July 8, 2025

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時間

 

「締切」という重い枷 (カセ) を負わされた出版業務を38年続けた。時間に「追われる」日常が加速して、たちまち時間に「追い抜かれ」、いつしか時間を「追いかける」 ようになった。平日と休日の境界線がなくなり、本能的に時間の効率化を図る因果な日々。始終、何かにムチ打たれ、何かに駆られている焦燥感がある。▽生来、短気でせっかちなので、とびきり評判の良い料理店で食事をしようとしても、お客さんの長い列を目撃すると意欲がなくなり、近くの空いている店に飛び込んでしまう。コンビニのキャッシャーに美人の店員さんがいると、男はそのラインを目掛けて並ぶらしいが、私は美人だろうが不美人だろうが、男だろうが女だろうが、若かろうが老けていようが、地球人だろうが火星人だろうが、ガラ空きのキャッシャーに直行する。時短最優先。▽還暦を過ぎて早起きになった。1日の始まりは、明け方に前庭に出て、仁王立ちで朝刊を待つこと。配達時刻が10分以上遅れて、待ちぼうけを食わされると不愉快になるが、腕組みをしながら、朝靄 (あさもや) の薄明かりの中でひたすら待ち続ける。「弁慶か? 薄気味悪い」と妻。▽一度決めたことは変えたくない性分。その傾向に拍車が掛かり、加齢とともに「頑固ジジイ」路線をまっしぐらに突き進みそうなので、改善しなければならない。時間がかかりそうだ。(SS)
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▽年を重ねるごとに1年が短く感じるのは、多くの人が経験することだ。小学生のころは一年が終わりのないほど長く感じたのに、今ではあっという間に年末が近づいていると感じる。子供のころは毎日が新しい発見や楽しい出来事でいっぱいで、そのたびに「新しい!」と感じ、脳がたくさん働くため、時間がゆっくり流れているように思えるのだそうだ。▽友人や親戚の子供たちがどんどん成長していく姿を見ると、彼らが未来に向かって「足し算」のように時間を生きているのに対し、大人は過去が増えていく「引き算」の時間を生きていると強く感じる。もし私に子どもがいれば、子育てを通して、もう一度この「足し算」の時間を体感できたかもしれない。▽猫を動物病院に連れて行ったとき、「ペットと人の年齢早見表」を見て、猫が一年で人間の二十歳に相当する成長を遂げ、その後は一年ごとに人間でいうプラス四歳ずつ加算されることを知った。人や動物によって時間の流れ方や感じ方は異なるが、みんなそれぞれの時間を感じながら、同じ場所で一緒に生きていることで、つながっているように思う。▽毎日にちょっとずつ新しいことを取り入れると、1日1日が特別に感じられ、時間がゆっくり流れているように感じられるそうだ。通る道を変えたり、新しい料理に挑戦したり、旅行に行ったり、テニスやゴルフも再開してみたいと思う。(NS)
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家族で過ごす時間、友人と過ごす時間、自分ひとりで過ごす時間、どれも私にとって大切な時間だ。先日、夕食後に美味しいスナックを求めて、夫と娘と私の3人で車に乗って少し離れたマーケットへ夜の買い物に出かけた。道中、娘が学校での出来事や友達とのあれこれを話してくれるの聞いたり、日々のたわいのないことを喋り合いながら過ごす時間が心地よかった。高校3年生の娘は、最近友達と過ごす時間が多くなってきた。自分で車を運転するようになったら、家族揃ってこんなふうに一緒に行動する時間がもっと減るのだろうなと思ったら、なんだか寂しくなった。お互い虫の居所が悪くて、険悪な雰囲気になると、こういう感傷的な気持ちはどこかに吹き飛んでしまうのだけれど(笑)▽若い頃の私はよく一人で買い物に行ったり、映画を観に行ったり、ご飯を食べに行ったりしていたなと思う。友達と一緒に出かけるのももちろん楽しかったけれど、自由気ままに自分の好きなことを自分のペースでする時間が定期的に必要だったのだと思う。夫も好きなことは一人でやるものが多い。チームスポーツが苦手なのも私に似ている。一緒に過ごす時間はもちろん、ひとり時間をちゃんと楽しめるって大切だなと思う。(RN)
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suzuko-san
