June 24, 2025

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回想

 

1987年8月にサンディエゴで出版社を立ち上げてから足掛け38年。日本人・日系人の皆様と歩んできた歳月を振り返りながら、12月16日号で日本語情報誌の発行を終了することとなりました。創業当初、まだ小さかった日本人社会の中で、同胞のビジネスや生活を支え、繋がりを深める媒体になりたいと創刊したこの雑誌。私たちが目指したのは、ただの情報誌ではありません。「心のふるさと」を感じていただける場を提供すること。日本を離れた多くの方々にとって懐かしさと安心をもたらし、次世代にも日本の素晴らしさを伝えたいという願いでした。その思いはどれだけ実現できたでしょうか。時代の流れとともに情報のあり方も変化し、私たちも新たな局面を迎えました。皆様への謝恩を形にするには、この時期を節目として、一つの役割を終えることが最善と判断いたしました。さて、当コラムを『編集後記』ではなく『スタッフ閑談』とした理由には、エッセイを書いてほしいという編集長としての希望がありました。担当者は (私も含めて) “プロの物書き” ではありません。作文が少し得意という編集者・記者が同一テーマでプライバシーを垣間 (かいま) 見せつつ、日々の出来事を綴るなら、その座標軸に「個性」が浮き彫りになるのでは? そんな思いでした。終わりは新たな始まり。次の一歩を踏み出していきます。感謝を込めて。(SS)
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▽いつも『ゆうゆう』をご愛読いただき、ありがとうございます。このたび、発行人である私のセミリタイアに伴い、38年間続いた『ゆうゆう』は2024年12月16日発行号をもちまして最終号を迎えることとなりました。1987年の創刊以来、広告主の皆さま、読者の方々から賜りました温かいご支援に、心より感謝申し上げます。▽わずか一室のアパートから、小さなパソコン1台で始まった雑誌制作。ファクスの導入に胸を躍らせた日々、日本語印刷が可能なMacで初めて誌面を仕上げた感動、そしてインターネットやデジタル入稿、AIの進化がもたらした革新。技術とともに歩んだ38年間は、挑戦と喜びに満ちた歩みでした。その道のりを支えてくださった皆さまに、深く御礼申し上げます。▽これからは、2025年春に全米向けの多言語情報プラットフォーム、夏には世界向けの多言語サイトをローンチする新たな挑戦を始めます。「言葉を超えて、心をつなぐ」をモットーに、より価値ある情報をお届けできるよう努めてまいります。38年間のご愛顧、本当にありがとうございました。皆さまとのご縁に恵まれたことを、重ねて感謝いたします。(NS)
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▽2024年も残すところあと少し。加齢を実感させる加速度が半端ない。気持も身体も若い頃のままのつもりでいたのが、今年は体調不良もあり、自分の健康を改めて見直す良い機会をもらえたと思っている。歳を重ねることにネガティブな感情を持っていないと思っていた自分なのに、一時、体が弱って、これから老齢期を迎える現実に不安を覚えたことは否めない。そんな時、長く充実した人生を送るために、老いることへの考え方を変える記事を読む機会があった。老化と聞いてsenile、incompetent、dependent などではなく、learned、sage、experience、storyteller などのポジティブな言葉が自然と頭に思い浮かぶようになれば、しめたものらしい。私も「ポジティブな年齢観」を身につけて、人生を謳歌 (おうか) するおばあちゃんを目指したい。▽今号をもって最終号を迎える『サンディエゴゆうゆう』。アメリカ生活を始めたばかりの頃、出版業界について何も分からなかった私を温かく迎え入れ、時に励まし、時に助けてくれたオーナーや同僚の皆には、心から感謝している。また、これまで私たちを応援し、支えてくださった読者とクライアントの皆さまにも、改めて感謝の気持ちを伝えたい。長い間、本当にありがとうございました。(RN)
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suzuko-san
