—— 太極拳の優雅な動きに人気が集中していますが、この武術を説明して下さい。 太極拳はある意味で精神の訓練です。あらゆるものを包括しており、そこには終りや境界線はありません。太極拳は明朝の末期から清朝の初期にかけて始まり、およそ 300 年の歴史を持っています。自然界の様態、昼と夜、光と影のような陰陽のバランスを反映し、物事にはすべて 2 つの側面があり、正反対の矛盾するものでも調和して成立している̶̶ という陰陽説を体現しています。これらは太極拳の芸術的な部分です。太極拳は競技、身体の改善、精神の充実など様々な目的で行われます。また、訓練や理論を通して、人生にいかなる事態が発生しても、心身ともに均衡のとれた状態を保つことができるようになります。 ——太極拳を始めた動機は。 私の祖父、陳修如(チェン・ショウルー)は中国武術に只ならぬ情熱を抱いていました。地元で教師をしていた彼は、歳を取るにつれて、これまでの自分の知識を誰かに継承したいと思うようになり、6歳の私に訓練を施したのです。それは伝統的な中国武術の形式でした。正直に言うと、私は歌や音楽の道を目指したかったのですが、 私には選択の余地が無く、家族を助け、お金を稼ぐという意味ではこれが一番良い方法だと思うようになりました。 —— 福建省のプロチームに選抜された時はどう思いましたか。 私が10歳の頃、福建からのコーチが才能発掘のために私の住む地域を訪れ、私たちの練習場にもやって来ました。彼らは一人一人を注意深く観察し、身体面と精神面の両方から評価していました。私はその時、楽しみを目的とする中国武術を数年間学んでおり、それが私のポーズの大きな手助けとなっていました。私は他の生徒に比べて腕や脚が長かったため、より豊かで優雅な動きを表現することができ、比較的調和も取れていました。彼らは私が競技者としての才能を秘めている可能性を感じ取り、チャンスを与えてくれたのです。 —— プロの太極拳選手としての生活はいかがでしたか。 それは決して魅力的な生活ではありませんでした。私たちは24時間を寄宿舎、シャワー室、食堂、ジムで過ごしました。他にはどこにも行きません。そこには大勢の生徒が集められて、誰が成功するのか、誰が脱落するのか知る由もありませんでした。でも、私には断固とした決意がありました。コーチが練習を10回行うように命じると、私は20回続けたものです。プロに徹するべく、1日最低5時間は稽古に励みました。私たちはあらゆる形式を修得し、太極拳を始めとして、太極剣、槍、八卦掌、酔剣、長穂剣など、全種目で技術を競わなくてはなりませんでした。稽古に専念する毎日でした。生活は規則正しく、他のことをする時間はありません。1週間のうち6日間は同じことを繰り返し、私たちは時間がどれくらい過ぎたのか、今日が何日かさえ忘れていました。 —— 主要競技大会での初入賞を覚えていますか。 私は中国でトップレベルの指導者である曽乃樑(ヅォン・ナイリィヤン)氏の下で11歳の頃から競技大会に参加しました。そして、14歳で中国武術競技大会(現在の世界武術選手権)の3位に入賞し、これが私の長いキャリアの出発点となったのです。プロとしての目標は競技に勝利し、金メダルを獲得することです。勝てない時は誰もが苛立ちを感じ、コーチはより一層のプレッシャーを競技者に与えます。当初、私には安定した実力が伴わず、それを獲得するのに何年もの歳月を必要としました。物事が思うように進まない時、私はより厳しい訓練を自身に課しました。 諦めようと思ったことも何度かありましたが、私は挫折を潔しとすることはできませんでした。競技大会では勝利の可能性は僅かで、成功へのプレッシャーは計り知れないものがありました。どんなに素晴らしい演武を披露しても、審判員は落度を見逃しません。中国に伝わる言い回しに「卵の中から骨さえ見つける」というのがあります。それが不可能だとは分かっていても、審査員は厳格で、どんな小さな欠点でも探し出そうとするのです。また、毎年チームには若くて才能に恵まれた選手が加わり、それが競技をより厳しいものにします 。 ——選手生活を継続できた要因は何ですか。 私のコーチです。私は素晴らしいコーチに恵まれ、彼は決して私のことを諦めませんでした。また、私は常に家族からの支援を受けていました。決意が固いという性格も手伝って、何事にも辛抱強く耐えました。さもなければ、10年間の訓練期間を含めた全ての年月を無駄にしていたことでしょう。今、改めて振り返ると、あの頃の私がなければ、今の私は在り得なかったでしょうし、今日の成功や栄誉を手にすることはなかったでしょう。 —— 偉大な人物の陰には、女性の存在があると言われますが…。 それは真実だと思います。私の妻、林旭(リン・シー)は常に私を支えてくれました。 —— 人生の転機はありましたか。 