世の中には時間が守れない人、人種がいるようだ。約束に10分、20分遅れてきても悪びれる様子もなく、謝りもしない。かつて友達だと思っていた人も、必ず遅れる人だった。あまりに約束の時間にいい加減な態度に呆れ果て、「〇〇さん、普段から5分くらい前に着くように家を出ない?」と、やんわりと言ったところ、「出られるワケがないでしょ!」と逆切れされたことがあった。珍しい日本人だ。時間はそこにあるものではなく“作る”もの。作ろうとしなければ、ただ悪戯に過ぎていくだけ。日本人は一般的に時間を守る国民だ。列車の発着時間でも、わずか2、3分の遅延にアナウンスが流れる。こんな国は世界中探してもそうはない、と思う。一方、ラテン系の民族は特に時間にルーズな人が多い。パーティーに平気で遅れてくるのは序の口。自分のウェディングに1時間も遅刻したメキシコ人カップルもいた。かつてのイタリア大使が書いた本に、イタリアのある都市の道路沿いに4つの時計が掲げられていたが、そのどれもが示す時刻が異なっていた、と。そんな時間の差など全く気にならない国民性なのだ。しかし、こんなに時間にいい加減な国でも、公共交通機関の出発時間は「お見事!」と、声を大にして称賛したいほど定刻に出発する。お国が違えば、我々には普通のことをしただけで誉められる。日本の常識は世界の非常識 !? (Belle)
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jinnno-san
楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。例えば、先週の日本への帰省もそうだ。二週間があっという間に過ぎて、まるで三日間のように感じられた(これって年取ったってこと?笑)。実家に帰る前にあちこち観光して回り、奥州平泉を初めて訪れたときには、まるで時が平安時代に戻ったかのようだった。金色堂は今年建立900年。きゅーひゃくねん?どんだけ時間経ってんの?しかし岩手県民は口数が少ないからか(笑)もっとこの世界遺産のことをエバれば良いのに、京都にもひけをとらないこの街のことを多くのニッポン人が知らないと思う。名古屋の実家に帰って知ったことだが、父も同じ時期に中尊寺にいたらしいのだ(偶然すぎて笑ってしまった)。米国に帰ってすぐロサンゼルスで開催されたアニメOver the Garden Wallの10周年記念コンサートに行った。友人がサイン会を開いているのを見てびっくり。10年前には想像もできなかった光景だ。舞台には有名俳優も登場し、あいさつをしたが、家に帰って検索して初めて、あの小柄な人物が『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドだったことに気づいた。時間は誰にも止められない、スターでさえもね(自分も!笑) (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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朝の時間は1時間があっという間に過ぎる。家族で一番早く起きるのは自分。自分の身支度をしてから子供たちのランチを作りと朝食の用意をする。時間を見ながら子供たちが起きたかどうか確認するため電話をかるが、電話に出ない時は2階に行って無理やり起こす。また1階のキッチンへ戻り朝食の支度を続ける。その後、キッチンに戻り朝食を仕上げ、子供たちが食べ終えたら学校に送り届ける。30分ほどすると、夫が起きてきて仕事の準備をして出かけるので、コーヒーを作って送り出す。30分ほどすると夫が起きてきて、仕事の準備をするので、コーヒーを入れて見送る。ここでようやくひと息。自分のためにコーヒーを入れ、適当に朝食を済ませ、ニュースをチェックする。その後は仕事と家事に取りかかり、気づけば子供の迎えの時間だ。毎日がこんな調子で、案外無駄にしている時間もあると感じる。子供の迎えから夕食の準備までの間は、体力が切れるため1時間ほど昼寝をするようになった。最近はジムにも行けず、会費がもったいないと思いつつ、どうしても行く元気がない。朝の時間もあっという間だが、1年もあっという間なのだ。年を取るのも早い!もっと時間を大切に使わねば。(S.U)

(2024年11月16日号に掲載)
