Saturday, 27 July 2024

ゆうゆうインタビュー 佐藤有香

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スケート一家に生まれたという境遇がスケートを始める契機となったのですか。

私がスケートを始めたのは3歳の頃で、当時はただ氷の上で遊んでいるだけでした。両親が日本代表オリンピック選手・全日本チャンピオンの元スケート選手でコーチをしていたため、スケートは私が幼い頃から身近な存在でした。子供の頃は父が選手として活躍していたため、母親が弟の世話で忙しい間、私は氷の上で過ごしていました。両親からはスケートについて様々なことを学びました。最初は父親から、そして私が成長するにつれ母親がコーチ兼トレーナーとして積極的に指導してくれました。最初の頃、私はスケートに対して真剣ではありませんでしたが、10~11歳になって真面目に考え始めました。が、両親は自らの経験上、スケートの道は行く手に拘束や困難が横たわり、物事がいつも計画通りに行かないことを知っていたので、あまり気乗りしなかったようです。振り返ってみると、子供の頃、私は競争ではいつもビリで、敏速で強靱というわけではありませんでした。両親は、私の運動神経は大して優れているとは思っていなかったため、私にスケートが適切かどうか確信できなかったのです。


——両親はスケートを強引に押し付けはしなかった。

35_3.jpgいいえ、全く。両親は私がスケートから心身ともに鍛練する術を学ぶことが一番重要だと考えていました。学校の勉強以外で何かゴールを目指して励むことが良いと考えたのです。それで私にスケートを始めさせたわけですが、その後、私が段々と上達するのを機に事態は変わってきたのです。


—— 昔から今のような成功を想像していましたか。

幼い頃の私の夢はいつも現実を越えて大きく膨らんでいました。当時はスコット・ハミルトンやバーバラ・アンダーヒルとポール・マルティーニのペア、そしてロザリン・サムナーズなどのビデオをいつも繰り返し観ていました。そう、ほとんど毎日! 彼らのようになるにはどうすればよいか全く分かりませんでしたが、優れた選手と自分を比較するようになってから、私は自分のゴールを定めて努力を重ねました。いつも自分の目標を達成することに集中していたのです。


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Back row: Kyoko Ina, Jamie Sale, Elena Berezhnaya, Yuka Sato Middle row: Todd Sand, John Zimmerman, David Pelletier, Anton Sikharulidze Front row: Jenni Meno, Todd Eldredge, Alexei Yagudin (from left to right)
—— 氷の上ではどんな気分ですか。

特に、今季は今までと少し違った感慨があります。何かを変えたわけではないのですが、これは今までの経験から来るものだと思います。今年で私のプロとしてのスケート人生は10年目の節目を迎えます。昨年までは、私はいつもスケートに対してとても真剣で積極的なアプローチを心掛けていました。今でもその方向性は失っていないのですが、それと同時に、毎回氷の上を滑るのはこれが最後かも知れないと思いながら楽しんでいます。今後どのくらい、この素晴らしいキャリアが続くのだろうと考えるようになり、その終りが来るまでの一瞬一瞬を楽しもうとしています。引退の計画はありませんが、そのうち何時かは訪れるでしょう。私は今までのキャリアに対して感謝するようになり、もし如何なる理由で明日スケートを止めなければならなくなっても、何の後悔もありません。今の状態にとても満足してます。以前は自己の確立とキャリアの形成ばかりを考えて、私はいつも自らにプレッシャーをかけていましたが、今はそれに加えて、スケートが出来るという状態に感謝の念を抱いていますし、自分自身のためにスケートをしていると言えるでしょう。


——あなたのスケートのスタイルは。

今年の「スターズ・オン・アイス」ツアーに参加した私は唯1人の女性シングルスケーターで、あとは4組のペアと男性2人です。男性やペアの演技はスピードとパワーを備えていますが、彼らと比べると私のシングルの演技はパワフルではありません。ですから、力とは対照的な細やかな技術を使って、女性らしさや芸術的な面を表現しようと心掛けています。私はその点について振付師と話し合い、ショーのイメージに合う音楽を選ぶと同時に、私の芸術性をより活用する方法を考えました。他のプログラムと張り合わずに聴衆の関心を惹き付けようとしたのです。


—— この数年であなたのスケートに対する姿勢はどう変わりましたか。

私が成長して大人になり、人生の局面が変わる中で私のスケートに対する姿勢も変化しています。今では私自身のソロとしてのキャリアだけでなく、元アメリカペアのチャンピオンである夫のジェイソン・ダンジエンとパートナーを組んでペアとしても活動しています。私たちは数多くのプロジェクトでチームを組み、パフォーマンスを行うと同時に共にコーチもしています。典型的な1日の行動パターンは、朝起きて3時間ほどトレーニングに集中し、コーチ業をこなしてから、処理しなければならない日常的な事務に取り掛かります。時期によってはとても忙しくなります。私はもう19才ではないということを次第に自覚するようになり、自身の健康をより気遣うようになりました。そうすることで、私は今でも高いレベルのパフォーマンスを維持することが出来るのです。


