July 8, 2025

どうにかしたい

 

▽妻は信じられない頻度で「アレ」「ソレ」の指示代名詞を連発する。「今日はアレ (?) の用事で外出するけど、冷蔵庫に小皿のアレ (?) と昨日のアレ (?) があるから、ソレ (?) をアレして (電子レンジで温めて?)  そこのソレ (調味料?) を使って食べてね」。本人にしてみれば “完璧に話している” つもりなのだ。恐ろしい。妻のアレを100%理解するのは難しいが、類推すれば、大体何を言ってるのか分かる時もある。それにしても、アレ、ソレの乱用は昔からだけど、加齢とともに激しくなっている。気が付けば自分にも伝染していて、妻との会話にアレがよく出るようになった。マズい。どうにかしたい。▽アレは福島の方言という説がある。私も妻も福島県出身だ (流行鈍感 No.1 都道府県にランクされたり、やたらと我が故郷はディスられる)。当然ながら、指示代名詞は親しい同士で使われるが、元をたどれば、小規模なコミュニティーの中で発達した意思疎通の短縮系らしい。以下は、YouTubeに出ていた福島出身の私立大学准教授 (言語学) の説明。「個人的なアレ (見解?) としては『アレ』を使うことはよくあると思いますが、アレ (研究?) が進んでいないので、これからも調査を続けていけば、面白いアレ (特徴?) が判明すると思います」。全然分からない。本当にどうにかしてくれ! (SS)
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▽「本当にどうにかしてほしい」と友人が電話で訴えてきた。彼女はアメリカ市民で、日本に住む父親が危篤状態になったため、急いで帰国する必要があった。しかし、コロナ禍、日本への入国にはビザが必要で、国籍喪失届の提出を求められたそうだ。彼女は公務員として働くためにアメリカ市民になったが、引退後は日本に戻りたいと考えていた。結局、ビザなし渡航が再開された2022年10月に父親の墓参りを行ったそうだ。▽日本の法律では、外国籍を取得すると自動的に日本国籍を失う。日本は二重国籍を認めておらず (国籍法11条1項)、国籍喪失届の提出が必要だが、実際には手続きを行わない人もいる。2023年の国際移住機関 (IOM) の調査によると、現在、約80%の国々が二重国籍を認めている。1960年には38%だったが、2020年には76%に増加。ドイツも2023年9月に二重国籍を容認した。▽私は永住権を保持し、日本への帰国の可能性を残している。国籍法11条1項に関して憲法違反の訴えもあるが、2023年10月2日、最高裁は「憲法に違反しない」と判決した。グローバル化が進む中、日本は内向きの姿勢を見せているように思う。安全保障のリスクが気になる場合、同盟国に限定して二重国籍を認めることで、国際競争力強化や多文化主義の推進、人口減少対策につながると思う今日この頃だ。 (NS)
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▷お腹と背中の肉。ジムに定期的に通って2024年内には絶対になんとかする!(新年の抱負) ▷最近お気に入りなのがタイレストランの微妙な塩加減。パパイヤサラダ、ビーフサラダ、グリーンカレー、どれも本場タイで食べた味にとてつもなく近くて美味しいけれど、毎回、少し塩が効き過ぎているのが玉に瑕。シェフの好みなのだろうか。それとも濃い味が好きなアメリカ人向けにわざと塩を効かせているのか。辛さの段階は選べるのに、塩加減のチョイスはない。少し塩を減らしてくださいって頼んでも良いものなのだろうか。悩む。▷庭のオレンジの木。葉も花も実も付けなくなって数年。死んでしまったのだろうか、我が家のオレンジの木。どうにか、また美味しいオレンジを実らせてほしい〜。▷シャワールームのタイル、下の部分、どうにかしないと。▷猫の毛。毎日のように掃除機をかけても毛が取れる、取れる。フリースのジャケットやセーターなど着ていると、磁石のように猫の柔らかい毛が吸い付いてきて、コロコロなしでは外出もできない。でも猫、可愛いから仕方ない。▷破れた網戸。猫が脱出する時に破られてしまった。
直さなくちゃね、と言い続けて早数年。いい加減、どうにかしたい。(RN)