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時間

 

「締切」という重い枷 (カセ) を負わされた出版業務を38年続けた。時間に「追われる」日常が加速して、たちまち時間に「追い抜かれ」、いつしか時間を「追いかける」 ようになった。平日と休日の境界線がなくなり、本能的に時間の効率化を図る因果な日々。始終、何かにムチ打たれ、何かに駆られている焦燥感がある。▽生来、短気でせっかちなので、とびきり評判の良い料理店で食事をしようとしても、お客さんの長い列を目撃すると意欲がなくなり、近くの空いている店に飛び込んでしまう。コンビニのキャッシャーに美人の店員さんがいると、男はそのラインを目掛けて並ぶらしいが、私は美人だろうが不美人だろうが、男だろうが女だろうが、若かろうが老けていようが、地球人だろうが火星人だろうが、ガラ空きのキャッシャーに直行する。時短最優先。▽還暦を過ぎて早起きになった。1日の始まりは、明け方に前庭に出て、仁王立ちで朝刊を待つこと。配達時刻が10分以上遅れて、待ちぼうけを食わされると不愉快になるが、腕組みをしながら、朝靄 (あさもや) の薄明かりの中でひたすら待ち続ける。「弁慶か? 薄気味悪い」と妻。▽一度決めたことは変えたくない性分。その傾向に拍車が掛かり、加齢とともに「頑固ジジイ」路線をまっしぐらに突き進みそうなので、改善しなければならない。時間がかかりそうだ。(SS)
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▽年を重ねるごとに1年が短く感じるのは、多くの人が経験することだ。小学生のころは一年が終わりのないほど長く感じたのに、今ではあっという間に年末が近づいていると感じる。子供のころは毎日が新しい発見や楽しい出来事でいっぱいで、そのたびに「新しい!」と感じ、脳がたくさん働くため、時間がゆっくり流れているように思えるのだそうだ。▽友人や親戚の子供たちがどんどん成長していく姿を見ると、彼らが未来に向かって「足し算」のように時間を生きているのに対し、大人は過去が増えていく「引き算」の時間を生きていると強く感じる。もし私に子どもがいれば、子育てを通して、もう一度この「足し算」の時間を体感できたかもしれない。▽猫を動物病院に連れて行ったとき、「ペットと人の年齢早見表」を見て、猫が一年で人間の二十歳に相当する成長を遂げ、その後は一年ごとに人間でいうプラス四歳ずつ加算されることを知った。人や動物によって時間の流れ方や感じ方は異なるが、みんなそれぞれの時間を感じながら、同じ場所で一緒に生きていることで、つながっているように思う。▽毎日にちょっとずつ新しいことを取り入れると、1日1日が特別に感じられ、時間がゆっくり流れているように感じられるそうだ。通る道を変えたり、新しい料理に挑戦したり、旅行に行ったり、テニスやゴルフも再開してみたいと思う。(NS)
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家族で過ごす時間、友人と過ごす時間、自分ひとりで過ごす時間、どれも私にとって大切な時間だ。先日、夕食後に美味しいスナックを求めて、夫と娘と私の3人で車に乗って少し離れたマーケットへ夜の買い物に出かけた。道中、娘が学校での出来事や友達とのあれこれを話してくれるの聞いたり、日々のたわいのないことを喋り合いながら過ごす時間が心地よかった。高校3年生の娘は、最近友達と過ごす時間が多くなってきた。自分で車を運転するようになったら、家族揃ってこんなふうに一緒に行動する時間がもっと減るのだろうなと思ったら、なんだか寂しくなった。お互い虫の居所が悪くて、険悪な雰囲気になると、こういう感傷的な気持ちはどこかに吹き飛んでしまうのだけれど(笑)▽若い頃の私はよく一人で買い物に行ったり、映画を観に行ったり、ご飯を食べに行ったりしていたなと思う。友達と一緒に出かけるのももちろん楽しかったけれど、自由気ままに自分の好きなことを自分のペースでする時間が定期的に必要だったのだと思う。夫も好きなことは一人でやるものが多い。チームスポーツが苦手なのも私に似ている。一緒に過ごす時間はもちろん、ひとり時間をちゃんと楽しめるって大切だなと思う。(RN)
