July 8, 2025

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幸運

 

▽私は勝負事が好きで、白黒をはっきりさせたいタイプ。ギャンブルに深入りしそうな性格だけど、自分では変えられぬ「ツキの周期」に挑戦する気はなく、射倖心に駆られることもない。パチンコは短時間で500発ほど増えて目減りが始まる。暫くすると盛り返し、500ラインを往来するパターンを何度も繰り返す。やがて、ピークへの到達時間が遅くなり、そのうち息が切れる。私の幸運リミットはせいぜい速攻500発/景品カセットテープ1本が妥当なところ。昔、友人とチームを組み、個人差のあるバイオリズムを利用して、共同作業で打ち止めに成功したことがある。私は先鋒で、憧れだった「食事中」 の札を台の前に立て、休憩時間を十分に取りながらツキの周期を調整し、3人がかりで達成!日本に帰省した折、東京で20数年ぶりに興じた。妻がやたらと強くてアッという間に1台制覇。学生時代は無敗に近かったとか・・お、恐るべし。▽〆切が迫る時期は無駄な時間を最大限に省略したいので、些細な “絶妙のタイミング” に出会うと幸運を感じてしまう。「スプリンクラーの散水範囲を微妙に外れて、濡れなかった朝刊」「芝生の刈り込み終了と同時に到着したゴミ収集車」「必要な日用品を買いに出かけたら、信号が全て青」「牛乳をこぼしてしまい、困っていたところへ隣の猫が現れた」。小さな幸運に感じる絶大なる有り難さ。(SS)
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▽モノの本によれば、運には2つの種類が存在するという。1つはギャンブルのような純粋確率に基づく運で、もう1つは出会いや人生のような非純粋確率に基づく運だ。ギャンブルで幸運を手に入れるためには、冷静さが必要とされる。ロンドン大のオンラインカジノに関する研究によると、幸運な人々は2回の大勝ち、または大損をした後に、適切なタイミングでその場を去るか、掛け金を減らして次のチャンスを静かに待つことが多い。一方で、不運な人々は賭け金を増やし続け、最終的には何も残らない状態に陥りやすいそうだ。▽人生のように非純粋確率の運に左右される場合、テンションを高め、意識的に積極的な行動を取ることで幸運に近づけるという。特に効果的なのは日常的に運動をすること。エクササイズを習慣化すると、精神状態が向上し、不安が解消される。これにより、前向きな態度やチャンスを試す回数が増えていき、幸運が連鎖するらしい。▽日本へ里帰りするたびに、今は亡き男やもめの父と格安ツアー旅行を楽しんだ。彼がポツリと漏らした「この観光バスに乗っている人たちはね、皆が幸せな人たち・・」という言葉は、今も私の心に響いている。青空の下を歩くこと、知らない土地を探索すること自体が、すでに幸運なのかもしれない。日々の生活の中で、生かされていることへの感謝の気持ちを忘れずにいたい。(NS)
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▽ガソリンスタンドで並ぶことが嫌いな私。混雑しそうな時間帯を避けるようにしているけれど、それでも数台並んでいるのは普通。たまに、全く並ぶことなく給油できた日は最高にラッキーな気分になれる。▽今飼っている猫のトラちゃんがHumane Societyで猛烈ラブコールを送ってくれたのは本当にラッキーだった。トラちゃんの積極的なアピールがなかったら、他の猫ちゃんをもらってきていたかもしれない。トラちゃん、私たちを選んでくれてありがとう。▽近所に出没する大柄な猫が、いつの間にか我が家にもちょくちょく顔を出すようになったのは数年前。最初はご飯だけをあげていたが、ある雨の降る寒い夜に、我が家の玄関先に濡れて座っている姿を見て、うちの子に迎え入れることにした。いつも優しい気持ちにさせてくれるこの子が、私たちを選んでくれて本当にラッキー。▽学生時代、交換留学制度を利用して初めてサンディエゴを訪れた私。留学を躊躇していた私の背中を半ば強引に押してくれたのは亡き母だった。留学中に出会った男性と数年にわたる遠距離恋愛の後、結婚。そしてサンディエゴに移住。何かと大変なこともあったけれど、今はとても幸せだ。自分のことを思ってくれる人が周りに数多くいる中で生きてこられたことは、幸運以外の何ものでもないとつくづく思う。(RN)