昨年暮れから今年は、旧知の80代半ばの男性が次々と病に倒れる稀有 (けう) な年だった。しかも、全員が病床に臥 (ふ) すまではすこぶる健康体だったこと、さらに偶然にも同じ肺疾患。まずは元生徒の祖父。ある日突然に胸が苦しくなり、病院で検査をしたら、肺が真っ白で、医者曰く「よくこの状態で生きていましたね」。早速入院したが、すでに手遅れ。2週間後に亡くなったそうだ。次は中国人の友達の父上。定期検診で肺癌 (がん) が見つかり治療中。本人に全く自覚症状はないそうで「誰が癌?」というほど、お元気という。続いて私の姉の主人。この人は日頃から活動的で、50代にアルプス、70歳でキリマンジャロ、80歳前に日本百名山を制覇。86歳の今年も、毎週土曜日に自転車で往復3時間弱の山登りを続けている。「この人は日本人男性の長寿記録を塗り替えるのでは」と常々思っていたが、7月のある日、数日前から息がしづらいと救急車で病院に搬送されたら、既にステージ4の肺癌を宣告され闘病中。4人目は親友の父上。コロナに罹り検査をしたところ、肺が真っ白と診断されて集中治療室入り。私とイタリアを旅行中だった親友は、それを耳にした途端、急遽 (きょ) 旅行を取りやめて帰国の途に就いた。現在は回復中だという。4人の例は現代の “健康神話” をまさに覆した。今日は元気でも、明日は全く保証なし。「一日一日を大切に!」を痛感させられた一年だった。(Belle)
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jinnno-san
サンディエゴに日本語情報誌があると知って当社を訪問し「何か取材させて頂き、イラスト付きの記事を書かせてください」と編集長に直談判 (じかだんぱん)。(30年も昔なのであんまり覚えてないけど、そんな感じで売り込んだ 笑)  ペンネームはラス・ムチャチャスだったかなー? 今でも、わたしのことを「ムチャチャ」と呼んでくれる方もいる。そして、ぜーんぶ手書き (だったよーなー)。今思うと、破天荒? 笑 (よく言われる) 笑。それからというもの、貴誌 (正社員じゃないから外側から話してるよ) にはホントお世話になりました。深謝申し上げます。とは言いつつ (ただでは終わらん 笑)、この『スタッフ閑談』は隔週だけなんだけど、わたしは如何におもろーく書くか頭を使うので (そこ使う? 笑) 2時間は掛けるのよ。友人のH部長に「バレないから (笑) 代わりに書いて」と何度頼んだことか 笑。でも、やってくれなかった 笑。なぜなら、、、あたいが書くのはオモロイだけでなく超オモロイから 笑。自選トップ2は・・第2位:レストランの「Lunch Special」看板の “L” が消えていた (読んでごらん 笑)。第1位:幼い頃、他の子と遊んでたら、なぜか滑り台に茶色の線がスーッと付いてプンプン臭いだした (想像してごらん 笑)。結果として、あたいの文才が磨かれてWin-Winよね! みんなありがとう! 桂子 (本名) でした!  (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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最近は1週間があっという間に過ぎ、気がつけば1年が終わろうとしている。年々、時間の経過が速く感じるようになった。ある病院のブログで、この感覚が正しいことを証明する表を発見した。1年が短いと感じるのは「ジャネーの法則」に基づいているという。「人生のある時期に感じる時間の長さは、年齢の逆数に比例する」というもの。歳を取るにつれて自分の人生における「1年」 の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が速く過ぎると感じるらしい。表によると、1歳の体感時間が365日だとすると、現在 “アラフィフ” の私の1年の体感時間は7日間! 90歳前の母に至ってはたったの4日間。これじゃ1年が短いワケだ。思えば『サンディエゴゆうゆう』と出会い、お仕事をさせて頂いてから15年ほどになる。長いようで、本当にあっという間だった。今回が最終号だとはとても信じ難く、寂しい気持ちで胸が一杯だ。『サンディエゴゆうゆう』に携わる中で、多くの素晴らしい経験と学びを得ることができました。そして、皆さまの温かいサポートやチームワークがあったからこそ、ここまで続けることができました。これまでお世話になりましたすべての皆さま、心より感謝いたします。本当にありがとうございました。(SU)