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私のサンディエゴ移住が決まったのは約30年前。出発前の数か月は近所のシュークリーム専門店でアルバイトをしていた。8時間もコンクリートの床の上に立ちっぱなし。仕事が終わるとすぐさま整体院に駆け込んでいたものだ。こんな背景を持って乗り込んだサンディエゴ。移住後2〜3年後に始めたインド料理クラスでも、タイルの床のキッチンに立ちっぱなし。腰痛を感じながらの料理教室だった。その腰痛はいつか良くなる、いつか良くなる、という本人の希望をよそに、悪化の一途を辿り、現在は信号待ちの数分でさえ、その場に立っているのが困難なほど。その間、数えきれないほどのレントゲン、頭や首に特化したものを含めたMRIは7回。鍼灸院、整体院、整骨院、カイロプラクティック、マッサージにも頻繁に通った。はたまた整形外科、脳神経科、脊椎専門家、ペインリリーフセンターなどを訪ね、高周波熱凝固法という当時最新の施術も3回、コルティゾン注射、挙句には温かい手を体に当てて治すというOsteopathic Manual Medicineという高額な整骨療法も受けたけれど、誰も治してくれていない現実がここにある。ほんと、誰でもいいから、どうにかしてほしいと切に願うばかり!一方で、私の腰もさることながら、あれだけ活動的だった私が、最近どんどん、怠惰、自堕落になっているのを露骨に感じる。これこそ、どうにかせねば! (Belle)
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アパートの隣人とわたしのドアの前には踊り場のような共同スペースがある。前の住人さんはそこに無数の植木鉢を置いていたり、手摺りにタオルを干していた。綺麗に並べていたし、まーったく気にならなかった。わたしもジョウロをオキッパにしていて、隣人が引っ越すたびに、そのジョウロが網戸を開けておく重石に使われてきた。それも、ぜーんぜん気にならない。、、が、先月引っ越してきた女性。入居初日から、そのスペースに空箱やゴミらしきものを置いている。整理整頓で忙しいのかな、と思ってた、ら、2〜3日過ぎても、そのままになっている、それどころか、食べた後の箱っぽいのもある。1週間ほど経ったら片付けられて (?) いた、、ら、また、別の何かが入った紙袋が数日間放置されて、ハエがたかり出してた。お肉を入れるプラスチックのパック (?) も無造作に置かれてた。謎。あ、パターン読めた:ゴミ出るたびに → 外で1週間溜める → 捨てに行く → また数日間溜め続ける。室内にゴミ箱を置かず、踊り場をゴミ箱にしている (?)。これ、ヤダ 笑。本人に言いたい、コレ何ですかって 笑。クリスマスを迎える頃にはゴミがなかった。よかったー! やっと気づいてくれた!と思ったら、、ホリデー休暇から帰ってきたようで、再びゴミ置き場に!! 最近、自分の寝言でうなされて起きる。す、ステましょーかって 笑。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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我が家では私も夫も料理を嗜 (たしな) む。とは言っても私がするのは、よく家庭で作るような煮物や炒め物、汁物などの簡単な日本食。そして、なるべく洗い物が出ないよう、フライパンと鍋くらいで済むようにしている。または使ったものを洗いながら、食後の仕事が増えないように気を付けている。夫は私より料理の腕前が上だ。韓国料理、中華料理、タイ料理など、レシピを見たり YouTube をちょっと見ただけで、自分流に味付けをして作ってしまう。悔しいけれど美味しい。ただ、我が家は4人家族なのに大量に作ってしまい、残り物が多くなってしまう。だから、後片付けがとても大変。豪華な料理を振るまってくれるのはとても有り難いし、嬉しいのだが、食後に大仕事が待っている。大量に残った食材の保存、重い大鍋、積まれた大皿と小皿、飛び散った油や水、小麦粉などの掃除はすべて私の担当。残った肉なども冷凍にしているのだが、しばらくして凍った肉を取り出しても、私には何の肉で、どの部位なのか分からないので、また冷凍庫にしまう。夫が何とかしてくれないと、冷凍庫に凍った肉が貯まる一方なのだ。美味しいものが食べられるのは幸せだけど、もう少し後片付けが簡単な料理を作ってほしい——という本音はどうしても言えない。どうしようかなぁ〜。(SU)