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世の中には時間が守れない人、人種がいるようだ。約束に10分、20分遅れてきても悪びれる様子もなく、謝りもしない。かつて友達だと思っていた人も、必ず遅れる人だった。あまりに約束の時間にいい加減な態度に呆れ果て、「〇〇さん、普段から5分くらい前に着くように家を出ない?」と、やんわりと言ったところ、「出られるワケがないでしょ!」と逆切れされたことがあった。珍しい日本人だ。時間はそこにあるものではなく“作る”もの。作ろうとしなければ、ただ悪戯に過ぎていくだけ。日本人は一般的に時間を守る国民だ。列車の発着時間でも、わずか2、3分の遅延にアナウンスが流れる。こんな国は世界中探してもそうはない、と思う。一方、ラテン系の民族は特に時間にルーズな人が多い。パーティーに平気で遅れてくるのは序の口。自分のウェディングに1時間も遅刻したメキシコ人カップルもいた。かつてのイタリア大使が書いた本に、イタリアのある都市の道路沿いに4つの時計が掲げられていたが、そのどれもが示す時刻が異なっていた、と。そんな時間の差など全く気にならない国民性なのだ。しかし、こんなに時間にいい加減な国でも、公共交通機関の出発時間は「お見事!」と、声を大にして称賛したいほど定刻に出発する。お国が違えば、我々には普通のことをしただけで誉められる。日本の常識は世界の非常識 !? (Belle)
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jinnno-san
楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。例えば、先週の日本への帰省もそうだ。二週間があっという間に過ぎて、まるで三日間のように感じられた(これって年取ったってこと?笑)。実家に帰る前にあちこち観光して回り、奥州平泉を初めて訪れたときには、まるで時が平安時代に戻ったかのようだった。金色堂は今年建立900年。きゅーひゃくねん?どんだけ時間経ってんの?しかし岩手県民は口数が少ないからか(笑)もっとこの世界遺産のことをエバれば良いのに、京都にもひけをとらないこの街のことを多くのニッポン人が知らないと思う。名古屋の実家に帰って知ったことだが、父も同じ時期に中尊寺にいたらしいのだ(偶然すぎて笑ってしまった)。米国に帰ってすぐロサンゼルスで開催されたアニメOver the Garden Wallの10周年記念コンサートに行った。友人がサイン会を開いているのを見てびっくり。10年前には想像もできなかった光景だ。舞台には有名俳優も登場し、あいさつをしたが、家に帰って検索して初めて、あの小柄な人物が『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドだったことに気づいた。時間は誰にも止められない、スターでさえもね(自分も!笑) (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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朝の時間は1時間があっという間に過ぎる。家族で一番早く起きるのは自分。自分の身支度をしてから子供たちのランチを作りと朝食の用意をする。時間を見ながら子供たちが起きたかどうか確認するため電話をかるが、電話に出ない時は2階に行って無理やり起こす。また1階のキッチンへ戻り朝食の支度を続ける。その後、キッチンに戻り朝食を仕上げ、子供たちが食べ終えたら学校に送り届ける。30分ほどすると、夫が起きてきて仕事の準備をして出かけるので、コーヒーを作って送り出す。30分ほどすると夫が起きてきて、仕事の準備をするので、コーヒーを入れて見送る。ここでようやくひと息。自分のためにコーヒーを入れ、適当に朝食を済ませ、ニュースをチェックする。その後は仕事と家事に取りかかり、気づけば子供の迎えの時間だ。毎日がこんな調子で、案外無駄にしている時間もあると感じる。子供の迎えから夕食の準備までの間は、体力が切れるため1時間ほど昼寝をするようになった。最近はジムにも行けず、会費がもったいないと思いつつ、どうしても行く元気がない。朝の時間もあっという間だが、1年もあっという間なのだ。年を取るのも早い!もっと時間を大切に使わねば。(S.U)

(2024年11月16日号に掲載)
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リラックス

 

