▽時代の影響が各世代の特徴を形成する。「団塊の世代 (全共闘世代)」の1940年代後半生まれは、学生運動という名の “破壊活動” を通じて戦後の既成価値を否定し、反体制フォーク全盛期の旗手となってフーテン族やサイケ族を生んだ。兄貴分の世代に憧れすら覚えた1950年代後半生まれの私たちは、1970年代半ばに迎えた多感な青春期でさえも “ 時代の大波 ” に直撃された経験がなく、目立った行動も示せなかった。ビートルズをリアルタイムで聴いたのは解散直前に発表された “Let It Be” (辛うじてカスってます!)。ベトナム戦争も終結し、狂喜と反戦のエネルギーが消えた時代の中で「しらけ世代」と呼ばれた。カッコつければ、必死に磨き上げた自分の美意識を生きる因 (よすが) としている。▽新時代「令和」が始まる。出典が『万葉集』、元号初登場の漢字「令」、そのオリジナリティと「美しく心を寄せ合う世界」という意味。素晴らしい新元号だ。心配していたことがある。酒造会社主催の予想投票で「安」の字が入る元号が Top 10 中8個も占めていた! 長期政権をひた走る「安倍時代」を賛美するような、それこそ首相への忖度 (そんたく) ?? 候補から外れたのか、元号選定会議で不適切と判断されたのか、いずれにしろ良識が働いてよかった。 (SS)
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▽「昔の東京オリンピック、見た人、出た人、知っている人」。これで、その人が生きた時代がだいたい分かる。1964年の東京五輪を見た自分としては、元気いっぱいの当時の日本を懐かしく思い出す。何もない戦後の時代から、日本が先進国の仲間入りをした時代。オリンピックに向けて、新幹線、首都高速、モノレールなどのインフラが整備され、競技場、日本武道館、渋谷公会堂、ホテルオークラが開業し、白黒テレビが普及して、オリンピック好景気に沸いた。そして、また来年、東京でオリンピックが開催される。▽明治生まれの祖母は、たらいと洗濯板を使って洗濯をしていた。固形の石鹸でコシゴシこするので、いつも手が荒れていた。自分が小学生の時、電気洗濯機が初めて実家に届いた。ローラーの間を通ると洗濯物は薄いせんべいのようになった。母も祖母も、子供みたいに喜んだ。時代とともに、二槽式、全自動、乾燥機付きと、どんどん便利になった。女性を家事労働から解放させてくれた家電に感謝。▽『ゆうゆう』 が誕生したのは1987年8月。インターネットもスマホもパソコンもなかった創刊当時を思い返すと隔世の感があります。あれから32年。多くの皆さまのご支援、ご協力に支えられて、平成を駆け抜け、令和を迎えることができることに、心から感謝いたします。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 今はどうか分からないけど、私の若い頃の台湾は東洋派だった=日本ファッション。その影響かもしれないが、私の留学先はパリではなく東京だった。でも、私にはファッションよりも髪型の流行が結構印象に残っている。確か、歌手の中森明菜、松田聖子の時代だったと思う(年がバレる*-*)。当然、歌も有名だったが、髪型のパワーはとにかくすごかった! 周りの女性(若い人〜中年〜老人まで)に大人気! 今、考えると笑えるかもしれないが、似合うか、似合わないかは全然考えず、みんな同じようなヘアスタイルをしていた (私もその中の一人^.^)。スターパワーは本当に無視できないね。そして、東京にいた頃は、女優浅野温子と浅野ゆう子の時代だった。あの長い、真っ直ぐの髪型ワンレングスのストレートロングが流行っていた! 実はあの時、ソバージュだった私も彼女たちの髪型に憧れ、真っ直ぐにしてしまった。またまたスターパワーを感じた。あれから25年以上経ったが (また年がバレる)、私はまだ同じ髪型をしている。。。時代に乗り遅れているかも (笑)。 (S.C.C.N.)