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suzuko-san
私はこれまでの自分の人生を振り返るに、かなりの幸運に恵まれてきたのではないかと思う。私の人生は誰が見ても破天荒でハチャメチャ。故に、これまでも何度か崖っぷちに立たされ、オットットという極限まで追い詰められても、どうにか崖から転げ落ちないで、しぶとく、この世で未だに命を頂けているのは、単衣 (ひとえ) に幸運としか言いようがない。例えば、観光ビザで米国に滞在していた私は、雇った弁護士に言われるままに、観光ビザから就労ビザを申請すべくティファナへ。それをティファナではできないことを知りもせず、当然却下。入国審査で残り2週間あった観光ビザも取り上げられ、ハンドバッグ一つで日本への帰国を余儀なくされるも、知り合ったばかりの男性から結婚を申し込まれ、訪日してくれて結婚届を提出し、見事にビザがクリアできた。これをラッキーと言わずして何と呼ぼうか。日本で勤務していた出版社を辞めた際、スイスに駐在していた姉家族を訪ねて3か月滞在。その間にヨーロッパ各地を旅行した。この時に出会った人を通じて、次から次へと知り合う人たちのお蔭もあり、思いもよらなかったサンディエゴに暮らすことができている。これもラッキー。中には、自分の努力で成就したものもあるが、その多くが人さまのお力を頂いて、何とか今日までハチャメチャ人生を続けられている。衷心 (ちゅうしん) より感謝!である。  (Belle)
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jinnno-san
危険に直面して、幸運の女神さまが守ってくれたという経験が人生で3回あった (認識してないだけで、アブナイ目にはもっと遭ってるかも・・笑)。①スーパーの前に設置されていたガチャガチャ。なぜか本体の上に1本の包丁が不安定に置いてあり、マシーンの高さよりちょっと身長が低かったわたしは、その周囲 (包丁の周り) をはしゃぎながらグルグル走り回っていた。包丁が落ちて頭にブッ刺さっていた可能性があった。近所のオバちゃんが気づいて包丁をどけてくれた (女神?・・笑)。②殺人現場の第一発見者になったとき (え?・・笑)。事件直後に部屋の中で容疑者と2人きりで30分ほど過ごした (これ、本気で怖いやつ)。殺気立った雰囲気の中、わたしは無事だった (ヒュー!・・汗)。③強風の日にフリーウェイを運転していたら、壁用の木材が宙を舞いながら、わたしの車に向かってヒラヒラと降ってきた。映画でよく見るスローモーション画像のように。ブツかったら周りも巻き込んで大事故 (もうダメだー)。バンッ!と衝突した瞬間に目を閉じた (あれ?まだ運転できてる・・笑)。ミラーが折れているように見えた。あー、ミラーの破損だけで済んだのねーと、車から降りたら、ミラーは壊れてもおらず、内側に閉まっただけ (笑)。これって、女神さまに好かれてる以外にないでしょ (笑)。今日も女神さまに感謝すべく御神酒 (おみき) をいただく (飲みたいだけ・・笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私はスーパーへ買い物に行くと不運を感じてしまう。カート運が悪いのだ。とても高い確率で、真っすぐ進まなかったり、ゴミが入っていたり、ガタゴト派手な音が鳴ったりするカートに当たってしまう。スムーズに動かせるカートをゲットした時はラッキー!と思う。他に、幸運を感じることはないかな?どうも地味な幸せしか思い浮かばないので『幸運』 をネットで調べてみた。「幸運が訪れるスピリチュアルな前触れ」というのがあった。①ゾロ目やエンジェルナンバーを頻繁に目にすると幸運の前触れらしい。時間を確認すると4:44だったり、11:11だったりすることがよくあるが、まだ幸運は舞い込んでいない。②しっかり寝ていても眠いのは幸運の予兆らしい。これは大きな転機を迎えようとしているサインで、人生の分岐点では多くのエネルギーを費やすため、その時に備えて本能的にパワーを蓄えているのだとか。睡眠充分なのにいつも眠い私だけれど、まだ何も起きていない。③茶柱が立つのも幸運の兆し。これはよく耳にする。自身の活力が増大しているサインというが、飲茶 (ヤムチャ) を食べに行った時にジャスミンティーに茶柱が立ったけれど、やはり何も変わらない・・。熟々 (つらつら) 考えてみると、普通に生活できることが幸運に満たされている証拠なのだろう。(SU)

