Monday, 14 October 2024

ゆうゆうインタビュー リオ・リヤウ

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アメリカに来られて、生活とビジネスの拠点に SD を選んだというのは。

理由は至極単純です…とにかく、サンディエゴは自然が素晴しい。自然愛好家の私には魅力十分。確かに、20年前のアメリカにはサンディエゴよりもビジネスの機会に恵まれた地域が他にありました。だけど、生活のクオリティーではサンディエゴの足許にも及びません。平和的な都市だし、当時は交通渋滞も無く、善良な人が多く、しかも LA や オレンジ郡に近いという地理的条件が気に入りました。


——異国での再出発は苦労されたと推察しますが。

フラストレーションに苛さいなまれた時期もありましたよ。でも、常に前向きにポジティブでいようと心掛けていましたね。私には既に日本での生活経験があったので事態の処し方には慣れていたのです。思えば、東京で暮らした5年間は自己救済の知恵となる多くのもの…言語だけでなく、思考方法や物事の見方…を学んだと思います。例えば、私の「保証人」さんには毎月の挨拶を欠かしてはいけないし、不義理をすると台湾の父親に連絡が行って、私自身が厄介な状況に置かれてしまう…とかね。今でも私は日本に太い人脈を持っています。


—— ファースト・ユナイテッド銀行を創設しようと思われたのは。

5_1.jpg移民としての自分の体験がそうさせたとも言えるでしょう。多くの皆さんも同じ経験をされていると思いますが、サンディエゴに移住した当時の私にはクレジット歴が無く、アメリカの主要銀行の上客ではありませんでした。相当額の預金を行っても最初からクレジットは良くならないし、私は腑に落ちない気持でいましたね。結局、主要銀行の規則と方法論は私のような人間 (移民) を対象にしていなかった。そんなフラストレーションから、当時の私のような立場にある人たち=知識や資産があり、アメリカの市場で活躍したいと意欲を燃やす人々=を専門に扱う金融ビジネスを私自身が始めることになったのです。

長年に渡ってビジネスマンの話を聞いているうちに、私のような境遇に置かれている人は珍しくなく、その多くが硬直した銀行システムに不満を抱いている実情を知りました。私達が創設した銀行の当時の名称は「サンディエゴ・ファースト銀行」。数年前にロサンゼルスに進出した際に「ファースト・ユナイテッド銀行」と改称しています。


——銀行システムの欠陥を補うことで、不利な状況を有利な立場に転化された。

その通りです! 「憂いの反面には喜びがある」 の諺にあやかりましてね。


—— サンディエゴ・ファースト銀行の創業はいつでしたか。

私を含む10人の共同出資で12年前に創業しました。当時、サンディエゴは発展途上にあり、移民数も急増してマイノリティーのコミュニティーが当地に根付き、ビジネス開業の動きが活発化した時期でした。でも、彼らが既存の銀行からビジネスや不動産購入の融資を受けるのは難しかったはず…。数百万ドルの価値がある人物でも、新移民にはクレジット歴 (TRW) が無いですからね。私達の銀行の設立目的は他行と一線を画し、限定された顧客層にサービスを提供することで存在価値を発揮できると考えていました。創業のタイミングとしては時宜に適っていたと思います。


—— ファースト・ユナイテッド銀行が普通の銀行と異なる点は。

銀行業務に関する法規制は一律なので、その意味では他行と同じです。でも、お客さんを理解するという努力の度合いと、私達が個人的に身に付けたアメリカでのビジネス経験という面では大きく異なります。また、私達は英語、中国語、日本語、スペイン語、韓国語、ベトナム語等を話すスタッフを揃えているので、言葉の障壁から解放されてビジネストークに専念できます。別の例を挙げましょう…日本または台湾の小企業が SD 進出を計画しているとする。この企業はティファナに工場や土地、それに従業員も確保しているかもしれない。でも、アメリカでの資産は少なく、ビジネス歴も乏しい。この場合、ほとんどの銀行は融資をしないでしょう…警戒してしまうのです。一般的に銀行は調査に時間を費やすのを嫌がるし、その手段さえも持ち合わせていません。私達は日本や台湾での企業情報を収集する能力とノウハウを備えているので、その会社の実態を把握することができます。この点が私達の強みの一つです。


