ゆうゆうインタビュー スティーブ・オキノ

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遠路ハワイからサンディエゴを訪れた理由を聞かせて下さい。

私たちのドキュメンタリー映画 『A Most Unlikely Hero』 が公共の TV 放送に取り上げられるという貴重な機会が与えられ、多数のサンディエゴ市役所職員を始め、市多様化委員会、多様化情報資源委員会、そして多様人種研修に関わる人々と共にその番組に出演するために来ました。人種間、民族間に引かれた実態のない境界線を越えて、互いの存在価値を認識し、相互関係を改善していく試みは素晴らしいことです。価値のあるミッションへの参加が実現できたことを誇りに思います。


——ドキュメンタリー 『A Most Unlikely Hero』 の主題は、時代遅れで狭量な信念を過去に葬るということでしたね。

その通りです。作品について簡単に説明すると、この映画は勝ち取れる可能性のない正義のための闘いを5年間続けたブルース・ヤマシタについての物語です。ブルースが士官候補生学校(OCS)時代に受けた差別的扱いと除籍処分に対して、米海兵隊を相手にした長期にわたる法廷闘争をドキュメンタリーで追っています。私たちはこの作品で、違う角度から見た勇気やヒロイズムの解釈を提唱したかったのです。民主主義の素晴らしさを伝えつつ、それぞれの人種に勇気を与えるとともに、誰でも世間に一石を投じて変化を起こし、成功を手中にできることを知ってほしかったのです。ラテン系、アジア系、アラブ系などの如何なる人種のアメリカ人であろうと、それぞれの苦闘と努力を通じて達成した業績を認識することが大切なことです。この映画のテーマはまさにそれなのです。同時に、地球を取り巻く状況は、ご存知のように不安定で危険が差し迫っています。そんな時代に生きている私たちにとって、公民権としての市民的権利、基本的人権、言論・行動の自由が保障される市民的自由がこれまで以上に重要であることは明らかです。それも私たちが映画を通して伝えたかったテーマの一つです。


—— ヤマシタ氏の苦闘は万人の正義と平等に向けた戦いだったのですね。
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Steve, sharing his insights and experiences


ある意味ではそうです。この話は日本人を祖先に持つハワイ出身者で、因襲の犠牲となった世代の人物像を歴史に基づいて綴っています。人々はこのストーリーが今の私たち一人一人に深く関わっていることを理解するはずです。この18カ月間、基本的に私たちはそれを伝えるために全米そして日本中を駆け回り、人々の共鳴を得るべく映画観賞会を行ってきたのです。


—— ヤマシタ氏と関わるようになった経緯は。

私はホノルルの日系人市民連合(JACL)を通してブルース・ヤマシタの裁判を知りました。彼は誰からの援助も得られず、止むなく組織に支援を求めたのです。誰も彼に手を貸さなかった理由は、率直に言うと、裁判の内容や彼の身に起きた事柄のためではなく、それが軍に関連することだったからです。最高裁判所の判例を持ち出すまでもなく、私たちは機会均等や差別禁止条項などのあらゆる平等規則に従うよう定められています。しかし、軍においては例外なのです。その状況を知った私たちは、経験のためにもブルースの裁判を支援することにしたのですが、実際のところ、どれくらい大変なことになるのか見当もつかないままに関わることになりました。


——ご自身を含めて、JACLにはこのような法廷闘争への準備が整っていたのですか。

私たちはそう思っていました。組織の中には数人の弁護士も含まれていて、ブルースの依頼があった時、その受け入れを決定するまでに長い時間を要しませんでした。差別待遇を受けて権利を制限されたと考える人に対し、法的な対応策を講じて支援を提供するのは私たちにうってつけの役割でした。この件に関しても、JACLは法律の側面から最大限の支援を行うことを評決していたのです。そして、法的手続きの作業が始まり、最初の宣誓供述書が準備され、裁判の詳細と規模が明らかになるにつれ、それが私たちの最初の予想を大きく越えた規模の戦いであることが分り始めました。後に情報公開の要請書を提出して統計資料を入手し、そこから調査員と統計学の専門家が発見した事実を知らされた時、この裁判の規模の大きさのみならず、新たな歴史を開く可能性を秘めたとんでもないケースであることを知ったのです。