(2024年5月16日号に掲載)
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マイブーム

 

▽幼少期~少年期を過ごした1960~70年代の日本を邦画で楽しんでいる。スクリーンを通して、あの時代を改めて見つめたい。5年以上続いているマイブームがそれ。激変の時代「昭和」の中間点に生まれた私は兄貴分の「団塊の世代」に憧れた。彼らは学生運動という名の “破壊活動” を通じて戦後の既成価値を否定し、反体制フォーク全盛期の旗手となり、フーテン族やサイケ族などのカウンターカルチャーを生んだ。1950 年代後半生まれの私たちは “時代の大波” に直撃された経験もなく、目立った行動も示せなかった。高度経済成長期の恩恵を受けて生活水準が高くなり、ベトナム戦争も収束へ向かい、気が付けば狂喜と反戦のエネルギーが消えた世の中に放り込まれていた。そんな過度期を当事者として感応するにはあまりにも未成熟で、成人してから後付けで理解しただけ。時代の再認識という大袈裟 (おおげさ) なものじゃない。映画で描き出される社会通念、都市景観、流行ファッションと髪型、家電製品の移り変わりを眺めるのも面白い。▽冠婚葬祭の「葬」を意識する年齢になった。最近のマイブームは自分の遺影となりそうな写真を集めること (妻がイヤがる)。今のところ、別府温泉の「カニ食べ放題」ホテルで至福の笑顔を写した浴衣姿が最有力候補 (photo by 妻)。大好物はカニ。自分らしくて納得の1枚。(SS)
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▽先月からスマートウォッチを装着するようになった。「体が資本。Fitbit Inspire3は アップルウォッチより安くて、100ドル以下。スマホやPCとシンクロさせて、いろいろモニタリングできるよ」と、友人が薦めてくれた。睡眠、歩数、距離、消費カロリー、血中酸素、心拍ゾーン、健康指標などのデータを24時間記録してくれる。へぇ〜と思ったのは、睡眠時の状態を教えてくれること。浅い睡眠、深い睡眠、レム睡眠、心拍数、睡眠スコアなどをチェックできる。1日8時間以上の睡眠、5,000歩歩くなど、身体に良いことを実行すると星印をくれる。子供の頃にラジオ体操のスタンプをもらったような感覚だ。まるで、専属のトレーナーがいるようで、毎日「星取り」を目指すようになった。▽最近「格言集め」にハマっている。気に入った言葉を挙げると、アメリカの神学者であり、政治学者でもあったラインホルド・ニーバーの『ニーバーの祈り』。「神よ、私に、変えるべきものを変える勇気与えたまえ。変えることのできないものは、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを見分ける知恵を与えたまえ」。さまざまな困難に直面した際に持つべき心の姿勢について、その要点が簡潔に述べられていて、目から鱗が落ちるような新たな視点に感動した。(NS)
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最近YouTubeで、寝る前に9歳の娘と一緒に昔の日本のアニメを見ている。今見ているのは、世界名作劇場の「小公女セーラ」。私が9〜10歳の頃、毎週日曜に母と妹と楽しんでいた。インドで事業を手がける父を持つセーラがロンドンの女学院に転入するところから話が始まる。お金持ちのセーラは学院で優遇待遇を受けるが、父の死により孤児になってしまう。女学院の院長先生がセーラをメイドとして引き取るが、過酷な労働といじめに耐える毎日を送る。最後は亡くなった父の親友がセーラを探し当て、幸せになるーーというストーリー。毎エピソードで、院長先生や元クラスメイト、メイド長と料理長からの意地悪な仕打ちにも負けず、健気に頑張っていくセーラを、母と妹と涙ぐみながら応援したのを覚えている。今は同じアニメを娘と見ている。彼女は意地悪な人たちに文句を言ったり、「I wanna punch them for Sara!」 と怒ったりしながら見ている (娘、強い!!)。英語字幕付きの日本語が流れていて、娘がオープニングソングを覚えたらしく、怪しい日本語で歌っている。かなりハマっているようだ。: ) 私も懐かしいし、娘も喜んでいるし、見ることができて嬉しい。YouTubeに世界名作劇場をアップしてくれた人、ありがとう!! (YA)