(2024年12月16日号に掲載)
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回想

 

1987年8月にサンディエゴで出版社を立ち上げてから足掛け38年。日本人・日系人の皆様と歩んできた歳月を振り返りながら、12月16日号で日本語情報誌の発行を終了することとなりました。創業当初、まだ小さかった日本人社会の中で、同胞のビジネスや生活を支え、繋がりを深める媒体になりたいと創刊したこの雑誌。私たちが目指したのは、ただの情報誌ではありません。「心のふるさと」を感じていただける場を提供すること。日本を離れた多くの方々にとって懐かしさと安心をもたらし、次世代にも日本の素晴らしさを伝えたいという願いでした。その思いはどれだけ実現できたでしょうか。時代の流れとともに情報のあり方も変化し、私たちも新たな局面を迎えました。皆様への謝恩を形にするには、この時期を節目として、一つの役割を終えることが最善と判断いたしました。さて、当コラムを『編集後記』ではなく『スタッフ閑談』とした理由には、エッセイを書いてほしいという編集長としての希望がありました。担当者は (私も含めて) “プロの物書き” ではありません。作文が少し得意という編集者・記者が同一テーマでプライバシーを垣間 (かいま) 見せつつ、日々の出来事を綴るなら、その座標軸に「個性」が浮き彫りになるのでは? そんな思いでした。終わりは新たな始まり。次の一歩を踏み出していきます。感謝を込めて。(SS)
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▽いつも『ゆうゆう』をご愛読いただき、ありがとうございます。このたび、発行人である私のセミリタイアに伴い、38年間続いた『ゆうゆう』は2024年12月16日発行号をもちまして最終号を迎えることとなりました。1987年の創刊以来、広告主の皆さま、読者の方々から賜りました温かいご支援に、心より感謝申し上げます。▽わずか一室のアパートから、小さなパソコン1台で始まった雑誌制作。ファクスの導入に胸を躍らせた日々、日本語印刷が可能なMacで初めて誌面を仕上げた感動、そしてインターネットやデジタル入稿、AIの進化がもたらした革新。技術とともに歩んだ38年間は、挑戦と喜びに満ちた歩みでした。その道のりを支えてくださった皆さまに、深く御礼申し上げます。▽これからは、2025年春に全米向けの多言語情報プラットフォーム、夏には世界向けの多言語サイトをローンチする新たな挑戦を始めます。「言葉を超えて、心をつなぐ」をモットーに、より価値ある情報をお届けできるよう努めてまいります。38年間のご愛顧、本当にありがとうございました。皆さまとのご縁に恵まれたことを、重ねて感謝いたします。(NS)
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▽2024年も残すところあと少し。加齢を実感させる加速度が半端ない。気持も身体も若い頃のままのつもりでいたのが、今年は体調不良もあり、自分の健康を改めて見直す良い機会をもらえたと思っている。歳を重ねることにネガティブな感情を持っていないと思っていた自分なのに、一時、体が弱って、これから老齢期を迎える現実に不安を覚えたことは否めない。そんな時、長く充実した人生を送るために、老いることへの考え方を変える記事を読む機会があった。老化と聞いてsenile、incompetent、dependent などではなく、learned、sage、experience、storyteller などのポジティブな言葉が自然と頭に思い浮かぶようになれば、しめたものらしい。私も「ポジティブな年齢観」を身につけて、人生を謳歌 (おうか) するおばあちゃんを目指したい。▽今号をもって最終号を迎える『サンディエゴゆうゆう』。アメリカ生活を始めたばかりの頃、出版業界について何も分からなかった私を温かく迎え入れ、時に励まし、時に助けてくれたオーナーや同僚の皆には、心から感謝している。また、これまで私たちを応援し、支えてくださった読者とクライアントの皆さまにも、改めて感謝の気持ちを伝えたい。長い間、本当にありがとうございました。(RN)
