Thursday, 18 April 2024

ゆうゆうインタビュー ブリジット・ビレンガー・ワーナー

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シルク・ドゥ・ソレイユの発足までの経緯は?

1980年代の初頭に、カナダ・ケベック州出身の大道芸人グループが世界中を興行しようと決意しました。 彼らは旅を通して 他のパフォーマーと出会い、新しいスキルを学び、新しい仲間と合流しながら、観客にエンターテイメントを提供しました 。グループの中心はケベック出身のメンバーで、リーダーはアコーディオン奏者で火喰い芸や竹馬乗りの大道芸人、そして後にシルク・ドゥ・ソレイユ創立者となるギイ・ラリベルテでした。 1984年の探検家ジャック・カルティエのカナダ上陸450周年記念を祝う式典で、 彼らはケベック州政府からエンターテイメントの一部を任され、これがきっかけでシルク・ドゥ・ソレイユが本格的に発足します。公演は一度限りでしたが、あまりにも大きな反響を得たために、彼らはこの新しいサーカススタイルショーを継続することにし、再び巡業に出たのです。


——当時 誰もあのようなパフォーマンスを見たことがなかったのでしょうね。
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Mystere’s unrivaled imagination and showmanship has been entertaining sold-out crowds in Las Vegas’Treasure Island since 1993. Photo by Tomasz Rossa, Costumes by Dominique Lemieux © Cirque du soleil Inc.
 

その通りです。ケベック州にはサーカスの伝統はありませんでした。時々やって来る唯一のサーカスといえば、動物たちを引き連れた一座でした。彼らのパフォーマンスは人間一人一人によるもので、動物は使わなかったので、伝統的サーカスとは言えないのかもしれません。それはコメディー、演劇、サーカスの出し物、大道芸をミックスした全く新しいエンターテイメントでした。そして、そのスタイルは 今でも変わりません。


—— 彼らはその後、どうしたのですか?

彼らは大道芸人で、当時はただパフォーマンスを行うだけで幸せでした。ところが、思わぬような圧倒的な人気を得たため 、今度はサーカスの大テントで ケベック中を廻りました。やがて、 彼らは自分たちがやっていることは何か特別なことなのではないかと気づき始め、ケベック州以外にも活動範囲を広げようと考え始めます。ケベックを知る人なら誰でも、その不快な冬について熟知していると思いますが、凍えるような寒い日には、誰もサーカスのテントに行きたいとは思わないのです。そのため、彼らが成功を継続するためには、冬季はどこか温暖な気候の場所へ移動する必要がありました。1987年、遂にそのチャンスが訪れます。何度となくアメリカ進出を 試みていた彼らは、ようやくロスアンジェルス芸術祭で前座としての機会が与えられたのです。ショーはマネージメントから宣伝広報まですべて自分たちで行わなければなりませんでした。それは素晴らしい機会でしたが、同時にとても危険な賭けでした。まさに、 命がけだったのです。というのも、彼らはロスまでの資金は持ち合わせていたものの、ショーに成功しなかった場合、 装置を積んでケベックへ帰るためのトラックの ガス代さえなかったのです。幸運なことに、彼らは素晴らしい成功を収めました。マスコミの報道は大変好意的で、以降、ハリウッドやセレブリティーはシルク・ドゥ・ソレイユの熱烈な支持者となりました。


—— ロスでの成功は、名声と富への出発点となりましたか。

そうです。今まで、このようなエンターテイメントを観た者はなく、誰もがショーに魅了されました。人々は映画化を望み、 サーカス売買の申し入れも数件受けました。しかし、リーダーのギイは大掛かりなビジネスについては大変用心深く、他人に支配権を譲渡することがないよう慎重を期していたのです。 誰よりも直感力に優れたギイは常に自分の感性を信じていましたが、この時は良い感触を受けなかったのです。どんなに苦しい時期でも独自の芸術性を売り渡すことはありませんでした。今でもその精神は受け継がれ、誰も覆すことのできない領域となっています。制作に関しては、私たちは創作面での指揮権を完全に保持しています。なぜなら、それがシルク・ドゥ・ソレイユの全てであり、トレードマークだからです。


—— ギイ氏は生きるための知恵と本能的なビジネス感覚を合わせ持つ大道芸人なのですね。
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The colorful 75-member cast of Mystere takes a well-deserved bow. Photo by Tomasz Rossa, Costumes by Dominique Lemieux © Cirque du soleil Inc.