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suzuko-san
我が家にアレクサがやって来てから3年が経った。もちろん、スマートスピーカーのデビューは知っていたが、その機能の適切な把握ができていなかったので、必要とは思わなかった。それが、友達の家に遊びに行って、その便利さを目の当たりにして、私も買おう! 以来、私の生活を至極楽チンにしてくれている、愛おしいともいえるツールに惚れ込んでいる。今や、私の日常生活の必需品。まず、目が覚めるや否や、その日の天気。そしてユーロ、日本円、メキシコペソの為替レートをチェックした後、その年に旅する予定の国のレートを尋ねる。その後はニュースと続く。朝の一連のアレクサへの声掛けの最後は、「Alexa、Play Ultimate Classical」。これは、ここ半年ほどのマイブーム。それまでは、単にクラシックとかバイオリンやチェロ音楽を指定していたのだが、毎回、同じ曲と流れで始まるのに飽き飽き。何かの拍子に、アレクサが私の英語の発音を聞き間違え (よくあることだが)、Ultimate Classicalと反応して音楽が鳴りだした。こんなカテゴリーもあるのか。気に入った! 時にはクラシックだけでなく、映画音楽などもバラエティたっぷり。始まりの曲もほぼ毎日変わる。これは飽きない! 以来、私の部屋は朝から優雅なクラシック音楽で包まれて、爽やかな時間が流れている。(Belle)
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オッサンくさいって言われそうだけど、、この能天気なあたいが、なんと! 将来のこと、、老後の日々、、そう、リタイアメントのプラニングに関心を持ち始めた 笑。いやいや、この話題って60代+からじゃない? と思っているそこのあーた。プラニングとは:前もって考えて、先を見据えて行動に出ること。だって、今、行動していることが10年〜20年後の自分に影響してくるじゃんねーー。あ!勘違いしないでね。わたすはまだまだ60代ではございません 笑。なぜブーム? 周りには何年かしたら年金をもらうお年頃の方がいて、「もっと早く考えときゃよかった」っていう声が聞こえてくんのよ。それと、、母国を離れているからなのか、今さらだけど 笑 ニッポン・ブーム 笑。行ったことがない日本の街が多い。この間、初めて横須賀を訪れたけど、駅から歩いて母親の生家に直行して帰ってきただけ 笑。世界三大記念艦「三笠」がすぐそこにあったらしいけど (後で知った 笑)、有名な「ドブ板通り」も素通り! (いや、通ってもいない 笑)。なになに? 横須賀名物「海軍カレー」だとぉ?! これはラッキーにもサンディエゴに戻ってからお土産でもらって食べて、超ウマイって後から知った 笑。ということで、あたいのブームは、老後をプランしつつ、元気なときに祖国を知りつくす!だな (要するに、いつまでも遊んでいたい 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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最近、車に乗るたびに、娘たちがハマっているK-popを聞かされている。毎晩のように、写真やYouTubeをわたしに見せて、グループとメンバーの名前を覚えさせられるトレーニングも強いられる。彼女たちのお気に入りは「Seventeen」と「Stray Kids」というグループで、Seventeenは13人、Stray Kidsは8人組ユニット。とにかく人数が多い! メンバーを覚える訓練は非常に厳しいものだった。どうしても全員が同じ人間に見えて、名前と顔が一致しないのだ。顔立ちの違いは正面からは認識できるけれど、横顔は区別がつきにくい。それでも娘 (特に長女) は諦めることなく、就寝前に写真を並べ、私に名前を言わせていた。おかげで、今ではSeventeenのメンバーは完全に判別できるようになり、写真がボヤけていても言い当てるまで上達した。ちなみにSeventeenは日本人のファンの間では「セブチ」と呼ばれているそうだ。スゴい私!。特訓のせいか、このグループに自然に親近感が湧いて、歌さえもとても良く思えてきてしまった。さて、次女が好きなStray Kidsだが、まだ全員をクリアーしていない。特訓がなかったので覚えられたのは8人中4人。無理やりK-popの訓練をさせられて「はて迷惑な」 と思っていたが、実は、段々楽しくなってきたこの頃。(SU)

