2024年 02月 28日

ゆうゆうインタビュー マイク・井上滋

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サンディエゴ・ティファナ日本協会 (JSSDT) の活動内容を教えて下さい。

私達はビジネス、教育の発展、文化交流、そして皆さんに日本、アメリカ (サンディエゴ)、メキシコ(ティファナ) の3か国における相互理解を深めて頂くために活動しています。アメリカを理解する日本人と、日本を理解するアメリカ人がそれぞれあと100人ずついたなら、第2次世界大戦は起こらなかったかもしれない ̶̶̶ と言われています。相互理解が重要であることは私自身も感じていますし、皆、この言葉を念頭に置きながら活動に励んでいます。


——国際協力に目覚める機縁となったご自身の体験とは。

幼い頃から世界情勢の影響を受けて育ってきました。私は戦時中の日本で育ち、実家、学校、父の会社 … 東京は全て破壊されてしまいました。今でも覚えているのは、通学途中に空襲のサイレンが聞こえると路面電車はその場で止まり、運転手も自分達も誰もが道路沿いに掘られた防空壕へ飛び込んで身を隠していたことです。東京が危なくなると、政府と学校は 「日本の未来を担う子供達を救いたい」 との念で、我々学童を箱根へ疎開させました。ある日、友人と強羅の田舎道を歩いていると、米軍の戦闘機が現れて、突然我々に向かって急降下を始めました。私達は別々の方向へ走り、彼は排水溝へ飛び込むことができたのですが、私の向かう先には身を隠す溝が無かったのです! 一目散に逃げながら 「あぁ、もうダメだ。殺される!」 と思った瞬間に飛行機の大きな影と突風が頭上を通り過ぎました。米軍兵士は私が子供だと気付いて命を助けてくれたのでしょう。命拾いをしたこと、そして無事終戦を迎えられたことにとても感謝しました。


—— 本格的に国際協力の仕事に関わったのはいつ頃ですか。

工学を学ぶにはアメリカ以外に無いと思い、大学生として渡米しました。オハイオ州の小さなデイトン大学へ通学したのですが、日本人は言うまでもなく外国人学生が非常に少なかったので留学生同士でよく集まり、インターナショナルクラブを発足することになり私が初代会長に任命されました。ある月は中国、次の月はドイツというように各国へ焦点を当てたイベントを催したり、エスニック料理を作って大学内の皆さんを招待するプログラムを催したこともありました。同時に、シカゴに本部を持つカトリック日本人学生協会にも加わり、何度かシカゴでの会議にも参加しました。後に、ジョーンズ・ホプキンス大学では各学校のメンバー達によって運営されるメリーランド国際学生連盟を立ち上げ、ここでも私が会長に任命されました。


—— 学生時代に培われた考え方、人々との接し方、組織運営の方法論を通じて、JSSDTも同じ思いから設立されたのでしょうか。

16_1.jpgそうですね。カトリックの教えからか、何かに貢献したいという気持ちが昔から私自身に秘められていたのかもしれません。オハイオ州に住んでいた頃は人種差別を目の当りにしてきました。サンダスキーポイントという町にあるプールへ遊びに行くと 「白人のみ!」 と書かれたサインがあり、日本人はプールへ入るべきか諦めて帰るべきか友人と議論したものです (笑)。メリーランド州ボルチモアの大学院に通いましたが、そこでは黒人差別に対するデモに参加したこともありました。週末になると、モンゴメリー大学のアフリカ系アメリカ人の学生やガウチャー女子大の白人学生とレストランで座り込みを行い、人種差別反対運動をしていました。同時に、このような反対運動が正当行為として認められ、周りから危害を加えられるような危険性の無いアメリカをさすがだと感じました。法律に従わなくてはいけませんが、私達は正々堂々と自分の意見が言えるアメリカ民主主義の素晴らしさを痛感しましたね。


——JSSDTの歴史と特徴を教えて下さい。

JSSDTが設立されたのは1996年ですが、それ以前に存在していた大きな2つの団体が合体して現在の協会が発足しています。ルーツはかなり昔に遡るのですが、約100年前にジャパン・クラブという名前で活動を開始し、後にサンディエゴ日本協会に名称変更となったものもあり、日米間の友好関係に取り組む小さな団体は過去に沢山ありましたし、私達の団体もこれらを通じて大きく成長してきたと思っています。

