2024年 02月 28日

ゆうゆうインタビュー ランドール・C・フィリップス

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日本と深く関わるようになった経緯を聞かせて下さい。

父親から受け継いでいる日本を愛する気持ちが引き金となっているのでしょう。面白い話なのですが、私の父は1932年頃に満州から日本へ向かう航海中に伊瀬芳吉氏 (元ダイハツ工業社長) と出会いました。父はハリウッド・ボウル近くにあるハリウッド・ファースト・メソジスト教会の牧師を務めていて、金銭的な余裕がある時に教区メンバーを連れてアジア各国を訪ねていました。その頃、中国、フィリピン、満州そして日本を訪問する予定があり、日本へ到着したら、士族の子として生まれながら中学生の時にキリスト教徒に改宗したという賀川豊彦氏に会うことになっていたのです。著作や講演などを通じて多方面で幅広く活躍を続け、近代日本の社会運動の先駆者とも呼ばれていた賀川氏は、当時、神戸市のスラムで救貧活動を行い、父は彼に会うことを熱望していたのです。日本ではキリスト教が浸透しておらず、国民の大半が神道か仏教を信奉していましたので、賀川氏は一際目立った存在となっていました。父は英語を独学で身に付けていた伊瀬氏と船上で談話を始め、自分が賀川氏に会いに行く旨を伝えたところ、「私は仏教徒だが、賀川氏については以前から興味を持っていた。是非、私も彼に会ってみたい」 と言い出したそうです。これが伊瀬氏と父、そして私達との親交の始まりでした。


——航海での偶然の出会いが契機となり、ご家族も日本を愛するようになった訳ですか。

そうですね。伊瀬氏はとても聡明な方でした。彼は大阪大学卒業後に技術者となり、日本の自動車産業界でホンダやトヨタと肩を並べるダイハツ工業 (5年前にトヨタによる子会社化) の創設者の1人となりました。賀川氏を訪問した後も父と伊瀬氏の親交は続き、彼が出張で渡米した際にはハリウッドの自宅まで訪ねて来てくれました。伊瀬氏はロータリー・クラブのメンバーでもあり、同クラブの会議で渡米した際にも私達の家まで足を延ばしてくれたのです。このような関係が続くうちに、私の家族の中で日本に対する興味が芽生え、この国の魅力的な文化をもっと知りたいと思う気持ちが強くなっていきました。大阪の伊瀬ファミリーとカリフォルニアの私達はお互いに行き来をしながら交流を続けていました。私も若い頃に何度か日本を訪れ、伊瀬氏の案内でダイハツ工場を見学をしたこともありました。その時、工場内の同じラインでトヨタ車が製造されているという不思議な光景を目にしました。彼は私を客人として迎え入れ、畳の客間に通されて一番風呂を与えてくれたことを今でも懐かしく思い出します。


—— 第2次世界大戦中は、どのようにして交友関係を維持していたのですか。

21_1.jpg どうすることも叶わず、戦時中は関係が途絶えてしまったのです。海外との接触は一切許されず、関係を持とうものなら自分に非難の矛先が向くのですから…。特に、伊瀬氏は日本軍の車や交通機関の発展に関する仕事に携わっていた立場上、当然、彼と連絡を取ることなど無理な話でした。後に終戦を迎えましたが、父はメソジスト教会の司教に選出され、コロラド州デンバーで暮らすようになりました。私はハーバード大学の学生でしたが、パナマ運河へ1年ほど徴集された後に終戦を迎えました。伊瀬氏はハリウッドの旧住所宛に手紙を送っていたのですが、私達は既にその場を去っていたので日本の彼の元へ返送されていたのですね。しかし、機知に富んでいる伊瀬氏は新たな手段を考えたのです。父はロサンゼルスでは幾分名の知れた人物でしたので、彼がロサンゼルス・タイムズ紙に手紙を出して父の消息を尋ねたところ、何と、返事が返ってきたという! 父がデンバーへ移転したことを知らされ、新住所を入手して改めてデンバーへ手紙を出したということですが、司教は4年毎に居住地を変えながら各地域における教会の普及活動が円滑に行われているかを確かめる義務があり、その頃は既に新たな任務地であるインドへ移動してしまっていたのです! ところが、手紙を受け取った秘書がすぐさま電報を打ち、その報せは父の元へ飛び込んで来ました。その後、直ちにインドから日本へ向かい、横浜港で涙ながらの再会を果たして私達の交友関係が復活しました。