(2024年5月1日号に掲載)
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ウィークエンド

 

私は前後の見境なく娯楽に耽溺する「道楽者」ではない (そう思っていた)。そんな自分がボールルームダンス熱に浮かされ、生活の基盤を危うくするほど夢中になってしまい、競技会には必ず出場するというオバカな一時期があった。26歳の時、映画以外に楽しみのないワシントン州東部の小都市で米国生活を始めたが、ウィークエンドが退屈でたまらない。古びたダンススタジオを見つけて「ここはアメリカ。社交ダンスくらい身に付けよう」と思い (その考えがおかしい)、門を叩いたのがマズかった。ワルツのリズムとラテンのシンコペーションの魅力に取り憑 (つ) かれ、週末はもとより週4ペースで足繁く通うことに。州大会で入賞し、インストラクターから才能があるとおだてられ、リズムに乗っただけでなく、調子に乗ったのが命取り。個人レッスンを重ねて、スパンコール付き競技用コスチュームまで特注し、気が付いたら◯万ドルをつぎ込んでいた! スタジオはご高齢の上流階級婦人が集まるサロン的な雰囲気が漂い、パーティーでは男手が足りず、ご婦人方の相手をさせられたが、ホストのボランティアをしていたようなもの。ダンス浪費で生活水準は極貧レベルに転落。安価で大量に買えるワシントン州産コーンとアイダホ州産ポテトが主食になっていた。慚愧 (ざんき) に堪えない日々を過ごしたけれど、そこでダンスパートナーとして出会った女性が妻となる。(SS)
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▽日本の国政・地方選挙の投票日は基本的に日曜日だけど、アメリカでは火曜日と決まっている。これは1845年の連邦法で定められたことらしい。当時のアメリカは日曜日を安息日として休むキリスト教の習慣が定着し、馬車での移動が主だった。月曜日を「選挙の日」にすると、遠隔地の有権者が投票に間に合わないこともあるので、1泊の余裕を持たせて火曜日が選ばれたという。▽知人に仕事の手伝いを頼んだら、シャバットという安息日を理由に断られたことがあった。彼女は敬虔なユダヤ教信者で、土曜日に仕事や世俗的な活動を一切行わず、家族&友人との交流や祈りに時間を費やすという厳格なルールを守っていた。PCやスマホの使用を避け、車の運転や火を使うことも控えるという徹底ぶりで、忙しい日常から離れた特別な時間を大切にしている。▽米農家に始まり、セブン-イレブンを複数経営するまで、私の両親はいつも忙しく働いていた。週末は特に多忙を極めたが、笑い声が響いていた。「どこにも連れて行ってくれないから、作文を書くネタがない」と泣きわめいた私に、祖母が諭した言葉を今でも思い出す。「あんたの両親は、戦争で夢を諦めざるを得なかった。でも、おまえは好きなことをすればいい。家族のために、そして、それぞれの夢や目標を実現するために、私たちは働いているんだよ。仕事や客を大事にすることが、家族を大切にすることになるんだよ」。(NS)
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平日は子供たちの学校スケジュールで朝が早いので、週末は少し遅めに1日をスタートさせる。普段、バナナやシリアルなどの簡単な朝ごはんを食べている子供たちのために、パンケーキやフレンチトースト、ハムエッグなどを作り、掃除機をかけ、洗濯をする。その後の過ごし方は、週によってまちまちだ。のんびり家で過ごす日もあれば、子供たちをプレイデートに連れて行く日、どこかに出かける日、買い物に出る日もある。子供たちに言わせると「週末は短すぎる! あっという間に終わる!」そうだが、私が子供の頃は、休日は日曜と祝日のみだった。土曜も半日ほど授業があったけれど、給食はなかったので、母が会社の昼休みを使って「小僧寿し」や「ほっか弁」、スーパーのお惣菜をお昼ご飯に買ってきてくれた。たまに母が忙しくて帰って来れない時は、自分で袋ラーメンを作って食べた。日曜の朝は母に起こされ、まず家の掃除を手伝うのが日課だった。布団を干し、朝ごはんを食べ、日中は母がドライブやハイキング、買い物、ランチへ連れて行ってくれた。夕方になるとテレビの『サザエさん』と『世界名作劇場』を見て「もう日曜も終わりか。明日からまた学校。。。」と淋しい気分になっていた。まさに「週末は短すぎる! あっという間に終わってしまう!」だった。 (YA)