(2024年1月16日号に掲載)

2024年/お正月

 

星占いで読み解く新年の世相。2024年11月20日に冥王星が宝瓶宮へ順行し、約240年続く “水瓶座の時代” が本格的に始まる。占星術上の大転換期。国家主義から人道主義へ。権威から個性へ。プロの米人占術家の表現を借りると「独裁強権の残滓 (亡霊) から博愛主義の嚆矢 (黎明) へ」。すぐにパラダイスは来ない。人間の意識の大転換は安寧の中では実現しない。それは人類史が証明している。「大災害、パンデミック、ジェノサイドを経験したじゃないか!」と反論されそうだが、決定的なカタストロフィーは起きていない (恐ろしいことを言うなぁ。SSって何様?)。240年の巨大フレームの中で、2024年はどんな1年になる? 前半は既成概念を取り払う絶好機。投資・蓄財プランを見直す決断は吉 (金牛宮木星 SXt 双魚宮土星)。6月以降は、旧知の仲間よりも、新たな知人・団体・組織と関わることが吉。明確な自分自身のテーマを確立した「心の断捨離」が幸運を招く (双子宮木星 TRi 宝瓶宮冥王星/SXt 双魚宮土星)。人間の1万倍強!のニューロン数を持つASI (超人工知能) も急速に進化 (金牛宮木星 SXt → COj 天王星)。AIこそが自己実現を成功させる強力な武器となる。ラッキーカラーはピンク基調。パントン社発表の流行色もピーチファズ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。皆さんに幸あれ! (SS)
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▽皆さま、明けましておめでとうございます。1987年に誕生した 『ゆうゆう』は多くの方々に支えられて、お陰さまで創刊37周年を迎えることができました。これもひとえに皆さまのご支援の賜物と、心より感謝いたします。▽新型コロナウイルスが収束して初めて迎えるお正月。会いたい人に会える。行きたいところに行ける。共に笑い、美味しい食事を楽しむことができる今こそ、ありふれた日常がいかに特別で、奇跡的なものであるかを改めて感じています。失って初めて、その大切さを学びました。▽2024年は辰年です。辰は十二支の中で唯一の空想上の生き物であり、古来より権力と縁起の良さの象徴とされてきました。準備してきたことが実を結んで、恵みをもたらす年回りと言われています。▽今年は4年に1度のアメリカの大統領選があります。そして、夏のオリンピックが開催されます。どんな感動に出会えるか、ワクワクドキドキ、バクバクしながら応援したいと思います。▽陽光に包まれた America's Finest City サンディエゴで 「優々」と働き、「遊々」と楽しみ、「悠々」と生きる。そんなライフスタイルを応援できるよう、今年も、地元日系社会に根差した様々な話題を丁寧にお届けし、皆さまの生活を豊かにするお手伝いをしたいと思います。改めて、本年も『ゆうゆう』をよろしくお願いいたします。(NS)
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明けましておめでとうございます。皆さまにとって新しい年が良い一年になりますように。日本を離れて2X年。日本のお正月が懐かしい。実家に住んでいた頃は、それこそ日本の一般的な年末年始を過ごしていた。大晦日は母と妹と大掃除を済ませた後、買い物に出かける。父母用に年越しそば、そして私と妹用にうどんを買って帰る。年越しのテレビ番組 (紅白歌合戦や仮装大賞) を見て、除夜の鐘を聞きながら就寝。元日の朝は家族と年始の挨拶をした後、お雑煮、お節の朝食を食べてから初詣でに行く。次に年賀状をチェックして、親戚の家に挨拶に寄って帰り、後は自宅でのんびりしたり、初売りを見に行ったり、子供の頃は外で遊んだりしていた。アメリカのお正月はカウントダウンが終わったら、それでおしまい。11月半ばからずっとホリデーシーズンでワクワクしていたのに、それも幕切れになる。街のデコレーションやクリスマスツリーもなくなるし、とても淋しい。せめて、1月の1週目くらいまではお正月気分でいたいのに、アメリカでは早々と1月2日から学校や仕事が始まり、日常に戻される。いつか年末年始に里帰りして、子供たちにも日本のお正月を体験してもらいたい。 (YA)