—— 伊瀬ファミリーとの親交は現在でも続いているのですか。

奥様は健在ですが、伊瀬氏は昨年95歳の天寿を全うされました。彼は92歳の時にサンディエゴを訪れ、私が名誉副学長を務めるアライアント国際大学 (旧名=アメリカ国際大学) で、教育を通して国際間の理解と世界の平和を願う目的で創られた「フィリップス-伊瀬・国際友好庭園」 の献堂式に出席して下さいました。その庭園は、伊瀬氏から多額の寄付を頂いたウォルター図書館のすぐ裏に造園されました。私達は現在でも伊瀬ファミリーと親交を保ち、先日は日本から娘さん夫婦が庭園を訪問してくれました。学長と私と一緒に記念碑まで向かったところで、娘さんが何かをしようとしていることに気付きました。彼女が記念碑の台座に近づいてカバンの中から封筒を取り出したと思いきや、日本から持参した伊瀬氏の遺灰を丁寧に地面へ擦りつけていました。


——在サンディエゴ日本国名誉総領事に就任した経緯は。

21_5.jpgバンク・オブ・アメリカに勤務しながら名誉総領事を務めていたジェームズ・ウィスラーという方がいたのですが、彼は過分の負担を感じるようになり退任を希望していました。彼は私の知らないところで、在ロサンゼルス総領事館に私を次期名誉総領事にと推薦していたのです。ある日、外務省と総領事館から 「会って昼食を共にしたい」 という連絡が入りました。昼食にはウィスラー氏も同席していて、突然 「日本国名誉総領事に就任してみませんか?」 と打診してきたのです。私はただ呆然とするだけで、「日本は愛していますが、名誉総領事とは一体何ですか?」 と聞き返してしまったのです。名誉総領事について何も知らない私が伊瀬氏との交友関係について話そうとすると、「伊瀬氏の件については既に知っています」と切り返されました。もう、私についての下調べは済んでいて、彼らは名誉総領事の役割と過程について語り始めたのです。名誉総領事に就任するには、日本政府への報告に加えて米国国務省からの認証も受けなくてはいけません。その翌年の1995年に5年間の任期ということで私は名誉総領事に就任しましたが、2000年に再指名を頂いて更に5年の任期延長となりました。現在、28カ所の在米日本国領事館において名誉総領事は約 20名を数えます。人口100万人を超える地域では、通常の総領事に加えて名誉総領事の存在が大きな役割を果たしているのです。私は在ロサンゼルス総領事館に属しており、書類や査証の手続きの他にも公務に制限されずに各分野で様々な活動を行っています。私の人生で最高の時と言える瞬間が二度ありました。天皇、皇后両陛下にお会いできたこと、そして勲四等旭日小紋章を頂いたことです。これは実に名誉なことです。


—— サンディエゴでは多くの団体・組織に関与されていますが、その活動内容は。

声が掛かれば、そこへ出向いて出来る限りのことをしています。私はサンディエゴ財団法人・今日庵 (裏千家) の会員で役員も務めていることから、会議に出席して家元にお目にかかることもあります。各分野に渡る活動で多忙を極めているという理由から、先日、サンディエゴ-横浜姉妹都市協会会長を辞任しましたが、この素晴らしい団体の活動を今でも外から見守っています。現在はバルボアパークの日本友好庭園理事長を務めていて、数年前には貿易使節団としてサンディエゴ・ティファナ日本協会会長であるマイク井上氏と共に日本を訪問しました。また、昨年からサンディエゴ大学で開催されている京都賞受賞者シンポジウムにも出席しています。本日も、これからみなと学園の卒業式に出席する予定になっています。ここサンディエゴには仏教会、サンディエゴ日系歴史協会、日系米人市民協会、日系人キリスト協会などの優れた団体・組織が揃っているので、可能な限り自分も参加していくつもりです。