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フリーランス、自由業、もしくはリタイア組でない限り、平日は皆働いている。フリータイムはウィークエンドだけ。だから週末だけは、出好きな私が誰かに遊んでもらえる。結婚していた頃は、もちろん夫は平日に働いていたので、どこにも一緒に出かけることなどできない。さぁ、週末が来た。二人で一緒に外出したいと思っていても、夫は「疲れている」の一点張りで出ようとしない。あぁ、つまらん男だ! この国に来たばかりで、そうそう友達がいるわけじゃない。仕方がない。この退屈な週末を埋めてくれる仕事を探そう!とばかりに、日本人補習校に職を求めた。これで退屈が解消される!と意気揚々で勤め始めたものだ。それが離婚して自由な身となり、それなりに友達も増えてくると、皆と会えるウィークエンドに働く? トンでもないよ!と、さっさと辞めてしまった。あぁ、身勝手! 今でも、でき得る限り、誰かに遊んでもらえる機会がある週末は働かない——というポリシーを持ち続けている。前もって予定を埋めるのが大好きな私は、次の週末は誰に遊んでもらおうかと、事前に友達群に連絡を取りまくる。このたゆまぬ努力?のおかげで、大体の週末は平日にはしない、できないことを実行することで、自分では充実した時間を過ごせて満足な生活をしている——と思えるのだ。友達の皆々様、あぁ、感謝!感謝!  (Belle)
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コロナ渦で覚えたこと・・・週末をバルボアパークで過ごすこと! なんたる健全なあそび! バルボアパークって散歩できるし、屋台が出ているし、大道芸人はいるし、お洒落なレストランもある。こんな近くにステキな公園があるなんて、恵まれてるわー。でも、ここに行く最大のメリットは「お酒を飲んでよい公園」に指定されていること!! しかーし、地元民にもあまり知られていないけど、公共の場なのに隠れ家的な?笑 見逃してしまいそうな? 笑 看板にダマされてはいけません。引っ掛け問題みたいになってるから! 笑。「ここでお酒飲んでいいですよ」とはどこにも書いてござーませーん 笑。よーく読まないと、あきらめて帰ってしまうし、多少英語力が必要かも(これが狙いかな?笑)。「飲んではいけませんよ、◯時から◯時」と書いてある 笑。最初に否定文と来りゃ、心理的にすぐ凹んで、あきらめてしまう 笑。友達のH部長に任せたら「ダメだ、ここでの飲酒はムリ」と引き返そうとしていた。視力の悪いわたしが看板に近づいて読んでみたら「やっぱいいんじゃん!」。そこからはパラダイス!! 笑。何もすることがなければ、バルボアパークで宴会ピクニックが定番! サンディエゴってサイコーの週末が過ごせる、その名の通り America's Finest City だわ! (公園で堂々とお酒が飲めるという理由、だけ 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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平日は朝4時半に起床し、子供たちのお弁当と朝食を作って、学校へ送るために6時45分に家を出る。帰宅後に自分でコーヒーを入れて少し休んでいると、夫が起きてきて仕事に行く準備をする。夫の出勤を見送ったり、仕事がある時は、ほぼ夫と同時に外へ出るというのが私の平日スケジュール。早朝から子供たちのお弁当を作ることも、学校に送る必要もない土・日曜は大好きだ。いつもより、3時間ほど長く寝ていられるから! 本当にありがたい。子供たちも平日の疲れを取るかのように、朝はゆっくりしている。私が起こさないと昼頃まで寝ている(これは寝すぎだ)。長女には1時間ほど声をかけ続け、最終的には体を揺さぶり、食べ物を顔の周りにチラつかせ、匂いを嗅 (か) がせてみたり、食欲を誘って覚醒させる。やがて10時頃になって、とても不機嫌な顔で起きてくる。次女に関しては、起こそうとして布団に触ると悪魔に変身するので、とりあえず声だけかける。勝手なもので「ショッピングに出かけるから支度して〜」と呼びかけると機嫌よく起きてくる。こんな子供たちでも、成長して、たま〜に朝食を作ってくれるようになった! 簡単なメニューだけど、フレンチトーストにデザート、コーヒーを用意してくれる。誰かに作ってもらう朝食は美味しい。そして幸せ。やっぱり週末っていいね。(SU)