事件は妻が帰省中の深夜に起きた。1か月前にトイレのドアノブ (握り玉タイプ) が腐蝕して抜け落ち、ネジも紛失。穴が開いたまま放置して、ドアストッパーで密閉を防いでいたが、うっかり内側から閉めてしまった! 出られない! 雪隠詰めとはこれ如何に。内部に手を入れてラッチ (突起部分) を引こうとするが狭くて届かない。道具も使えない。妻がいたら、ドアの両側から通したリボンテープでラッチを押し込められた? ドア全体を取り外すドライバーもない。ドアの隙間に厚紙を入れてラッチにチャレンジしたが、斜面にストッパー枠があり、これも失敗。飼い猫が「ご飯くれ~」 と鳴きながらドアにカリカリと爪を立てる。私はパニック状態の自分をリラックスさせようと、床にバスタオルを敷いて横になった。頭に浮かんだのは、南米の鉱山で地下700メートルに閉じ込められ、2か月後に救出された作業員たちのこと。深刻さは比べものにならない。朝になれば誰かが家の前を通るし、窓から絶叫して911に連絡してもらえばいい。でも、地元ニュースの笑いネタになりそうだ。目に留まった頭の横のビニール袋。壊れたドアノブが中に! 無理にハメ込んで力任せに回したら、開いた!! 約1時間の格闘。帰宅した妻は「大変だったね~」 と目に一杯涙を溜めていた。必死に笑いをこらえている涙だった。(SS)
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▽多忙な現代人には「ボーっとする時間」が必要だと言われている。まるで車のエンジンがアイドリング状態になるように、脳をリラックスさせれば再び活力を取り戻せるという。しかし、私はその「ボーっとする」ことが苦手だ。何かしていないと落ち着かない。夫が簡単にその状態に入るのを見るたびに、羨ましく感じることがある。▽今年から友人に勧められてFitbitのスマートウォッチを使い始めた。この時計は、睡眠の質をトラッキングし「目覚め」「レム睡眠」「浅い眠り」「深い眠り」の段階を詳しく表示してくれる。例えば「レム睡眠」は脳がまだ活発に動いている状態、「浅い眠り」は体が軽く休んでいる段階、そして「深い眠り」は体がしっかりリラックスできる段階とのこと。自分のリラックス状態を見える化してくれるこの時計に驚かされている。▽3か月ほど前から早朝の散歩を日課にしている。太陽が昇る前にスマホを持たずに出かけ、朝の澄んだ空気の中を1時間ほど歩く。歩くたびに自然と心が落ち着き、日々のストレスが軽くなるのを感じる。脳科学によると、ボーっとするためには大通りや海、森などの自然風景を見ることが効果的だそうだ。自宅で行う場合は、動画サイトで自然の風景を眺めることも勧められている。実際、私も自然の中で過ごす時間が増え、少しずつ「ボーっとする」感覚を獲得しつつある。(NS)
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▷リラックスといっても、毎日忙しくて、なかなかノンビリと時間を取って寛げない。それでも、日々の生活にリラックスタイムが存在していたことに気付いた。挽きたてのコーヒー豆の香りを嗅いだとき、淹れたてコーヒーの一口目を飲んだとき、山積みの仕事を片付け終えたとき、お菓子を焼いてその甘い香りを嗅いだとき、香ばしいパンが焼き上がったとき、シーニックドライブを車で走り、とても美しい景観が見られたとき、掃除を終えて自宅がきれいになったとき、朝起きて、今日は仕事と子供たちの学校が休みの日と気付いたとき、子供たちと一緒に映画を観たり、絵を描いたり、ゲームやクラフトをして過ごしているとき、猫が膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしているとき。▷昔、お世話になったホストマザーはBig Bear Lakeに別荘を持っている。去年から数回、このリゾートへの小旅行に招待され、泊まらせて頂いている。夏は青空の下で、緑に囲まれながらハイキングと湖でのアクティビティ、冬は雪景色を愉しみながら雪遊びと、素晴らしい体験をさせてもらった。今は秋たけなわ。また小旅行に誘って頂いた。秋山の風景も素敵だろうな。自然の中で、とてもリラックスできそう〜。 (YA)
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suzuko-san
