Monday, 27 May 2024

ゆうゆうインタビュー ロバート・“シタ”・ウェルチ・ジュニア

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部族はどのくらい昔から当地に定住しているのですか。

クミアイ族はこの地域に1万年以上も住み続けています。クミアイ族は12に分かれたグループで構成されており、私たちはビエハス一族で、それ以外にバロナやシクアンなどのグループがあります。ビエハス一族は他族と全く特徴が異なります。私たちはかつて多くの儀式でフクロウの羽を使いましたが、ほとんどのインディアン部族はフクロウやフクロウの羽とは関係が無いという違いがあるのです。


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Viejas Mountain looming over the 1,600-acre Viejas Reservation.
——そこにはどのような意味があるのですか。
 

多くの部族はフクロウは縁起が悪いと考えています。でも、私たちはそのようには考えませんでした。もう一つの違いは、私たちの権力譲渡の方法です。私たちのグループの族長が亡くなった後、次の族長は私たちの中から選ばずに、他のグループから招き入れるのです。彼は別のグループで族長となるように育てられているのです。このような方法を取り続けている理由は、族長となる人物がここへ移り住み、私たちを指導したり選択を迫られた時、彼は自分の家族がいないことから公平で偏見のない決定ができるからです。「えこひいき」なしに。


—— 芸術家になることに対して両親の理解を得るまでは時間がかかりましたか?

彼らが私の仕事を受け入れたのは、ハワイで最初に本のサイン会を開いた後だったと思います。私のマンガ「兎用心棒」が登場した当時、私は数年間フリーランスの仕事でカリフォルニアに住んでいました。全てが上手く進んでおり、ハワイの本屋から電話でサイン会に招待されました。父はこの機会に私に会いに行こうと考えていました。混雑するとは考えていなかったと思います。ところが、長い行列が出来ていたため、彼は店に入ることができませんでした。この出来事が彼が私を認めたきっかけだと思います。


—— インディアンは長年、時代の波に翻弄されつつ様々な変化に耐えてきたと思いますが。

若い頃の私は貧乏でしたが、ヨーロッパ人が渡来する以前は私たちのコミュニティは繁栄していました。初めてヨーロッパ人が入植したとき、私たちの人口は約25,000人と推定されています。それが1850年代のゴールドラッシュの頃になるとインディアンを殺戮 (さつりく) することが合法となり、1904年当時には僅かに1,700人が残っているだけでした。歴史家たちはインディアンたちを狩猟族あるいは採取族と判断していましたが、クミアイ族は恐らくこの辺りで最も優れた園芸家でした。一族はスカッシュやコーンを栽培し、パンを作るための小麦を育てる特別なスタイルを特徴としていました。私たちは季節の変化に応じて移動し、夏はビーチ、冬はミッションバレーでドングリを集めていました。大地と季節の調和の中で生活していたのです。その間、指定された地域には必ず1人が常駐して留守を守っていました。さらに、優れたメッセンジャー・システムも確立され、一つの部族やグループから他の部族への連携も保っていました。少年が次のステーションまで走り、そこで伝言を渡して中継していたのです。

現代になっても、カジノを経営する前の私たちは極貧状態でした。誰も私たちのことを気に掛けず、私たちが存在していることさえ知りませんでした。差別はまだ一般的に存在しており、私の母はアルパインの小学校へ通っていたとき、そこには白人用とインディアン用のトイレが別々に設置されていたそうです。カジノ経営が始まる前は、誰もサンディエゴ郡内に17のインディアン・リザベーション (特別保留地) が指定されている事実を知らなかったのです。当然、どんな部族がここに存在していたかも知らなかった。私たちには財産も無く、曽祖父は売るための弓や矢を子供たちに作ってくれました。私たちはフード・プログラムや福祉援助といった連邦政府の政策に頼りつつ、親切な人々の施しを受けて生計を立てなければならなかったのです。教会に衣服を寄付してくれる人もいました。私は今でも叔母たちが洋服の入った箱の間を通り抜けながら、どれが自分にフィットするかを探していた姿を覚えています。紛れもなく、私たちは貧乏の真只中にいたのです。


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Viejas staff and family members help sort canned goods for the annual San Diego Food Bank Holiday Food Drive.
——現在のリザベーションの境界線はどこですか。