その通りです。ギイとパートナーは強い直感力とビジネスに関する鋭い洞察、そして幸運を持ち合わせていました。一座が巡業を通して次第に成長するに従い、ギイはテントのサイズを拡張する必要があると考えたのです。当初から使用していたテントは必要とする収入を生み出すにはとても小さいものでした。800席を埋め尽くすのも困難な状況の中で仲間からは猛反対を受けますが、彼は賭けに出て2,500席のテントを設置しました。それが上手く行ったのです! また、ロスでの成功以来、サンディエゴを始めヨーロッパなどへの巡業に出るうちに、彼は唯一のショーだけでなく、同時に複数の興行を行うことが可能であることに気付くのです。


——ラスベガスを本拠地にするようになった経緯は。

ロスで数多くのハリウッドの大物と取引を行っていた時、 偶然にギイはホテル・ミラージュのオーナーであるスティーヴ・ウィンと出会います。スティーヴは建設中のホテル・トレジャーアイランドでのアトラクションを探しており、早速「常設の劇場で新しいショーの制作は可能か」とギイに打診してきました。取引は成立し、ショーの制作とホテルの建設が進む中、1992年にスティーヴはさらにミラージュの駐車場にテントを構えて「ヌーベル・エクスペリエンス」を上演することを申し出ます。それ以後の成り行きは、皆さんもご存知の通りです。


—— ミラージュの駐車場からトレジャーアイランドの専用劇場を手中に…。

私たちは豪華な正面玄関を通り抜けて、真新しいステージに立ちました。現在でも満員御礼の中で、その時に披露したショー「ミスティア」が当ミスティア劇場で上演されています。当時、ギイはよく「砂漠の中に花を咲かせたかった」と語っていました。


—— それ以前に上演拠点を持ったことはありましたか。
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“O”, Cirque du Soleil’s spectacular water show, has been making waves at Bellagio. Photos by Tomasz Rossa, Costumes by Dominique Lemieux © Cirque du soleil Inc.


私たちは常に旅行していましたから、大テントがホームでした。当地(ラスベガス)で初めて常設会場を持ったのです。スティーヴ・ウィンにしてみれば、それはちょっとした賭けでした。しかし、ここはラスベガスです! それまでのラスベガスのエンターテイメントは、羽飾りの衣装をまとった多くのショーガールと、往年の有名歌手やコメディアンという陣容で構成されていました。それ自体に問題はなく、今でも彼らは素晴らしいパフォーマンスを繰り広げていますが、シルク・ドゥ・ソレイユはそれ以外の新しい娯楽を宿泊客に提供したのです。事実、 ラスベガスのエンターテイメントを再開発したのは私たち ̶̶ という呼び声が高いのです。


—— シルク・ドゥ・ソレイユの作品に共通するテーマは。

たとえて言えば、ある両親の元に何人かの子供がいた場合、そこには家族の類似点を見出すことができますが、同時に一人一人はそれぞれの個性を持っています。私たちのショーも同じような感じです。全てのショーは衣装からパフォーマー/曲芸師の能力に至るまで、統一して細心の注意が払われています。また、 その内容は異文化のあらゆる人々にアピールしています。「ズーマニティ」を除いてはショーの中で言語を使うことはほとんどなく、パフォーマンス、ビジュアル、音楽などで創造する雰囲気を重視し、 観客の心に触れることを目指しています。ですから、人種/国籍に関係なく、誰もが私たちのショーで何かを感じ取ることができるのです。同時に、私たちはライブパフォーマンスが最高だと考えています。同じ街で全く同じ内容を寸分違わず繰り返しても、自分たちが競い合うというだけで意味のないことですから。


—— 現在、ラスベガスではどのようなショーが行われていますか。
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Photos by Tomasz Rossa, Costumes by Dominique Lemieux © Cirque du soleil Inc.


ホテル・トレジャーアイランドの「ミスティア」は私たちの最初の常駐公演でした。それ以前はホテル・ミラージュの駐車場で興行を続けていました。以来、スティーヴ・ウォン氏とのパートナーシップは良好で、彼がホテル・ベラージオの計画に着手した時、再びシルク・ドゥ・ソレイユに依頼が舞い込み、今度は水を使ったショーについて相談を持ち掛けられました。勿論、チャレンジ好きなギーは二つ返事で了解し、それから3年間を研究と開発に費やして1998年10月15日に「オー」のオープニングを迎えました。この2つのショーに加え、ホテル・ニューヨーク ニューヨークでは「ズーマニティ」、ホテル・MGMグランドでは最新作「カー」が上演されています。さらに、まだ無名ですが、ビートルズに関連した新企画のショーが今夏、ホテル・ミラージュでオープンする予定です。現在、パフォーマーたちはこの公演の調整のためにモントリオールで多忙を極めています。私も完成が待ち切れません。このショーは、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、亡きジョン・レノン夫人のオノ・ヨーコ、故ジョージ・ハリソンというビートルズのメンバーによって全面的な支援を受けた初めてのプロジェクトです。私たちは彼らの代理人と綿密な打ち合わせを重ねて、 皆が満足する内容で、且つビートルズの真の精神と音楽を伝えることができるよう心掛けてきました。そこにビートルズが蘇るわけではありませんが、観客は彼らのスピリットに触れることができるのです。


