Thursday, 21 November 2024

ゆうゆうインタビュー 今井雅之

95_imai_top.jpg

 


売れない若手俳優が自作自演の脚本執筆に一念発起。マッドネスを極限まで表現する意欲に駆られ、選んだテーマが「神風特攻隊」。リサーチを進めるうちに「狂気の沙汰の玉砕集団」「戦時中の暴走族」という先入観は打ち砕かれ、「命に代えて親を守る」という切ない隊員の真情を知り、衝撃を受ける。人生の転機だった。特攻隊員の心を綴った舞台劇『The Winds of God〜零のかなたへ〜』の沖縄最終公演。その2日後に9.11テロが勃発。有名米紙が世界貿易センターに突入する旅客機を“Kamikaze Attack!”と報道した。「特攻とテロは違う」。突き上げるものを感じて舞台を再開し、米国でも上演。その劇が全編英語版で映画化され、今秋サンディエゴで公開される。監督・主演・原作・脚本を務めた男の名は今井雅之。「神風」への熱い思いに至った足跡をたどる。



—— 今井さんの人格形成の原点、子供時代についてお話しください。
imai_1.jpg
ニューヨークでは世界で初めての「グラウンド・ゼロ」のロケを敢行

ガキ大将。この言葉がぴったりです。育ったのはド田舎で小学校も1クラス12人の少人数でしたから、もう伸び伸びと。先生から「川で遊んじゃいかん」と言われたら筏(いかだ)を作って漕ぎ出し、「山に登っちゃいかん」と言われるとカブトムシを捕りに出掛けちゃう子供でした。

自衛隊にいた親父は放任主義でしたが「時間厳守」と「嘘をつくな」と言われていました。お金に関してもうるさかったですね。「1億円持っている人と8,000円しか持っていない人の1,000円の意味は違う。だけど1,000円なんだ」と。何億という金を扱う立場にある今、その言葉をよく思い出します。



—— 高校卒業後に陸上自衛隊に入隊。退官後に法政大学に入学されていますね。

親父が提示した条件だったんです。芸能人になるなら先ず自衛隊で2年間過ごせと。約束を果たして映画の世界に進むと言ったら、「今度は大学に行け、そしたら許す」。約束が違う(笑)。でも、親を納得させられずに、日本人1億2800万人を相手に俺はスターになれるのか…と思いましたね。自衛隊へ行け、大学に行けと言うのは、子供を安定路線に向かわせたい親心ですよね。「大学に行ったら本当に許してくれるの?」と聞いたら「せめて東京六大学くらい行け」と。受験まで4〜5か月しかなく、昨日まで戦車を操縦していた身ながら、言い訳するのも見苦しいと思って猛勉強しました。大学に入る目的じゃなくて、親の許しを得るため。合格すれば、好きなことをやれるという思いだけでした。


—— 自分の好きな仕事をして成功するには何が必要でしょうか。
imai_4.jpg
ロサンゼルスでは現存する唯一の「零戦」の飛行シーンを撮影

どれだけ自分の仕事を愛せるかでしょうね。僕は典型的に好きなことで飯を食っている人間ですが、金に執着が無いんですよ。執着がないから騙されたりもしますけど(笑)。映画を作りたいと思うと、それだけになっちゃう。今回は出資者を募って5年掛かりで2億5000万円を集めましたが、1億円を実際の制作費に充てて、残りを頂いても分からないんですよね。でも、飛行機で来たり、ホテルに泊まれることだけで僕にはすごく贅沢なんです。映画が大ヒットして、気が付いたらプール付きの家に住んでいたというのはいいけど、プール付きの家を手に入れるために映画を撮るのは嫌なんです。


—— 今井さんの原作、脚本、監督、主演で、この秋サンディエゴで公開される映画“The Winds of God --Kamikaze--”の内容を教えてください。

原作とは少し違います。現代のニューヨークに暮らすアメリカ人コメディアンが交通事故でタイムスリップし、気付いたら自分たちが特攻隊員の姿をしている。鏡を見たら顔が東洋人で「なんでやねん?」。 最初は中国人と勘違いし、やがて日本人だと分かって戦争の無意味さを論じ、広島と長崎の原爆投下にも言及しながら、次第に日本人に対して時代と人種を越えた友情のようなものが芽生えてくるんです。輪廻転生も絡んできますが、観てのお楽しみという感じです。ロケは2時間だけ撮影許可が出た「9.11」のグラウンド・ゼロと特攻隊基地のあった鹿児島で行いました。


—— 舞台、TVドラマに続いて“The Winds of God”は1995年に映画化されています。二度目の映画化に踏み切った理由、米国上映を決意するまでの経緯は。