連邦政府が私たちに与えた場所で、その後で私たちが追加した土地も含まれます。私たちの土地はかつて太平洋岸から南はバハノルテのエンセナダ、東はコロラド川、北はワーナースプリングバリーまで広がっていました。現有するリザベーションは1,609エーカーで、さらに800エーカーを購入しました。部分的には現在の保留地と隣接しており、ある部分についてはリザベーションに追加されるようトラストランドの保護下に置かれるのを待っています。私たちは既に商業地として区画されている望ましくない土地も所有していますし、アルパインにも不動産を持っています。


—— あなたの部族やインディアン・リザベーションが現代に復興する契機となったのは。

私たちの部族の復興は他の部族がカジノ経営に参入した1983年に始まりました。その年に、先ずバロナがビンゴホールをオープンしました。私たちは機会を待ち、様子を窺うという姿勢を貫いていたので、1990年までカジノ経営には着手しませんでした。やがて私たちも参入するのですが、既に時代の流れに乗り遅れていました。私たちは最初にカードルームを始めたものの閉鎖を余儀なくされ、後に数多くの出資者を得て規模を拡大し、1991年9月13日に新装オープンに漕ぎ着けたのです。経営は日々綱渡りでした。当時は、インディアンのカジノ経営に難色を示していたウィルソン知事の時代でした。突然の州政府による手入れにより、私たちのマシンは没収されました。幸運にも、私たちはそれを取り戻すことができましたが…。

2000年にインディアンと州政府との正式な協定を結ぶまで、多くの合法的争いが繰り返されました。それまで私たちの運命は政府の気まぐれに左右されていたのです。今、私たちと連邦政府や州政府との関係は素晴らしく改善されています。この建物を見れば、私たちの成功とともに増築されていった経緯を理解してもらえると思います。2,000台のスロットマシンを設置した時がターニングポイントでした。


—— ハリウッドで無一文から大金持ちになった、アメリカのサクセスストーリーのようですね。

その通りです! 私たちは誰も知らないうちに静かに成功を手に入れたのです。ところが不幸なことに、私たちが首尾よくビジネスを進めていることに人々が気付き始めた時、反対派がさらに法案を導入しようとして多くの訴訟が起こされました。これらの合法的挑戦に私たちが打ち勝ったことについても彼らは憤慨したのです。今日、インディアン側の弁護士はロビー活動などを通じて議案の通過に情熱を注いでおり、反対派の得意とする法廷闘争でも彼らを負かすことができるようになりました。司法判断も私たちを支持してくれています。私たちがウィルソン知事と争っていた時代には戦術に長けた手強い人々を相手に戦っていました。その経験から私たちは成長し、どのように議案通過のための運動を行うか、どのように立法システムが働くかを学んだのです。次の展開を読むために、ひたすら大金を投入していた愚かな時代は過ぎ去りました。でも、私たちは常に戦っています。今日私たちが勝っても、明日には次の戦いが待っています。終りはないのです。


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Showcourt: Blending old and new. Design ques recreate the atmosphere of ceremonial grounds where elders passed on wisdom and knowledge. © 2004 Sony Pictures Digital Inc.
—— ビエハス・エンタープライズはリザベーションに何を提供していますか。

現在のところは、敷地25万スクエア・フィート以上、24時間営業のビエハス・カジノです。これにより2,300人以上の雇用を創出しました。内部には2,000台のポピュラーなスロットマシンとゲームプレイヤー用の80テーブルを用意しています。また、通りを挟んで57店が営業しているビエハス・アウトレット・センターがあり、そこでも700人の雇用を提供しています。グローブ・ステーキハウスなどのバラエティに富んだレストランも5軒あります。


——ここで働くようになった経緯は。

10年間のビジネスを通して、多分私は最古参のメンバーです。カードルームをスタートした時、私は警備員として働いていました。その後、閉鎖を余儀なくされ、ビエハス・カジノを建設した時には夜間警備員として働きました。暫くすると、私は6人の子供の父親となり、彼らを養育しなければならず、場外馬券投票の夜間マネージャーの職に就きました。その仕事に飽きた頃、妻が強引に私を定職に就かせたのです (笑)。私は木曜から日曜の夜に働き、妻は月曜から金曜の日中に働きました。妻が家に帰るのと行き違いに、私が仕事へ出掛けるという生活でした。でも、私たちは最高のリレーションシップを保っていたと思います。何故なら、口論する時間が無かったからです! 時々家計が苦しくなると、私は夜間のシフトの時に子供たちのために弓矢を作りました。ちょうど曽祖父が私に教えてくれたように。


