2024年 02月 27日

ゆうゆうインタビュー 鈴木尚

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現在研究されている内容について教えて下さい。

私たちの研究グループはハワイ島マウナケア山頂標高4200mにある、世界最大のKeck 望遠鏡と、隣接する日本のすばる望遠鏡を使って100億光年彼方にある宇宙創成1秒後の痕跡を探っています。現代物理学は、宇宙創成137億年の歴史を観測的事実に基づいて宇宙誕生1秒後まで遡ることを可能にしています。宇宙の始まりはどうなっていたかというと、誕生から1秒後、莫大なエネルギーが光と物質に分かれました。反物質と物質に僅かながら非対称が生じて私達を構成する物質だけが生き残り、宇宙誕生3分後までに軽元素 (水素95%、ヘリウム5%、僅かに他の元素) が生まれたと考えられています。私達はこの軽元素を正確に測り、どうして非対称が生じたのか、そこにある未知の物理は何か、さらに1秒後よりも前の世界はどうなっていたのかなどを理解しようとしています。


——地球や太陽、そして私たちはどのように誕生したのですか。

17世紀の錬金術士が失敗したように、元素の組み合せは変えられても、元素は地上では変えることができません。銅から金は絶対にできません。では、宇宙の始まりには2種類しか元素がなかったのに、どうしてこの地球上には100種類以上の元素が沢山あるのでしょう? 宇宙の歴史の中で、生きとし生けるもの、森羅万象すべては、星々の生死の繰り返しによって作られたのです。私たちの体を有機的に結びつける 「炭素」 は星が輝き燃焼する時に作られた元素であり、私達が呼吸している 「酸素」 は大きな星の中で作られた元素です。「鉄」 は最も安定した元素ですが、これは連星が爆発した時に放たれています。鉄より重い数々の元素は大きな星が爆発 (超新星爆発) する瞬間にできたと考えられています。私たち人間や動物、植物、微生物、生命体の全て、空気や水、岩石や大地も、数十億年前には星として輝き、生死を繰り返していたのです。星からできた様々な元素が混ざり合って46億年前にようやく太陽や地球が誕生したのです。


——宇宙に興味を抱いたのはいつ頃ですか。

小学生の頃です。私は東京の浅草出身で、星などよく見えない環境で育ちました。 都会の中にあっても、近くの公園で昆虫をつかまえて、アゲハ蝶、トンボ、カマキリ、鈴虫などを卵から成虫、そしてまた卵から育てたりしていました。そんなある時、金星 木星、土星が朝焼けの空に一列に並んでとても美しく輝いていたのです。それは20年に一度だけ見られる光景です。1年で生死を繰り返す昆虫の儚はかない生命と、数十億年の悠久の時の流れの中を巡る星々が同じ宇宙の中で生きている事実に気がついた時、この世界に魅了され、その始まりを知りたいと強く思いました。

ところが、その思いも高校入学を境に徐々に消えていきました。私は日本の教育制度に矛盾を感じていました。事実無根の罪で私を殴る先生もいましたし、その先生の進学指導で自分のやりたいことを聞く前に、「君は成績が良いのだから、この大学に行きなさい」と言うだけでした。「このバカヤロー44444の言う事だけは絶対に聞かない」 と思った私は、人生や社会を斜に構えて見るようになってしまいました。先生と対立し、吐血をするまでに体を壊したことをきっかけに高校を退学し、働き始めました。

その頃、松下政経塾 (故・松下幸之助氏が創設した国家的指導者の養成機関) の塾生だった義兄から 「同期が地方議会選挙に出馬するから手伝ってみないか?」 と誘われ、その事務所で働くことになりました。そこで現衆議院議員の野田佳彦、山井和則、 高市早苗の3氏の生き方を目の当たりにして、自分の中で変化が生じたのです。それまでは「政治家なんて悪い奴らばかり、…」 と、強い不信感を抱いて無関心のままでいたのですが、彼らは違いました。当時の3氏は大学を卒業したばかりの無名の“ただの人”でしたが、志を高く掲げてそれを実現しようと戦っている人達だったのです。 「金権体質の打破」 「下水道の整備」 「高齢者が住みやすい日本にするには」 と真剣に人々の置かれている実状を憂慮し、より良い世界を築きたいと純粋に願っている “志士”達でした。高校中退の不良少年だった私を仲間に入れて深夜まで語り合い、 ビラを作り、早朝4時に起床して街頭で道ゆく人々に政策を訴え、市内を縦横無尽に走り回って辻説法にビラ配り̶̶̶。寝食を共にして、24時間一緒に過ごした日々を振り返っても、彼らには裏も表もありませんでした。道端で倒れ、病院に担ぎ込まれても、また次の日から街頭に立ち、雨の日も風の日も、そして雪の日も肩に雪が積もっても傘もささずに熱く政策を訴える姿を見て、「この世の中には、ホンモノの真っ直ぐな人間がいる、自分もそういう真っ直ぐな人間になりたい」 と目が覚めました。彼らから「夢の実現には王道が無い、近道が無い」 ということを教えてもらったような気がします。そして、「宇宙の秘密を知りたい」 という自分の夢を実現させるべく、再び高校に通い始めました。


