▽ COVID-19が収束していないのに不謹慎かもしれないが、後世の歴史家は “2020年春の記憶” をどのように回顧するのか考えてみた。 ヒントになるのは “1918年春の記憶”。世界で5億人が感染し、2,500万人が命を落としたスペイン風邪。驚くなかれ、第1波到来時の基本対策は今回とほぼ同じで、経済活動制限、ソーシャルディスタンシング、不要不急の外出禁止、自主隔離だった。徹底しなかったフィラデルフィアでは医療崩壊を招いた。 SD市 (当時人口約75,000人) の死者は366人 (致死率0.5%)。現在の人口に換算すると約6,800人となるが、医療技術の進歩 (ワクチン開発のスピード化など) もあり、もっと抑制されはず。スペイン風邪の収束までに2年弱。あの惨劇を繰り返さなければ、歴史家は人類の叡智と団結力を讃えるだろう。 ▽ 夫婦の “2020年春の記憶” として誉め言葉と要望を伝え合う。非常時だから素直に聞くことができる。妻から私へ「意志が強いね。17年間ウォーキングを続けているのはエラい。8pm以降はヤメてね。一緒に食事できないから。たまに “史上最大のマイペース男” になるね」 私から妻へ「明るくて声が大きいから元気をもらえる。笑い声が3ブロック先まで聞こえるね。隣の犬が吠えまくるのは怖いからだよ。知ってた?」 (SS)
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▽ 日本一の豪雪地帯、福島県の会津で生まれた。雪どけと同時に、春一番に顔を出すのがふきのとう。田んぼのあぜ道や土手に咲く薄緑色の芽を祖母と一緒によく採った。天麩羅、酢みそ和え、ほろ苦い春の使者が食卓に登場すると、田畑も、村も、人も、長い冬の眠りから一斉に目を覚ました。▽ 千葉に移り住んでからは、成田山新勝寺の節分会によく行った。著名人に会える「豆まきスポット」として有名で、大鵬、柏戸、大河ドラマの俳優さんを見るために、友達を誘ってお参りに行った。▽ 東京でひとり暮らしをしていた頃、春になるとストで電車がよく止まった。ストライキ中は会社が手配したホテルに泊って、これ幸いにと銀座の夜を楽しんだ。当時、高度成長と春闘のお陰で、毎年給与がうなぎのぼりに上がっていった。▽ サンディエゴの春のイベントといえば日本庭園のさくら祭り。そして、みなと学園の卒園式・卒業式、入園式・入学式。毎年、取材に行っているのだが、今年は中止になってしまった。まだ春が到来していないような気持ちになっている。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 通常なら、春は緑いっぱい、お花がたくさん咲いて、気持ちがとても良い季節。イベントも多く、家族連れ、友達同士で一緒に遊べて、旅行したり、ドライブしたり、野外活動したり、、、いろいろな楽しいことができる最適な時季。しかし、今年の「子年の春」はいつもの春とは違う、そして、みなさんにどんな記憶が残されるのかも想像できる。このスーパーパワフルなウイルスで全世界の経済が混乱、多数の死者が出て、感染者数も信じられないほど増える! 本当にスゴイ! 凄すぎ! 外出禁止令の生活をしているうちに、私たちを支えてくれている人々にもっと感謝しないといけない、尊敬しないといけない気持ちがどんどん強くなってくる。その反面、わがままで、自分勝手、ルールを無視、バカなまねをして、周りに迷惑をかける人々の行動を見ていられない! 目に見えないウイルスと戦うのが非常に大変で、難しいことは誰にも分かるはず。こんな大変な時期だから、お互い助け合うことができれば、この春こそ、素晴らしい記憶を共有できるような気がする! Be kind, be safe, be healthy! (S.C.C.N.)
