Monday, 27 May 2024

ゆうゆうインタビュー 石井龍二

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渡米の契機は。

日本にいた20代前半の頃の私は定職にも就かず、その生き方はヒッピーに近い感じでした。その当時、アルバイト (今でいうフリーターの立場で) でジムのトレーナーなどをしながら細々と食べていて、何となく「アメリカに行きたいなあ」と思っている時、翻訳家の友人に勧められてある英語学校に通い始めました。アルバイトや学校で知り合った友人のほとんどが定職を持っていませんでしたね。ある仲間はニュージーランドへ渡り、私もニュージーランドへ行くつもりでしたが、タイミングが合わなくてね。少し時期を遅らせて一人でアメリカに来ました。今こうしてここに居るのも、あの時の仲間の影響があったのかもしれないですね。皆が青春時代を謳歌していました。無一文に近い状態でその日暮らしでしたけれど、毎日がとても楽しかった。


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陸上部に所属していた中学生時代 (1965)
——その頃の野望は。

全く身勝手で自由奔放な生活をしていましたから、野望など全然ありませんでした。でも、歳を重ねていけばね…。23歳くらいになってからかな、英語を身に付けたいという思いも含めて、とにかく海外に行って何かをしようという野望が自分の中で生まれてきました。具体的な行動計画というものはありませんでしたが、アメリカに行って何かを見つけたいという気持ちでした。私は昔から人と同じことをしたり、団体行動に自分を合わせることを毛嫌いしていた。だから、当時の日本の体制というか、束縛された世界というのがすごくイヤだったんです。


—— 現在の仕事を志した時期と理由は。  

1977年に25歳で渡米して、カリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校 (カーソン市) に通い、会計を専攻したのです。それで公認会計事務所に就職し、夜は公認会計士の試験を受けるためのクラスに通っていましたが、十二指腸潰瘍になって事務所を辞めました。私としても会計が自分に合っていないこともよく分かっていましたが、生きるため、食べていくためには仕方がないと…。当時はアメリカに日本企業がどんどん進出して会計士の需要が高かったのです。しかし、この仕事はかなりの重責でした。私には自信も無かったし、本来好きな仕事じゃなかったですしね。そして病気になってしまい…。 それで、以前から声を掛けられていたある日系の食品会社に再就職しました。それがフードビジネスに携わった最初の経験になったわけです。最初は会計担当で入りました。その当時、開設されたばかりのフランチャイズ・ディビジョンがありましてね。それはオリエンタルフード、言ってみれば中華料理とスシバーを合わせたコンセプトのファーストフードレストランでした。私は大きな問題を抱えていたフランチャイズを任されたのですが、フランチャイズ・システムの知識も無く、スタッフも全員知りませんでした。多くの問題を片付けるのに時間を取られてしまい、そのディビジョンではとても苦労をしました。


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20歳の頃 (1972)
—— その食品会社でスシの実演販売を思い付いたのですか。  

いや、初めて食品関係に携わったというだけで、何かにチャレンジしようという気概などは全然ありませんでした。ただその時、クレームだけは物凄く寄せられていました。何故クレームが多いのかと言えば基本的に儲からないからです。15万ドル近くも投資しているにも拘らず、業績は芳しくないし、キャッシュフローが厳しくなって半年後にはそれを半額程度で売ってしまう。非常にヘビーなコンセプトだなと思った私は、投資金が少なく効率の良いコンセプトを考えなければという思いにかられていました。このディビジョンは改革が必要との思いからオーナーにいろいろと助言しましたが、結局は受け入れられず、私が身を引いた形になりました。  

私はスーパーマーケットによく買物に行っていまして、惣菜コーナーにはとても魅力を感じていました。日本のデパートの地下食料品街を思い出させてくれるような印象を受けていたんです。それで、惣菜の延長上に、既に流行りだしたスシのテイクアウトを持ってきたら面白いじゃないか
という考えが序々に固まってきたのです。非常に楽なスタイルで投資金も要さず、マーケット側にも負担が掛からない。当時の私はお金が無く、投資金の少ないコンセプトしか思い浮かびませんから、必然的にそんなことを考えていたわけです。


——今後の新しい企画は。  

スシのコンセプトに関して言えば、スーパーマーケット内というのは今や飽和状態です。でも、別の分野ではまだまだ市場が開拓できます。例えば、米軍基地の中にもマーケットがありますし、そこにウチも進出して非常に良い成績を収めています。最近、日本に行った時も横須賀と沖縄で米軍基地内のマーケットを視察してきました。3月にはパールハーバーなどの在ハワイ基地4か所にも出店します。スシだけでなく、生春巻き (アボカドサラダやスモークサーモンサラダを包んだ、一風変わった新商品) を始めました。女性の方には好評です。健康食という意味ではスシと生春巻きは接点があるのです。


—— 働きづくめの時期を送られてきたと思いますが。  

始めの頃はずっとそうでした。駆け出しの頃は1人で何役をこなしたか分かりません。とにかく、自分が全てを行わなくてはならなかった。最初は自分の給料も出ませんでしたが、半年後あたりには最低限の生活が送れるようになりました。  