—— 渡米の機縁となったのは。

18_1.gif1987年にロサンゼルスで開催された国際数学オリンピック (The International Mathematical Olympiad) の前哨戦に参加したのが発端ですね。当時、日本は正式参加国ではありませんでしたが、国際交流とトレーニングの目的で参加者を募っていまし た。その新聞広告を姉が見つけてきたので、数学が得意だった私は挑戦しようと思いました。各高校の推薦者の中から試験と面接を経て約10名が選抜されました。アメリカで世界各国の学生と友達になりながら、数学には国境が存在せず、地球上の人々と平等に勝負ができ、性別も関係なく、言葉も障壁にならないという事実に気付きました。前哨戦を対象とした各賞も設けられて、私は銀メダルを獲得したのです。その時、幾何学を教えていた大学教授が、「よくやった。これからもその洞察力を大切にして、また必ずアメリカに戻ってきなさい」 と日本に手紙を書いて下さいました。他の先生も後に推薦状を書いてくれたり応援してくれて、今でも交流が続いています。

その後、大学へ進学してUCLAの交換留学制度に応募しました。当時、カリフォルニア大学はハワイのマウナケア山に世界最大の Keck 望遠鏡を建設中で、私はとても興味がありました。しかし、UCLAでの研究生活は実習と先生のお手伝い程度のもので、本格的に宇宙研究を始めたのは帰国後、東大大学院に入学してからでしたね。大学院では現在の研究にも繋がっている 「すばる望遠鏡」 のプロジェクトに参加しました。


——夢に向かって、順調な大学院生活を送っていたのですね。

そのはずだったのですが… 実は、大学院生活も1年が過ぎようとした頃、思いがけない事態に見舞われました。家族の誰も知らないところで、父親が株式投資に手を染めて莫大な損失を出していたのです。当時、姉は夫の仕事の関係でニューヨークに在住していたのですが、寝たきりになっている夫の祖母、乳がんと闘う義母、脳腫瘍で余命3か月と宣告された義父の世話をするために、日本とアメリカを往復する多忙な日々を送っていました。さらに兄がC型肝炎を患って入退院を繰り返し、転職を余儀 なくされ、母は自動車事故を起こしたり大火傷を負ったりした中で、当事者の父親は状況を掌握できずに精神錯乱の状態に陥った状態だったので、冷静に状況を処理できるのは自分しかいないと覚悟を決めて、私一人で数字を集め、証券会社や銀行との交渉や資産の売却、裁判に関する手続きなど全てを行いました。我が家の資産の倍以上、 数億円の損失があったので、正直なところ「もうダメだ」と思いましたね。研究を続けている場合ではなくなり、学校を辞めるつもりで必死で就職活動を行った結果、1週間で4社から内定をもらいました。

そんな状況でも、当時の指導教官は 「時間が掛かってもいいから、戻ってきてください」 と私を励ましてくれました。それでも、身に覚えのない罵詈雑言に耐えきれず、 退学の決心がついたある夜、桜の散る隅田川を歩いていると涙が溢れてきました。でも、どんなに泣いても涙は数粒しか流れません。「一晩中泣いた」 なんていうのは嘘です。 一粒の涙は 0.2 cc、涙腺に蓄えられる涙は、1cc 前後ですから、涙腺にはそんな涙の量は貯められないのです。どんなに辛くても悲しくても高々数分間の現象なんですね。そう気が付くと、少し気持ちが楽になりました。
そんな私に転機を与えてくれたのは、奇しくも定年退職を控えた証券会社の役員の方の言葉でした。「銀行マン、証券マン、プログラマー、どんな営業でも、どんな仕事でも君ならきっとできるでしょう。でも、他の人にはできない、君にならできる、 君にしかできない仕事がサイエンスの世界できっとあるはずです。そして、それは人類の財産になっていくことでしょう。今回の件で、君はお金は必ずしも幸せを運んでこないことに気付いたでしょう。人々は欲望に弱く、そして脆いのです。その世界の追求は君の仕事ではないと思います」 と言って下さいました。

私の両親は昭和一桁生まれで、戦後の食べるものも無い廃虚から復興を経験してきた人々です。それにも拘らず、日常の平穏の価値を忘れ、欲望に惑わされ、借金をしてまでも株式投資に走った父親の姿を私は理解できずにいましたが、人間の脆さを知りました。そんな状況にあっても、徹夜で私の計算や文書作成を手伝ってくれたり、私を励まして応援してくれる佳き友人達がいました。「疾風に勁草を知る」 の言葉通りです。 そして、私の夢はもはや自分だけのものではないことに気が付きました。「間に合う、間に合わぬは問題ではない、信じてくれる人がいる限り走らなくてはならない」 と、 勇気が湧いてきました。