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昨年暮れから今年は、旧知の80代半ばの男性が次々と病に倒れる稀有 (けう) な年だった。しかも、全員が病床に臥 (ふ) すまではすこぶる健康体だったこと、さらに偶然にも同じ肺疾患。まずは元生徒の祖父。ある日突然に胸が苦しくなり、病院で検査をしたら、肺が真っ白で、医者曰く「よくこの状態で生きていましたね」。早速入院したが、すでに手遅れ。2週間後に亡くなったそうだ。次は中国人の友達の父上。定期検診で肺癌 (がん) が見つかり治療中。本人に全く自覚症状はないそうで「誰が癌?」というほど、お元気という。続いて私の姉の主人。この人は日頃から活動的で、50代にアルプス、70歳でキリマンジャロ、80歳前に日本百名山を制覇。86歳の今年も、毎週土曜日に自転車で往復3時間弱の山登りを続けている。「この人は日本人男性の長寿記録を塗り替えるのでは」と常々思っていたが、7月のある日、数日前から息がしづらいと救急車で病院に搬送されたら、既にステージ4の肺癌を宣告され闘病中。4人目は親友の父上。コロナに罹り検査をしたところ、肺が真っ白と診断されて集中治療室入り。私とイタリアを旅行中だった親友は、それを耳にした途端、急遽 (きょ) 旅行を取りやめて帰国の途に就いた。現在は回復中だという。4人の例は現代の “健康神話” をまさに覆した。今日は元気でも、明日は全く保証なし。「一日一日を大切に!」を痛感させられた一年だった。(Belle)
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jinnno-san
サンディエゴに日本語情報誌があると知って当社を訪問し「何か取材させて頂き、イラスト付きの記事を書かせてください」と編集長に直談判 (じかだんぱん)。(30年も昔なのであんまり覚えてないけど、そんな感じで売り込んだ 笑)  ペンネームはラス・ムチャチャスだったかなー? 今でも、わたしのことを「ムチャチャ」と呼んでくれる方もいる。そして、ぜーんぶ手書き (だったよーなー)。今思うと、破天荒? 笑 (よく言われる) 笑。それからというもの、貴誌 (正社員じゃないから外側から話してるよ) にはホントお世話になりました。深謝申し上げます。とは言いつつ (ただでは終わらん 笑)、この『スタッフ閑談』は隔週だけなんだけど、わたしは如何におもろーく書くか頭を使うので (そこ使う? 笑) 2時間は掛けるのよ。友人のH部長に「バレないから (笑) 代わりに書いて」と何度頼んだことか 笑。でも、やってくれなかった 笑。なぜなら、、、あたいが書くのはオモロイだけでなく超オモロイから 笑。自選トップ2は・・第2位:レストランの「Lunch Special」看板の “L” が消えていた (読んでごらん 笑)。第1位:幼い頃、他の子と遊んでたら、なぜか滑り台に茶色の線がスーッと付いてプンプン臭いだした (想像してごらん 笑)。結果として、あたいの文才が磨かれてWin-Winよね! みんなありがとう! 桂子 (本名) でした!  (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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最近は1週間があっという間に過ぎ、気がつけば1年が終わろうとしている。年々、時間の経過が速く感じるようになった。ある病院のブログで、この感覚が正しいことを証明する表を発見した。1年が短いと感じるのは「ジャネーの法則」に基づいているという。「人生のある時期に感じる時間の長さは、年齢の逆数に比例する」というもの。歳を取るにつれて自分の人生における「1年」 の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が速く過ぎると感じるらしい。表によると、1歳の体感時間が365日だとすると、現在 “アラフィフ” の私の1年の体感時間は7日間! 90歳前の母に至ってはたったの4日間。これじゃ1年が短いワケだ。思えば『サンディエゴゆうゆう』と出会い、お仕事をさせて頂いてから15年ほどになる。長いようで、本当にあっという間だった。今回が最終号だとはとても信じ難く、寂しい気持ちで胸が一杯だ。『サンディエゴゆうゆう』に携わる中で、多くの素晴らしい経験と学びを得ることができました。そして、皆さまの温かいサポートやチームワークがあったからこそ、ここまで続けることができました。これまでお世話になりましたすべての皆さま、心より感謝いたします。本当にありがとうございました。(SU)

(2024年12月16日号に掲載)