——ビエハス・エンタープライズにおける現在の役職とは。

私はビエハス・エンタープライズの最高経営責任者であるフランク・リオロを直属の上司として働いています。私たちの仕事は部族のための投資、インディアンの規則や自分の部族の法令などを管理することです。私は基本的に彼から指示されたことを何でもこなします。加えて、上院、下院議員などをゲストに迎えてツアーを行います。部族とフランクの橋渡し役も務めています。私は部族のエチケットについて言及し、何をすべきか、何をすべきではないかを礼儀上の観点から指摘し、彼のアイデアをどのように浸透させるかについてアドバイスもします。


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Viejas Outlet Center and courtyard with the showcourt in the background.
—— 部族のメンバーと初めて会う時、知っておくべきことは何ですか。

基本的にあらゆる場面での対面と同じですが、部族の長老を訪ねるときは贈り物を持参したほうがよいでしょう。ある部族はタバコが好きですが、それも場合によります。仮に、あなたが私の祖父と初めて会うときはスイカ、キャロットケーキ、アップルパイなどが幸運を招くでしょう。そうすることであなたに扉が開かれます。フランクに対しては心配していません。私の祖父は当社の重役会の1人に名を連ねているからです。でも、フランクは 「部族委員会のメンバーがこう言ったら、私はどうする?」 と時々訊ねてきますけどね。


—— 今後、どのような投資に興味がありますか。

一般企業と同様に投資による利潤を求めていますが、ビエハス・カジノ以上の投資を行うことはないでしょう。それでも、長期的に利潤をもたらす、戦略上有効と思われる投資の対象を求めていきます。私たちはアウトレット・センターやボレゴ・スプリングズ・バンク、2か所の RVパーク、そして3部族とのパートナーシップによる2種類の投資を手掛けています。その対象はホテルです。一つはワシントン D.C.で、今年9月にオープンするネイティブ・アメリカン・ミュージアムから僅か1ブロック半の場所に来年1月に開業予定の物件。もう一つはサクラメントの州都ビルの右にあるホテル。州都ビルのバックドアから覗くと、木々の間からそのホテルが垣間見えます。


—— 多くの人はクミアイ・インディアンのビエハス・グループが主権を持つ独立自治体として認可されている事実を知りません。簡単に説明して頂けますか。

私たちはアメリカ憲法と協定により自ら統治権を持つことが容認されています。基本的に、私たちは政府の中に存在している内的統治体なのです。私たちは私たちの方法で、自分たちに適応した独自の政府をもつ権利を有しています。そして、所有地と部族のメンバーを統治するための司法権を持っています。また、カリフォルニア州や連邦政府との政府間同士の関係も調整しています。しかし、同時にインディアン・リザベーションは連邦政府の土地になるため、境界線の内部でも連邦法にも従わなければなりません。つまり、軍基地のキャンプ・ペンデルトンのような感じです。でも、私たちは自身のリザベーションで何をしたいかという意思決定の権利を手にしているのです。  私たちは288人から成る小さな部族です。18才以上の選挙員は186名を数えます。如何なる事案も選挙員の投票によって決定しますし、私たちの利益を代弁する部族審議会のメンバーも選任制です。ちょうど上院、下院議員のようなものですが、選挙員が最終的な決定権を持っています。話題を賑わしている数多くの社会事象の中に、皆さんが私たちの名前を見出すはずです。自分たちが望むものは何かを知っている私たちは、最終的にそれを獲得していきます。私たちは最初から先見性に富んでいたと自負していますし、物事の進め方を熟知しています。自分たちのことを十分に代弁してくれる者は、自分たちをおいて他には存在しないのです。


—— 現代的なビジネス文化と伝統的なインディアン文化や哲学は上手く溶け込んでいますか、それとも矛盾がありますか。

47_5.gifほとんどの場合は矛盾なく溶け込んでいます。時には、私たち自身では十分に判断できないこともあります。アメリカのビジネス界のように素早く行動に移さないのが私たちなのです。最後の局面になって漸く動き出すこともありますが、基本的には座して様子を見ています。普通のビジネスのペースとは異なる段取りで物事を進める必要性が出てくるのです。私たちは独自の政府の下で生活しているので、全てを構成員の承認や投票に委ねなければなりません。それは時間が掛かりますが、私たちはこの方法を取っています。



