ゆうゆうインタビュー トム・カーマイアー

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SDと日本の両方に興味深い関わりをお持ちですね。

僕の兄弟も僕自身もノースカウンティーのエンシニタスで育った関係から、人生の大半をサンディエゴで過ごしました。この地で両親も出会っているし、彼らの仕事場もあったからね。僕の母は日系アメリカで、父はドイツ系アメリカ人。僕たち兄弟は典型的なアメリカン・キッズとして育ったと言ってもいい。NFL (ナショナル・フットボール・リーグ) での選手生活を終えた時、地元サンディエゴと東京からコーチをしないかという話が舞い込んできた。…暫く後の話だけど、ロサンゼルスへ向かうフライトで僕の妻となる日本人のカヨコと出会うんだ。


——子供の頃から日本料理を食べて育ったのですか。

そういう訳ではなかったね。時々母は日本食に手が出ていたけれど、父が主食主義を貫くタイプだったので子供たちの食生活も自然にそうなった。僕が好んで日本料理を食べるようになったのは日本で生活を始めてからのこと。今ではいつでも食べられるし、妻に感謝だなぁ…。


—— フットボール選手として若い頃から栄光に包まれていますね。ジュニアカレッジ全米選抜、PAC-10 選抜、そして NFL…正統なフットボールと出会ったのは何歳頃でしたか。

僕は子供の頃から活発で、2人の兄弟と共に育った。皆、フットボールが大好きな少年でね。僕は8歳の時に児童リーグでプレイを始めてサンディエギト高校でも選手を続けた。その頃の僕は求められればどのポジションにも就いた…オフェンス、ディフェンス、ランニングバック、ワイドレシーバー、ディフェンシブバック… 何でもござれと。パロマー・コミュニティ・カレッジに入学し、そこでフットボールの監督をしていたトム・クラフトと出会うことになる。そう、彼はサンディエゴ州立大学の現監督で、僕は彼の下でディフェンシブコーディネーターを務めているというワケ。


——大学時代は名門校が揃う PAC-10 カンファレンス所属のオレゴン大・ダックスで活躍された…。

今でこそトップレベルだけど、僕が奨学金でオレゴン大に進んだ当時のダックスは過度期にあり、勝つチームに変身する意識変革が必要だった。当時の僕達は「勝利へのプログラム」を構築することから始めた。やがて、USC、オハイオ州立大などの強豪チームを倒すようになるんだ。オレゴン大では様々な改革を経験したし、それと似た現象が今の SDSU でも起きている。コーチとして同じ改革がここでも可能だと思っている。これはクラフト監督が言う「ビルディング・プロセス」 なのさ。


—— オレゴン大で充実した2年間を過ごした後、1989年の NFLドラフトで当時のロサンゼルス・ラムズから指名を受けますね。どのような展開だったのか聞かせて下さい。

4_1.jpg数チームから連絡が入り、「君を指名するつもりだが、意向を聞かせてくれ」 と打診してきた。ラムズからは事前になしのつぶてだった。…ちょっと意外だったね。当時のラムズの監督はダックス出身のジョン・ロビンソンだし、僕に食指が伸びても良さそうなものだよね。でも、ドラフト当日にロビンソンが直々に僕に電話をくれたことを今でも忘れない。「君を獲得したい。君のプレイが気に入っている。ラムズに来る気はあるかい?」 とね。勿論、僕の返事は二の句を継がずに 「yeah !」 さ。フロンティア夫人 (ラムズのオーナー) も電話口で歓迎の意を表明してくれた。ワクワクしたね。でも、ラムズは有能選手の宝庫だった。気がつけば、僕はシーズン開幕前にシアトル・シーホークスの一員になっていた。NFLでは状況の変化が速いんだ。


—— カレッジフットボールから NFL の世界へ移行して苦労はありましたか。

異質の世界だったね。NFL に所属する選手は全員が有能なんだよ。屈強で動きが速いし…だから、各自が確かなプロ意識を持ってプレイする必要がある。コーチとして臨む場合でも大きな違いがあるね。プロの世界ではコーチが選手に 「何をすべきか」 なんて言いやしない。機転を利かしてポイントを伝えるのさ。現状を見るなら、名門校出身の選手は NFL に無理なく順応していると思う。彼らの多くは米国中を移動することに慣れているし、大学時代のコーチもトレーニングの質もハイレベルだからね。


—— コーチの道へ進む契機となったのは。

ラムズとシーホークスを経て NY・ジャイアンツに移籍した年、僕はケガで正選手から外されて SD に戻った。パロマー大のクラフト監督がリハビリに協力してくれた時、僕はコーチ職に目を開かされた思いがしたんだ。子供達と一緒になってフットボールを教えている自分の姿もピタっときた。僕は NFL に未練があったし、翌年のジャイアンツのキャンプにも参加した。でも、運命というのかな、練習中にヒザを負傷して、それが元で僕の NFL 生活は終わりを告げる。その数週間後、クラフト監督が僕をパロマー大チームのアシスタントに迎えてくれてコーチ人生が始まるんだ。僕はフットボールに関われる喜びを噛みしめていたよ。クラフトが SDSU のオフェンシブコーディネーターに就任した1994年、僕はパロマー大の監督を引き継いだ。


