—— ティーチングプロについて説明して下さい。 アメリカのゴルフ界には、丸山茂樹選手のようにツアーに参加して活躍するツアープロと、ゴルフ指導を専門とするティーチングプロが存在しています。華やかなイメージのツアープロに対してティーチングプロの認知度は低いのですが、タイガー・ウッズのようなトップツアープロでさえ専属ティーチングプロの指導を受けているのです。ティーチングプロは PGA (プロゴルフ協会) と LPGA (女子プロゴルフ協会) のいずれかに属していますが、プロになるには先ず実技試験に合格しなくてはいけません。その後、ティーチングメソッド、心理学、人体学、ゴルフクラブの科学などの講義を受講して必要単位を取得します。そして、度重なる筆記試験に合格した者だけがティーチングプロの認定を受けるのです。 ティーチング部門が設立されたのは LPGA が誕生して9年後の1959年のことです。日本ではつい2~3年前に設立されたばかりなので馴染みが薄いようです。私をツアープロだと思っている多くの日本人の方から「毎日ゴルフをしているのでしょう?」とよく聞かれるのですが、私の仕事はティーチングですから、実際に自分がゴルフをするのは月に1~2回程度なのです。ツアープロは毎年人数枠が決まっていて上位成績者だけが自動更新されます。更新不可となれば、また初めからやり直し。厳しい勝負の世界に身を晒しているツアープロこそ大変だと思います。有名なプロになると、トーナメントの無い日は8時間以上も練習をしています。でも、彼らには筆記試験が無いのです。これはいいですね! (笑)。一方、ティーチングプロは講義を受ける義務があり、勉強しないと資格を維持できない仕組みになっています。セミナーはフロリダ州やアリゾナ州で開かれているので、出席するには費用も時間もかかります。 ——PGA と LPGA ティーチングプロの違いとは。 PGA ティーチングプロは、ゴルフ指導のほかにゴルフ場のヘッドプロとなることを最終目的としています。簡単に言えば、ゴルフ場の社長になるようなもので、クラブ経営から人事までの全てを任される立場です。ですから、受講科目もほとんどはゴルフビジネスで、商品取引、ディスプレイ、コース設計などを含む十数科目を学ばなくてはいけません。その点、LPGA ではティーチング自体を目的としていることから、心理学、人体学、スイングメカニック、クラブ科学、トーナメント指導、ルールなどの勉強に限定されています。 公認プロの資格を維持するために、LPGA ティーチングプロはゴルフ業界での週20時間勤務、PGA ティーチングプロは週40時間の勤務が必要です。私は当初、PGA の実技テストに合格し、3年間 PGA に在籍していましたが、ティーチングこそ自分が目指すゴールであると自覚して LPGA に転向しました。ゴルフ場のヘッドになりたいという夢を抱いたこともありません。 —— ゴルフを始めた契機は。 私は1993年に主人の転勤に伴ってサンディエゴに来ました。やがて、ゴルフを習い始めた日本人の友人に頼まれて、彼女のレッスン中の通訳を担当するようになりました。そしてある日、急に彼女の都合が悪くなり「当日キャンセルが効かないので、代わりにレッスン受けてくれない?」と言われ、思い掛けずも私が指導を受けることになったのです。そして、私のスイングを見たティーチングプロの「あなたはレベルの高いアマチュアゴルファーになれる。こんなに綺麗なスイングをする人を見たことがない!」という褒め上手な言葉にコロっと参ってしまって… (笑)。その日からラケットを捨ててゴルフクラブだけの生活になりました! それまでは年に2回ほどゴルフに興じる程度で、情熱など全くありませんでした。でも、彼の一言で真剣にゴルフを始めてみようと思ったのです。この時、私は45歳でしたが、60歳までにティーチングプロになることを決意しました。 ツアープロは最初から考えていませんでした。気力と情熱と努力だけで成就する世界ではありませんし、既に LPGA シニアツアーの年齢でしたからね (笑)。ゴルフとの出会いが30年前だったら、また違った展開があったかもしれませんが…。ティーチングプロなら体力面で45歳からでも遅くないと思えたのです。 —— ティーチングプロに合格するまでの経緯は。 当初はゴルフスクールに通いたかったものの、子供の学校の送迎などに忙殺されて諦めました。その代わりに、学校に行ったつもりで、近所にあるイーストレイク・カントリー・クラブで頑張ろうと思ったのです。ゴルフスクールは毎日レッスンとラウンドの繰り返しですから、それと似たようなスケジュールを続けていこうと考えました。3年間の会員になり、レッスンも最大限に取りました。何しろ年齢と体力の競争でしたから、帰国する状況が訪れる前に何とか上手くなりたいという焦りから、可能な限り時間を費やしました。その甲斐あって、3年半でティーチングプロに合格できたのです。子供たちが学校に通っている間、月曜から木曜の午前7時~午後2時20分まで練習に没頭し、金曜と週末は一切ゴルフをしませんでした。