“The Winds of God”の舞台劇は2001年9月9日の沖縄公演を最後にする予定でした。もう13年も続けていて、僕も飯を食えるようになっていたし、当時は特攻隊と言うと、どこか色眼鏡で見られてもいましたから。ところが、その2日後に「9.11」が起きた。それ以上にショックだったのが、有名米紙が「Kamikaze Attack!」と報道したこと。民間人を巻き込んで、ビルに突っ込んだテロを「特攻神風」という言葉で同一視されていることの悔しさ。生き残った元特攻隊員の取材を重ねた僕は確信を持って言える。特攻とテロは違う。アメリカの人たちにその思いを伝えるために再び映画制作に着手しました。


—— 今回の映画化で全編を英語にしましたね。
imai_2.jpg
日本人として世界で勝負したい


「9.11」から半年後、僕は台本を携えてLAに飛んで英語に完訳してもらいました。米国で公開するなら英語で作らなければダメ。字幕スーパーというのは一部の人しか見ないから、大衆受けするには絶対に英語だと。本音を言うと、アメリカ資本で映画化を実現したかったけど、それは叶いませんでした。

また、白人を主演にしないと興行的に難しいという意見が支配的でした。アメリカ人はアジア人の映画をあまり観ないし…。特攻隊員が白人というのは設定的に無理だけど、テーマは時代と人種を越えた命の話だから、現代のアメリカ人がタイムスリップしてもいいかなと。そう思って、前半だけアメリカ人2人を主演にしました。2人の魂だけが前世に戻るという設定にしてね。


—— “The Winds of God --Kamikaze--”のメインテーマは。

舞台劇と映画作品の共通する主題は「生きる」ということ。特攻隊員の死が逆説的にそれを物語っているのです。僕が抱いていた特攻隊のイメージは、英雄として「死ぬ」ことに陶酔しているクレイジーなパイロットチームというものでした。元特攻隊の人たちを取材してみると全然違っていた。彼らは出撃する1秒前まで恐怖に駆られていた事実が分かったし、死が見えたことで生が浮かび上がったように僕は感じたのです。戦後生まれの僕らはバブル期も経験しているし、飽食暖衣が当たり前だと思っている。今は爆弾も落ちてこないし、総理大臣に文句を言っても弾圧などされない。職業選択の自由もあるじゃないか。これはスゴいことなんだ。その生きることの素晴らしさを伝えられないかなと思って。今、イラクでも戦いが続いている。そして、戦争の犠牲者はいつも若者だということを忘れちゃならない。


—— 今後の夢を話してください。
imai_3.jpg
サンディエゴでは2007年月28日(金)〜30日(日)、10月5日(金)〜7日(日)の期間、1 pm、4 pm、7 pmにミッションバレーのハザード・センターで上映される。作品のお問い合わせはTJSラジオ(24時間日本語ラジオ局) / 1-866-614-1011 (日本語対応可)へ。


僕はどこから見てもアジア人ですし、本音トークで言うと、自分が柔道や空手で飯を食っていたらここには来ていないし。講道館で練習に励んで武道館で試合をしているでしょう。現実として芸能界で生きている身の上であり、世界中の誰もが映画、舞台の中心地はハリウッド、ブロードウェイと言います。東京、大阪と言う人はいません。僕はこの職業を選んだので、60億人を相手にしている映画産業の世界最高峰ハリウッドに目標を置きたいですね。ハリウッドで役者として、そして出演しなくてもいいから作品も作りたい。そんな遠大な夢を抱いています。

( The Winds of God  – Kamikaze –のあらすじ)
21世紀のニューヨーク。真夏の8月1日。うだつが上がらないコメディアンの2人=ドイツ系白人のマイクと日本人/アメリカ人の混血キンタ=はコメディのライブハウスをクビになり、交通事故に遭ってしまう。意識を取り戻すと、2人は太平洋戦争終結直前の1945年8月1日にタイムスリップし、何と日本海軍の神風特攻隊員という前世の姿に戻っていた。驚く2人の前に突きつけられた「死」の現実。戸惑う彼らにも零戦に乗る日がやって来た…。



今井 雅之 ・

1961年4月21日兵庫県豊岡市生まれ。陸上自衛隊に入隊、滋賀県の第3戦車隊に配属される。1986年法政大学文学部英文科卒業。同年、奈良橋陽子演出の 『MONKEY』で舞台デビュー。1988年より上演を開始した『The Winds of God』で脚本・演出・主演を務め、1992年度文化庁主催芸術祭賞を受賞。同作品は米国など海外で8回の公演を果たし、ニューヨーク・タイムズ紙から高 い評価を受ける。2005年にTVドラマ化される。『ウォータームーン』(’89)での映画デビュー後、TVドラマを含む数多くの作品に出演し、『静かな 生活』(‘96 /伊丹十三監督)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。『SUPPINぶるうす:ザ・ムービー』(’04 /主演・原作・脚本)で映画監督デビュー。英語版として映画化された『The Winds of God – Kamikaze –』(’06 /主演・原作・脚本)が監督第2作となる。奥さんと2人暮らし。


(2007年9月1日号に掲載)

 
{sidebar id=174}