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yoko 4月1日に日本の新元号が発表された。新元号は、全く想像もしなかった「令和」。最初は違和感があったが、慣れてくるとなかなかいいなと思う。「昭和」から「平成」になった時、私はもうすぐ14歳になる中学2年生だった。その日 (土曜日だったらしい)、学校があったのかは覚えていないが、テレビが昭和天皇の追悼番組を放送していた。黒い車の行列の場面を見た憶えがある。「今日から昭和が終わって、平成になるんだよ」と言われて「ふーん、変なの〜」と思っただけだった。1989年は、流行語は「オバタリアン」が金賞を取り、音楽はプリンセス・プリンセス「Diamonds」、工藤静香「黄砂に吹かれて」、長渕剛「とんぼ」、 Wink「淋しい熱帯魚」、 爆風スランプ「Runner」などなど、 “知ってる! そういえば聴いてた〜” ものがいっぱい。公開された映画は「魔女の宅急便」、「もっともあぶない刑事」、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART 2」などなど観ました。30年も昔だなんて信じられない!! (YA)
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reiko-san 「あんな時代もあったね」としみじみする年に自分がなるなんて、若かりし頃の私には想像もつかなかった。10歳の娘と話していると、私の子供の頃の父との会話を思い出すことがある。父が 「僕が若かった頃はラーメン1杯が50円だった」とか「教員の初任給は □ 万円だった」とかいう話を聞くにつけ、父が若かった時代がとてつもなく遠い昔のことにように思えて、不思議な感覚に陥ったものだ。そんな感覚を私の娘も、私の昔話を聞いて感じているに違いない。「ママが子供の頃は黒電話で、番号の穴に指を差し込んでジーコジーコと電話をかけていたんだよ」と教えてもイマイチわかっていない風だ。FAXも知らない。観たい映画があれば、レンタルビデオ屋さんまで出向いてビデオを借りるっていうのもまったく理解できないらしい。電車に乗るときは切符を買って、改札口でパチンとハサミを入れてもらうっていうのもかなり昔のことだしな〜。SNSの時代になり、友人・知人の近況をチェックしたり、ニュースや面白ネタなど情報収集に便利で結構活用しているが、最近、少しだけ食傷気味。絶え間なく入ってくる画像や情報に、私のスローな脳が追いついていないと感じることが多くなってきた。子供時代の、少し不便だけれどのんびりな時代がなつかしい。 (RN)
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suzuko-san 来月から時代名が変わる。平成が終わる。しかし私が「時代」というテーマから即連想するのは、中島みゆきの、アマチュアバンドのコンテスト「ヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト」(通称ポプコン)でグランプリに輝いた曲「時代」である。彼女はその曲で、同じくヤマハ音楽振興会が主催する「世界歌謡祭」でも優勝するという快挙を成し遂げた。1975年の話である。当時、楽器の業界誌の取材編集記者をしていた私は、その両方のコンテストを、それぞれつま恋、武道館で取材。その異彩を放つ詞曲は音楽関係者を驚嘆させた。
♪まわりまわるよ時代はまわる 喜び悲しみ繰り返し・・♪ 以降半世紀近くが経とうとしているが、全く古さを感じさせない。どころか他の歌手にカバーされるなど、この「時代」は永遠の名曲。その後、彼女は益々その才能に磨きをかけて、常に女性歌手トップの座を守っているのであるが、彼女の曲をじっくり聞くと、どれもメロディーもさることながら、普通の人ではなかなか思いつかない歌詞がまさに時代を超えて、人々に愛されている理由であろうと思う。彼女の存在を世に知らしめたポプコンも世界歌謡祭も、時代の波に押されてもうないが、彼女の「時代」はこの世で連綿と生き続けている。ああ素晴らしき歌姫、中島みゆき! (Belle)
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jinnno-san 実家のある愛知県の村で区画整理が行われると発表されたのが、10年くらい前。その後、何の変化もなく、組長 (あちらさんではなく 笑) 会議に呼ばれて今後の段取りを聞くくらいだった … が、昨年帰った時、向かいの広大な田んぼが平地になってた。あれ? 田んぼの端にあったハズの木村さんの (ちょっとボロめな 笑) 家がない、と思ったら、その平地のおっくの方に、近代的かつオシャレな洋風の家があるではないか!「あれ木村さんちだよ」と姉。ひえー! さらに! 昔は道路から田んぼで、今の平地を100mくらい奥まったところにあるのが木村家なんだけど、それ全部が私有地だった! デカッ! 周りを見渡すと、土地が余ってしょうがないのか (うらやましい 笑) 普通にマンションくらい建つでしょ、の平らな道路沿いの土地に太陽電池を畳のように並べていた! (景観センスゼロ 笑)。そしていよいよ今月、うちの庭の木々を伐採。昭和の時代は終わったのね(もう平成も終わりますけど 笑) うちの隣は公園になるって。豆腐屋のおばさんが (何故?笑) うちの縁側から公園に集まるだろうお年寄りたちにお茶と団子を売る、らしい (だから何故?笑)。あー! 思い出した! 木村さんちの長女、小学校のとき我慢できなかったのか、うちの庭でうXこした! 木がないからもうできないよ、あやこちゃん (爆)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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新元号「令和」が発表された。運良くオンタイムで菅官房長官が発表する瞬間をアメリカにいながらテレビで見ることができた。大事な瞬間だから見ておくようにと、子供たちも呼んで一緒に見ていた。今は意味が分からなくても、大きくなってから「ああ、あの時見たのは、このことだったんだ」と思い出してくれたらと思ったからだ。昭和から平成になった時、私は中学生だったが、昭和天皇の容態が毎日テレビで流れていたことを記憶している。毎朝学校に行く前にテレビをつけると、血圧や吐血の量などのテロップがテレビ画面に流れていたので、あまり良い記憶とは言えない。そして、昭和64年が明けてすぐに昭和天皇崩御の速報が流れ、当時官房長官だった故小渕恵三氏によって新元号の「平成」が発表された。しかし「平成」という新しい時代を喜ぶような雰囲気ではなかった気がする。今回は天皇の生前退位による改元のため、日本は祝賀ムードにある。これはとても良いことだと思う。これから「令和」の時代を最も長く生きるだろう子供たちのためにも、良い時代になることを願いたい。 (SU)


(2019年4月16日号に掲載)