1990年のアジア大会がそうだったと思います。以後、私は常勝街道を歩むようになりました。勝利につながる身体能力を備えて、訓練に訓練を重ね、決して諦めなかった結果として頂点を極めることができたと思います。その後も、私は傲慢にならぬよう謙虚に態度を保ち、長く王座に君臨し続けました。チャンスを目の前にした時は、それを奪わなければなりません。 —— コーチから名言を授かったことは。 常にそうでした。「多くの腐った桃より、ただ一つの素晴らしい桃の方が優れている」「傑出した人物を目指して何かを達成しようと思うならば、進んで自分自身に多くのことを課し、且つ他人よりも忍耐強くならなければならない」など̶̶。練習時には、いつもこれらの言葉を頭の片隅に置いていました。また、私が座右の銘とする中国の諺ことわざに「師は教えることができるが、それを学ぶかどうかは弟子次第である」という言葉があります。私はこの言葉から責任ということを痛感し、自分で行うこと全てに対して責務を負うことを学びました。仕事の面では、私は演武によって厳格に審査されますが、人間の人格は失敗にどのように対処するかで決まると思います。立ち直りが早いか、直面した苦難を機に何かを学ぶか、辞めてしまうか…。ここで分かれ道となるのは失敗から学ぶことです。自分自身に理由を問い掛け、答えを導き出さなければなりません。そして、大切なのは自分自身を信じることです。 —— 実演を拝見させて頂いて、その動きが水が流れるように自然であることに驚嘆しました。 現在の私の太極拳はとても自然に見えますが、始めたばかりの頃はそうではありませんでした。 これは何年にも及ぶ組織的なプロのトレーニングによる成果です。ピアノの演奏と同じように、太極拳にも多くの段階があります。それを何度も繰り返して、頭だけでなく体に記憶を浸透させていきます。全てのトレーニングをこなした今、私は自分自身の太極拳を感じ、フォームを通して思考や感情を表現することができます。ダイヤモンドや翡翠と同じように、何もしなければ唯の石ですが、時間を掛けて磨きをかければ美しい姿になるのです。 ——過去の失敗に悩むことはありますか。 完全無欠への追求は永遠です。私たちにできることは、今日は昨日よりも、明日は今日よりも前進していることを願うだけです。そこに終わりはありません。この信念を永く持ち続けることで優れた成果が生まれます。結果に満足して、努力を怠った瞬間に負けてしまいます。 ——その追求は仕事に対してですか。それとも喜びを求めるものとして…。 最初の頃は金メダルを獲得することだけが私の仕事であり、目的でした。しかし、多くのことを成し遂げ、太極拳の世界で頂点に到達した今、私は人生と太極拳に対する新しい観点を持つようになりました。そこには多くの楽しみが含まれています。現在、私にとって太極拳は辛い仕事ではなく、健康、幸福、人間的成長、中国文化の美を磨いて伝達するための手段なのです。太極拳とは単に公園で行うエクササイズではなく、完成度の高い芸術と考えています。現在、私は世界中を旅して素晴らしい人々と出会いながら、祖国の文化の一部である太極拳の芸術性を伝えたいと思っています。そのため、私が演武を披露する際には、適切なステージで正統な衣装をまとい、正しい環境の中で行います。そうすることで、人々は太極拳をバレエのような総合芸術として観賞することができるのです。「あなたの太極拳はとても美しかった。私も是非やってみたい」という人々の言葉を聞くと、私は幸せな気分になります。 ——太極拳の初心者にとって最良の練習法とは。 先ずは基礎から始めることです。私の経験から言えば、多くの人々は始めた時から呼吸のことを考えすぎています。呼吸は生命を維持する不可欠な機能です。しかし、太極拳の最初の段階で呼吸を気にかける必要はありません。それぞれの動作の正確さ、動き方、適切な立ち位置、姿勢などの基本に集中するべきです。 手の向かう方向、肘の位置、身体と手と腕の距離について正しい位置関係を知ることが大切です。そうすることで、あなた自身がどこに到達することを目指しているのかが明確になります。 勿論、呼吸も大切です。いかに動作と呼吸を調和させるかを理解しなければなりません。しかし、それは後から出てくる課題です。一旦、呼吸の基本を知ると、幾つかの動作は息を吸い込ませ、別の動作は息を吐き出させる動きであることが分かります。但し、忘れてならないのはそれは単なる指針であり、絶対的な規則ではないということです。規則通りに行うために息を止めることはありません。呼吸をして下さい。呼吸は自然な働きであり、それを複雑にしてはいけません。太極拳では呼吸、動作、意志を調和させることが大切です。これらの3つが同調して真の太極拳となります。今の私は呼吸を意識することはありません。その代わり、全ての動きが清らかで完全に満たされたものであるように、身体の全ての部分の調和を考えています。 ——呼吸は身体的な訓練ですか、それとも精神面での鍛練でしょうか。 言うまでもなく、その両方です。太極拳はエネルギーの流れであり、「極」は空気と活力を意味する言葉です。呼吸は(腹部を指して)ここから始まります。手を置いてみると分かりますが、それは動いています。太極拳は身体を通したエネルギーの流れであり、呼吸はその中での不可欠な一部であると私たちは教えています。呼吸、エネルギー、精神、意志、タイミング、正確さなど多くの事柄が一体化していきます。どの要素も欠くことができません。それが太極拳です。全てが一つになるという統合的な芸術です。 ——それぞれ体型の異なる人々に正しい姿勢を伝える方法は。 太極拳のほとんどのポーズは、各人の体格、体型、能力に応じて定められるので同じではありません。全体を通して個人的な差異が出てきます。その一方で、手は上向きか内向きというように一定している箇所もあります。そして、拡大する動きや小さな動きがありますが、高さや長さの決まりはありません。 ——「上手な太極拳」と「一流の太極拳」との違いは。 優れた太極拳は、善、正確さ、清潔、動きの流動性、そして感情が含まれています。動きのリズムとともに重要なことは、そこへ自分自身の想いを投入するということです。審査員は全員のフォームを見て、同一の状態を審査しますが、最上レベルになると、そこに実体のない表現性が現れて、全く異質のものになります。ピアニストと同じです。聴衆の多くは演奏上の間違いを聴き取ることはできませんが、プロにはそれが分かるのです。それは名優と高校生の演技を比較しているようなものです。偉大な役者は、そこに座ってあなたを見つめるだけで完全に魅了することができます。経験を重ねたプロは片手を挙げる仕草だけでも効果的なのです。それに対して、高校生は派手な動きが多く、無駄なセリフを口にして過剰気味になり、その振る舞いが不自然に見えます。違いはそこにあるのです。 私の個人的な意見としては、太極拳の競技を見る時には美しいパフォーマンスに注目し、そこに競技者のスピリットを感じるべきです。競技者の想いと演舞が一つに重なっていきます。近年の太極拳競技会では、より難易度の高い動作が要求されており、そのために競技者のスキルやテクニックは素晴らしく向上していますが、私は彼らから何も感じることができません。まるで空っぽです。内面の芸術が欠落しています。彼らの芸術性はパフォーマンスに心を投入するほど成熟していないのです。 ——ご自身のクラスの指導法は、過去に受けたプロの訓練法とは異なりますか。 全く違います。プロのチームには幼少の頃から訓練を始めて、競技で金メダルを勝ち取ることを目的とする種類の人間だけが参加していますが、競技以外の世界では様々な背景の人たちが、様々な目的で太極拳を行っています。ですから、私は以前に教わった方法とは異なるやり方で指導しなければなりません。私の訓練はプロとしての競技のためであり、単なる太極拳ではありませんでした。競技では6つの種目があり、太極拳はその中の1つです。私たちは全種目で勝利を収めなければなりませんでした。楽しみのための訓練ではなかったのです。そのため、芸術や文化に興味を抱いたり、健康促進を目的として太極拳を始める人に、私のコーチが私に用いたメソッドを使用することはできません。私の生徒には、人生のあらゆる側面で手助けとなる太極拳の芸術性、文化、内面を磨くスキルに集中してほしいと思います。そして、太極拳を通して、人間としての成長や探求の喜びを体験してもらいたいと思います。人生は退屈ではいけません。変化に富み、 できる限りのことを楽しむべきです。 ——教え子が大成した時、どのように感じますか。 達成感です。これこそ待ち望んでいた瞬間です。 ——競技者としてのキャリアを終えて、これからの使命は 。 今の私はメッセージを放つ弓の射手のような存在です。私が太極拳の経歴を持つ以上、それを私の生徒たちと中国文化の橋渡しに役立てたいと思います。中国の諺に「三文ごとに得意な分野にたどり着く」というのがあります。自分に秀でている特技を利用して教え導き、関係を築くというのは自然な行動だと思います。私が行っているのはまさにそれです。私はどんなことでも話せますし、他のことについても語りたいとは思いますが、結局は太極拳の話に戻るのです。太極拳をより深く学びたいという人には、その背景を理解することは大きな手助けになると思います。それは中国の歴史と文化を学ぶということです。興味があれば人々は自然にそれを追求し、情報を増やしていきます。私の使命はできる限り多くの架け橋を築くことだと考えています。人々が私の祖国である中国に興味を抱き、文化と国のことを理解したいと感じる時、私はそれをとても誇らしく思います。 (2005年10月16日号に掲載) |