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流行語

 

小学校低学年の頃、日本発祥の「行軍将棋」 (別名:軍人将棋) が男児の間で流行していた。流行といっても、オリジナル版は日清・日露戦争に勝利した明治後半に考案され、改定後の昭和初期~戦時中に隆盛をみたボードゲーム。その名残りが昭和40年代前半まで続いた。60代以上の男性ならご存知と思うが、元帥 (王将) を筆頭に大将から少将までの将校駒のほか、大尉、砲兵、工兵、戦車、地雷、スパイなどの駒で対戦する盤上遊戯。敵の元帥を先取するか、総司令部を占領してしまうか、または相手を全滅させた側が勝者となる。駒の正体を伏せて裏返しに配置し、審判役を付けて3人で遊ぶというのがルール。戦後20年も経過していた時代に、そんなゲームが子供の娯楽として玩具店で売られていた事実を考えると、何とも奇異な感じがする。なぜなら「原爆」 という駒も含まれていて、極めて不謹慎な遊びだったのだ。行軍将棋には、サイコロを振ったり、手元に巡ってくるカードによって優劣が左右される “運の要素” が一切なく、駒を伏せてパワーを公開しないという意味では、突発的なスリルとサスペンスに満ちた模擬戦争ゲームと言えた。いつしか、仲間の容貌、性格、風格、印象に最も近い駒の名を選んで呼び合うように−−。なぜか元帥よりスパイと呼ばれると鼻高々だった。その当時の人気No.1流行語。(SS)
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▽2024年に世界で最も話題となった言葉は「AI Revolution」らしい。人工知能の急速な進化により、さまざまな産業でAIの導入が進み、まさに革命的な変化が起きている。私自身も、仕事の質が大きく変わり、自分の職が脅かされるのではないかと感じている。また、オフィスや自宅に限定されず、自分の好きな場所で働ける「ワークフロムエニウェア(WFA)」や、地球環境への配慮を重視した「サステナブルファッション=Sustainable Fashion」も注目を集めている。確かに、デジタルノマドビザ (リモートワーク滞在許可査証=Digital Nomad Visas) を取得し、世界を旅しながら仕事をしている知人、古着やレンタルを活用している友人も増えた。▽日本では「2024ユーキャン新語・流行語大賞」のノミネート30語が発表された。個人的には、大谷くんが50本塁打/50盗塁を達成した「50-50」を推したい。でも、知らない流行語も多く、少し凹んだ。例えば、Z世代が「仲間」という意味で使う「界隈」、TikTokで流行した「飛び跳ねる猫」の「猫ミーム」、加工なしの写真共有アプリ「BeReal」、昭和世代が共感するタイムスリップドラマ「侍タイムスリッパー」、社会の生きづらさを歌った楽曲「はいよろこんで」などなど。今年はどんな言葉が大賞に輝くだろう。楽しみだ。(NS)
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日本で生活していた頃も流行語には疎かった。アメリカでも流行語やスラングを使いこなすほど英語が上達していないので、やっぱり疎い。ただ、プリティーンの子どもたちは、学校やYouTubeなどでいろいろ覚えてくる。10歳の娘がよく口にするのは「Slay! (スレイ)という「カッコイイ」「素敵」を意味する言葉や、Bestie (ベスティー)という 「親友」を指す表現。Baddie (バディー)という 「魅力的な人」、そしてDelulu (デルル) という「現実離れしている」もある。最初は「?」と戸惑ったが、今ではすっかり慣れてしまった。他にも、Sigma (シグマ) : You're so sigma! 格好いい)、 Skibidi (スキビディ) : クールで面白い、 Rizzler (リズラー) : 自信たっぷりの人、GOAT (ゴート) : 最高、Cap (キャップ) :嘘、 Bet (ベット) : イエス、Crusty (クラスティ) : 散らかった、 Bussin (バシン) :素晴らしい−−などなど。私が子どもの頃、流行語は主にテレビ番組やCMから生まれていた。ところが、今はインターネットがその発信源となり、小学生でさえ、ファッションから所持品まで最新トレンドに詳しいのだから驚くばかりだ。そのうち、娘に
「ママは流行に鈍感ね〜」と言われてしまう日が来るのかもしれない。(YA)