サンディエゴのユニークな地理的条件も手伝っていますが、アメリカ・日本・メキシコのように3カ国に跨がって活動している日米協会は唯一私達だけなのです。NAFTA (北米自由貿易協定) の締結、メキシコ・マキラドーラの成長ぶり、そして同地区への日系企業進出などあらゆる発展を目にしてきましたが、これらは如何に3か国が上手く関わり合ってきたかを象徴していると言えるでしょう。115年前、遠矢常次郎 (とおや・つねじろう) 海軍一等水兵が筑波丸に乗ってカリフォルニアへ渡ってきました。1887年11月22日、サンディエゴへ寄港後、メキシコのアカプルコへ向かう途中に予期せぬ事態に遭遇してポイント・ロマ岬沖で落命してしまいました。その後、彼の遺体が発見され、サンディエゴの人々によりマウントホープ市立墓地に手厚く埋葬されたという歴史も残っています。


—— 3か国に跨る活動についてどのようにお考えですか。

私達はブリッジビルダーであると思っています。日本、サンディエゴ、ティファナだけでなく、日系企業、教育団体、地元コミュニティー、そして各世代を結ぶ橋渡し役になれることを願っています。今まで築き上げてきた資産を次世代へ確実に受け継いでいきたい ̶̶̶ その一環として 「ジャパン・ボウル」 などのイベントを開催していますし、将来の相互理解を深める契機になって欲しいと考えています。新聞で得る情報だけではなく、私達の活動を通して正しい日本の知識を取得してもらえたら嬉しいですね。

日系企業とコミュニティーとの橋渡しはとても大切なことです。こちらにオフィスを構える日系企業は現地採用者を多く取り入れていることでしょう。しかし、日系企業であっても日本について教える時間が無いため、日本に興味を持ちながらもなかなか日本についての知識を得るチャンスに恵まれない現地の人達も大勢いるのです。私達はこのような機会を提供していきます。既に三洋電機、カルコム、センプラ、京セラなどにファウンダー企業メンバーとなって頂き、各社社員の方々全員にJSSDT のメンバーの特権の一部を与えています。この方法はスタッフが不足していた初期の時代に、イベントなどで人手が必要な時に手伝ってくれるメンバーを見つけるのにも効果的でした。お陰様で、現在は多くのボランティアに恵まれて、皆さんの協力に常に感謝しています。

また、JSSDT の教育委員会を通して実業界と学界との間のギャップを埋めていく努力をしています。ほとんどのアメリカの子供達は学校で日本については極く一般的な教養を身に付けた後、そのまま社会に出てしまう … そうですよね? 学校では学ぶことのできない日本についての文化や知識を私達が授けてあげたいと考えています。活動の一つとして、ジャパン・イン・スーツケース・トラベル・エキシビジョン (スーツケースの中の日本展) を開催しており、ここでは教室で直接日本の文化に触れることができます。その他、サンディエゴ大学での京都賞受賞者シンポジウムや、広島県の子供たちとの 「ブック・オブ・ピース」 (平和の本) というイベントもあり、私達はこれらを 「ミレニアム・ユース・プロジェクト」 と呼んでいます。そして、1か月置きに米国とメキシコで交互に教育委員会を開き、また会員の皆さんからの意見も伺っています。このような活動は大変重要ですし、現在ではサンディエゴとメキシコのあらゆる大学教育機関に協力して頂いています。


—— 年間を通して行われているプログラムやイベントを教えて下さい。

16_2.jpg早朝のイベント「8:01」や夕方から始まるイベント「5:01」のように、週毎または月毎に催しているプログラムや、リーダーシップ・アワード・バンケット、ジャパン・イン・スーツケース、そして教育サミットのように年1回開催されるイベントもあります。今年はペリー提督の日本来航150周年という特別な年でもあり、ぺリーが当時の米国大統領フィルモアから預かった国書を差し出して日本側が受け入れるまでの同期間に当たる7月から来年3月に掛けて、サンディエゴと日本がそれぞれ祝賀イベントを行う予定です。この歴史的イベントに太平洋を挟んだ 2か国から大勢の人々が参加することを期待しています。