私が無二のお酒好きというのは、前号でも書いたのでご存知の方も多いはず。かく言う私も、お酒を飲み始めたのは23、24歳の頃。大学時代のコンパはおろか、初めて訪れたヨーロッパで、名物ワインや名物ビールを一切口にせず帰国した、という真面目な?学生生活を送っていた。ところが、就職した雑誌社のほぼ全員が呑み助で、勧められるがままについつい手を出したら、これがイケる! 以来、飲み遅れた分、飲み急げと、せっせ、せっせとお酒に親しんでいった。もう、夕食時のアルコールは欠かせない。水やお茶で夕食が終わらせられるか!ってなもの。とりわけ、この国に来てからは、会社勤めをしない人生を過ごしているので、時間に余裕があるときは「自宅ハッピーアワー」が日課となっている。毎日飲むからには深酒はしない。翌日のために少し余裕を残しながら、楽しみながら飲む。このハッピーアワーを嗜むことで、「あぁ〜、これで今日もつつがなく終わった」という一日の区切りがつく。ここからの時間こそが、私の毎日の大事なリラックスタイム。最初の一口を口に含んで、それが食道を通り抜けるあたりから、フワ~っといい気分になる。シアワセな心持ちに浸れるのである。何でこれをヤメられようか! お酒を口にしない人は、どうやって一日の区切りをつけているのか不思議だ。お菓子? お煎餅? 誰か教えてぇ~。 (Belle)
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jinnno-san
ニッポンなう。羽田行きのフライトで、いつもは窓際か通路席を指定するんだけど、真ん中席のさらにド真ん中だった 笑。トイレに行きにくいのよ〜。隣の人に気を使ってリラックスでけん、と思っていたけど、どこでも寝られる特技を持つわたしは、余裕で寝て、トイレも行って、真ん中席もまんざらじゃなかった 笑。ニッポンで一番緊張するのが電車利用。初めてPASMO (ICカード乗車券) を使おうとしたけど、クレカと紐づけができなくて、結局、券売機で毎回切符を購入 笑。いちいち、よーーく路線図を見つめて、行先を決めて、金額を確認し、現金入れて切符を買うので、ピッてする人に比べるとモタモタして時間が5倍 (大袈裟 笑) かかる。でも、乗車しちゃえば、新幹線ってめちゃくちゃリラックスでける。脚を広く伸ばしても前の席に届かない (脚みじけ〜 笑)。世界遺産の岩手県奥州藤原氏の町、平泉を訪れた。平安時代の庭園が残っていたり、建立900周年を迎える金色堂には藤原氏族のご遺体が納められている。首桶も展示されてた。中尊寺内のお茶屋さんの縁側から源義経の家屋がある高館を眺めながら、お抹茶と団子を頂いて、平安時代の人になっちゃった 笑。首桶を見た後なのに超リラックス 笑。平泉は京都と違って混んでないし、駅も小さいし、ステキな町。あたい、ここの平安人だったかも~。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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▽人生で初めて新幹線のグリーン車を利用したのは、今年の夏のことだ。東京から静岡までの区間を家族6人で乗車した。人が少なかったせいかもしれないが、とても静かで空気が良いと感じた。座席は2列+2列の配置で、個別のスペースが広く、ゆったりと落ち着いた環境が整っていた。1時間ほどの乗車時間はあっという間で、心地よくリラックスできた。東京で観光を楽しんだけれど、慣れない街の人混みに疲れてしまい、自由席を確保する手間を思うと、グリーン車の選択は正解だった。指定席もある程度安心できるが、意外と混んでいることが多いため落ち着かない。初めてグリーン車の快適さに触れた私は、もう指定席には戻れないかもしれない。▽一昨年の夏、日本へ帰省する際、空港のチェックインカウンターで、格安のビジネスにアップグレードできるというオファーを受けた。迷った末に、子供2人と一緒にビジネスにアップグレード。搭乗前は空港のラウンジで軽食を楽しみながらリラックス。子供たちはビジネスクラスを嫌がっていたが (知らないって怖い)、 ラウンジに来ただけでウキウキ。そして初のビジネスクラス体験! メニューや食器の違い、ゆったりとした空間、丁寧なサービスを満喫した。10時間のフライトも、これなら全然疲れない。次にビジネスに乗れるのはいつになるかな。(SU)

(2024年11月1日号に掲載)
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料理

 