—— 統計資料は何を示していたのですか。

JACLはブルースに正義を呼び込むカギとなる重大な事実を突き止めたのです。海兵隊さえも把握していなかったと思われる事実です。私たちが情報公開の要請を行った時、ブルースに向けられた特定の差別を裏付ける証拠を発見するとは、よもやブルース自身も考えていませんでした。ところが、私たちはまさにそれを見つけたのです。そのデータは、長年にわたり、士官候補生学校でマイノリティーに対する恒常的な差別が広範囲に存在したことを証明していました。その証拠にはあまりにも説得力が備わっていたことから、連邦議会やホワイトハウスも無視することが出来なかったのです。この発見がTV報道番組 『60ミニッツ』 に取り上げられたのですが、あろうことか米海兵隊司令官が 「マイノリティの人々は標準以下の射撃力しか持ち合わせておらず、泳ぐことも出来ない。コンパスを与えて地上ナビゲーションの訓練に送り込んでも、それらを上手く扱うことも出来ない」 とのコメントを出してしまい、火に油を注ぐ結果となりました。その僅か数週間後、ブルース・ヤマシタは大尉に任命され、この裁判によって、海兵隊を始めとする全軍事基地における人種的、民族的差別を禁止する法令上の改革が断行され、不公平の排除を促すことになりました。


—— 一連の出来事がドキュメンタリーの優れた題材になると気付いた時期は。

ブルースと数多くの作業を行い、裁判により深く関わるにつれて、私たちはこの裁判が単に海兵隊に不平を抱く一人の男の話ではなく、普遍的な何かを暗示しており、この話から人々が得るものがあると思い始めました。それならば語り継がれるか、後世のために記録する必要があるのではないかと考えたのです。そして、1991~92年頃にビデオの撮影を開始しました。私たちは募金を通して資金を作り、1日の撮影ごとにクルーを雇いましたが、やがて資金が底を突き、棚上げにしなければなりませんでした。それからは時折、懐(ふところ)具合に応じて半日クルーを雇ったりしました。こうして数年の過程を経て、少しづつ材料を蓄積していきました。そして、最終的に決断の時期が到来して映画化が実現したのです。


—— 作品は軍に好意的な内容ではないにも関わらず、軍の協力を必要としていたはずです。その意味でも映画化は困難でしたか。

私たちは軍関係者を公平な視線で描いたと思います。そこにある事実と、彼ら自身の姿をありのままに捕えたという意味でそう言えます。軍が私たちの作品を教育目的で使用するという事実を取っても、それが如何に公平さとバランスを維持していたかが察せられるでしょう。困難だったのは内容が複雑であり、普通の人には理解が及ばない官僚的、行政的なプロセスがストーリーラインの全てということでした。創作過程には予想外の展開が待ち受けています。私は与えられた仕事を処理していくという姿勢を貫いて迷路から抜け出しました。とはいえ、山積する書類の処理作業では多くの間違いを犯すなど、そのプロセスは停滞と失敗の連続でした。全てのプロジェクトには浮き沈みの時期があり、刺激と倦怠が混在しているのです。


—— 裁判が1個人の事件からマイノリティー層全体の問題へと発展するにつれて、関連団体からの支援はありましたか。

精神的支援は個々に受けました。ブルースの事件は集団訴訟のレベルに達することはなく、組織的な援助を得ることは無理でした。しかし、統計資料の中に意外な真実が隠されていたため、政治キャンペーンや広布活動など、メディアでの話題性が急速に広がっていきました。その結果、複数の団体が政治運動を展開して議会やホワイトハウスに圧力を掛けてくれたのです。しかし、全般的に先頭に立っていた組織はJACLでした。


——法廷闘争は莫大な時間と資金を要しますが、この負担をどのように凌ぎましたか。
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(ABOVE, L-R) Producer Steve Okino, his Marine Corps PR minder, and Bruce Yamashita on the grounds of the Marine Corps Officer Candidate School, Quantico, VA.