——どのショーにもドラマティックな舞台が用意されていますが、その設計も重要なのでしょうね。

当然そうです。「ミスティア」の舞台では革新的なテクノロジーを使用し、それまで見られなかった形のリフトが可能になりました。常駐公演では舞台製作にも関わっており、設計やデザインについてはほぼ一任されています。私たちのビジョンやイメージを伝えるには特定の必要条件があるからです。基本的に、ホテル側は会場を提供し、私たちの仕様書に従って舞台を設定していきます。長年の経験もあり、彼らは私たちに全面的な信頼を寄せており、私たちが息を呑むようなショーを再び創り出すと信じているのです。「オー」のステージでは、150万ガロンもの水を張ったプールと可動式の飛び込み台を設営しました。以前はこのような試みは行われませんでしたが、ギイはとにかく新しいチャレンジを好むのです。また、最新作「カー」も4年の歳月をかけて斬新なステージが作られました。コンピュータと水力学を駆使した重さ175トン(158,725kg)の大規模な舞台では、まさに前人未到のパフォーマンスが繰り広げられます。この見事さは実際に観賞して頂くのが一番でしょう。このショーには80人が出演していますが、その背後では170人もの技術者が彼らをサポートしているのです。


——常に大勢のパフォーマーが関わっているのですか。
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The cast of“O”walking on water. Photos by Tomasz Rossa, Costumes by Dominique Lemieux © Cirque du soleil Inc.


出演者数は「ズーマニティ」の55人から、最高で「オー」の85人です。誰もが3回から5回ほど異なる姿でステージに登場します。それは通りすがりの端役や、演技の一部であったりします。「ハウストゥループ」と呼ばれる人々や、 空中ブランコアーティストなどのスペシャリストも含まれています。スペシャリストは専門分野の演技を担当し、他のキャラクターで登場する時は困難な内容は要求されません。このように、パフォーマーはショーを通して大忙しなのです。


——これらの見事な衣装の入手経路は。

私たちの舞台裏の制作現場には優秀な人々が数多く働いています。作業場では衣装、靴、かつらに至る全てを手作りで用意しています。 時には、布地の染色やペイントも行います。特に、「オー」ではプールの中の塩素が合成繊維を侵食するため、毎月衣装を取り替える必要があり、その作業は大変なものです。そのため、作業場には300人もの人々がフルタイムで働いています。


——卓越したパフォーマーを発掘する方法は。

とても良い質問ですね。私たちには配役強化部門という部署があり、そこでは約40人が働いています。彼らはモントリオールを拠点として定期的に世界中を旅しています。オリンピックなどのメジャー競技大会やダンスフェスティバルなどに赴いて、極上のパフォーマーを探し出すのです。時には、地下鉄の中でさえも才能を発見します。ギター奏者がそうでした。また、元オリンピック選手も多く抱えています。競技生活を終えた彼らに第2の人生を提供しているのです。私たちはあらゆるタイプのパフォーマーを歓迎しています。私たちが必要としているのは、異なる才能、異文化、個性的な演技力が統合された人材なのです。


——どのようにして異文化圏の元競技選手をパフォーマーへ転向させるのですか。
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KA, Cirque du Soleil’s latest show at the MGM Grand, draws beautifully on many Asian inspired themes, costumes and music. Photo by Tomas Muscionico, Costumes by Marie-Chantale Vaillancourt © Cirque du soleil Inc.