—— カジノは成長していますか。それとも別の計画へ展開する可能性がありますか。

明らかに成長しています。実は、誰もが私たちに「ビエハスのホテル、ゴルフコースはどこですか?」と尋ねてきます。現在、私たちは契約の交渉段階にあり、終了まであと1か月を要します。待って、様子を窺っている状態なのです。バロナは独自のホテルを持っていますし、ペチャンガもホテルを建設しました。私たちはより正確に評価ができるよう、彼らの成功や失敗を見据えながら学んでいます。それにより、最良の判断ができるのです。


—— ビエハスとあなた自身のコミュニティーとの関わりを話して下さい。

私たちは毎年多額の寄付金を異なった団体に献金しています。それが子供に関わる事柄であれば、私たちはいつでも喜んで寄付しています。現在、全てに応えることが不可能なほど、各方面から多くの要望を受けています。同時に、私たちは乳がんや MS (多発性硬化症=中枢神経系疾患) などの患者や研究に対して多大な援助を行い、サンディエゴ・フード・バンクへの主要な寄贈者でもあります。特に、クリスマスや感謝祭の慈善活動を目的にしています。かつて、私たちは恩恵を受ける側でした。その好意へのお返しができるというのは実に素晴らしいことです。「施し」 は私たちの文化の一部なのですから。


—— 教育を通じて個人的にコミュニティーに関わっていると聞きましたが。

そのことについて少しだけ話しましょう。11月のネイティブ・アメリカン月間を迎えると、私は何度となく学校からスピーチを依頼されるのです。通常は私1人がそれを委託されます。私の子供が学校に通っていた頃、学校側から要請を受けてスピーチをしましたが、それが今でも何となく続いているという感じです。依頼を受ければ、幼稚園から高校まで出掛けていきます。(ロザリオの数珠を取り上げて) これはセント・アンセム・アカデミーで私のために作ってくれたものです。後ろにあるバインダーを見て下さい。そこには生徒たちが私に書いた手紙が詰まっています。講演では子供たちの学年に応じて、先祖伝来の土地でインディアンは何を食べていたか、何をしていたかなど、私たちが語り継いできたことについて話をします。幼い子供ほどインディアンの小道具が必要です。彼らはその小道具を気に入ってくれるので、これまでに背負い板、弓矢、羽などを作りました。この矢はフクロウの羽を使った本物です。本来はフクロウを使うことはできません。ネイティブアメリカンのみが獲物の鳥の羽を持つことことが許されるからです。ですから、普段は七面鳥などの羽を使用しています。


—— 将来に向けて力を注いでいることは何ですか。

今、私たちの主要なビジネス目標はマーケットを再検討することです。私たちはサンディエゴの市場は開発の端緒を開いたばかりだと考えています。まだ誰も本格的に観光旅行者のマーケットに参入していません。私の見解として言えることは、私たちは今後、恐らくビジネス推進と文化的試みの両輪を回しながら歩んでいくだろうということです。全てを語ることはできませんが、今後の私たちに注目していて下さい。


ロバート・“シタ”・ウェルチ・ジュニア

ハス・エンタープライズ、トライバル事業部・営業開発副統括。1991年、ビエハス・カジノにおいて最初の従業員50人の1人として雇われ、現在の地位に 就くまで警備員、夜間警備員、場外馬券投票の夜間マネージャなど数多くの職歴を重ねる。子供の頃、弓矢などの工芸品について曽祖父ボブ・クゥイタックより 学ぶ。これらのスキルを用い、第1子誕生の際に伝統的なインディアンの背負い板を製作。現在、サンディエゴの各学校を通じてそのスキルを披露している。妻 ミケレネさんと6人の子供 (シーザー、ヴァネッサ、キャメロン、クリストファー、TJ、ジャクリーン) と共にインディアン特別保留地に在住。クミアイ・インディアンのビエハス一族、ビエハス・エンタープライズについての詳細は http://www.viejas.com へ。

(2004年9月1日号に掲載)