「雨のち晴れ、ときどき涙」
デビュー45周年を記念して、2015年5月に発表したスタンダードアルバム。J-POPや昭和歌謡の名曲のカバーに加えて、ビッグアーティストの書き下ろした新曲「壁の向こう」(中村中)、「ホームレス」(玉置浩二)を収録。全10曲、3,000円。アマゾンでも購入可能
来たる10月3日(土)&4日(日)、NTC at Liberty Station で2日間にわたって開催される「2015 San Diego Japan Fair」の10月3日のスペシャルゲストとして、日本から研ナオコさんが出演する。シンガーとして数々のヒット曲を世に放ち、また、女優、バラエティ出演など輝かしいキャリアをもつ研ナオコさんに、サンディエゴでの初公演を前にお話を伺った。
新しいアルバムを発表
今年デビュー45周年を迎えてアルバム「雨のち晴れ、ときどき涙」を発表しました。カバー曲8曲に、中村あたるさんと玉置浩二さん書き下ろしの2曲を加えた全10曲。人生は雨ばかりでなく、晴れる日もある。そして、泣きたくなる日もある。そんな、人生観を歌っています。大人の方にじっくり聴いて頂けたら嬉しいです。
ビッグアーティスト書き下ろしの新曲
中村中さんの「壁の向こう」は彼女の人生そのものを歌っている、とてもせつない曲です。玉置さんが作詞作曲した「ホームレス」は、大切な人への思いを
歌ったバラードで、命の尊さや人を愛し慈しむ気持ちを感じられる曲です。
働き者の母から人の道を学んだ
実家は静岡県の兼業農家で、父が外で働き、母が家事、子育て、農作業を一手に引き受けていました。早朝から深夜まで働き詰めで、そんな生活を何十年も続けて、祖母の面倒も見て…。母のにおいは汗のにおいなんです。子ども3人を育て上げてくれた母に感謝しています。
歌手になるまでの経緯
子どもの頃から歌うことが大好きでした。12歳の頃に静岡放送の「のど自慢大会」に飛び入り参加して「悲しい酒」を歌って見事合格。親戚のおじさんが宝塚の照明をやっていて、新しいレコード会社のオーディションを薦められて、高校1年で学校を辞め、親の反対を押し切って上京したんです。学校には「両親は賛成」、両親には「学校は賛成」と言いました。正直なところ、親に楽をさせてあげたい、築100年の家を建て直したい、という思いがあったんです。
下積み生活
オーディションを受けて、1年くらい経ってデビューしたんです。でも、あまり売れず、マネージャーと夜行列車に乗って全国キャンペーンをしました。レコード、色紙、カラオケテープを持って、毎日レコードジャケットと同じ服を着て、スナックに飛び込み営業。2か月お風呂に入らなかったこともあるし、北海道や東北の冬は雪が深いのできつかったですよ。
人生最大の転機
新曲「愚図」との出会いが転機となりました。75年に「愚図」がヒットして、やっと歌手として認めてもらえたんです。それまではタレントとしか見てもらえなかった。この曲がなければ、歌手の研ナオコは存在していないと思います。
影響を与えた人物
小林幸子さんですね。同い年なんですけれど、彼女が小学校6年生の時にデビューして、それをテレビで見て「子どもでもデビューできるんだ。こんな年で歌手ならわたしだって…」。それからですね、本気で歌手になりたいと思ったのは。
歌は語って、芝居は歌うように
歌い上げると、自分の世界に入り込んでしまって、自己満足で終わって、曲の心が伝わらないと思うんです。あまり上手に歌われると、うるさいよって思っちゃうんです。自分の感情は2、あとの8はお客さまに預ける。歌は語るように、芝居は歌うようにしているんです。
これからの夢
アメリカが好きなので、日本とアメリカを行き来できる仕事をしたいですね。子どもたちにもそんな生き方をしてもらいたいと思っています。そしていつか、アメリカに住んでみたいと思っています。
サンディエゴの皆さんに一言
直接お会いできる時間は少ないと思いますが、私の歌で、懐かしい日本や匂いを感じていただければ嬉しいです。
研ナオコ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2015年9月16日号掲載)