Sunday, 22 December 2024

頑固

一度決めたことは変えたくない性分だ。最近、その傾向に拍車がかかり、加齢とともに「ガンコじじい」路線をまっしぐらに 突き進みそうなので、何とかしなければならない。▽夕暮れ時のウォーキングを始めて15年。3.5マイル (約5キロ半) / 75分のルートを毎日歩く。仕事の都合で時間帯が午後8時以降にズレ込むと「 一緒に食事できない」と妻から苦情が出る。私「健康寿命を伸ばすための有酸素運動。サボリ癖が付くので1日も休めない」。妻「 嵐だろうが、雷雨だろうが、意地になって歩くのは頑固というより、もはや病気。XX通信社さんから頂いた紅白の傘を差して歩くのだけはヤメよう」。 ▽賞味期限切れの食品に敏感になり、冷蔵庫を覗 (のぞ) き込んで、飲み残しの牛乳パックに話しかける。 私「 お前もあと3日だな」。うっかりして消費する順番を間違えようものなら、ひどく後悔する。妻「食べても死なない。逞 (たくま) しく生きてほしい」。▽早起きになった。1日の始まりは、明け方に前庭に出て、 仁王立ちで新聞配達を待つこと。配達時刻が10 分以上遅れて、待ちぼうけを食わされると不愉快になるが、腕組みをしながら、暗闇の中でひたすら待ち続ける。妻「弁慶か? 薄気味悪い」。 
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私の父は頑固だった。自分の考えを決して曲げない人だった。故郷の会津から千葉に移り住み、商店街に店を 出した時の「みかじめ料」 (反社会的勢力に支払う場所代 ) にまつわる話は、今でも我が家の語りぐさになって いる。「郷に入っては郷に従え」と、他の商店街のオーナーたちも、母も、祖母も、兄も皆、口を揃えて「払った方がいい」と説得しているにもかからず、「道理に合わない」と言ってチンピラが取り立てにくる “ 用心棒代” を払わなかった。そのうち嫌がらせが始まると、父はひとり、幹部の家に乗り込んでいった。そして、 その日以来、チンピラはもう商店街に現れなくなった。その晩のことを語る人は誰もいないが、 19歳で学徒出陣してシベリア抑留を体験した「一度死んだ身」の父にとって、怖いものは何もなかったのだと思う。敗戦で価値観の転換を経験した人間の戸惑い。それを乗り越えた人間の覚悟。「世の中のこと、人間のことをよく知り、自分の頭で考え判断する人間になってほしい」。無口で頑固だった父親から、そんなバトンが手渡されたような気がしている。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 物を使ったら、必ず元の場所に戻す。汚したら、必ず綺麗にする。約束したら、その約束を必ず守る。お金の余裕がなかったら、買い物をしない。自分の意見を相手に必ず伝えること。自分のベストを尽くすこと。。。。。 こんな素晴らしい考えを持っている私なのに、なぜか "頑固頭" とよく言われている (笑)!? 夫によると、 私は "かなりキツイ性格" をしていて、相手が自分の考える通りに行動しないと気が済まないらしい。そう思っ ているのは夫だけかも (笑) ? まぁ、確かに「ジュースを持ってきてくれる?」と夫に頼んで、 持ってきてくれたのはいいけど、いつも使っているコップと違う、いつも飲む量より多い。。。 つい、ムっとした顔で文句を言ってしまう。なぜ  "Thank you!" と素直に言えないのだろう? きっと、それが私にとっての "ルール違反" だからだ! ちょっとした小さいことでもそこまで気にするし、気になる自分はどんどん疲れていく。周り (特に夫?) の人々も影響され、疲れるかもね。もう少し、この頑固さから解放されないとね。。。 できるかなぁー? (S.C.C.N.)
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yoko 子どものころ、母からよく「頑固な子」だとか「強情な子」だと言われていた。自分では、普段、人の意見に流されやすい性格だと思っているのだが、どうなんだろう。アメリカに2年間の約束で留学しに来て、 結局、居着いてしまったのは、やっぱり「頑固で強情」だからなのかな。もうすぐ4歳になる娘の性格がとても強い。2歳上の息子は、赤ちゃんのころからおっとりしていて、育てやすい子だったのだが、娘は生まれた瞬間からすごかった。「ギャー」っと大声で泣き、翌日、ナースが見回りに来て、検診のために抱き上げる度に、真っ赤になって怒って泣いていた。本当にいつも怒って泣いている赤ちゃんだった。しゃべれるようになり、自分の意思が伝えられるようになってましになったのだが、やはりちょっとしたことですぐに怒って、癇癪を起こす。口も達者だ。そして多分、娘と似た性格らしき夫とぶつかる (3歳女児と喧嘩しないでほしい)。ティーンエイジャーになったらどうなるのか、今から不安だ。 (YA)