ここまで辿り着くことが出来たのは、先ず自分のコンセプトに対して揺るぎない自信を持っていたこと
。その自信こそが一番強いものだと思います。自信そして情熱を傾けるということでしょうか。次に、諦めずに継続してきたこと。これも重要なポイントでしょう。実は2、3年間続けて30店舗近くになって「もう十分だな。稼げるし食べていけるな」という意識を持ったんです。80年代は海岸近くに住む富裕層など高級住宅街のスシバーでしかスシは売れないという認識が強くて、この辺りで限度かなと思っていました。市場が開けていないと思っていましたから、その時はあまり気持ちも乗らなかったのです。  

その頃、サンディエゴのあるスーパーマーケット (アドバンテージ・ストア) のシーフードとスシバーを担当していた男性がサンアントニオのマーケットから引き抜かれたのです。彼はホームパーティーを開く度にスシを注文してくれていて、彼の家族と親戚全員がスシ愛好家になっていました。スシに自信を持っていたその彼が、サンアントニオに勤めているマーケット内にも是非スシバーを設けたいと依頼してきたのです。私は部下を連れてサンアントニオに市場調査に行ったのですが、スシに対する一般市民の認識がロサンゼルスと比べて余りにも差が大きく、時期尚早との判断を下して断ったのですが、結局は彼の熱意に負けて「取りあえず3か月間は続けてみましょう」との条件付きで始めたところ、これが非常にウケた。ロサンゼルスと全く環境の異なるサンアントニオという街で成功したことにより、自分はスシに対して過小評価していることに気付きました。その後、自ら奮い立って業界雑誌に目を通し、可能性が感じられる新しい土地でのマーケット開拓に没頭しました。「スシは富裕層の生活圏でしか受け入れられない」と思い込んでいる相手に対して、私は「これがサンアントニオでの売上です。とにかく1回やらせてみて下さい。それから判断して頂きたい」との決まり文句で訴え続けました。あの時期、私はかなり燃えていました。あの頃の情熱と意欲… 今、思い返してみても、それは凄かった。


—— 座右の銘は。

36_2.jpgよく聞かれますが、何でしょうね。一昔前は「忍耐」といった言葉が好きでしたけれど、今では「情熱」かな。基本的に私の場合、頼れるのは自分だけ。特にアメリカでは全て自分自身に帰結しますから…。オーナーという立場になるとそれを身に染みて感じます。最終的に全責任を自分が負う反面、首尾よく行った場合の見返りは素晴らしい。1850店舗、年商2億5000万ドル。正直言って「資本0」から始めた一個人オーナーが17年目にしてこの額の売上を達成するには、それなりの幾つかのハードルを越えなければなりませんでした。まして、法律も習慣も食文化も全て違うアメリカで孤軍奮闘するわけですから、自分が掲げるコンセプトに自信を持ち、有能な人材を集めて組織化しながら、自分は常に前向きで、最後までやり遂げる強靱な意志を持ち続け、力強い戦略を練り上げる… 確かにこれは大変です!

個人企業でここまで頑張っている人は少ないと思います。ビジネスを売ることで、自分自身や家族が犠牲にしてきた物を取り戻すことが出来ます。私もそれは分かっています。でも、まだ自分には気力と体力が漲っています。余力があるんでしょうね。「どこまで行けるのか試してみよう」という気持ちで突っ走っています。ですから、座右の銘とかを考えながら生きているという意識はないですね。まあ、自分の気持に正直になれば「情熱」ということになるのかな



—— アメリカという異文化で体験したポジティブな面、ネガティブな面とは。

アメリカの嫌いな面は言い訳が多いということですね。自分の怠慢や失敗を認めないですから。それを認めずに他者に責任転嫁していくあれは好きじゃないですね。でも責任を与えれば、意気に感じて任務を全うする人材もいます。良い人材というのは、要領良くポイントを掴んで迅速かつ効率的に仕事をします。その点でも日本人は長けていると思いますが、「速さ」ではアメリカ人が上を行くかもしれないという気がします。


——今後の更なる野望を話して下さい。  

36_4.jpg現在、着々と進めている企画があり、私の胸は期待に膨らんでいます。まだ発表できる段階ではありませんが、是非これを成功させたいと思っています。新しい市場開拓として、大手フードマネージメント会社との提携を通して大手企業、有名大学、政府機関、スポーツセンター等に積極的に進出したいと思っています。スシバー事業は競合店も増えましたし、その 90%がウチから出た人間が経営しています。成功したコンセプトは皆に真似される運命を持つのでしょうか。生春巻きのアイデアについても、テスト販売中に私の商品を見に来た他店が売り始めています。確かに競合店は 気になりますが、競争相手が増えることで、パイオニアとしての誇りを持ちながら前進していこうという決意が新たになり、私の気持ちが引き締まりますね。


——富を手中にしても、夢は尽きないものですか。  

それは切りがありません。全然違う観点の問題ですよね。お金を手にしたからそれでいいというわけじゃない。ビジネスチャンスに駆り立てられる気持は別のものです。それはやはりロマンですよ。男のロマンですね。


石井 龍二

1952年生まれ。静岡県出身。25歳で渡米しカリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校で会計を専攻。公認会計事務所、日系の食品会社を経て1986年 にAFC社をロサンゼルスに設立。AFCとは "Advanced Fresh Concepts" の意。スーパーマーケットの惣菜コーナーにスシの実演販売を設け、マリナデルレイの第1号店を皮切りに17年間で米国/カナダに1850店舗を展開し、年 商は約2億5000万ドル (2003年度)。家族は妻と2人の息子。

(2004年3月1日号に掲載)