荒波で有名な福島県いわき市の波立 (はったち) 海岸。平安時代に創建された海上鎮護を願う寺と、海に突き出た「弁天島」の朱塗り橋に赤色の鳥居が目を引く。この海岸で起きた、遠い昔の記憶に残る私 (たち) の名場面。・・高校1年の夏休み。ここで私は友人2人とキャンプをしていた。低気圧の影響で不意を突く高波が押し寄せ、風光明媚な小島に架かる弁天橋と鳥居も潮騒の中にあった。私とT夫はテントの中で警戒していたが、H彦は忠告を聞かず、浅瀬でカヌー型のゴムボートに乗っていた。「波が来るぞ!」。誰かが叫んだ。ややあって、黒いうねりが無言の迫力で押し寄せ、一瞬のうちに海岸が洗い流された。私とT夫は難を逃れたが、H彦の姿はなく、カヌーだけが波間に漂っている。「H彦~!」。叫び続けるも応答なし。憐れなH彦よ、15年の短い人生を終えたか・・。涙の中、昼食代2日分¥1,300の返済をしつこくH彦に催促していた自分の心の狭さを詫びた。その直後だった。眼鏡を飛ばされ、小指を骨折し、前歯を1本失ったH彦が「海の家」の床下から這い出てきたのは。周りの人々から拍手と歓声が上がった。雲間から差し込む神々しい夕陽を浴びて、3人は生きている喜びに言葉もなく抱き合っていた。やはり借金は返してもらおうと思った。 (SS) | |
▽子どもの頃、福島の田舎から千葉に引っ越した。開業したばかりの東京タワーの下で家族写真を撮った。セピア色した写真の中で、父も母も祖母も兄も私も笑っている。新幹線が走り、オリンピック、ビートルズ、フラフープ、だっこちゃん、力道山・・・、昭和30年代、日本も我が家も元気いっぱい、キラキラ輝いていた。▽学生時代、ワンゲル部に所属していた。初めての山行は岩場の急登 (きゅうとう) が続く至仏山 (しぶつさん) で、登っても登っても滑りやすい岩場が延々と続いた。山頂に立った時、前方に七色の光の輪ができて自分の影が映っているブロッケン現象を見た。まるで後光を背負った観音様がいるようだった。そして、一歩一歩進めば、必ず頂上にたどり着くことを学んだ。人生そのものだと思った。▽花のOL時代、軽井沢でルンルンしていた。タンデムの後ろに乗せられ、自分の意思に反して進む不自由さに耐えられず「前に乗ります」と買って出た。ちょっと困惑しているオトコを乗せて急勾配の坂を全速力で駆け上がり、恋愛映画の脇役にもなれない自分を知った。 (NS) | |
日本での留学生活は大学の勉強以外、金銭面のほうも結構大変だった (学費以外の生活費は全部自分で稼ぐと親に宣言したので、、、)! 毎日、授業後と週末は喫茶店でバイト、それ以外の自由時間は宿題に費やした。生活費と家賃は何とかバイト代でカバーできたが、余裕がまったくなかった。。。苦しんでいた私は大学3年の時に、外国人留学生を対象にした、日本全国のロータリアン(ロータリークラブ会員)の寄付金を財源とする「ロータリー米山記念奨学会」の奨学生に応募した。何と、生まれて初めて、奨学金 (期間1年、月12万円) をもらえる「ロータリー米山奨学生」になった (超感動)! そして、私はロータリー米山奨学生の一員として、毎月のクラブのミーティングに参加。ステージに上がり、母国台湾と日本との懸け橋となり、学業、異文化などについてメンバーの皆さんに報告するスピーチをした。最初のステージに立った時、一生忘れないほど自分を誇りに思った。自分の名場面だったと思っている! 両親にも見てもらいたかったが、自分にしか分からない、素晴らしい体験だった! (S.C.C.N.) | |
◇2002年にグリーンカードを取得してから5年後の2007年、米国市民権を取ることにした。申請用の書類を用意して提出。指紋を採りに行き、後は面接の日が来るまでに、シビックテストの問題回答100問を丸暗記した。面接&口頭試験はあっという間で、驚くほど簡単に合格がもらえた。後日、帰化宣誓セレモニーに出席した。『宣誓式』は卒業式みたいだなと思った。淡々と終わったけれど、これも自分の人生での大きな変化の一つ、忘れられない場面だ。◇2012年に縁あって結婚した。ベイエリアに住む夫の家族・友人と、日本からの私の家族・親戚のみの結婚式をサンフランシスコの小さなチャペルで挙げた。ステンドグラスの小さな窓付きの待合室、白とグリーンのアネモネのブーケ、チャペルの鐘を鳴らすお義父さん、バージンロードを一緒に歩いてくれた父、聖壇前に立つ夫、オフィシアントの叔母、ユニティキャンドル、あっという間の挙式だったのに、これらの場面場面がとても印象に残っている。 (YA) | |