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suzuko-san
今年の漢字、サラリーマン川柳、創作の四字熟語、現代学生百人一首などと並んで、現代の世相を反映する一つの指標として取り上げられている流行語大賞は1984年に創始された、とある。1984年といえば、私が当地に移住する10年前のことだ。ということは、この流行語大賞が設定されて10年は日本に住んでいた訳で、毎年12月発表の流行語大賞に選ばれた言葉は少なからず耳にしていたはず。と思うのに、調べてみても、記憶に残っている言葉に馴染みがない。せいぜいが新人類 (86年)、オバタリアン (89年)、ちびまる子ちゃん (90年)、百歳の双子姉妹 きんさん、ぎんさん (92年) くらいだろうか。以降はサンディエゴ住まいとなった身。現在でこそYouTubeで日本の番組は視聴可能だが、当時は日本の情報を瞬時に得るなどほぼ不可能。その頃に比べると、随分と便利な世の中になったものだ。私は家にいる時は、日本の情報源である動画ニュースを見ながら昼食を取るのが通例。そんな状況下で、渡米以来30年の中で最も印象に残っている流行語大賞に選ばれた言葉といえば、中国人が挙って日本へ買い物に訪れていた現象を語った「爆買い」(15年)。中国人の恐ろしきパワーを見せつけられた社会現象だった。裏を返せば、日本経済発展に貢献?した中国人の皆様、ありがとうございました!。(Belle)
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jinnno-san
最近、ニッポンがアメリカで流行っていることを知って驚いた。友達の楽団サイン会で“Shikishi”を持参するよう表示があった! もしかしてコミコンで作家が使ってたから、当地でも広まったのだろうか? (これは私の勝手な想像だけどね!) North Parkのホテルのロビーで、突然、私でも歌詞が分かる曲がBGMとして流れ始めた。なんと1980年代の日本のシティポップ! 耳を疑いながらも、歌詞がすべて理解できてしまい「ウソでしょ?」と心の中で叫んだ。ニッポン大好き!というアメリカ人の知り合いは、驚くなかれ、アメリカ人同士のテキストメッセージをわざわざ日本語で打っているらしい! それを聞いて笑ってしまった。逆に、最近の日本のドラマを観ていると、やたらとカタカナ英語が多くてビックリ。「サステナブル」「インセンティブ」「エビデンス」−−−私の両親や兄弟には全く理解できない単語が飛び交っている。こんな調子だと、そのうち外国人の方がきれいな日本語を話し出すんじゃないか!? アメリカ人の友達とLa Mesaにある珈琲屋さんに行った時のこと。メニュー 「Grilled Cheese Sando」と書かれているのを見て、「Sando?」と尋ねたら「そうよ、日本の“サンド”のこと。今、流行ってるよ」と来たもんだ! これまた驚いた。そこのニッポン人のあなた! お互いにアメリカ人に負けないキレイな日本語を話していこーねー! 笑。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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『新語・流行語大賞』 は、その年に活躍した人の名言や、ニュースで話題になった言葉が選ばれているが「本当に流行っていたのかな?」と疑問に思うことがある。自分の記憶を頼りに1990年代の流行語を調べてみた。コギャルの間で流行した言葉「チョベリバ」や「チョべリグ」などはよく覚えている。「超ベリーバッド(very bad)」や「超ベリーグッド(very good)」を略したものだ。私は少しコギャル世代から外れていたため、知っていても使う機会はなかった。「アウト・オブ・眼中」なんていうのもあった。「眼中にない」「問題外」「論外」といった意味が含まれ、興味のない異性に対して使うことが多かったらしい。「ウーロン茶」という言葉も見つけたが、これには驚いた。女性が男性に言い放つ言葉で、「ウザイ(ウー)、ロン毛の(ロン)、茶髪男子(茶)」を指しているらしい。「ナウい」も懐かしいが、これは1979年頃の流行語らしい。4歳だった私が、どういうつもりで使っていたのかは謎のまま。今では死語になっているが、現代風に言い換えると「イケてるね~」「おしゃれだね~」になるという。私はまだうっかり使ってしまいそうだ。時代が変わっても、流行語には独特の面白さがあるものだ。(SU)