—— モニュメント 「ミレニアムブリッジ」 が誕生した経緯を教えて下さい。

長崎の平和記念公園を訪れた際、世界中から寄付されたモニュメントを目にしたのですが、アメリカからの贈り物が無いという事実に気付いたのです。とても悲しかったですね … このことを JSSDTのメンバーに伝えて、私達から何かを贈ろうという気運になりました。しかし、実際に長崎市は姉妹都市であるミネソタ州のミネアポリス=セントポールから寄付を受けていたのです。これを聞いた時、嬉しい反面、少し落胆してしまいました。「それなら、広島に寄贈したら?」 という考えに変わりました。実は、当時の広島市は寄付の受け入れを行っていなかったのですが、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得し、そこで教壇に立たれていた経歴を持つ秋葉広島市長が 「広島=原爆投下の街」 というイメージに捕らわれず、アメリカとの親交の街としても知られるようにしたいと考えておられることを知りました。かつてアメリカは桜の木の見返り、国際交流の一環として日本にハナミズキを贈ったことがあったのですが、戦争により全て破壊されていました。そこで秋葉市長は、その友好の証としてアメリカからハナミズキの苗木を贈って欲しいと JSSDT に協力を依頼してきたのです。私達が NAJAS (全米日米協会連合) を代表し、各日米協会から苗木の寄付を募りました。こうして広島市へ贈られたハナミズキは既に現地の小学校、そして将来 (2005年) は市内の京橋川の土手で目にすることができるようになります。種の寄付が実現できたことは嬉しいのですが、ハナミズキの樹だけでは日本の人々がアメリカからの贈り物であることに気付かないのではという不安もありました。国民の目を引くモニュメントのようなものを贈呈したいと考えていた頃、当時の協会会長であったラッセル・ベネット氏がメキシコでアメリカ人アーティストとして活躍している彼の父マニュエル・ベネット氏を紹介してくれました。そして、彼の協力により 「ミレニアム・ブリッジ」 ̶̶̶ 平和のシンボルである鳩のデザインが刻まれている3つの橋の上に、世代と人種を越えた3か国の人々が楽しく共存している姿を表現したモニュメント ̶̶̶ が誕生し、2001年11月に広島市に寄贈されました。


—— 将来の目標を教えて下さい。

協会の活動を通して、アメリカ、日本、メキシコが異国同士でも上手く共存共栄できることを世界に伝えたいと考えています。イラク、パレスチナ、イスラエル、そして北朝鮮の人々に対して、過去に敵対・憎悪していた同士でも友達になれる事実を知らせたいですね。不幸な関係にあった国同士が最高の友好国になった例証を示す必要があるのです。JSSDT は小さな団体かもしれませんが、世界中から見本とされるような団体になれたらと思っています。そして、私達が築き上げてきた3カ国の友好関係はこの上ない成功例であると信じています。過去に奴隷制度を導入していたアメリカは人権擁護を強く主張する国家へと成長しました。過去にアメリカと戦争を行ったメキシコも日本も現在では親密な同盟国となっています。過去の日本は真珠湾を奇襲して 「神風」 パイロットと称した自殺任務を称賛、奨励した時代もありましたが、今では国防以外の軍事力の行使を禁止する平和国家となりました。特に、マキラドーラ政策はメキシコがアメリカと日本と融合して助け合うことで成功した一例と言えます。意志があれば何かを変えることは可能なのです。 JSSDT は未来に向けて皆さんのご期待に答える活動、情報提供と相互理解の手助けの場になることを願っています。


マイク・井上 滋 

サンディエゴ・ティファナ日本協会会長。京セラ相談役。1936年東京生まれ。1956年渡米。イギリス、ブラジル、イタリア、スイス、アルゼンチン、ト ルコでの駐在経験を持つ。日米親善活動を続け、バルボアパークの日本友好庭園役員も務める。オハイオ州デイトン大電子工学部卒。オレゴン州立大で経営工学 修士号と博士号を取得し、21年前に京セラに入社するまで同大で17年間教授を務める。5人の子供に恵まれ、現在はマリー夫人と共に SD市内ティエラサンタに暮らす。サンディエゴ・ティファナ日本協会についての詳細は www.japan-society.org でご覧になれます。


(2003年4月16日号に掲載)