△今年も Miramar Air Show が始まった。娘の通う学校の上空をデモンストレーションの飛行機がビュンビュン飛ぶ。昨日もお迎えの時、ショーに向けて練習中のブルーエンジェル数機がフォーメーションを組んで校庭のすぐ上を飛び回っていた。かなりの低飛行でものすごい爆音を轟かせているが、子供たちもすっかり慣れたもので平気な顔だ。数年前にはジェット1機 (多分ブルーエンジェルだっと思うのだが) がものすご〜く低く飛んできて、操縦するパイロットの顔が見えた! びっくり仰天の名場面! △ごみ収集の日。前を走るゴミ収集トラックがゴミ箱を持ち上げるのに停車したので、対向車が来ないのを確認して、トラックを抜かそうと動き始めたら、ゴミ袋が上から降ってきた。そして、私の車の真ん前に落っこちた。あと数センチ前にいたら、車のボンネットにゴミが散乱する事態になっていたかも。こんなことって滅多にない、起こらない (はず)。私にとっての名場面のひとつ。(RN) |
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私の名場面? そんなものが私の長~い人生にあったか? 何かの大会で優勝したこともないし、まして手柄をたてて表彰されたこともない。しばし考えてみるけれど、人様にはなかなか言えない迷場面は数々。売るほどあるが、自慢になるような名場面など、到底思い浮かばない。それでもこのマス目を埋めるためには、何かを絞り出さねばならぬと、じぃ〜っと過去を振り返ってみる。あったあ! 一つだけ。40歳からの自分の人生を考えて時間のない出版社を辞めて、欧州、アジアで3年遊んだ。その際、次の仕事に役立つよう、ワープロ (当時はパソコンはまだ普及していなかった) の練習をする際に、既存の記事を右から左に写すのは面白くないと、世界で遊んだ3年間の中で一番印象的だったインド料理研修の旅についてまとめることにしたのだ。この原稿が後に大手出版社の目に止まり、全く期待もしていなかった私の本が出版されることになったのである。その出版記念パーティの料理はもち、インド料理。そして友人のピアニストとN響のバイオリニストが祝いの曲にと弾いてくれたのがタンゴの名曲「ジェラシー」。参加してくれた80人の知人友人らの拍手喝采がいつまでも耳に残るほどの嬉しい瞬間、私の人生の唯一の名場面であった。 (Belle) | |
領事館出張サービス・パスポート更新にあたり、3.5 cm x 4.5 cmの顔写真が必要で、写真店に行かずともiPhoneでアプリをダウンロードして撮影し、ウォルマートで印刷すればいいや、と計画。USBに写真を入れてウォルマートの機械へ~。店の人が散々、パスポート写真サービスで撮れ、と忠告するのを振り切り(因みに米国用のコレ、日本用にもおっけ〜だった 笑)、機械で4" x 6"サイズを選び、3.5cm x 4.5cmの自分の顔が出てくると思い印刷した。 ら、、ぎゃああああー! 4" x 6"の紙全てを覆う自分の顔が、出てきたあ ーー ! (しかも2枚! 笑) こんなにどアップな自分の顔写真なんて、生まれて初めて見た! (笑) そして自分の顔を見て爆笑する自分にさらに笑えて (笑)、相思相愛男子をも笑わせようとして (わたしの顔写真なのに、笑うだろう確証1,000%)、奴の家に写真2枚を仕込んだ (笑)。1枚は読書中の本の表紙、もう1枚は冷蔵庫の中 (笑)。案の定、爆笑の渦。次の日に仕返しをさ (笑)、わたしの顔が冷凍庫に入ってたー!っていうか、自分の顔写真でこんなに遊べている姿は (そして当分続く 笑)、 我が人生を物語る名場面でしょー (爆) ・・・ (おーい、パスポート更新どうなった? 笑)。 (彩雲と那月と満星が姪) | |
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名場面というと、失敗したこと、恥ずかしかったことしか思いつかない。今でも忘れない『バス事件』。私は小学校の頃、毎週1回、隣町の耳鼻科までバスで通院していた。最初は親も一緒だったが、しばらくすると一人で通院。緊張していた私もだんだんと慣れ、バスの中で居眠りも・・・。大体は降りる停留所前で自然と目が覚めていたが、時々失敗もあった。ある日のこと、いつも通りバスに揺られて帰宅の途に。乗り物の揺れが心地良く、うつらうつら・・・。ハッと目が覚めると、 最終停留所も過ぎた、そこは何台もバスが並んでいる、バス会社の駐車場! 事態が読めない私は、パニック状態でギャーギャー泣き出した。幸いなことに、近くを歩いていたおじさんが気が付いてくれた! その人もビックリ! なぜここに女の子が? どうやら体が小さかった私は、バスの運転手から見えず、もう乗客は全員下車したと思っていたのだ。私を見つけてくれた、その運転手、私を慰めて喜ばそうと思ったのだろう。「おじちゃんが家まで送ってあげるから、大丈夫だよ」と言って、な、なんとバス1台を貸し切りにして、私を家の前まで送ってくれたのだ! バスのルートでもないのに、いきなり大きなバスが家の前に横付け。母親ビックリ!の、ひた謝り。とっても迷惑かけた、私の名場面。 (IE) |
(2017年10月1日号に掲載)