人生劇的に好転します。変化には開始→ 虚しさ→ 回復→ 安定のサイクルがあるとモノの本で読んだことがありますが、転機を迎えている人はこの中のどこかの時期に身を置いているそうです。そう考えると、今まさに私には人生の転機が訪れているような気がします。



—— 信条としている言葉は。
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サンディエゴで開催された世界少年野球大会でジョー・ディマジオ氏と記念撮影(1993 年7 月)


「相手の思いを察する感性、状況を読み取る深い洞察力、そして果敢な行動力」。このようなしなやかなセンスを持ち合わせながら日々暮らしていきたいですね。昔から結構お人好しというかお祭り好きで、人から頼まれると断れない性分なのです。学生時代も皆から推薦されると、誰もやりたがらない生徒会長や学級委員を一生懸命に務めていました。腰が丈夫だったころは、朗読ボランティアグループ「耳文庫」の活動に参加するために、日曜日にロサンゼルスまでドライブしていました。日本語による朗読テープの作成や貸し出し、リタイアメントホームへ出掛けて朗読をする「声の出前サービス」や「紙芝居」も行っていました。


—— 将来の夢。
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還暦の祝いにハワイのマウナケア山に登る(2005 年1 月19 日)


父は74 歳、母は82 歳でこの世を去りました。2人とも微力であっても、世のため人のために尽くし、生まれてきた甲斐があったと納得できるような人生を送ったような気がします。自分の知識や財産がいくら増えたところで、それを社会に還元しなければ、その知識や財産は何の意味もありません。少なからず親のDNA を受け継いでいると思いますので、私はサンディエゴに日系人のためのシニアホームを創るために邁進していきたいと思っています。

このプロジェクトの立ち上げにあたり、アメリカに住む多くの方々からのご意見、ご希望、ご質問を広く募集しています。

電話:619-298-8881、ファックス: 619-260-8563 E メール:This email address is being protected from spambots. You need JavaScript enabled to view it.


高橋シーバソン優子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和20 年1 月19 日、江戸川のほとりで生まれ、三浦半島で育つ。関東学院高卒業後、堀江美術アカデミーで5 年間絵画を学ぶ。英語の勉強のために横須賀のPX (Post Exchange)に勤務。1969 年渡米。アルバイトをしながらインテリアデザイインを学ぶ。1972 年ミネソタ州で結婚。サンディエゴのサウスウエスタン・カレッジでツーリズム・オペレーションを学び、旅行代理店に勤務。IATA及びARC のライセンスを取得して1983 年国際トラベルを開業。2006 年「サンディエゴに元気な日系シニアヴィレッジを作る会」を創設する。

星座: 山羊座
血液型: A
カラオケ十八番: 八代亜紀「舟歌」
よく観るテレビ:「NHK スペシャル」「地球ふれあい街歩き」
健康法: 水泳、太極拳
趣味: 朗読( ボランティアグループ)
特技: 納豆作り、高齢者のための朗読
好きな食べ物: シーフード、ワイン
嫌いな食べ物: 甘い物
学生時代の部活動: 卓球、山岳部、スキー


(2006年6月1日号に掲載)