(2024年4月1日号に掲載)
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寿命

 

還暦を過ぎても初老の実感はないが、突然死で世を去る同年代の知人もいて、間違いなく寿命のマジックナンバーのカウントダウンが進んでいる。▽経験則では語れない死。仏教書を読んでもイメージが先行して「あの世」がどんどん遠くなる。私のように霊界を想定した説法に倦んで、神の摂理にも導かれず、真如縁起にも疎い人間は無神論者/無宗派の一語で括られる。▽『歎異抄』 にも挑戦したが「無碍の一道」=死をも煩わない無想の境地=は深遠すぎて本流の対岸が見えず、危うく溺れそうになって断念した。観念的に理解できても、実践論としての釈義を求められるとお手上げだ。▽曹洞宗の名僧、永平寺78代貫首・宮崎奕保禅師の言葉を聞いて雲間から光が射し込んだ。「平気で生きていることが悟りなんや」。仏道修行は死ぬ覚悟や勇気を求めることにあらず。凛として生きる態度が彼岸へと導く。講演で聴いた碩学2人の至言も頭から離れない。「死ぬまでは生きている」 (独文学者・高橋義孝氏)。「寿命を迎えたらさっさと死ね」(禅僧・関牧翁)。箴言ここに極まれり。▽不幸・不運に遭遇しても、意味を見つけてユーモアに解し、自ら態度で示して人生に答えたいと思っているが、この「態度に示す」 が実に難しい。私たち夫婦は今際の際に、これまでの愉快な話をして笑って見送ることにしている。(SS)
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▽先日、テレビで不老不死とされるベニクラゲの特集番組を見た。特殊な生態を持つベニクラゲは、体が傷つくと幼体に変身して、何回でも若返ることができるらしい。「ベニクラゲ、いいな」とつぶやいたら、「死があるから、生は美しい」と旦那。そこまで、すんなりと受け入れられない自分がいる。▽母が逝き、父が亡くなって、妙な感覚に襲われた。自分の前に遮るものが無くなって、親の姿に阻まれて見えなかった「死」という水平線がくっきり見えてきた。「次は自分の番だ」という感覚。同時に、子どもを守ってくれていた大きな親の盾を感じた。そして、人生の水平線に思いを馳せながら歩いていると、兄弟や友達や同僚やペットなどがとても大切な存在に思えてきた。▽寿命を考えるとき、スティーブ・ジョブズの最後の言葉を思い出す。「人生を十分に過ごせるだけの富を積み上げた後は、富とは関係ない、他のことを追い求めた方がよい。もっと大切な何か他のこと。それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね」。成功しても、お金があっても、病気を肩代わりしてくれる人は買えない。ジョブズは家族や友人との時間、愛、健康、夢を追いかけることが本当に大切だと語っている。確かに、あの世に持っていけるモノは、愛情にあふれたポジティブな思い出だけのような気がする。(NS)
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「散る桜 残る桜も 散る桜」。良寛和尚の辞世の句とも言われているこの禅語。桜は散る。命は散る。必ず散りゆく命とは何? 病に冒されたから死ぬのではない。生きているから死ぬのである。数か月後の死は不幸で、10年後の死は幸福かといえば、そんなことはないのだろう。▷長期の闘病生活の後、40代後半で亡くなった私の祖母。子供たちが自立し、これから自分の好きなことをゆっくり楽しもうとしていた矢先に病に倒れ、60代後半で亡くなった私の母。平均寿命に及ばずに亡くなった母たちのことを考えると、天寿を全うできずに可哀想だったと心が痛むのだが、良寛和尚の命についての考え方を知り、長生きできずに不憫だったと悲しむ必要はないんだなと、少しだけ心が穏やかになる。▷生きているから死ぬ。とはいえ、命の終わり方は穏やかなものであってほしい。不慮の事故や事件、戦争などで理不尽に命を奪われてしまうのは、どうにもやるせない。宗教上の争い、土地や資源の奪い合い、権力者の利害関係、文化や民族性、政治的信条の違いなど様々な理由で、今も世界各地で争いが続いている。争いの犠牲になって命を落とした人たちの無念さを考えると心が痛む。問題を武力解決しようと決めたトップの方々、どこかの無人島に自分たちだけで集まって、一騎討ちなり何なりで、勝負して頂けたら幸いです。(RN)
