1987年8月にサンディエゴで出版社を立ち上げてから足掛け38年。日本人・日系人の皆様と歩んできた歳月を振り返りながら、12月16日号で日本語情報誌の発行を終了することとなりました。創業当初、まだ小さかった日本人社会の中で、同胞のビジネスや生活を支え、繋がりを深める媒体になりたいと創刊したこの雑誌。私たちが目指したのは、ただの情報誌ではありません。「心のふるさと」を感じていただける場を提供すること。日本を離れた多くの方々にとって懐かしさと安心をもたらし、次世代にも日本の素晴らしさを伝えたいという願いでした。その思いはどれだけ実現できたでしょうか。時代の流れとともに情報のあり方も変化し、私たちも新たな局面を迎えました。皆様への謝恩を形にするには、この時期を節目として、一つの役割を終えることが最善と判断いたしました。さて、当コラムを『編集後記』ではなく『スタッフ閑談』とした理由には、エッセイを書いてほしいという編集長としての希望がありました。担当者は (私も含めて) “プロの物書き” ではありません。作文が少し得意という編集者・記者が同一テーマでプライバシーを垣間 (かいま) 見せつつ、日々の出来事を綴るなら、その座標軸に「個性」が浮き彫りになるのでは? そんな思いでした。終わりは新たな始まり。次の一歩を踏み出していきます。感謝を込めて。(SS) | |
▽いつも『ゆうゆう』をご愛読いただき、ありがとうございます。このたび、発行人である私のセミリタイアに伴い、38年間続いた『ゆうゆう』は2024年12月16日発行号をもちまして最終号を迎えることとなりました。1987年の創刊以来、広告主の皆さま、読者の方々から賜りました温かいご支援に、心より感謝申し上げます。▽わずか一室のアパートから、小さなパソコン1台で始まった雑誌制作。ファクスの導入に胸を躍らせた日々、日本語印刷が可能なMacで初めて誌面を仕上げた感動、そしてインターネットやデジタル入稿、AIの進化がもたらした革新。技術とともに歩んだ38年間は、挑戦と喜びに満ちた歩みでした。その道のりを支えてくださった皆さまに、深く御礼申し上げます。▽これからは、2025年春に全米向けの多言語情報プラットフォーム、夏には世界向けの多言語サイトをローンチする新たな挑戦を始めます。「言葉を超えて、心をつなぐ」をモットーに、より価値ある情報をお届けできるよう努めてまいります。38年間のご愛顧、本当にありがとうございました。皆さまとのご縁に恵まれたことを、重ねて感謝いたします。(NS)
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▽2024年も残すところあと少し。加齢を実感させる加速度が半端ない。気持も身体も若い頃のままのつもりでいたのが、今年は体調不良もあり、自分の健康を改めて見直す良い機会をもらえたと思っている。歳を重ねることにネガティブな感情を持っていないと思っていた自分なのに、一時、体が弱って、これから老齢期を迎える現実に不安を覚えたことは否めない。そんな時、長く充実した人生を送るために、老いることへの考え方を変える記事を読む機会があった。老化と聞いてsenile、incompetent、dependent などではなく、learned、sage、experience、storyteller などのポジティブな言葉が自然と頭に思い浮かぶようになれば、しめたものらしい。私も「ポジティブな年齢観」を身につけて、人生を謳歌 (おうか) するおばあちゃんを目指したい。▽今号をもって最終号を迎える『サンディエゴゆうゆう』。アメリカ生活を始めたばかりの頃、出版業界について何も分からなかった私を温かく迎え入れ、時に励まし、時に助けてくれたオーナーや同僚の皆には、心から感謝している。また、これまで私たちを応援し、支えてくださった読者とクライアントの皆さまにも、改めて感謝の気持ちを伝えたい。長い間、本当にありがとうございました。(RN)
