2024年 02月 27日

ゆうゆうインタビュー ティム・マーフィー

42.jpg
 

マラソンに興味を抱いたのは。

私は病院に医療用品を供給する医療産業分野で働いていましたが、常に転勤を繰り返していました。セールス・マネージャーから国際セールス・マネージャー、マーケティング部門の副総裁まで昇進したのですが、次第に企業の世界に疲れ始めたのです。私は仕事の関係上、11年間に10回もの引っ越しを余儀なくされ、シカゴ、ポートランド、マイアミ、ロチェスターと全米各地で住居を構えたのです。もう転居は十分だと感じていた私は、2人の姉妹が暮らしているサンディエゴに定住することを決心しました。それは70年代後半の頃です。当時のサンディエゴでは私の姉妹も含めて誰もがジョギングをしていたことから、私も始めました。私はネブラスカでの高校時代に陸上競技を行っていたものの、長距離に挑戦したことはなかったのです。ジョギングを始めて、すぐに私は走ることに熱中してしまい、毎日4~10マイル走っていました。負けず嫌いの私は1年後には2つのマラソン大会に出場していたのです。



——今でも当時のように走るのですか。

42_1.jpg 残念ながら走りません。ニューロパシーと呼ばれる神経障害に悩まされ、その後遺症が脚に現れて走れなくなったのです。走りたい気持は募るのですが…。仕事以外で、私が唯一情熱を注いだ対象は走ることでした。私は1日に10~12時間働く仕事人間でした。かつては早朝3時に起床して猛烈に働いていました。今はそんなことはありませんが…。


—— ロックンロール・マラソンを創案した契機となったのは。

走ることに熱中するようになった私は、マラソン大会についての本を読むようになっていました。そして、各地に素晴らしいレースが数多く開催されているのに、サンディエゴに大規模な大会が存在しない事実を不思議に思ったのです。そこで、かつてのマーケティングとセールスの知識を利用して調査を開始しました。私はリン・フラナガンという女性に出会い、彼女と一緒にポプシクルを使って1人当たり25セントでタイムを計る仕事を務めるようになりました。1984年にビュイックからレース開催の要請があり、その後、別の人物からカールスバッドでのレース開催を依頼されました。これが現在の「カールスバッド 5000」です。この出来事が大きな転機となり、私たちが組織するレースの数が増え始めて、次第に忙しくなりました。でも、当時の私たちは無報酬でした。

私がロックンロール・マラソンを創案したのは、クリーブランドにロックンロール・ホール・オブ・フェームがオープンした時です。当時は至る所にその広告がありました。ある朝、ジョギングしていた私は、ふと「クリーブランドに住んでいたら、ロックンロール殿堂をスタート/ゴールラインに定めてマラソン大会を開催し、レース後に大掛りなコンサートも開くことができる」と思ったのです。が、翌日には「クリーブランドに行く者はいない」と考え直して、このアイデアを諦めました。1年後、100周年を迎えるボストン・マラソンが開催され、サンディエゴからは273名が参加しました。レースの後、彼らが集まって話題にしていたのは「サンディエゴにはメジャーのマラソン大会が無い」ということでした。その中には数名の有名なランナーも含まれていたことから、私はこの問題を放っておけなくなり、クリーブランドのアイデアを再考したのです。


—— アイディア実現に向けて、どのように取り組んだのですか。

大会開催に多額の費用を要することは分かっていました。私はレースを組織していましたが、マラソンは手掛けていませんでした。とはいえ、例のアイデアは「サンディエゴでも可能なはずだ」と思ったのです。エンターテイメントの都ロサンゼルスまで車で僅か2時間というサンディエゴで、私は有名な映画製作者であるフランク・マーシャルと妻キャサリーン・ケネディと知り合いになりました。彼らの最新作は『シービスケット』で、『ジュラシック・パーク』や『インディアナ・ジョーンズ』などの人気作品も手掛けています。フランクは例年「カールスバッド 5000」に参加していて、同時にトライアスロンの大ファンでした。ある日、フランクの妹から電話があり、報道用の車に彼が同乗できないだろうかと尋ねてきたことから、私と彼の繋がりが生じたのです。私はマラソンのアイデアについて話し合うべく、フランクに電話でアポイントを取りました。その後で、私は「映画のアイデアを持ち込んでくる無数の電話を受けている彼は、私もその1人に見ているのだろうな」との思いに駆られたのです。結果として、彼は私に会うことを承諾し、アイデアを気に入ってくれました。多分、映画の話ではなかったので安心したのでは̶̶。彼は私に書類一式を揃えるように言い、私は趣意書とこのアイデアが成功する理由を携えて、彼の元へ戻りました。フランクは15万ドルの小切手を切り、私は合計50万ドルの資金を集めることができ、ようやく大会開催の実現に向けて発進したのです。