全てを無料で引き受けた私たちは、経費を賄うために折を見て資金を調達しました。審問記録を入手するだけで数千ドルも要するのです!それに加えて、海軍解任調査委員会の審問を傍聴するには旅費も掛かりますし、その他諸々の費用が発生します。ブルースはこの4年半の間に50万~100万ドルの金額を投じたと思います。私たちを取り巻く支援の波には驚かされました。地元メディアの取材報道は一般人の関心と協力をさらに引き起こし、そのサポートは募金運動に繋がりました。裁判が長引くにつれて話題は広がっていきました。特に、裁判の妨害や遅延についての報道があると、より強力な援助が私たちに寄せられました。そして、この裁判についての理解が世間に浸透すると、さらに大勢の人が喜んで支援を申し出てくれました。ホノルルの民間調査機関の代表格「SMSリサーチ」の共同設立者の一人であるジム・ダンネミラーや、当時はUCLAで人種統計を専門にしていたデイビッド・タケウチらが統計分析を行い、立場を逆転させる驚くべき事実を発見してくれたのです。


—— 全てを投げ出したいと思ったことは。

裁判を通して起こった出来事は、そのまま映画制作に影響します。両方から逃げ出したいと思った時期もありました。私たちがもっと現実的な人間だったら、何度となく降参していたことでしょう。しかし、人生にはやり遂げなければならない使命が与えられることもあるのです。私たちでなければ誰がやるのか? 語り継ぐべき物語があると信じるならば、どんな困難に耐えても達成しなければなりません。可能性を実現しながら前進してきたのが人間の歴史だったはずです。私はそのことを軽視したくないのです。中には、「彼は泣き言を言っているだけで、除籍処分を受けたのも当然の報いだ。愚痴をこぼすばかりで、海兵隊員になれるほどタフじゃない」 という批判的な意見もありました。羅府新報のジョージ・ヨシナガ記者は基本的にブルースの主張を聞き入れようとはしませんでした。私たちはこのような意見を持つ人々とも争わなければなりませんでした。


—— 全ての闘争を終えて、最終的な結果はどのように。

ブルースは予備軍の大尉に任命されました。それは現役任務ではなく、予想していた選択肢外の展開となりました。原則からすれば、それは正鵠(せいこく)を得た判断と言えるのでしょうが、現実的ではありませんでした。そこにはブルースにとって支障となった3つの理由がありました。5年の歳月が過ぎていたこと、彼自身が加齢とともに賢明になったこと、さらに重要なのは5年間を費やして勝訴したとしても、闘いを挑んだ古巣へは戻りたくないという感情です。実際に、士官候補生学校でブルースの仲間だった12名のマイノリティーたちは1人を除いて全員が除籍処分を受けています。軍内部の変化に言及するなら、この裁判は抜本的な改革を促進することになりました。現在は士官候補生学校だけでなく、全米軍基地と軍関係組織の全体レベルにおいて差別禁止条項が要求されています。そして、この規則に抵触する言動を取った者はキャリアに影響することになるのです。しかし残念なことに、低階級の下士官兵だけが非難を受けるという実情が見え隠れしています。私たちが行った調査でも、命令を下す上官レベルが咎(とが)を受けるということはありません。現在、同じことがイラクでのアブグレイブ収容所事件として起きています。下士官兵が全ての責めを負っているのです。


—— ブルース・ヤマシタ氏の現在の消息は。
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A battle of a different sort; Bruce Yamashita, in front of the Marine Corps War Memorial in Washington D.C.


現在は弁護士として活躍しています。彼は2度目の挑戦で難関を突破して司法試験に合格しました。人生が変われば考えも変化します。彼は当初、国土防衛の志に燃えて海兵隊員として国家に奉仕し、海兵隊法務総監に昇進して訴訟実務を体験したいと願っていました。その後は大手法律事務所で弁護士として辣腕(らつわん)を奮い、裕福な人生を送る予定でした。現実の彼はワシントンD.Cで弁護士をしており、経済力の無い刑事被告人の弁護に精を出し、多数の移民法ケースを抱えて駆け回り、市民的権利、基本的人権、市民的自由の保障に関わるケース、特にテロ対策法として成立した 「2001年愛国者法」 について総合的に関わっています。


—— 映画で示された統計に変化が生じましたか。

ドキュメンタリー映画では、当時最新の2000年から2001年にかけての統計数値を紹介しています。これらの数値は今のところ変化はなく、海兵隊と士官候補生学校の昇格、新人募集、保有率の統計を見ると、全体的に白人より圧倒的に高い割合でマイノリティが解職・除籍されています。