彼らは厳しい競争世界の出身者であり、多くはオリンピックへも参加しています。彼らはその中で、確立された技術を習得して演技をしてきました。シルク・ドゥ・ソレイユではその習慣を意識的に忘れる必要があるのです。トリプルジャンプであれ、高飛び込みであれ、 異なる趣向と独自の概念で臨まなければなりません。勿論、技術的な要素が重要であるのは言うまでもありませんが、加えて、観客に向けて自分自身を解放し、感情を伝え、彼らと触れ合うことが必要です。その演技能力の指導ため、ショーに参加する前に、新メンバーはモントリオールにある本社のクリエーション・スタジオに送られます。そこで数週間から数か月、 ダンス、演技、歌、アクロバットを専門とする20人以上のトレーナーによる予備トレーニングを受けます。 多くのメンバーにとって、この時期が一番辛いようですね。


——「オー」には日本人の元五輪選手、河邊美穂さんも出演していますね。

シルク・ドゥ・ソレイユに3年以上在籍している彼女は、私たちのシンクロナイズド・スイミング・チームに花を添えています。オリンピックでの銅メダル獲得の経験を生かし、カナダ人やアメリカ人が主体のチームのバランスを支えています。「オー」の多くのメンバーは元オリンピック選手で20以上の異なる文化圏出身者で構成されているので、彼らが受け継ぐ独自の文化、習慣、個性をショーの要素に取り込むことになるのです。これは全てのショーに関して言えることです。私たちのアプローチはとてもシンプルで、世界に共通する言語を創造して、地球上の人々を魅了しようとしています。融合した文化にこそ、人々の心に触れることのできる魅力が隠されているのです。そして、世界中から集う人々こそがその良い例なのです


——ギイ氏は自らの成功を地域社会に還元しようとしていると聞きました。
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One of the numerous brilliant settings so ably conjured and brought to life within KA. Photo by Tomas Muscionico, Costumes by Marie Chantale Vaillancourt © Cirque du soleil Inc.


その通りです。シルク・ドゥ・ソレイユの福祉計画はストリート出身の彼にはとても大切なことなのです。彼はこれまでの成功の過程において初心を忘れたことがなく、地域社会への援助を強く望んできました。最も良い例として「世界のサーカス」を意味するプログラム「シルク・ドゥ・モンドゥ」が挙げられます。ここでは世界中から集まったコーチがストリートキッズに曲芸を教えます。これは子供たちの自尊心の確立、地域社会における自身の立場の認識、そして自己の存在価値の確認などに役立ちます。このプログラムは10年以上も成功を収めており、現在は南アメリカ、ヨーロッパ、ラスベガス、モントリオールで活動しています。プログラムに関わる子供たちのサクセスストーリーを耳にするのは素晴らしく、その中には私たちのショーのパフォーマーに成長した者もいます。また、 「シルク・ドゥ・モンドゥ」のコーチとなって自ら受けた恩恵を還元している者もいて、助け合いの輪は少しずつ膨らんでいるのです。これは時代を問わずギイにとって重要なことであり、自分自身に課した使命でもありました。


——シルク・ドゥ・ソレイユの今後の予定を教えて下さい。
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Zumanity, showcases a more adult themed side of Cirque du Soleil’s assault on the senses, at the New York-New York Hotel & Casino. Photo by Phillip Dixon, Costumes by Thierry Mugler © Cirque du soleil Inc.


私たちは今でも新しい仕事の依頼を受けながら、更なる発展を目指して模索しています。今夏、ミラージュでオープンするビートルズをベースにした新しいショーが上演されますが、それ以外の開催地についても考慮しています。「シルク・ドゥ・ソレイユ・イメージ」 という部門がそれを担当し、彼らはTVシリーズ、ドキュメンタリー、リアリティーシリーズなどの制作などに携わり、それぞれの完成を目指しています。これからの私たちのショーが、どこで、どのような形式で行われようとも、一貫して観客に斬新な感覚と神秘的な世界を提供し続けることでしょう。そこには常に創設者のビジョンと真心と精神が反映されているのです。



ブリジット・ビレンガー・ワーナー

ラスベガスのシルク・ドゥ・ソレイユ「オー」宣伝担当。オタワ大学で美術を専攻。卒業後、情報伝達・通信業界で15年のキャリアを積む。1989年から8 年間に渡り、カナダ・オタワのラジオステーション「カナディアン・ブロードキャスティング・コミュニケーション」でアシスタント、ディレクター、放送タレ ント、調査員、共同プロデューサー、プロデューサーなどをこなす。その後、テレビ業界に移り、ショーのホストやリポーターなどを勤めて、1993年に社会 文化系の週刊誌「ピレジールズ」で「ベストリポーター」に輝く。 1997年にモンテリオールに移り、シルク・ドゥ・ソレイユに参加。3年間国際本部で広報として働いた後、現在の地位に就く。2000年11月より 「オー」のプロダクションに 関わる。夫はシルク・ドゥ・ソレイユの専門家スティーヴン。息子アレクサンダー。

(2006年4月1日号に掲載)