——1998年の第1回大会はどうでしたか。

マーケティングの面から見れば大ヒットでした。しかし、私たちには市のサポートが無かったため、警察が協力的でなく、レースを37分遅らせるという事態も起こりました。それ以外にも失敗や手違いは数え切れません。最大の問題点は120万ドルという埋め合せのできない損失を発生させたことです。財政面から言えば完全な失敗でした。とはいえ、私たちが財政困難の時も大会の慈善団体である白血病協会には1500万ドルの潤いがありました。成功の鍵となったのは諦めなかったことです。でも、それは容易なことではありませんでした。私たちは資金の貸し主と交渉して支払いを延期してもらい、その間に翌年のイベントに向けて売り込みを始めていました。そして、スポンサーのスズキ自動車から強力な後押しを受けて、翌年は素晴らしい結果になりました。全ての面で完璧であり、予想以上の出来でした。


—— 大会を成功に導いた時はランナー、観客、どちらの視点だったのでしょう。

ランナーです! その時の私たちは全てを視野に入れて動いていたと思います。私はマラソンランナーとして個人的な経験を味わっていました。私はかつて、少数の観客の中、6カ所の給水所に水があるだけというレースを走ったことがあります。その環境下では走る苦痛からランナーを解放することは不可能です。私たちの大会では、優れた音響によるライブバンドの演奏が沿道で行われ、ランナーは音楽を楽しみながら走ることができますし、チアリーダーも随所に待機して応援しています。全ての演出がランナーを激励して、マラソンレースの苦痛を取り除いてくれます。私たちはランナー本位の素晴らしいイベントを考えていたのですが、同時にそれが通常の20倍もの観客を引き寄せる結果にもなりました。


—— 白血病・リンパ腫協会のチームトレーニングでの関わり方は。

42_3.jpg彼らは私たちの大会における正式なチャリティー団体です。今朝も話していたのですが、今年の大きなニュースは、ロックンロール・マラソンが誕生した1998年から今年6月6日のレースを通して、白血病・リンパ腫協会が1億ドルもの募金を集めたことです。これは記念すべき出来事であり、私たちは喜びに堪えません。これだけの金額を集めるのは並大抵の努力ではなかった。詳しく説明すると、募金は私たちが集めた訳ではなく、協会にその機会を与えるべく、レースのスペースを確保し、彼らを公式の慈善団体として推進したのです。募金に協力した人々は協会側が組織するチームと共に訓練に参加できて、協会側から飛行機のチケットやホテルルームも提供されます。また、私たちの出場資格応募を締め切って、白血病協会を通してのみ受け付ける方法も取りました。ここ数回のイベントには、協会の医師の研究によって完治した子供たちや治療に当たった医師も参加しています。大会を通して集められた資金により、さらなる人々を大会の参加へと導く̶̶という一つの流れが形成されているのです。


—— そこから得られる感慨は格別でしょうね。

格別です。私たちが白血病・リンパ腫協会と共に活動する以前の1997年には、彼らの研究費用は全国規模で1200万ドルでした。私たちは1日でその金額を倍にしました。そう、全てを1日で̶̶。私たちは人々を惹き付けるイベントを運営し、彼らはその寄付金によって研究を続けます。協会については私たちの広告と参加申込書にインフォメーションが掲載されており、登録したランナーにはチームトレーニングへの参加を奨励します。多くのランナーはトレーニングやサポートを必要としており、参加した場合、彼らにはサンディエゴまでの無料チケットとホテルルームを含むパッケージが贈られます。これは大会開催に伴う特典ですが、私はこれほど多くの人々に強い影響を与えるとは考えてもいませんでした。


——マラソンに適した季節はあるのですか。

かつては春と秋でしたが、今日ではマラソンのシーズンは季節を問いません。例えば、私たちのイベントはアリゾナでは1月の第1週目、カントリー・ミュージックは4月末に予定され、スズキ・ロックンロール・マラソンは6月の第1週目、バージニアビーチではレイバー・デー (9月の第1月曜日) に開催されます。会場となる都市はこの大会による集客効果を望んでおり、ホテル、レストラン、小売業のグループも大会に集う人々の消費活動を楽しみにしています。全てが経済効果への期待です。