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まずは私の故郷、広島県福山市から「皆様、2024年、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします」。私は故郷に暮らす姉夫婦の家で新年を迎えている。大晦日には年越しそば (例年、姉の家では鰊=にしん=そば)を食べて年を越し、新年になればお雑煮とおせち料理、お屠蘇で年明けを祝うといった、日本では当たり前の光景に接するようになったのは、ここ10年くらい。それまでは新年2日目から仕事という、いわゆる正月気分には浸れない、味気ないアメリカでの正月を過ごしていたのが「そうだ、新春はやっぱり日本だぁ~」と思い直し、いつしか日本での年越しが恒例となった。友達の中には両親も他界して、日本では居場所がなくなったと嘆いているのに、いつも私を暖かく迎えてくれる姉の存在は、本当にありがたい。母が早逝してからは、年の離れた姉が勝手に母親役を買って出て、実母よろしく、私を頭ごなしに押さえつける彼女の言動が疎ましく感じられた時期もあった。一時帰国しても、故郷に立ち寄らない私にしびれを切らして、旅先の伊豆まで足を運んできたことも。姉には一生頭が上がらないくらいお世話になっているのは事実。そんな姉も今年の5月には81歳になり、年々衰えていく姿がそこに。姉が元気なうちに、せっせと「福山詣で」に勤しもうと誓う2024年。 (Belle)
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昨年は、元旦に実家に集まった人数が異常に増えた。その理由は、板前を職業とする姉の旦那様が寿司桶「大」を、3つ、(あ、よだれ・・笑) 、と、トラフグ (!!!) の、ふぐ刺し (薄くて青い柄の皿が透けて見えるヤツ) を大皿2枚、、と、ふぐ皮、、と、生の白子、、(激ウマ・・食べない子供たちにはあげないヤツ、日本酒が進んでしまうヤツ)、と、ふぐ鍋、、そしてふぐ雑炊を、、えっと、誰だっけ 笑? そうそう、姉の旦那が持ってくるとのアナウンスがあったから! 社会人になって一度も来たことのない兄の娘りさ子まで現れた 笑。わたしを含む大人たちは、並ぶ料理を眺めながら、料理人に拍手喝采 笑。明けましておめでとう、の前に、ふーぐ♪ ふーぐ♪ と大合唱してた 笑。 わたしもお正月に貢献した方がいいよねと、手作りのトルティーヤタコスを振る舞った 笑。これじゃ、あまりにも外人扱いされるから 笑、さらに福袋も! トレーダー・ジョーズの紙袋にお菓子やらを詰め込んだ。目玉の当選品は、野球場のプロモでゲットしたエンゼルス時代の Ohtani さん野球帽! 当たった友達の子は飛び上がって喜んで、その場で被って、そのまま帰った 笑。2024年は「赤い17番」でなく「青い17番」のグッズを福袋に入れたら、喜ばれること間違いないでしょう!(プロモの日を狙わねば! 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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「お正月にやってはいけないこと」があるらしい。①掃除、洗濯。お正月に掃除をすると、福を携えて訪ねてくれた年神様を追い払ってしまうとか。洗濯や、トイレ、浴室、キッチンなどの掃除も、神様を水で洗い流してしまう意味があるという。②刃物の使用、煮炊き。三が日に刃物を使わなければ、この一年は無病息災に過ごせるという言い伝えがあるようだ。火を使う煮炊きも、灰汁が出る=悪が出る=という意味合いもあり、お正月には好ましくないらしい。③喧嘩をする。お正月に喧嘩をしてしまうと、新年早々、悪運を呼び込んでしまうからNGとか。④お金を使う。元日に出費すると、その年は浪費する年回りになると言われているらしい。それにしても、こんなにお正月にしてはいけないことがあったとは! 普通に掃除や洗濯をしてたけれど、神様を追い払いまくってたワケね・・。煮物なんかも作っていた。何も考えず、元旦から買いたいものを買っていたし。お正月に料理をしないのは、三が日くらい、世のお母さんたちを家事労働から休ませてあげるためと思っていた。考えてみれば、私自身もお正月に休むため、年末に忙しく労働していたような気もする。それが良いのか悪いのか。ともかく、家族で楽しく幸せなお正月が迎えられれば、何もをしてもOKと思う。2024年も良い年になりますように。(SU)