—— 日本で監督の経験もあるという珍しい経歴をお持ちですね。

1995年から2年間、日本のプロフットボールリーグに所属するオンワード樫山の監督を務めた。長い話を短くすると、オンワード樫山では数年前からアメリカ人の監督を探していて、最初は僕の友人が就任したんだ。当時の僕は大学のジャパン・ボウルを皮切りに、NFL プレシーズンイベントのアメリカン・ボウルに2度出場するなど3年続けて日本でプレイする機会に恵まれた。その友人とは連絡を取り続け、彼が帰米を決意した時、オンワード樫山の監督職を引き継ぐ目的で東京へ向かった。


—— SD と東京では趣が少々異なりますが、日本での生活は如何でしたか。

僕は原宿の一角にある狭い場所に住んでいた。交通至便だったけれど、とにかく狭かった。SD での生活とはそこが大違い…車が無いので電車と地下鉄を利用し、終電を逃さないで帰宅することを心掛ける毎日。でも、日本の人たちとの関わりと日本食は本当に楽しめた。寿司、ラーメン、モスバーガー…美味しいものは全て食べ尽くしたね。でも正直に言うと、ローソンでコーンドッグを数本買うクセはやめられなかった。日本のフットボールについて苦言を呈するとね、人気面で他のスポーツの後塵を拝している理由としてプロモーションの欠落が指摘できると思う。それに、外国人選手の加入を認めないポリシー…これじゃスターが出現しないね。日本のフットボールがプロ野球のような柔軟性を備えたら試合のレベルも上昇するし、大リーグの野茂やイチローのようなスターが生まれてくるだろうね。


—— NFL のアトランタ・ファルコンズでもコーチ職に就いていますね。

ファルコンズのコーチに雇われた時の監督が NY・ジャイアンツ時代に僕を放出した指揮官ダン・リーブズ。皮肉な話だよね。でも、リーブズを補佐しながら NFL レベルでコーチを経験できたのは得るものが大きかった。アトランタではオレゴン大時代のコーチ、リッチ・ブルックスとの再会も果たせたし…。


——そして今、再び SD に戻り、SDSU でディフェンシブコーディネーターとしての日々を送られていますが、コーチとクラフト監督がアズテックスに寄せる期待として、どのような結果を出してほしいですか。

4_2.jpg僕らの用意したプログラムをもう一度信じて、選手、コーチ、ファン、そしてメディアも付いてきてほしい。

アズテックスに勝者の心理を根付かせたいと思っているが、クラフト監督が言うように、僕らは勝利への秘策を持っている訳ではないし、勝利を簡単に期待してもらっても困る。勝利を呼び込むもっと重要なもの…それはチーム組織が一丸となったコミットメントだと思う。

選手達の可能性を極限まで引き出すことが僕らの目標であり哲学にもなっている。コーチの任務はそれを実現に導くシステムを見つけることなんだ。選手は正しく機能するシステムの中に置かれない限り能力を発揮することができない。コーチ陣の柔軟性は不可欠。理想的な作戦を成功させる優秀な選手に常に囲まれている状況ではないので、作戦を現有戦力のレベルに適応させて選手達の能力を最大限に引き出す工夫が求められている。フットボールは特殊なスポーツじゃない。真摯しなプレイと勝利への欲求が相手を凌りょうが駕するパワーとなって良い結果を生むはずだし、これは多くの事象に通じていると思う。ディフェンスの鍵はボールに食らい付いて走り込むことに尽きるんだ。そうすれば…細工は流々仕上げを御ろうじろ…結果は自然に好転していく。僕らは文字通り“特訓”と呼んでいる走り込みの猛練習を展開している。でも、このドリルは必ずしも「ボールに到達する訓練」ではなく、「どうすればボールに届くかの練習」と言える。

最後になったけれど、SDSU の試合を皆さんに観戦してもらい、再びエキサイティングなフットボールを味わって頂きたい。そして、僕らの奮闘努力を続ける姿勢も知ってほしい。その様子が分かってもらえたら、もっと多くの人々が試合の日にぶらりと現れてアズテックスを応援してくれるはずだから



トム・カーマイアー ・

1967年3月17日、ラホヤ生まれ。NFL (ナショナル・フットボール・リーグ) のラムズ、シーホークス、ジャイアンツに所属して5年間プレイする。現役引退後、リージェンツ大 (ニューヨーク州オールバニー) を卒業。専攻はアメリカ研究。アズサ・パシフィック大教育学修士課程卒。サンディエゴで結婚。元ブロードウェー・ダンサーの妻・カヨコさんとダウンタウ ン・SD に暮らす。サンディエゴ州立大学 (SDSU) ・アズテックスのフットボール情報を詳しく知りたい方は www.goaztecs.ocsn.com へ。


(2002年10月1日号に掲載)
 
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