主人は「例えプロになれなかったとしても、夢に向かって努力している母親の姿は子供たちに良い影響を与えるに違いない」と言って協力してくれました。家族全員が私を応援してくれたことを大変感謝しています。 ——ゴルフ指導をする上で心掛けていることは。 サンディエゴに来る前は、夫の勤務地のカナダのモントリオールで6年間の駐在生活を送っていました。実を言うと、モントリオール時代はテニスに挑戦したんです。36歳で生まれて初めてラケットを握った私でしたが、アマチュア大会で優勝するまでになりました。テニスもゴルフも、適切な指導と周囲の協力があったからこそ上達できたのです。ですから、私もプロとして、生徒に意欲を起こさせてゴルフ技術を最大限に伸ばしてあげることが自分の役目だと思っています。誰もが初心者からのスタートですから、初めから上手くいかないのは当然です。自分がゴルフを始めた当時の姿を思い出しながら、常に優しさを忘れずに生徒の皆さんに接するよう心掛けています。 人間の性格がそれぞれ異なるように、ゴルフのスイングも千差万別です。「こうしなさい」という雛型 (ひながた) は無いのですが 「これはいけない」 というスイングはあります。自分のスイングにポリシーを持ち、間違っていないと信じ込んでいる生徒に対しては、相手を傷つけずに矯正する技術が要求されます。そんな理由から、私たちは心理学も勉強しているんです。自分は医者のような立場にあると思っています。個々のカルテを見て診断し、病状が現れている箇所を処方して治療してあげるわけです。全然ゴルフが上達しないという人がいれば、それはティーチングプロの責任です。ゴルフを楽しいと思うようになるか、二度とプレイなどしないと毛嫌いしてしまうかは、私たちプロの力量次第だと思うのです。 —— テニスであれゴルフであれ、熱中しやすい性格のようですね。 そうですね。2つのことを同時にこなすのは苦手ですが、何かを決心すると、もうそれだけに集中して突き進んでしまうタイプなんです。例えば結婚後に、ピアノと違う、型にはまらず自分でアレンジできるエレクトーンに興味を持ち、習い始めたことがありました。ピアノは小さい頃から自己流で弾いていましたが、エレクトーンは全くの初心者でした。エレクトーンを習い始めて半年後、ブライダルプロデュース横浜の結婚式場での BGM 奏者のオーディションにも合格できたのです。この仕事は子供が生まれるまで十分に楽しませてもらいました。夫のモントリオール駐在が決定したのはその後、私が34歳の時。モントリオールと言われてもピンとこなく「どこにあるの?」という感じでしたが、駐在の知らせを受けた翌日に英会話テープを購入し、まだ幼かった子供たちを公園で遊ばせている間も一心不乱に聞き入っていました。一度、家族で東京ディズニーランドへ行ったんです。電車の中でもディズニーランド内でも外国人を見かけるとすぐに駆け寄り、「Hi! How are you?」 と声を掛けていました。自分の英語が本当に通じるのかを試そうとしたのです。私の英語に相手が反応してくれたので「英語は何とかなるに違いない!」と信じていた私は、海外生活に対する不安など全くありませんでした。 —— 海外生活で得たものは。 日本を離れて「人種に関係なく、言葉の壁があったとしても、人間の心と心は通じ合える」ことを学びました。モントリオールでの生活が始まった翌日、私は子供たちを連れて公園まで出掛けました。そして帰宅してみると、玄関の鍵が壊れていて家の中には入れない状態 ̶̶̶。そこは日本人が1人も住んでいない地域で、私には知り合いもいない…。財布を持っていなかった私は主人に連絡すらできなかったのです。9月とはいえ、夕方ともなれば外は非常に寒くなり、屋外で主人を待てる状況ではありませんでした。勇気を出して隣家を訪ねたのですが、あいにく留守。もう1軒先の家を訪ねてみると、その家の夫人が見ず知らずの私たち親子を暖かく迎え入れてくれたのです。日本で多少英語を身に付けてきたとはいえ、実際にはチンプンカンプンでした。でも、家に入れなくて困っているという状況が、どうにか彼女に伝わったのでしょうね。やがて近所の皆さんとも仲良くなり、頻繁に行き来する間柄になっていました。モントリオールを離れる時は、別れがとても辛くて飛行機の中で一生分の涙を流しましたね。もう二度と会えないと思ったのですが、2年後に彼女たちが東京の家に会いに来てくれたのです。この時から「別れはさようならではなく、じゃ、またね」 なんだと実感しました。 —— 今後の夢は。 女性やジュニアのゴルファーをもっと増やしていきたいですね。まだまだゴルフ人口のほとんどが男性で占められていますからね。日焼けを気にされていらっしゃる女性が多いので、何とか最高の日焼け止め化粧品を○○社に開発して頂いて… (笑)。いつの日か、ゴルフをされている日本人の全員参加による 「サンディエゴ・ジャパニーズ・トーナメント」 を開催したいと思っています。サンディエゴで一番の腕前を持っている人は誰なのか ̶̶̶ とても興味がありますね。僭越ながら、毎年の恒例行事として皆さんに参加して頂ける 「サダミ・カップ」 を創設できたらいいなという願望もあります。 (2004年8月1日号に掲載) |