(2024年1月1日号に掲載)

年末/年越し

 

暮れ行く2023年。今年から帽子を被るようになった。初老の実感はないが、突然死で世を去る同年代の友人もいて、寿命のマジックナンバーのカウントダウンが始まっている。老後に向かってQOLを意識したのも今年。まず、簡単なオシャレに挑戦しようと、ビーニー帽 (ツバなしのニット帽) に手を出した。還暦を過ぎてファッションに目覚めたというのはウソで、薄くなった頭髪をカバーするために妻の薦めで着用している。この帽子、余裕のある後頭部を弛ませるのがオシャレのアクセント。深めに被るとクールな印象になる。似合っているかはともかく、被り方を “研究” しながら、変化をつけて楽しむようになった。今年は5年ぶりに里帰りをして93歳の母と過ごした。「痴呆症になっていないか?」「私を息子と認識できるだろうか?」 一抹の不安を抱きながらチャイムを鳴らす。私は再会を祝う特上寿司の大皿を携えていた。母は「届けていただいて、ありがとう」と丁寧に頭を下げて、ドアを閉めようとする。慌てた私は「母さん、オレだよ!」 と呼び止めた (やはりボケたのか?)。「あなた、どうしてそんなモノ被ってるの?」と驚いている。配達人さんと勘違いしたらしい。鏡に映る自分の姿。確かに、濃紺色のビーニー帽は和食料理人さんの調理帽子によく似ている。母は正常。2023年も心穏やかに越せそう。(SS)
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▽2023年の流行語大賞に、阪神タイガースのリーグ制覇&日本一を意味する「アレ (A.R.E)」が選ばれた。他には、今年7月に駆除されたヒグマ「OSO18/アーバンベア」、意中の人に対して急に冷めてしまう「蛙化 (かえるか) 現象」、自分では将棋を指さずに対局観戦を楽しむ「観る将」、「新しい学校のリーダーズ/首振りダンス」、他に「生成AI」「地球沸騰化」「ペッパーミル・パフォーマンス」などが選出された。個人的には、WBC決勝でアメリカ戦の前に大谷くんがナインに呼びかけた「憧れるのをやめましょう」を推していた。▽英語版流行語大賞『コリンズ英語辞典』の “Word of the Year 2023” は「AI」に決まった。ChatGPTを代表格に、簡単にAIを活用できるようになった。次点には、買わないほうがよい商品を紹介する「deinfluencing」、銀行が特定顧客への銀行サービス提供を停止する「debanking」などが選ばれている。▽「きれいに掃除しないと、年神様 (としがみさま) が来ないよ」。12月になると、そんな祖母の言葉が聞こえてくる。一年の実りと幸せをもたらす年神様を迎えるために、一念発起して大掃除に取りかかりたい。▽順番とはいえ、訃報は続くものだ。今年も大切な人を亡くした。毎年のことながら、生きていることの奇跡を深く感じてしまう年の瀬。 (NS)
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また、年末が巡ってきた。実感として、去年よりも時間が経つのが早くなっている。そして、自分が毎年同じことを言っている、ということにも気がついている。年を重ねるごとに、時が加速して流れているということか? なんと、恐ろしいことだろう。このまま行くと、数年後には、正月を迎えて瞬 (まばた) きを数回したら、もう大晦日ということになりかねない (笑)。あっという間の2023年だった。いろいろなことが今年もあった。▽夏は6年ぶりに日本に帰省した。娘とふたりで、姫路、大阪、長野、東京を満喫した。実家の父とも久しぶりに一緒に過ごせて嬉しかった。▽この2年ほど風邪も引かず元気だったのに、この秋は家族そろって次々と体調を崩して大変だった。やはり、マスク無しの日が普通になって、菌をもらいやすくなったのが原因だろうか。免疫力を高めて、発症しても悪化せずに回復できるようにしたいもの。▽娘が水泳を再開したいというので、プールがあるジムに加入した。ちょうどBlack Fridayの時期で、入会金が免除されてラッキー! 娘が泳いでいる間、私はジムで運動しようと思っている。ヨガやHIIT、ピラテスのクラスもあるようだから、参加してみるのも楽しそう。親子で体を鍛えて、元気に2023年を越したい。(RN)