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yoko 8年前の春に家族だけのささやかな結婚式を挙げた。私の希望とベイエリア在の夫の親族の便利さを考え、サンフランシスコのフォートメイソンにある小さなチャペルを借りた。私と夫はサンディエゴから運転して行き、私の両親と妹は、日本からサンフランシスコに飛び、叔父叔母はアメリカ旅行の合間に参加してくれた。チャペル、ホテルの予約と12人乗りのバンの手配、自分のドレス、ブーケの用意は私がして、オフィシアントの資格を持った夫の叔母と義母が会場の下見、式の進行、音楽、装飾、ケーキ作りをすべてやってくれた。当日は、スーツに身を包んだ新郎自らが特大バンの運転手になり、ホテルに泊まっていた両親と私を迎えにきた。そこから違うホテルに叔父と叔母を迎えに行き、皆でチャペルへ向かった。言葉の通じない夫の親族と私の親族がバンの中で、身振り手振りで自己紹介をし合っていた。特大バンでサンフランシスコのきつい坂を上り下りし、バンプで揺れるたびにみんなで笑っていた光景が目に焼き付いている。 (YA)
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reiko-san △ 子供の頃、寒い冬に飽き飽きしてきた頃、近くの森や河原でツクシやフキノトウを見つけると、無性に嬉しくなったのをよく覚えている。私たち子供は収穫するのが楽しくて、次々とツクシを摘み取り、フキノトウをそっと土から掘り起こした。まだまだ冷たい空気を肌に感じながらも、春がすぐそこまでやってきているのがわかり、ワクワクした。家に持ち帰ると、母や父が、それらをきれいに洗って、ツクシはおひたしに、フキノトウは甘辛の味噌煮や天ぷらにして美味しく食べた。ヨモギもよく取りに行った。母がヨモギ餅を作ってくれたっけ。春の記憶として蘇るのは、満開の桜より、断然フキノトウやヨモギ。地味だな〜(笑)△ サンディエゴに住むようになって、春といえば、あちこちに咲き乱れる花々の強烈な鮮やかさが真っ先に頭に浮かぶ。道路脇やキャニオンが色とりどりに染まり始めると、春が来たと思う。ピンク、オレンジ、黄色、紫色 …、見ているだけで元気が出てきそうな色だ。△ 先日、実家の父と話そうとビデオチャットをかけたら、父は森にいた。私たちが子供の頃から全く変わらない森の中のスペース。誰にも邪魔されず版画の制作が進むらしい。取り留めのない話をしていると 「ホーホケキョ♪」 とウグイスの鳴き声が聞こえてきた。春だな〜。 (RN)
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suzuko-san 春と言えばもちろん、さくら。サンディエゴでもバルボアパークで桜が見られるが、日本の、あの何とも言えないほのかなピンク色の染井吉野ではなく、ピンク色が強い種類の桜で群生もしていないから、あまり花見に行きたいという気にならないのが、残念だ。それならやはり日本だ!と数年前、桜の季節をめざして帰国。青春18切符を購入して、わが故郷の福山の福山城から始まり、岡山の津山 (鶴山公園)、山口の岩国(錦帯橋)、そして四国の香川は高松城の桜と、一生分の見事な満開の桜の花見遊山。各地へ赴く車窓からは、見事な花吹雪も 堪能した。しかし桜の季節は、まだ少し肌寒いことが多い。私は日本では20人弱の小さな出版社に勤めていたが、桜の季節になると、誰が一番乗りで半袖を着てくるかという競争が暗黙の内にあった。毎年、その競争には勝ちたいが、しかし、ちと寒い。やせ我慢をしなければ、半袖は着られない。そこで、とっくり首の半袖のセーター、暖かそうなモヘアの半袖セーターなど、半袖一番乗りを果たすため、毎年、厚手の半袖のセーターが一枚ずつ増えていく。というわけで、私の春の記憶と言えば、半袖のセーター。ここサンディエゴでは、それらのセーターをほとんど着る機会がなく、箪笥の肥やしになっているのが、ちと残念である。 (Belle)
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jinnno-san わたしの実家は愛知県春日井市という田舎町で、市のお花は、桜。春になると、実家の門に樹齢50年近くなる桜の木が満開の花を咲かせて、誰も申し出ないけど 笑、近所の人たちはぜったい毎年見惚れているハズ 笑。田んぼの向こう側の家なんか、縁側からとっくり片手に花見してんじゃないのー?くらい、桜は遠くからも見える (どんな田舎? 笑)。それもそのはず、市のお花のくせに、うちの周り半径500Mには桜が見当たらなーい。こんな素敵な大木なのに、区画整理によって伐採されちゃうのー! 公園になるんだから、残せばいいと春日井市に訴えたわたし 笑。そしたら、家族ぐるみで“静かにしていなさい” と怒られた 笑。もうこれは、わたしの大好きな番組 “探偵ナイトスクープ” に依頼して桜を救ってもらうしかない!と家族に言ったら、番組のこと誰も知らないし 笑。皆さん想像してみてよ。樹齢50年の桜が公園に残ってて、近所の人たちが今度は堂々と (笑) お花見を楽しむのと、ただの広場になっているのと。わたしは記憶だけでは物足りないわ。と、桜を公園に残し、さらにはわたしの名前を “XXX贈呈樹” と入れてもらうべく 笑、リモートで根回しをする日々であった 笑。あ、わたしの去年の春の記憶は、けXべX (去年の号見たらわかるよ 笑!)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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春と言えば入学、卒業のシーズン。出会いと別れの 『涙』 のシーズンだ。小学、中学、高校、短大と4回も卒業式を経験しているが、私はその 『涙』 とは無縁だった。卒業式で泣いている人がとても可愛く見えた。友達と抱き合って涙をこぼし、男の子たちに「お前、何泣いてんだよー」 と言われている女の子が羨ましかった。私も可愛く見られたかったので、作戦に出る。親が命に関わる病気になったこと、彼氏に浮気されることなど、悲しい出来事を想像してみたり、目を見開いて、瞬きをしないで “眼球乾燥” をしてみたりと、涙を絞り出そうとしたが、一粒たりとも出てこなかった。やがて、そういうことをしている自分が可笑しくなって、卒業式の最中にニヤニヤしてしまう始末。そうなるとおしまい。泣いている先生を見ても可笑しい。「何回も卒業式を経験しているのに、毎年泣くのかね?」と非情なセリフまで出てしまう。しまいには、中学2年の時の一級上の先輩の卒業式。友達から「式終わったら、先輩たちが ○○ (私の名前) のこと、卒リン (卒業リンチ) するってよ」 と聞かされ、学校が終わった途端に、 速攻、 逃げるように帰ったこともある。私の春の記憶は淡いピンク色とは無縁だ。 (IE)


(2020年5月1日号に掲載)