——サンディエゴでは毎年どのような影響がありますか。

この大会は観光事業として4500万ドル近くの収益をサンディエゴにもたらしています。参加者2万人のうち1万5千人は郊外からで、平均3.4人のグループで訪れます。そのため市当局を含めて、ホテル、レストラン、コンベンションセンター、観光案内所、商工会議所などがロックンロール・マラソンを歓迎しています。現在、大会参加者を2万人に制限していますが、毎年完売しています。興味深いのは、私たちがこのような大規模なイベントを地元以外で開催する唯一の団体であるということ̶̶。これは驚きに値するはず。ほとんどのメジャーのマラソン大会はニューヨークやボストンなどで非営利団体によって運営されています。そんな背景から、私たちは市場拡大を有利に展開できるのです。更に放送業界にも手を広げて、大会のテレビ放映の70%を自らで製作しています。それが有利に働いて、各開催都市が望むプロモーションを実現することが可能です。


42_2.jpg
Rock and Roll is “King” in San Diego
—— 大会の音楽面について話して下さい。

私たちは当初から秀でたバンドを揃えています。フーティ・アンド・ザ・ブロウフィッシュ、シカゴ、グー・グー・ドールズ、クリス・アイザックなど、過去に数多くのミュージシャンが出演し、今年はライブが参加します。私たちは少なくとも1マイル毎に1バンドを配置します。マラソンコースに多額の資金を投入するという意味では、他団体の追随を許しません。質の高いバンド、ステージ、音響システムを揃えるのが私たちです。音響システムとステージ設置だけで14万ドルを費やしています。バンドに関しては、現在までに40もの音楽グループが登場しましたが、現在は年間で500組以上のバンドから演奏の申し込みを受けるまでになりました。以前はバンドを集めるのに苦労しましたが、あるバンドがTVで演奏中に人々の目に止まり、レコード契約を交したという経緯もあって、今では誰もがロックンロール・マラソンで演奏したがるのです。


—— 会長はどのような音楽が好きですか。

私はビートルズなど若い頃に聞いていた音楽が今でも好きです。それだけでなく、ロック、カントリー、ニューミュージックなど多岐に渡るジャンルの音楽も好んで聴きますね。全てのバンド名を知り尽くしている訳ではありませんが、私が気に入っている曲は沢山あります。大会で演奏するバンドに関しては、ロック、'80s、アフリカン、レゲエ、テクノ、ファンク、スパニッシュ・コンテンポラリー、ヒップ=ホップ・ファンク、カントリー、ラップなど全ジャンルの音楽をカバーしています。現在、ナッシュビルではカントリー・ミュージックだけのマラソン大会も開催しています。


—— 過去のイベントを通して特別な経験はありましたか。

数多くあります。良き思い出も、悪しき記憶も。中でも、印象に残っているのは最初の年、会場で伝説のバスケットボール選手ウィルト・チェンバレンとビル・ウォルトンの姿を見つけたことです。7フィートもの長身の2人がレースについて論じ合っていました。


——今年の大会は6月6日ですが、会長はどこにいますか。

レースを先導する車に乗っています。多くの人の目にはパレードをしているように映りますが、実はレース中に問題が発生していないか、細かくチェックしているのです。実際、過去に何度か事故の可能性を秘めた問題点を発見しています。これは重要な作業です。


—— 今年のレース終了後、2005年大会への準備を開始する時期は。

42_4.jpg当然、レース終了の翌日からです。事実、2005年に向けては数カ月前から活動を始めています。その理由は来年の大会には特別な趣向があるからです。大会が幕を閉じた直後から、私たちは「素晴らしいレースに感謝しています。この点を改善するなら更に良くなるでしょう」というEメールを多数受け取ります。ロックンロール・マラソンを体験した人々の意見は傾聴に値する内容が多く、それが主催者の私たちが気に留めていない問題であったり、重要だと思っていた事柄についても参加者が歯牙にもかけていなかったりするのです。


ティム・マーフィー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

エリート・レーシング会長/創設者。スズキ・ロックンロール・マラソン、テネシー州ナッシュビルのカントリー・ミュージック・マラソン、バージニアビーチ のロックン・ロール・ハーフ・マラソン、P・F・チャンのロックンロール・アリゾナ・マラソン&ハーフ・マラソンを主宰。コロラド州デンバーで生まれ育 ち、ネブラスカでの高校時代にトラック競技に参加。職業である医療器具販売で全米を回り、70年代後半に引退を前にしてサンディエゴへ移住。当地でエリー ト・レーシング設立。彼のテーマである音楽をミックスしたマラソン大会を展開する以前はシカゴ・マラソンなど多くのレース運営に助力。現在デルマー在住。 スズキ・ロックンロール・マラソンほか、エリート・レーシングによる大会の詳細は http://www.rnrmarathon.com まで。


(2004年6月1日号に掲載)

{sidebar id=46}