(2024年12月1日号に掲載)
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流行語

 

小学校低学年の頃、日本発祥の「行軍将棋」 (別名:軍人将棋) が男児の間で流行していた。流行といっても、オリジナル版は日清・日露戦争に勝利した明治後半に考案され、改定後の昭和初期~戦時中に隆盛をみたボードゲーム。その名残りが昭和40年代前半まで続いた。60代以上の男性ならご存知と思うが、元帥 (王将) を筆頭に大将から少将までの将校駒のほか、大尉、砲兵、工兵、戦車、地雷、スパイなどの駒で対戦する盤上遊戯。敵の元帥を先取するか、総司令部を占領してしまうか、または相手を全滅させた側が勝者となる。駒の正体を伏せて裏返しに配置し、審判役を付けて3人で遊ぶというのがルール。戦後20年も経過していた時代に、そんなゲームが子供の娯楽として玩具店で売られていた事実を考えると、何とも奇異な感じがする。なぜなら「原爆」 という駒も含まれていて、極めて不謹慎な遊びだったのだ。行軍将棋には、サイコロを振ったり、手元に巡ってくるカードによって優劣が左右される “運の要素” が一切なく、駒を伏せてパワーを公開しないという意味では、突発的なスリルとサスペンスに満ちた模擬戦争ゲームと言えた。いつしか、仲間の容貌、性格、風格、印象に最も近い駒の名を選んで呼び合うように−−。なぜか元帥よりスパイと呼ばれると鼻高々だった。その当時の人気No.1流行語。(SS)
blue_line932
▽2024年に世界で最も話題となった言葉は「AI Revolution」らしい。人工知能の急速な進化により、さまざまな産業でAIの導入が進み、まさに革命的な変化が起きている。私自身も、仕事の質が大きく変わり、自分の職が脅かされるのではないかと感じている。また、オフィスや自宅に限定されず、自分の好きな場所で働ける「ワークフロムエニウェア(WFA)」や、地球環境への配慮を重視した「サステナブルファッション=Sustainable Fashion」も注目を集めている。確かに、デジタルノマドビザ (リモートワーク滞在許可査証=Digital Nomad Visas) を取得し、世界を旅しながら仕事をしている知人、古着やレンタルを活用している友人も増えた。▽日本では「2024ユーキャン新語・流行語大賞」のノミネート30語が発表された。個人的には、大谷くんが50本塁打/50盗塁を達成した「50-50」を推したい。でも、知らない流行語も多く、少し凹んだ。例えば、Z世代が「仲間」という意味で使う「界隈」、TikTokで流行した「飛び跳ねる猫」の「猫ミーム」、加工なしの写真共有アプリ「BeReal」、昭和世代が共感するタイムスリップドラマ「侍タイムスリッパー」、社会の生きづらさを歌った楽曲「はいよろこんで」などなど。今年はどんな言葉が大賞に輝くだろう。楽しみだ。(NS)
blue_line932
日本で生活していた頃も流行語には疎かった。アメリカでも流行語やスラングを使いこなすほど英語が上達していないので、やっぱり疎い。ただ、プリティーンの子どもたちは、学校やYouTubeなどでいろいろ覚えてくる。10歳の娘がよく口にするのは「Slay! (スレイ)という「カッコイイ」「素敵」を意味する言葉や、Bestie (ベスティー)という 「親友」を指す表現。Baddie (バディー)という 「魅力的な人」、そしてDelulu (デルル) という「現実離れしている」もある。最初は「?」と戸惑ったが、今ではすっかり慣れてしまった。他にも、Sigma (シグマ) : You're so sigma! 格好いい)、 Skibidi (スキビディ) : クールで面白い、 Rizzler (リズラー) : 自信たっぷりの人、GOAT (ゴート) : 最高、Cap (キャップ) :嘘、 Bet (ベット) : イエス、Crusty (クラスティ) : 散らかった、 Bussin (バシン) :素晴らしい−−などなど。私が子どもの頃、流行語は主にテレビ番組やCMから生まれていた。ところが、今はインターネットがその発信源となり、小学生でさえ、ファッションから所持品まで最新トレンドに詳しいのだから驚くばかりだ。そのうち、娘に
「ママは流行に鈍感ね〜」と言われてしまう日が来るのかもしれない。(YA)
blue_line932