—— 住み慣れたロサンゼルスを離れてサンディエゴへ来た理由は。

父と同じように長年に渡り、ロサンゼルスにあるウィルシャー・ユナイテッド・メソジスト教会の牧師を務めていましたが、19年が過ぎた時に妻を亡くし、この出来事がサンディエゴへ移る決心を私にさせました。その頃、アメリカ国際大学の学長に就いていた旧来の友人から 「南カリフォルニア大学とハーバード大学を卒業している君だから言うが、ここで副学長をやってみる気はないか?」 と誘われ、私は同意したのです。


—— 個人的に関心を抱いていることは。

宗教哲学への傾倒と興味は父から譲り受けた特徴の一つですね。それは私自身の基盤であり、私が掲げる教職論でもあるのです。法律学校からハーバード大学へ、そして第2次世界大戦を迎えたことで宗教哲学への視点が変わり、自分は大きく覚醒されました。私は 『世界の宗教』 の著者である偉大なヒューストン・スミスの大ファンなのです。以前、南カリフォルニア大学の哲学研究会の役員を務めていましたが、私もスミス氏のように大学の代表としてスピーチを行ったこともありました。


—— ご自身の経歴を顧みて最後に伝えたいこと。そして、未来に託す希望とは。

こんなにも沢山の感動を体験し、充実した人生が与えられるとは想像もしていませんでした。私という一介の人間が、政治面と対極にある文化・芸術面から日本を愛していたことを皆さんに分かって欲しいと思います。総領事職が何であるのかさえ知らなかった私ですが、今では責任を感じてこの任務に携わっています。そして、大学の副学長という役目を終了した今、自分がしたい事に集中できる時間が持てるようになりました。昔から心に思い描きつつ、今でも情熱を燃やしているのは国境を越えて未来に続く友好関係を築き上げるということです。困難な時代に生きている私達は、世界が徐々に縮小化される中で多くの紛争が勃発している現実に直面していますが、これは逆に、国と国とがより近くなっている現象とも言えるのです。それを実現するには、年齢や人種の壁を越えて本当の 「友達」 になる努力が必要でしょう。音楽の趣味が異なっていても、互いを理解し合い、私達人間は同胞 (はらから) として一つにならなくては…。両手を広げて心から相手を受け入れる ̶̶̶ これが明るい未来と確かな愛への道標なのです。


ランドール・C・フィリップス ・

在サンディエゴ日本国名誉総領事、アライアント国際大学名誉副学長。ハリウッドで育ち、南カリフォルニア大学にて学士号、ハーバード大学にて経営学修士号 を取得。その後、南カリフォルニア大学にて神学修士号・博士号を取得し同大学の教壇に立つ。ロサンゼルスで長年に渡りメソジスト教会の牧師に従事した後、 アメリカ国際大学副学長としてサンディエゴへ移る。国際交流団体 「ピープル・トゥ・ピープル・インターナショナル」 サンディエゴ支部長を務めて代表メンバーをアフリカ、中国、日本へ派遣する。1995年名誉総領事就任を始めとし、メーソン、ロータリー・クラブ、財団法 人・裏千家今日庵、サンディエゴ-横浜姉妹都市協会会長、サンディエゴ国際関係委員会役員、日本友好庭園会長、サンディエゴ・ティファナ日本協会名誉理 事、フルブライト協会永久会員と多岐に渡り活躍。また、サンディエゴ・ティファナ日本協会より2003年度ライシャワー国際教育賞を受賞予定。3人の娘と 5人の孫に恵まれ、現在はSD市内スクリプスランチ地区に暮らす。
(2003年7月1日号に掲載)
 
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