—— その事実は驚きに値するものですか。

2通りの解釈があると思います。一つは、何も変わっていない事実を証明するデータを見て絶望すること。膨大な仕事をやり終えたのに、何も改善されていないという否定的な考え方。もう一つは、階級を昇り詰めた新しい指導者層が誕生したり、旧態依然としたシステムを一掃するには何世代にも及ぶ長大な時間がかかるという肯定的な視点。ニューリーダーが現れたなら、その人物は「ブルース・ヤマシタ裁判」の結果として全ての米軍基地で必須事項となった多様人種研修を受けた一人なのです。また、フロリダ州ケープカナベラルにある軍務機会均等管理機関の教育プログラムが展開され、世界中の米軍基地/施設では士官に平等の機会が与えられています。2000年から2001年の結果を見つつ、これらのプログラムが実施されて機能している事実を知るというのは心強いものです。時間の経過と共に若い士官が昇進し、古参の将校が引退してシステムから離れていきます。私たちはそこに未来があり、良い変化が生じてくると信じています。私は希望のある道を選んで歩きます。


—— 過去よりも現在の状況を理解することが重要だと思いますか。
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Finishing what he started, Captain Bruce Yamashita at his commissioning ceremony as his 5-year struggle draws to a close.


それは間違いありません。ブルースもそう思っているでしょう。公民権や市民的自由は奪われやすく、現代ではその危機感すら希薄になっています。新時代における愛国心のコンセプトも脆弱です。人々は群れの中の羊のように、多数を占める世論に疑問の余地なく従うだけなのです。近年のアメリカでは、一般通念に疑問を感じたり、異議を唱えることは反愛国的行動と決めつける風潮がありますが、私たちはその姿勢こそが究極の愛国心の形であると思っています。なぜなら、アメリカ建国の際に築かれた信念、価値、伝統を擁護しつつも、それらを破壊する不気味な影を捕えた時には疑問を持って立ち向かわなければならないのです。どういう行動を取るにしろ、批判の矢面に立つには覚悟が必要です。私には 「ブルース裁判」 と 「9.11」 以降の世の中の状況に共通項があるように思えてなりません。それは、守るべき真の価値を自分の中に見出し、自らを信じてそれを擁護するために立ち上がるという勇気。それを失った時には全てが消え去ってしまう…そんな恐怖感を抱いています。


——長年のプロジェクトを通して学んだことは。

映画と裁判を通して、ブルースの闘いが私たちに与えてくれた偉大な教訓を皆さんに捧げたいと思います。彼は私たちに教示しているという意識など持ち合わせていなかったでしょう。世の中を変えるためには、一流大学へ通うことも、MBAを取得することも、極上の生活環境を求める必要もないのです。ましてや高級車を運転しなくても、社会的地位の高い仕事に就かなくても、権勢を誇る名家出身者でなくても、富豪や有名人でなくてもよいということです。事の大小を問わず、現世を改革するには信念を持つこと。その揺るぎない信念を胸に抱いて生きること。有言実行を目指す一意専心の熱意̶̶それが全てです。その生き方ができるなら、あなたの思いは成就されていきます。その根底にあるのは、私たち一人一人が秘めている「思いがけないヒーロー」に変身する潜在力なのです。誰もがそんな能力を持ち合わせています。私たちはこの映画を通して、人々が少しでもその可能性に目覚めることを願っています。


スティーブ・オキノ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ドキュメンタリー映画 『A Most Unlikely Hero』 監督・製作・脚本家。ハワイで生まれ育ち、NBC給費生としてノースウエスタン大学で修士号取得。CORO基金の広報業務研究奨励制度も終了。20年以上 に渡り、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、ダラスのCBS系列テレビニュースでプロデューサー、マネージャーとしての実績を積み、ニュース原稿作 成とラジオレポーターの経験も有り。番組制作では、ハワイ・パブリック・テレビジョンのシリーズや単発番組、民間放送局での30分ドキュメンタリーや唱導 目的の番組、ネットワーク・ニュースの特別コーナー、全米配給番組、政治的宣伝などを手掛ける。加えて、戦略的コミュニケーションのコンサルタント、ス ピーチライター、非営利団体、政府、企業向けの創作ディレクターとしても活躍している。スティーブ・オキノ氏と 『A Most Unlikely Hero』 についての詳細はhttp://www.unlikelyhero.org まで。


(2005年7月1日号に掲載)