ゆうゆうインタビュー 大渡浩平

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造園業、不動産業、シーカヤックツアー会社設立…。職業歴から活動的な人生が伝わってきますが、少年時代から行動力に溢れていた…。

兵庫県の田舎の兼業農家に3人兄弟の末っ子として生まれましてね、周りは手付かずの荒削りな自然だけというド田舎でしたから、遊びというと自然と戯れることしかなかったんです。山川草木の中を走り回っていると、とても幸せな気分になり、子供心に「これが最も自分に合っている生き方なのかな」と感じていました。自然から人間の本来あるべき姿というか、何かを学んでいたと思います。高校時代はアマチュア無線に没頭し、拙い英語で世界中の人と交信しているうちに、漠然と「海外に出たい」と思うようになっていました。特に、熱帯作物とか熱帯果樹にも興味があったので、アルゼンチン、コスタリカなどの国をぼんやりと思い浮かべていました。それは、世界の雄大な自然の中に我が身を置いてみたいという願望だったと思います。


——アメリカを選んだ理由は。

ええ。私の尊敬する造園家の先駆者に NY のセントラル・パークを造ったフレデリック・ロウ・オルムステッドがいます。彼は19世紀半ばにランドスケープ・アーキテクト (造園家) という職業を確立した人物で、「自然と共生していない産業社会に人間生活は成立しない」と近代アメリカに警鐘を鳴らしたんですね。私は「造園家は自然と人間に精通したエキスパートであれ」というオルムステッドの言葉がとても好きで、造園家は憧れの職業でした。アメリカですぐに働ける職業としても造園が最良の選択肢の一つだと思いました。アメリカは家も庭も大きい。造園への需要は絶対に高いという確信もありました。研修を終えて帰国し、大学卒業後に、皇室の別荘などからの受注も多く、伝統的な日本庭園を手掛ける造園会社で2年間働きました。この会社で世界の造園の中で一番難しいと言われる日本の造園術を十二分に習わせてもらったことは、自分の後の人生に大きなプラスとなりました。その会社を2年で辞めて結婚し、そして再渡米。3年前にお世話になった農場の人達が再会を喜んでくれて、以前に住んでいた農園付きの広い家を幸運にも$200で貸してくれることになり、アメリカ生活が始まったわけです。


—— 造園家としてのアメリカ生活は如何でしたか。様々な職業にもチャレンジされていますが…。

8 1当時は20代後半。若いから怖いもの無しだったんでしょうね。その道の事情も全く分からないのに、いきなり Penny Saver に広告を出して仕事の注文を取ろうと…。最初から誰の助けも借りず、何から何まで全部自分で行う…この理念を貫いて今日まで生きてきていますが、やがてこれが血となり肉となり、苦境に屈しない精神力が培われたと思います。

造園業も5年目を迎えて、漸くビジネスとしても軌道に乗ってきた頃、不動産業にも関心が芽生え始めていました。これには、ランドスケープと調和した最高の生活空間を皆さんにお世話したいという思いと、当時は空前の住宅ブームでビジネス性が高いという現実的側面もありました。でも、不動産の免許を取って看板を掲げたものの、予想に反して仕事が来ない。最初の2年間は年収が僅か$2,500という悲惨な状態で、食うや食わずの生活。ご飯にキャベツの醤油炒めという食生活が毎日続きました。3年目からは徐々に収入が増えて、さあこれからと思っていた矢先、'91年2月に生死をさまよう交通事故に遭って不動産の廃業を余儀なくされてしまいました。

その後、'84年に趣味で始めたハングライダーが高じて取得したヘリコプターのライセンスを生かし、飛行船のパイロットを '91年から2年程続けました。次には、これも趣味としてバハカリフォルニアをカヤックで周遊していた経験から、バハやカナダ、グリーンランドなどのカヤック冒険ツアーをカスタムメイドで行う会社を'94年に設立し、その上で自分の本業である造園業に戻りました。どちらの仕事も現在まで続いています。


——アメリカならではの自由さが趣味を実益化するのでしょうね。ビジネスの金科玉条は。

趣味を気兼ねなく追求できる開放的なアメリカの風土が心底性に合っているのでしょう。自分がアメリカという異国、異文化の中に20年近く生きてきて、違和感を一度も感じたことがないんですよ。好きなことだけに没頭できるというのは幸せな状況に違いありませんし、日本ではなかなか難しい。まあ、趣味の実益化と言うには程遠く、いつもピーピーです。(笑) 趣味には金がかかるのに、金儲けにはムキになれない男ですし、使う一方の厄介な亭主だなと我ながら思いますね。(笑) ただ、私は両親から叩き込まれた「正直」の2文字をモットーに生きていますから、造園にしても世に言う‘クッキーカッター’のような仕事は絶対にしない。手間暇かけて、その注文主の好みと自分の造園センスを十分に反映させて、双方が気に入るものを丁寧に造ります。ですから、年間の仕事量はタカが知れている。しかし、その姿勢の積み重ねが明日の信用に繋がると信じています。


—— シーカヤックツアーで記憶に残るエピソードを聞かせて下さい。

数え上げたら切りがないけれど、バハカリフォルニア沖合で突風に煽られ、仲間数人のカヤックが沈没した時にはもうダメかと思った。この時は運良く漁船に助けられて危うく一命を取り留めました。鯨に遭遇してカヤックをひっくり返されたことも̶̶̶。今となっては「鯨の背中に立つ」という世界でも稀な経験として話のネタにはなりますが…。 (笑) 自然と接する時は常に危険と隣り合わせ。それが自然の本質です。人生航路でも同じことが言えますね。何が起こるか分からない。でも、崖っ縁に立たされた時こそが好機到来だと思います。その分、冷静に状況を分析しながら、何かにチャレンジしようとする自分がそこにいるワケですから。


—— 造園業に寄せる今後の抱負は。

8 2これまで自分自身を頼みに独立独歩で進んできましたが、最近になって、一人の力では達成できる仕事に限界があると認識するようになりました。’97年に世界有数の権威あるインテリアデザイン誌 Architectural Digest で私の手掛けた造園が紹介されたり、KUSI-TV (Ch. 51/Cable 9) でインタビューを受けたり、各新聞雑誌で取り上げられるなど、造園家としての社会的信用も増してきたと思います。そこで今年9月、約 20人のスタッフを抱えて会社組織 (Water and Stone 社) にしました。勿論、この会社を軌道に乗せることが先決ですが、ある程度ビジネスが回転するようになったら、また世界に向けて冒険旅行に出かけますよ!! … そう、同じ場所に長い間じっとしていると、虫が疼いてどうしようもないんです。


大渡 浩平 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Water and Stone 社代表。1956年1月14日兵庫県神崎郡生まれ。1981年東京農業大学卒業。1982年渡米。渡米半年後に造園業開始。以後、不動産業、ヘリコプ ター・飛行船パイロット、シーカヤック・カスタムツアー会社設立など、多岐にわたる職業を経験。2002年9月より現会社を設立、代表就任。趣味はシーカ ヤック、ハイキング、写真、植物収集、飛行など。現在、ノースカウンティーのバリーセンターで美智子夫人と愛娘ルナさん (15歳) の3人暮らし。ウェブサイトは www.koheiowatari.com


(2002年12月1日号に掲載)
 
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