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私の父は77歳、母にあっては52歳と若くして亡くなり、両親とも平均寿命まで辿り着くことができなかった。しかし、父方の祖父は90歳、祖母は80数歳と、その時代の人としては長寿を全うしたと言える。彼らには3男2女の息子と娘がいたが、お酒を飲み過ぎて肝臓を悪くした父を除いては、皆が100歳近くまで生きた。母方の家系も母を除いて比較的長生きだった。故に、我が家の家系は平均寿命は超えられるらしいと勝手に推測している。先日、子供のいない数人の友達が集まり、その時の話題がお金と寿命。あと何年生きられるかが分かっていれば、お金を後世に残す必要のない我々としては、手持ちのお金を余生の年数で配分して使い切ることができるのだが・・と。しかし、人生はそうはいかない。とにかく生きるにはお金が必要。人生85年と踏んでお金を使ってしまい、想定した平均寿命を超えて命が続きそうなら、その後の人生は使えるお金も残り僅かで、惨めさを強いられる恐れもある。人生の終盤になって惨めな思いなどできるだけ避けたい。友達の一人が言っていた。自分で余命を勝手に決めて、その日が近づいたら、有り金をはたいて豪華クルーズ船に乗り込んで、お金が続く限り世界中を回る。そして、所持金が尽きた時点で海に飛び込む。これなら日々豪華な思いに浸ったままで死ねる・・と。さぁ、あなたならどうずる?  (Belle)
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わたしはふるーいラップトップを使っている。たぶん15年前くらいの機種 笑。しかも、人からもらったお古 笑。年季が入っているからインターネット速度が遅く、Zoomなどのテレビ会議に使用すると、ビデオ画像が鮮明に映らなくて、いつも顔がブレている 笑。でも、不具合はそれくらいで、他には別に支障がないし、今でも文章は書けているし、使えるから買い換えていない。たまーに充電コードの機嫌がワルかったりすると、パソコンが使えなくなる恐れがある。コードの一部分が切れそうになっているけど、そこは触らずに、パソコンにつなぐ部分の挿し込む角度を変えてみたり、ねじれを直したりすると充電は復活する。同じことが珈琲グラインダーにも起こっている。これはホームレスの人から$2で買った (笑)。箱に入った新品で、これも15年は使っている (長持ち 笑)。それが突然動かなくなった。やはり、コンセントに接続する部分のコードをある角度にすると動くので、まだ現役活躍中。車もそうだけど、古いと扱い方のコツが分かってくる 笑。電化製品の寿命って10年?と言われていたっけ? モノも人もだろうけど、付き合いが長くなれば、不具合発生の可能性が出てくる。それでもコツさえつかんだら、10年以上付き合えるよー 笑。(なんの話だっけ?笑)(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私の父は2016年に83歳で亡くなっているが、母はこの3月で88歳になり、日本人女性の平均寿命 87.09歳を超えた。母は今年もアメリカに来た。さすがに長いフライトの疲れが身にしみる年齢となり、到着してから昼間も寝ていることが多かった。高齢なのに会いに来てくれた母には感謝しかない。まだまだ元気でいてもらわねば。母のことばかり言ってはいられない。平均寿命が伸びているとはいえ、自分の食生活を考えると楽観的になれない。オバさんになった今でも甘いお菓子が大好きで、気がつくと食事を抜いて、お昼にチョコパイを食べてお腹一杯になっていることも少なくない。一日中コーヒーばかり飲んでいることもよくある。今の生活のままではとても平均寿命まで生きていることなど想像できない。去年、日本に帰省した時の血液検査では、何の問題もなかった肝臓の数値が良くなかった。でも、原因が思い当たらない。お酒は飲んでいないし、週に1、2回テニスをしているので運動量もそれなりにある。強いて言えば睡眠不足だろうか? そんなことはない。日本滞在中はあえて早起きすることもないので十分に寝ていたと思う。あれから1年。取り立てて生活改善もせずに放置したまま。今年の夏も日本で血液検査をする予定。寿命も心配のタネだが、現在の健康状態がとても不安。(SU)

(2024年4月16日号に掲載)