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光陰矢の如し。加齢とともに1年がどんどん短くなっていく・・。誰かが言っていた。10歳の1年は人生の10分の1、50歳の1年はそれの50分の1。故に、年を取れば取るほど1年が短くなっていく——と。ナットク。そんな、ますます短くなっていく今年も「腰が痛い、腰が痛い」とほざきながら、精力的に海外旅行をこなした。春には南米、初夏は日本、そして初秋はここ10年近く恒例となっているイタリア詣で。暮れにはまたまた日本を予定・・。中でも、今年のハイライトは南米の旅だった。目的地はペルーとチリ。ペルーは言わずもがな、マチュピチュ観光が最大の目的。ガイドさんのヘルプで、腰痛持ちでもなんとか登り切り、天空都市を目の当たりにすることができた。そして麓 (ふもと) の街アグアカリエンテで温泉にも浸かり、長旅の疲れを癒すことができた。感謝。次に訪れたチリは、私の海外旅行歴の中で50か国目、とうとう一つの目標が突破できた、記念すべき国となった。首都サンティアゴを訪れた大きな目的は雲丹 (ウニ)。世界中どこでも高価な雲丹が、サンティアゴでは驚くべき低価格で食べられる——という貴重な情報を、テレビ番組や誰かのブログで知り、ぜひ行かねば!と、コロナ前から計画していたのがやっと実現したのだ。念願通り、3食続けて雲丹を山盛りという贅沢三昧に明け暮れて、至福の時を過ごせた。こちらも感謝、感謝。結果、2023年も良い年だった。 (Belle)
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一昔前は、家族全員で紅白を観るのが恒例だった。でも、新しく建て替えた実家には、母親の意向で居間がない。だから一家団欒 (だんらん)、お茶の間に集まってテレビを楽しむこともなく、一人ひとりが自分の部屋で観ることにしたらしい (冷めた家族 笑)。昨年末に帰ったら、噂に聞いていたダイニングとは違い、不自然に窓の真ん前に大型テレビが置いてあった。母いわく、子供全員が久しぶりに集まるのに、年越しそばを食べて部屋に散り、勝手に好きな番組を観るのは、かな~り寂しいではないか!(笑)。やっぱり大晦日は、みんなで楽しく紅白を観たいよね!(笑) ってことで、急遽 (きょ) 、テレビを購入&設置場所を考えたらしい (笑)。そんなワケで去年は、特に姪っ子たちにこのテレビが大活躍。普段はご飯を食べたら、さっさと帰るらしいけど (笑)、元日もテレビの前に長く座っていた (笑)。あれだけ意地を張って、居間もいらん! 団欒なし! テレビは各々 (おのおの) で! と、建築プランを2年ほど言い続けていたお母さんが、一番うれしそーだったわ (笑)。PS:去年、さんざん家中のお酒を兄+兄の娘 (りさ子)+ゲストH部長+私で飲み干してしまい、空瓶のゴミの山を見て激しく呆れ果てていたお母さん。何と、年越し用に、世界中からワイン各種と、焼酎・日本酒をたんまり用意してくれている情報をゲット! 文句あるんだか、うれしいんだか (笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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夏休みに子どもたちと帰省したばかり——だと思っていたが、もう年末。今年もいろいろな出来事があったはずなのに、結構、忘れてしまっているので、思いついたままに挙げてみる。△まずは物価の高騰。とにかく、何を買うにも高い! ガソリン、電気、食品などは、なんとか節約しようと思いながら、食べたいものは我慢したくないし、ガソリンを入れないと車で出かけられないし・・。もともと節約が苦手なので、どこから削ってよいものか、皆目分からない。賢い人たちは知恵を絞って上手に節約しているんだろうけど、私ができることは、せいぜい使っていない部屋の電気を消して歩くくらいかな。△最近、すっかり落ち着いたかにみえた新型コロナウイルスの感染が、2022年末以降、日本や米国など世界各地で再拡大しているという。私もだいぶ慣れてしまって、マスクをしない日々も多くなっていたが、2週間ほど前、旦那のカゼが引き金となり、子どもたちも同じように鼻水、喉の痛みなどの症状が出ていた。私だけが平常だったので「みんな、うつさないでよ〜」なんて調子こいていたら、その数日後、ひどい熱と全身の痛み、鼻水、咳などの症状が出始め、数日間寝込んでしまった。風邪だったのか、コロナだったのか、検査をしなかったので分からないが、油断は禁物だと思った。まぁ、そんなところ。特に何もない2023年でした。(SU)

