日本のお茶には「無」の味が…? かなり日本語のできるアメリカ人の友人R。彼の日本文化に対する追及は厳しい。「日本に行った時、『つまらないものですが』と言って、お土産をくれた人がいた」 「つまらない物なら何故くれるんだ?」とR。「それはね、良いものでもワザとつまらないと言って、自分の立場を低くしているんだ。こういうのをケンソンと 言うんだ」と私。「イヤミとも言うらしいね」「うーん、まあね」「それはともかく『何もありませんが』と言って、お茶を出してくれた人がいる。何もないな ら出せないハズじゃないか」 私は応えに窮してしまった。よし、こういう時は「禅」を持ち出すに限る。「日本では、お茶は禅仏教と結びついている。つまりね、1杯のお茶は目覚めの一服。つまり無 (何もない) の境地を味わって下さいという意味なんだ」「おー!」 Rは分かったのか分からないのか、しきりに感心している。口から出まかせを言った私は、ひそかな罪悪感にかられるのであった…。 おか たくみ |