suzuko-san
今年の漢字、サラリーマン川柳、創作の四字熟語、現代学生百人一首などと並んで、現代の世相を反映する一つの指標として取り上げられている流行語大賞は1984年に創始された、とある。1984年といえば、私が当地に移住する10年前のことだ。ということは、この流行語大賞が設定されて10年は日本に住んでいた訳で、毎年12月発表の流行語大賞に選ばれた言葉は少なからず耳にしていたはず。と思うのに、調べてみても、記憶に残っている言葉に馴染みがない。せいぜいが新人類 (86年)、オバタリアン (89年)、ちびまる子ちゃん (90年)、百歳の双子姉妹 きんさん、ぎんさん (92年) くらいだろうか。以降はサンディエゴ住まいとなった身。現在でこそYouTubeで日本の番組は視聴可能だが、当時は日本の情報を瞬時に得るなどほぼ不可能。その頃に比べると、随分と便利な世の中になったものだ。私は家にいる時は、日本の情報源である動画ニュースを見ながら昼食を取るのが通例。そんな状況下で、渡米以来30年の中で最も印象に残っている流行語大賞に選ばれた言葉といえば、中国人が挙って日本へ買い物に訪れていた現象を語った「爆買い」(15年)。中国人の恐ろしきパワーを見せつけられた社会現象だった。裏を返せば、日本経済発展に貢献?した中国人の皆様、ありがとうございました!。(Belle)
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jinnno-san
最近、ニッポンがアメリカで流行っていることを知って驚いた。友達の楽団サイン会で“Shikishi”を持参するよう表示があった! もしかしてコミコンで作家が使ってたから、当地でも広まったのだろうか? (これは私の勝手な想像だけどね!) North Parkのホテルのロビーで、突然、私でも歌詞が分かる曲がBGMとして流れ始めた。なんと1980年代の日本のシティポップ! 耳を疑いながらも、歌詞がすべて理解できてしまい「ウソでしょ?」と心の中で叫んだ。ニッポン大好き!というアメリカ人の知り合いは、驚くなかれ、アメリカ人同士のテキストメッセージをわざわざ日本語で打っているらしい! それを聞いて笑ってしまった。逆に、最近の日本のドラマを観ていると、やたらとカタカナ英語が多くてビックリ。「サステナブル」「インセンティブ」「エビデンス」−−−私の両親や兄弟には全く理解できない単語が飛び交っている。こんな調子だと、そのうち外国人の方がきれいな日本語を話し出すんじゃないか!? アメリカ人の友達とLa Mesaにある珈琲屋さんに行った時のこと。メニュー 「Grilled Cheese Sando」と書かれているのを見て、「Sando?」と尋ねたら「そうよ、日本の“サンド”のこと。今、流行ってるよ」と来たもんだ! これまた驚いた。そこのニッポン人のあなた! お互いにアメリカ人に負けないキレイな日本語を話していこーねー! 笑。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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『新語・流行語大賞』 は、その年に活躍した人の名言や、ニュースで話題になった言葉が選ばれているが「本当に流行っていたのかな?」と疑問に思うことがある。自分の記憶を頼りに1990年代の流行語を調べてみた。コギャルの間で流行した言葉「チョベリバ」や「チョべリグ」などはよく覚えている。「超ベリーバッド(very bad)」や「超ベリーグッド(very good)」を略したものだ。私は少しコギャル世代から外れていたため、知っていても使う機会はなかった。「アウト・オブ・眼中」なんていうのもあった。「眼中にない」「問題外」「論外」といった意味が含まれ、興味のない異性に対して使うことが多かったらしい。「ウーロン茶」という言葉も見つけたが、これには驚いた。女性が男性に言い放つ言葉で、「ウザイ(ウー)、ロン毛の(ロン)、茶髪男子(茶)」を指しているらしい。「ナウい」も懐かしいが、これは1979年頃の流行語らしい。4歳だった私が、どういうつもりで使っていたのかは謎のまま。今では死語になっているが、現代風に言い換えると「イケてるね~」「おしゃれだね~」になるという。私はまだうっかり使ってしまいそうだ。時代が変わっても、流行語には独特の面白さがあるものだ。(SU)

(2024年12月1日号に掲載)