(2023年12月16日号に掲載)

 

車にまつわる思い出は「冷や汗体験」が多い。▽渡米直後に買った中古車はドイツ製の ハッチバック クーペ だった。9年落ちで走行距離は20万マイル+。前の所有者はかなり使い込んでいた。この車に7年間乗った。米国には車検制度がない。ある日のこと、メンテナンスの不備が災いしたのか、生命の危機に晒 (さら) されるとんでもない事態に遭遇する。アクセルを踏んでいないのに、轟音を立てて、車が勝手に急加速していく! まるでホラー映画! ブレーキも効かない! フリーウェイが一般車道に交わる直前、私はサイドブレーキを力一杯に引きながら減速させ、誰もいない歩道に乗り上げてエンジンを切り、危機一髪で事故を回避した。「制御基板の故障とブレーキオイル漏れが重なって起きた、珍しいケース」と整備士が説明してくれたが、車に呪われたような不気味さもあり、その場で「廃車にしてほしい」と告げた。▽2台目は日本製の旧式ミニワゴン。購入して1週間も経たない冬の朝に盗まれ、事故車となって乗り捨てられていた。警察署から “You're suspected of a hit-and-run.” ということで出頭要請を受けたが、事故発生日の前に盗難届が受理されていた事実が証明され、事なきを得ることができた。被害届をすぐに済ませたのが良かった。さもなくば、面倒な状況に置かれていたに違いない。 (SS)
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▽昭和30年代初期の日本、女性ドライバーが珍しかった時代、母は勇敢にハンドルを握った。故郷の福島から千葉へと移り住んだ我が家は、八百屋を開業。母は小さな白いスバルのバンで市場へと野菜を仕入れに行き、団地を巡っては挽 (ひ) き売りをしていた。時代とともに、八百屋はスーパーへと変わり、さらにセブンイレブンへと姿を変えた。車も、いすゞの3トン車や日産のブルーバードへと進化していった。男性ドライバー顔負けの母の運転技術を見るにつけ、私はいつも感心していた。時代は流れ、母もまた齢 (よわい) を重ねた。「80代半ばだよ。もう免許を返納した方がいい」と家族から薦められて、母は運転を断念した。その電話での寂しげな声が、今も私の耳に残っている。▽先日、駐車場でアクセルとブレーキを踏み間違えた。まぁ、何事もなかったから良かったものの、一歩間違えれば大惨事。ニュースで目にする高齢者のペダル誤操作による踏み間違い事故。反応速度の低下が原因で、一度のエラーが致命的な結果を招く。加齢により「なんで?」から「そうか!」への認識の転換が遅くなるとのこと。あの日以来、私はブレーキとアクセルを踏む際、常に疑念を持ちながら踏むようになった。慎重なペダル操作を心がけ、アクセルは優しく踏み込む。自分の運転に関して疑って掛からないといけないと、つくづく思う今日この頃。(NS)
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アメリカ生活に欠かせない車。今はもちろん必須だが、日本でも地方都市に住んでいたので、常に車がある生活だった。車好き&新しいもの好き (?) な父は、常に数台持っていて、どんどん車種を変えていった。そして、母の車は5年ごとに買い換えていたように思う。一番古い記憶は、三菱のディーラーに家族で行き、母用の車を買った時のこと。母は赤いミラージュを選び、車と一緒に黄色いエリマキトカゲの縫いぐるみやグッズをたくさんもらえて、嬉しかったのを覚えている。その頃はエリマキトカゲが流行 (はや) っていた。その後に買った車は車種は忘れたが白い車、次はワインレッドの車になり (会社の人と色が被って母が残念がっていた)、紺色の車にもなった。子供の頃は母の車でよく遠出をしていたので、車の変遷を覚えている。私はサンディエゴで留学中に運転免許を取得し、
中古車を買った。最初の車は当時で11年落ちの VW Rabbit。何度も故障して修理を繰り返し、5年ほど乗った。その後は、Honda CRX → Mitsubishi Mirage → Toyota Yaris Hatchback →Toyota Yaris Sedan。今年の頭に買い換えた Yaris には6〜7年乗りたいと思っている。7年後には息子も車を運転しているのかな。買い換え+息子の車・・・う〜ん、頭がイタいかも。 (YA)