幼少期を過ごした旧家は家父長制的な封建色が強く、戦前の竃 (かまど) が残された厨房では祖母が “総料理長” の風格で指揮を執っていた。祖父は旬の食材を好み、 一人だけ豪勢なメニューで1日5度の食事を楽しむ日々 (信じられない!)。祖母はまさに「生きた歳時記」で四季折々の旬味に通じ、台所に並ぶ食材の最高の味わい方と日本の習慣の本義を説明してくれた。旧家では月見を2度していた。準備するのは祖母。“芋 (いも) 名月” と呼ばれる9月中旬の「十五夜」(中秋の名月) はススキと月見だんごは勿論、12個のサトイモを供えて芋料理も食卓に並んだ。2度目は “豆名月” と称される10月中旬の「十三夜」。この日は豆料理のオンパレード。印象深いのは枝豆の色。祖母は水に浸した枝豆を茶色になるまで煮込んで青臭さを完全に抜いた。緑色で歯触 (ざわ) りの良い枝豆ではなく、しんなりと柔らかく変色した大豆という風情。自然食材の本質を堪能するため、旬の野菜を供えて、五穀豊穰 (ごこくほうじょう) を神様に感謝する儀式が月見だと教えてくれた。祖母が亡くなると月見行事は途絶えてしまい、季節を問わず野菜や果物が手に入る促成栽培の時代になった。旬が原点の料理文化を蘇らせるには露地栽培への回帰が必要だ。帰国する度にそう思う。今年の「十三夜」は10月14日。満月直前の美しい月 (月齢12) を眺めていると、あの頃を思い出す。(SS)
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▽実家が商売をしていたので、忙しく働く母親に代わって、子どもの頃から祖母と一緒に家族の食事を作っていた。昭和30年代、我が家の食卓には毎日、昔ながらの茶色いおかずがいくつも並んでいた。▽小学2年生の夏休み、父方のモダンな叔母さんからサンドイッチの作り方を習った。家で振る舞ったら「これは美味い!」と家族みんなが喜んでくれた。グラタン、ハンバーグ、洒落た洋風料理が私の十八番となった。▽料理は人に作ってもらうほうが美味しい。ワシントン州に留学した3年間は食事付きの寮生活を送った。「こんなのマズくて食えない」と文句タラタラの日本人留学生を尻目に、お代わりの列に並んでラクチン料理をパクパク食べた。▽60代に入り、生活習慣病の兆しを感じたころ「体は食べ物でできているんだ」と改めて思った。でも、忙しいと料理に時間をかけるのが難しい。そんな時、知人がYouTubeの『買ったらすぐやる、野菜の下ごしらえ 30分だけ頑張ってみる』という動画を教えてくれた。火を使う時間や盛り付けよりも、野菜を洗ったり、皮を剥いたり、切ったりする下ごしらえが大変だったと気づいた。その「時短下ごしらえテクニック」のおかげで、毎日の料理がとても楽になった。野菜たっぷりのヘルシー料理で、疲れたココロとカラダを癒して「百二十歳バンザイ!」を目指したいと思っている。(NS)
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料理には、人々を惹きつける独特の魅力がある。最近、私は中国のガーリックチリオイルヌードルを作って食べることに夢中になっている。麺を茹で、その上に酢、醤油、ラー油、オイスターソース、フィッシュソースといった調味料を混ぜ合わせ、ニンニクや生姜、ネギを加える。その後、熱々に温めたオイルを注いで、香りが立ち上る瞬間こそ、まさに料理の醍醐味だ。このシンプルで風味豊かな一皿は、調味料の配分やトッピングを変えることで、毎回、新たな発見をもたらしてくれる。麺料理は、特に最近、私の心を捉え続けている。ガーリックチリオイルヌードルだけでなく、様々な国の文化に根付いた多様な麺料理が存在し、その一つ一つが独自の味わいと魅力を持っている。ラーメンやパスタ、フォーなど、世界中の麺文化に触れることで、味覚だけでなく異文化への興味も深まる。麺料理には自由度が高いという魅力があり、自分好みにアレンジすることが容易だ。少しの調味料の変化で、全く異なる風味を楽しむことができるのは、料理が持つ創造的な側面でもある。このように、料理を通じて、日常にちょっとした冒険心を持ち込むことができるのが、私が麺料理にハマっている理由の一つかもしれない。(RN)
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suzuko-san