—— 銀行業績を伸ばし、人々にサービスの内容を伝えてきた方法とは。

口伝えとコミュニティーへのコミットメントですね。私達は良き隣人として、皆さん一人一人のお役に立ち、コミュニティーに何かを還元したいという思いがとても強いものですから、SD地区のコミュニティー行事や祝典への参加は勿論、規模の大小に関わりなくイベント主催も手懸けてきました。更にその機会を利用して、ビジネス、経済事情、投資などの説明会の場を設けています。


—— ビジネスと経済の観点から SDの未来像をどう描いていますか。

5_2.jpgSD の成長は今後も続くでしょう。先ず、発展性を秘めた当地の重要産業…無線電信コミュニケーションとバイオテクノロジーの2分野…は SD のみならず世界全体への影響力を強めていくはずです。SD には住宅と産業開発用地が豊かに残されていますし、素晴しい気候と生活環境にも恵まれています。一度暮らしてみると、誰もが SD の魅力から逃れられなくなる。隣国メキシコの経済も国境エリアを中心に伸びています。多くの有力企業が SD に本社を移転したり、ティファナに生産工場を設ける動きが続いていますし、SD は将来の理想的なビジネス拠点として発展していくでしょうね。


—— 銀行創設に加えて、サンディエゴ台湾人商工会議所の設立にも尽力されたそうですが…。

サンディエゴ台湾商工会議所を設立したのは、私達の銀行がオープンする数年前。日本滞在時代にチームワークと組織体系の価値を学んだ私は、台湾人とビジネスを同会させる大規模な機関を SD に作る計画を進めていました。構想は膨らんで、その数年後には北米台湾人商工会議所が発足。更に進んで、世界規模の台湾人ビジネスマンの交流を図る世界台湾人商工会議所 (WTCC) が誕生するわけです。WTCC は台湾政府からも評価を受け、その歩みが注目されるようになり、私達も驚いてしまいました。考えてみれば、台湾人自身が組織したこのような機関は過去に無かったですからね…私達は政府に招かれて総統に会見する栄誉にも浴しました。その後も、台湾政府のほぼ全員の大臣の名前を覚えてしまうほど公式招待が続き、米国でも数多くの政治家に会う機会が与えられました。現在、私は会頭の立場にあり、WTTC は世界49か国で108支部が創設されています。次に台湾総統と会う時には「私の行動領域は総統よりも遥かに広いですよ」̶̶̶と言えるのを楽しみにしています。 (笑)


——これまでの経験の蓄積が、世界レベルでの展望を可能にしているのですね。

私が学んだ事は一つだけです。それは、誰でも社会に貢献できるということ。人は皆、多少なりとも個性が違いますし、中国文化、日本文化、アメリカ文化…それぞれに異なります。キーワードは「皆が手を取り合って働く」ということ…それが実行される時、より良い結果となって全員に還元されていきます。ある時は高い授業料を払わされるかもしれない。でも、その経験が未来への推進力となるのです。


——既に数多くの業績を残されていますが、その中で最も誇りに思えるのは。

全てでしょうか! 否、その答えは簡単だ…私の家族です。愛しい妻、2人の息子と娘…この素晴しいファミリーが私には全てなのです。クリスチャンの1人として、私達のコミュニティーに20年以上もお仕えできたという喜び…私は神に祝福されていると思います。感謝の念に堪えません。


リオ・リヤウ

現在、妻シンディさんと3人のお子さん (ジミーさん、ジョニーさん、ジェニーさん) と共にデルマーに在住。世界台湾人商工会議所会頭。サンディエゴ・ファースト銀行 (現ファースト・ユナイテッド銀行) 共同創業者。カリフォルニア州アジア経済開発委員会メンバー。他に、ワールド・ウェルネス・エンタープライズ社を含む数多くの商社、コンピュータ関連企業 に携わる。英語に加えて、日本語、中国語、台湾語、広東語を話す。

(2002年10月16日号に掲載)