—— 素晴らしい選手たちと共演する「スターズ・オン・アイス」について話して下さい。

あらゆる意味で私たちは大家族のようなものです。実際、本当の家族よりも多くの時間を過ごしています。皆それぞれが素晴らしい人たちです。カート・ブラウニングを始め、何人かの男性はとても愉快な性格で、いつも何か面白いことをして退屈を紛らわせてくれます。一方で、スケートのことになるととても真剣です。いつも新しいことに挑戦しています。時と場合に応じてその姿勢が変わるのです。仕事以外の時は、私たちは個人個人で出掛けたり、一緒に何かをすることもあります。大体、休日はいつも一緒に素敵なディナーを楽しみます。サンディエゴへ移動する前に滞在しているフェニックスでは天気が良いので男性軍はゴルフに行くでしょう。今年の「スターズ・オン・アイス」は4カ月かけて60都市を訪れます。その前には5、6週間の準備期間があって、私たちは多忙な日々を送ります。


—— プロとアマチュアの大きな違いとは何ですか。

35_1.jpgプロフェッショナルとアマチュアではそれぞれに挑戦するポイントが違います。アマチュアの場合、考えるよりも実践すべきことが沢山あり、またプロよりも制限が課せられています。私がアマチュアの頃は厳格な練習を必要とし、数多くの事が要求されました。そして、プロになってからは芸術的表現を行うことができ、自由に創作することも許されます。練習は自分次第ですし、高いレベルを維持するのも自身の問題です。最近、競技よりもショーの方が気に入っています。私自身チャレンジするのが好きですが、競争の場合は様々な要素が要求されることにより、私がより得意とする部分が取り除かれてしまうのです。


——アマチュア時代の記念すべき出来事とは。

私にとって日本代表としてオリンピックに出場したのも素晴らしい経験でしたが、1994年に日本で行われた世界選手権で優勝したことは更に特別な瞬間でした。この時の成績は私に輝かしいキャリアをもたらしましたが、当時は常に次の挑戦へ向かってより高いスケートレベルを模索していたので、ゆっくりと過去を振り返る時間がありませんでした。私はいつも目的達成を活力にして、より優れたパフォーマンスを心掛けていました。


——日本を離れてアメリカへ来た理由は。

私にとっては自然な流れでした。1994年に「世界」で勝利を収めてから私はプロに転向し、プロとしてのキャリアを築き始めました。そして、日本で出来る限りのことは達成したと感じた時、次のステップはアメリカだったのです。アメリカのプロスケート世界には豊かな可能性とチャンスがあり、日本よりも大きなマーケットが広がっていました。私はその点に惹かれました。私がどこまで出来るかキャリアを追求してみたかったのです。私は日本で成功を収めることが出来て幸運でしたが、プロとしてアメリカでどこまで通用するか試したかったのです。


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Jenni Meno, Kyoko Ina, Yuka Sato, Todd Sand, John Zimmerman, Todd Eldredge (left to right)
—— プロとして参加したショーの中で印象的なイベントは。

競技からパフォーマンスまで数年の間にも数多くありますが、中でもスコット・ハミルトンと一緒に仕事が出来たことは素晴らしい経験でした。彼はプロのスケート界において多くの業績を残して基盤を築きました。彼のような人たちのお陰で私たちプロスケーターはキャリアを続けることが出来るのです。以前、私は彼の「さよなら」ツアーで一緒に時間を過ごしました。それは、熱烈なファンに囲まれた感動的なツアーでした。加えて、彼のショーや慈善興行で彼と働くことは私にとって常に特別です。彼は氷の上でも外でも素晴らしい才能を持った人です。


—— ショーや競技の前には今でも緊張しますか。

勿論です! 私が今でも深く愛するスケートの出番直前は必ず緊張します。でも、それは大切なことです。私はそこからエネルギーを得て力一杯パフォーマンスに注ぎます。私自身が緊張しない時はそれこそ不安になります!(笑) 私はかつて、出番前にどう感じるかによってその日の演技の出来映えを予め知ることが出来ましたが、先の事を予想するのは止めました。今では、スケートを滑る時はただ精一杯そのことを楽しもうとしています。


佐藤 有香 ・

東京生まれ東京育ち。両親共にオリンピック出場の経験を持つスケート選手。日本代表として2度のオリンピック出場を果たし、日本で開催された1994年世 界選手権では金メダルを獲得するなど、アマチュア時代に数多くのタイトルを手にする。1994年プロに転向。カナディアンプロ選手権、世界選手権、ライ ダーズ・レディース選手権、グレート・スケート・ディベート、グランドスラム・オブ・スケート、世界プロ選手権、ホールマーク・スケーターズ選手権などで 数多くの勝利を収める。1996年にプロとしてのキャリア向上を目指してアメリカへ移住。1999年元アメリカペアチャンピオンのジェイソン・ダンジエン 氏と結婚。夫婦でテレビ番組やスケートショーのパフォーマンスや競技に参加する。また、ミシガン州ウォーターフォードを拠点として若手選手らの指導も行 う。佐藤有香氏と「スターズ・オン・アイス」の詳しい情報は http://www.starsonice.com  まで


(2004年2月16日号に掲載)