私は呑み助である。23歳になるまでお酒を避けて人生を歩んでいたのに「社会が悪い、男が悪い」。会社と当時のボーイフレンドに強要?されてお酒を嗜むようになった。「飲んだら、飲めた」もんだから、「飲み遅れた」分を取り戻すべく「飲み急いだ」ら正真正銘の?呑み助になった。今や、お酒無くして私の人生は語れない。お酒は私の最大の友達だ。その友達との関係を楽しむには、いわゆる「つまみ」 が不可欠。そう、私は食いしん坊でもある。お酒を飲むようになって、一人飲みでもちゃんと料理をして、何種類かの「おかず」とともにお酒を味わう。これぞ至福の時。作り置き野菜も加えて、食卓には小皿料理が10種近く並ぶことも。どんなに多忙でも、料理をする時間を惜しまない。というより優先順位の上位に料理がある。好きな音楽を聴きながら料理に勤しむのは最高のひととき。この国で暮らそうとしたとき、ビザ取得のために「食」関係の仕事ができたらと思った。結果、日本人のための民宿を始めたり、インド料理教室を開いたり、幼児のいる家族の夕食を週3回届けるという、ケータリングサービスを頼まれたりと、料理に関わる仕事もさせてもらった。「好きこそ物の上手なれ」とは言わないが、呑み助のおかげで自分のために料理を作るようになり、幸いにも、少しは世の中からお金がいただけた。まさに料理万歳!だ。(Belle)
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jinnno-san
不慣れな料理は複数のレシピをビデオで観ながら作るのだけど、なぜか&いつも自分流に創作してしまう 笑 (レシピを参考にする理由って?笑)。自称エセ・メヒコ人のわたしは、得意?のエスパニョ-ルを活かしまくり、メヒコ料理はメヒコ人が紹介するレシピをググる。そして、メヒコのスーパーで「豚肉のタマレを作るんだけど、どのお肉がいいかな〜?」なーんて、肉屋のおばちゃんと軽く西語で雑談しながら食材をゲット。チレ (唐辛子) コーナーでは種類がありすぎて、どんな風味なのか全く分からんから、その場に居合わせた買物客におススメを聞き出したりする。タマレを作るのはご存知の通り (いや、知らんでしょ 笑) めちゃめちゃ手間がかかる。2日は必要 笑。そのタマレを自慢げに友達の誕生日に届けようと計画。でも、疲れ過ぎちゃって断念 笑。タマレの中身だけにして、豚の皮のおせんべいで食べるスタイルに変更。そんなレシピなんて誰も考えつかない 笑。自分でスゲーな!と自惚れたのは、私が米人さん向けにお料理デモを開いたとき。計量スプーンなど使わず「お醤油はこんくらい」と、瓶から適量を入れたら「これぞ料理する人の特技!」と生徒さんから褒められた!?(・・てない?笑)。まぁいいってことよ。だって、わたしの料理の9割以上はウマいから (ホント?)。(10割を目指さないのもわたしの料理! 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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夫のために料理するのがイヤ。というのも、彼は料理人として仕事をしているから。夫は日本食を口にはするが、もともと韓国料理が好きな人なので、帰宅すると食べたいものは自分で作っている。私が夕飯を用意しておいても、キムチチゲが食べたければ自分で拵えてしまう。私も簡単な韓国料理なら作れるが、夫の腕前には勝てないと思うと気後れしてしまい、楽しく料理ができないのだ。料理というのは、食べてくれる人のことを考えながら作るもの。日本にいる私の家族はほぼ自分の好みと同じなので、何でも喜んで美味しいと食べてくれる。しかし、夫は美味しいとは言ってくれるが、使った調味料などを聞いてくる。そして「美味しいけど、こうするともっと良くなる」などと必ずダメ出しをする。それを素直に聞き入れて「じゃぁ今度そうしてみるね」と明るく返せるほど私は人間ができていない。「ケッ! もう作んねーよ!」と悪態をつきそうになる。最近はとりあえず夕飯などは子供のためにだけ作り、夫が食べたいなら「その残り物をどうぞ」と思いながら準備をしている。子供たちに出したものを別の皿に夫用として取り分けておいて、「ほら、あるよ〜」と形だけ整えている。あとは夫が作ったお気に入りのキムチや漬物のサイドディッシュを適当に並べておくだけ。これが私の料理の流儀。(SU)

(2024年10月1日号に掲載)