—— サンディエゴが研究の拠点となった理由は。

18.gif大学院2年目の10月にやっと復学できたのですが、その前後、現在のボスであり、 一緒に宇宙の研究を続けているタイトラー教授と出会いました。彼は国際学会で京都に来ていたのですが、その翌年、客員教授としてUCSDから東京三鷹にある国立天文台に半年間滞在しており、共同で研究を始める機会を得ました。ある日、700ページにわたる資料を裁判所に提出してきた時、私の事情を知ったタイトラー教授が言いました。「本当のモノの価値はゼロから始めてみないと分からないんだよ。君がモノの真価に気がつくのはこれからなんだよ」 。衣食住、人間関係、健康 … 実際その通りだったと思います。研究の面でも、あるアイディアを日本の教授に持ち掛けたら 「それがどうして面白いのか分からない」 と一蹴されてしまいました。ところが、同じアイディアをタイトラー教授に話してみると、「それはとても面白い! その企画を早速 NASAに提出してみよう」 と後押しをしてくれて、企画書を作成して送ったところ予算を獲得することができました。さらに、彼は私をUCSDにリクルートして下さり、1999年の夏にサンディエゴへ渡ってきました。


—— 研究者の道を選んでいなかったら、どんな人生を送っていたと思いますか。

花火師になっていたでしょう! 子供の頃から毎年隅田川の花火大会を見てきました。 その影響でしょうか、打ち上げ花火が大好きなんです。大学院の入試に落ちていたら花火師になろうと本気で思っていた程なんですよ。実は、現在研究している宇宙と花火には深い繋がりがあるのです。例えば、花火で赤い色を出すにはストロンチウム、緑色ならバリウム、青い色ならば銅を燃やすなど、色と物質には1対1の対応が存在するのです。私たちが宇宙の100億光年の彼方にある物質が存在すると断定できる理由は色を見ているからです。つまり、花火と同じ原理で宇宙に存在している物質を測っている訳です。花火と星… 私は光るものが好きみたいですね (笑)。そういえば、蛍も大好きで、卵を生ませて幼虫から成虫まで育てたことがあるんです。蛍の幼虫や卵も光るんですよ。あれは驚きですね。


—— ご自身の夢、そして宇宙の未来について教えて下さい。

昨年、宇宙からのニュートリノ (中性子の崩壊時に放出される素粒子の一つ) の観測に成功した小柴昌俊・東大名誉教授がノーベル物理学賞を受賞しましたが、宇宙には他にも未知の粒子が存在すると考えられています。暗黒物質と呼ばれ、我々を構成する通常の物質の約10倍も質量があることは分かっているのですが、まだ見つけられていません。この得体のしれない物質の正体を知りたいですね。それと、暗黒エネルギー (宇宙の膨張を加速させている不思議なエネルギー) の正体も突き止めたいと思っています。 これらを理解するには、全く新しい未知の物理学の構築が必要です。

また、15~30年後に建設される予定の次世代超大型望遠鏡で、太陽系以外の惑星の姿が明らかになる日が来ることを楽しみにしています。この望遠鏡が完成すれば、惑星の環境を調べて地球外生命の存在を確認できる時が必ず訪れると信じています。

実は、一昨年9月11日の朝、観測のためにサンディエゴからサンノゼへ向かう飛行機に搭乗する直前にあのテロ事件が起きました。人類にとっては大惨事でしたが、宇宙の動きには全く関係が無く、いつもと同じように地球は回り、星々は輝いていたのです。とても複雑な思いに囚われたのと同時に、人生観を変える長い1日となりました。
今年はペリー提督の日本来航150周年を迎えます。世界に目を向けた幕末の志士、勝海舟や坂本龍馬は国内の争いを憂い、新しい国家の建設に動き出しました。人々が宇宙に目を向けた時、地上の争いを憂い、新しい世界の建設に人々が前進する時が必ず来ると信じています。正確な数字を計算するのではなく、その叡知を駆使しながら、 一歩先の文明を目指すことが私たちの真の使命だと考えています。

私の夢は、50年後の人類が国境を越えて、欧米諸国、アジア、アラブ、そして争いの渦中にあるイラクやパレスチナの人々と知恵や力を出し合い、生命や宇宙の謎に取り組み、地球以外の星に生命を発見することです。500年後の人類が知的生命をこの銀河系の中に見つけ、そして5,000年後の人類がこの地球上にある青い海と緑に満ちた美しい丘の上で彼らと語り、歴史や生命についてお互いを理解し合い、宇宙創成の謎に一緒に取り組むことができたらと願います。数千年後の人類が、私たちが今日出している数字や考えが正しいのかどうか、地球外知的生命体とその 「答え合わせ」 をする日が来ることを楽しみにしています。何処かに存在している地球外生命体も、数字や表現は異なるでしょうが、間違いなく同じ答えを見つけているはずなのです。何故なら、彼らも私たちも同じ一つの宇宙に生きているのですから…。



鈴木 尚 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

UCSD宇宙物理学、宇宙科学研究員。東京都 生まれ。1995年 UCLA宇宙物理学理学科・応用数学科卒業。1996年1月~3月に米国連邦議会にてインターンを経験し、1998年東京大学大学院で天文学修士号を取 得。1999年8月にサンディエゴへ渡り、宇宙創成直後の研究に従事する。趣味はトライアスロン、マラソン、サーフィン、ジャズピアノ。コロナド在住。



(2003年5月16日号に掲載)