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昨年暮れから今年は、旧知の80代半ばの男性が次々と病に倒れる稀有 (けう) な年だった。しかも、全員が病床に臥 (ふ) すまではすこぶる健康体だったこと、さらに偶然にも同じ肺疾患。まずは元生徒の祖父。ある日突然に胸が苦しくなり、病院で検査をしたら、肺が真っ白で、医者曰く「よくこの状態で生きていましたね」。早速入院したが、すでに手遅れ。2週間後に亡くなったそうだ。次は中国人の友達の父上。定期検診で肺癌 (がん) が見つかり治療中。本人に全く自覚症状はないそうで「誰が癌?」というほど、お元気という。続いて私の姉の主人。この人は日頃から活動的で、50代にアルプス、70歳でキリマンジャロ、80歳前に日本百名山を制覇。86歳の今年も、毎週土曜日に自転車で往復3時間弱の山登りを続けている。「この人は日本人男性の長寿記録を塗り替えるのでは」と常々思っていたが、7月のある日、数日前から息がしづらいと救急車で病院に搬送されたら、既にステージ4の肺癌を宣告され闘病中。4人目は親友の父上。コロナに罹り検査をしたところ、肺が真っ白と診断されて集中治療室入り。私とイタリアを旅行中だった親友は、それを耳にした途端、急遽 (きょ) 旅行を取りやめて帰国の途に就いた。現在は回復中だという。4人の例は現代の “健康神話” をまさに覆した。今日は元気でも、明日は全く保証なし。「一日一日を大切に!」を痛感させられた一年だった。(Belle)
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サンディエゴに日本語情報誌があると知って当社を訪問し「何か取材させて頂き、イラスト付きの記事を書かせてください」と編集長に直談判 (じかだんぱん)。(30年も昔なのであんまり覚えてないけど、そんな感じで売り込んだ 笑) ペンネームはラス・ムチャチャスだったかなー? 今でも、わたしのことを「ムチャチャ」と呼んでくれる方もいる。そして、ぜーんぶ手書き (だったよーなー)。今思うと、破天荒? 笑 (よく言われる) 笑。それからというもの、貴誌 (正社員じゃないから外側から話してるよ) にはホントお世話になりました。深謝申し上げます。とは言いつつ (ただでは終わらん 笑)、この『スタッフ閑談』は隔週だけなんだけど、わたしは如何におもろーく書くか頭を使うので (そこ使う? 笑) 2時間は掛けるのよ。友人のH部長に「バレないから (笑) 代わりに書いて」と何度頼んだことか 笑。でも、やってくれなかった 笑。なぜなら、、、あたいが書くのはオモロイだけでなく超オモロイから 笑。自選トップ2は・・第2位:レストランの「Lunch Special」看板の “L” が消えていた (読んでごらん 笑)。第1位:幼い頃、他の子と遊んでたら、なぜか滑り台に茶色の線がスーッと付いてプンプン臭いだした (想像してごらん 笑)。結果として、あたいの文才が磨かれてWin-Winよね! みんなありがとう! 桂子 (本名) でした! (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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最近は1週間があっという間に過ぎ、気がつけば1年が終わろうとしている。年々、時間の経過が速く感じるようになった。ある病院のブログで、この感覚が正しいことを証明する表を発見した。1年が短いと感じるのは「ジャネーの法則」に基づいているという。「人生のある時期に感じる時間の長さは、年齢の逆数に比例する」というもの。歳を取るにつれて自分の人生における「1年」 の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が速く過ぎると感じるらしい。表によると、1歳の体感時間が365日だとすると、現在 “アラフィフ” の私の1年の体感時間は7日間! 90歳前の母に至ってはたったの4日間。これじゃ1年が短いワケだ。思えば『サンディエゴゆうゆう』と出会い、お仕事をさせて頂いてから15年ほどになる。長いようで、本当にあっという間だった。今回が最終号だとはとても信じ難く、寂しい気持ちで胸が一杯だ。『サンディエゴゆうゆう』に携わる中で、多くの素晴らしい経験と学びを得ることができました。そして、皆さまの温かいサポートやチームワークがあったからこそ、ここまで続けることができました。これまでお世話になりましたすべての皆さま、心より感謝いたします。本当にありがとうございました。(SU) |
(2024年12月16日号に掲載)