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reiko-san 自分はいつも正しいと思っている人、明らかに自分が間違っていてもそれを絶対に認めない人。そんな困った頑固な人と接するたび、「あー疲れる、なんとかならないのか、この頑固な人」なんて、思ってしまうのだが、そんな自分にもけっこう頑固なところがあるということに気がつき始めている。私は自分はなかなか柔軟な考え方ができるタイプで、自分と異なる意見の人とも衝突せずに仲良くやれると思っていたのだが、よく考えてみると、そんなことはなかった。自分がどうしても受け入れらない意見を持つ人とはやんわりと距離を置き、自分の周りからその人の存在を消してしまっているのだ。その人が私の気に障るようなことを言ってきても、ハイハイと聞いておきながら、耳から筒抜けで心に留めないようにしているのだ。それってよく考えると、頑固の塊 (かたまり) のような気がする。自分が正しくて、この人が言ってることはおかしいと意固地になっている状態。衝突も起きないけど、理解もし合えない、中途半端な状態と言える。スムーズにいかない人間関係に悩む時、相手の頑固さを非難するより、自分の頑固さに目を向けるようにしたい。 (RN)
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suzuko-san 頑固親父、頑固爺さん・・。頑固と形容がつく世代は、どうやら年配になってかららしい。そう、年を取るにつれて、人間どんどん頑固になっていくものだ。若い時はカメレオンよろしく、いろいろな人に合わせられていたと思うのに、徐々にその柔 軟性を失い、己の意見を通したがる。もちろん私もご多分に漏れず、多かれ少なかれ、いや多かれ多かれ頑固である。まず 他人の意見を聞かない。人から助言をもらい、聞いているふりはするが、結果は自分の思いを通そうとする、恐ろしく強い自分がそこにいるのだ。いつからこういう性格になったのか。思えば、高校生あたりから、人と迎合したがらない自分がそこにいた。例えば、学校から皆でスキーを楽しむ旅行に参加せず、親を説得し、そのお金で東京にミュージカルを観に行ったり・・。以来、その頑固と言おうか、よく言えば個性と言おうか・・その性格に拍車がかかり、常に人と同じことをしたくない自分が出来上がってしまった。 結果、私は誰にも呼ばれていないのに、勝手に45歳でこの国に移住した。誰の意見も聞かない、 頑固な性格のおかげで、この国の住人になれたのだ。イケイケ、頑固!てなもんである。 (Belle)
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jinnno-san うちのお父さんは、典型的なソレですわ 笑。こうと決めたり、そうと感じたら、かたくなにその意思を貫き通す。幼い頃、ネコが苦手なお父さんの前に (というか家の中に! 笑) お母さんがネコを住まわせた時、離婚騒動に発展 (というか、苦手って言ってんの! ←どっちが頑固? 笑)。お父さんの弟たちは「兄貴はヘソを曲げたら、口をきかなくなる」(小学生? 笑) と言ってるって。そもそも、うちのお父さんは4人兄弟の長男で、名古屋の田舎の大将のように食べるものまで弟たちと違う (長男とその父はすき焼きの上等なお肉 vs. その他大勢は豆腐とネギ 笑) という、家の中では殿様のように育ったせい、らしい。うちではお母さん始め家族揃って “頑固オヤジ ” の太鼓判を押されている。そのお父さんが印象深く覚えていることがあって、 実はそれは、わたしにとってはウッシッシー 笑。かなり昔にサンディエゴに1日だけ遊びに来てくれた時のこと。カッコつけでオトコ前のわたしは、朝、昼、夜ごはんはもちろん、お父さんが持って帰るお土産すべて、サッと 出してあげた (コレ$$ね 笑) ことを、年始に会った時も涙を流しながら「 一生感謝しているよ」だってー! 笑。コレでわたしは、家族の中で一生優位な立場を確立したのであ—る 笑。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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我が家は8歳と6歳の娘たちと私と夫の4人家族だが、夫と次女が一番の頑固者だと思う。6歳の娘に関しては、自分の思い通りになるまで絶対にあきらめず、いつも私が根負けしてしまう。長女は年齢のせいもあるのか聞き分けがよく、 あきらめも早い。とはいえ、まだ8歳なので、我慢できずに感情が爆発する時もあるが、頑張っているのがよく分かる。 2人ともまだ子供なので、頑固な性格なのか、成長すれば変わるのかは分からないが、頑固な性格は悪いことではないと 思っているので、このまま逞 (たくま) しく、かつ周りの人々とも柔軟に合わせられる協調性のある人になってほしいと思っている。夫はといえば・・ これも頑固者だ。一応、何かあれば私の意見を求めるが、本人が期待していなかった答えを言うと、あーだこーだ言って、結局、自分の思い通りに持っていく。私も譲りたくないことは多々あるが、言い争いは嫌なので、適当に「そーだねー」なんて言いながら相手に合わせてしまう。若いうちは頑固なくらい強い方がいいと思うが、ある年齢になったら頑固もほどほどがいいのではないかと、年を取ってから思うようになった。 (SU)


(2018年5月16日号に掲載)