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私は23歳で日本の運転免許証を取得したが、公共交通機関が便利な東京都心住まいでは、車の必要性はほとんど無かったため、運転は故郷に帰った時くらい。ほぼペーパードライバー状態だった。その流れで、サンディエゴ暮らしになったのだが、当地では、車は日々の生活でのスーパー必需品。早速、運転免許証の試験を受けるべくDMVへ。運転練習は元・旦那が所有していたスポーツカー。ちょっとアクセルを踏むだけでもかなりのスピードが出る。「おお!こわ!」そんなだから、ついついノロノロ運転になって、元・旦那に「そんな運転でどうする!」と、何度謗 (そし) られたことか。一方で、運転免許試験に合格するまでは、私の足はいわゆるママチャリ。当時、私が住んでいた Spring Valley は坂道が多い場所だった。数ある坂道を自転車で買い物に行くのはかなりの運動量。早く免許が欲しい・・。そんな思いの中、やっと免許が取れて、我が家に人生初の私の専用車がやってきた。早速、その車を恐る恐る運転した時の感覚は、今でも鮮明に覚えている。「自由だあ~。やっとこの国で、思いのままに動ける自由がある!」。カリフォルニアの澄んだ空の下、松任谷由美の「中央フリーウェイ」よろしく、アメリカンフリーウェイをスイスイ運転している自分を誰が想像しただろう。車様、あぁ、車様。私に自由をくれたあなたに、ひたすら感謝していますよぉ~。 (Belle)
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中古車しか持ったことがない (笑)。この車が、良いんだか悪いんだか、異常音やエンジンルームの匂い、オイル点検はもちろん、新車だったら全く心配ない、気を付ける必要がない部分にまで、ごく普通に、慣れというか、当たり前のように気を配っている (今どき? 笑)。少し前に乗っていた車が、人生で一番新しい新古車 (笑) で2008年モノ (15年落ち 笑)。手放して分かったんだけど、他の人が乗ってるのを見るたびに、これはマニュアルで突っ走る「走り屋さん」が乗るような、カッコいい車だったのね・・と納得。壊れてしまったので、タイミングよく次に手に入れたのが、時代はさらに遡 (さかのぼ) って1997年モノ (笑)。マニュアルではないので好みじゃない、けど、無傷で凹 (ヘコ) みもなし、内外装も新車のようにピカピカ。そして真っ赤。当時の車は窓に何も付いてないので直射日光が暑い。車窓用のシェードを3個用意したんだけど、全てミッキーマウスの絵 (しかなかった 笑)。ディズニーファンでもない自分が誤解されないかと、こっぱずかしい。けど、キレイな赤のボディにミッキー模様がメチャメチャ映える 笑。ハンドルはブレない、オイルも漏れない、サンフランシスコまで往復異常なーし。もう1台持ってるんだけど1996年モノ (笑)。人間で言えば26歳と27歳で聞こえがいいから、良しとしよっと (笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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車は毎日運転している。子どもの学校送迎、習い事の送り迎え、買い物、その他もろもろ。とはいえ、私は車に関する全ての行為が嫌いだ。面倒くさいのだ。ガソリンスタンドに寄るのも億劫 (おっくう) に感じてしまう。△最も憂鬱なのがオイルチェンジ。サービスステーションに行くと、整備士の人たちがあちこち調べては、「そろそろコレを換えた方がいい」だの、「アレをやった方がいい」だの、いろいろ言ってくる。私はオイルチェンジに来たのであって、その他のことは一切分からないし、聞いてほしくない。問われたところで、それが今、本当に必要なことなのか、やっておかないと危険なのかも判断できない。さらに、私が女だから、馬鹿にされているのかな (?) と、あらぬ警戒心が芽生えて身構えてしまう。精神的にも本当に疲れる。△長距離運転も苦手だ。おそらく、私が元気に運転できるのは約40分。自宅から一番近い日本食スーパーに行く距離がやっとのこと。それ以上運転すると強烈な睡魔が襲ってくる。だから、いつもより長い時間を運転する時はコーヒーや軽いスナックなどを用意していく。子どもを乗せている時はとりわけ神経を使う。幸いこれまで事故はないが、眠気というのは頑張っても勝手に目蓋 (まぶた) が落ちてくるので、途中で休憩を取らないとどうにもならない。正直言って、車の運転は向いていないと思う。(SU)

(2023年12月1日号に掲載)