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(2023年6月16日号に掲載)

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大型連休を挟んで帰省して、新幹線に乗った。日本では岸田首相襲撃事件の記憶も冷めやらぬ中、G7広島サミットを間近に控え、対テロ厳戒態勢の下で交通機関の取り締まりも厳しくなっていた。私の隣の座席には、レジ袋に包まれた不気味な「何か」があった。そこに乗客はいない。空席? それとも誰かが座席確保の目印として置いたのか? まさしく正体不明の「不審物」。5分、10分、15分が過ぎても人が戻ってくる気配はない。気になりだすと、妄想が際限なく頭の中に広がっていく。中身は何だろう? よもや危険物? 触れたら爆発する? 良からぬ憶測がエスカレートして、居ても立ってもいられなくなった。防護服に身を固めた乗務警備員が来たら報告しようと決めていたが、彼らもなかなか現れない。そのうち「不審物をお見かけの方は、直ちにご連絡ください」との車内アナウンスが流れて、私のドキドキ/ハラハラ度はMAXに達する。いっそ座席を離れようかと思ったが、連休中の混雑から空席が見当たらず、逃げ場もない。命を落とす前に、遺書となるメモを妻宛てに書き残そうかとも考えた。20分も経過した頃だった。ガラガラと耳障りな音を立ててスーツケースを引いてきた大柄の中年婦人が、私の視界を遮 (さえぎ) って隣に座り、袋から特大の弁当を取り出して豪快に食べ始めた。(SS) |
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▽今年のWBC「侍ジャパン」の準決勝と決勝は、ドキドキ、ハラハラ、そしてヒリヒリした。私は小心者で、自分が応援する選手やチームのゲームをリアルタイムで観戦することができない。彼らが勝利を収めた後に、名場面を繰り返し観る。友人にそのことを話したところ、彼女の夫も同じような傾向があるとのこと。試合後、WBCのハイライトや、歓喜に沸く日本全国のニュースを何度も見返しているらしい。▽50代の8割はどこかに引っかかるという健康診断。特に「再検査」の結果を聞くときはドキドキする。健康オタクの知人は70歳から健康診断を受けないようにしたそうだ。検査の数値に一喜一憂するより、逆に健康診断を受けないことが精神衛生上で良いとの考えのようだ。▽「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中または地下に避難してください」。5年ぶりに沖縄へ帰省していた友人は、5月31日の朝に突如としてJアラートの警報を耳にした。那覇空港にいた彼女は、スマートフォンが一斉に警報音を鳴らし、周囲に響きわたるサイレンを体験。皆が不安げに見つめ合い、空港のスタッフにも緊張が走り、業務が一時停止したとのこと。警報が解除されたのは午前7時過ぎ。「初めてJアラートを聞いたけど、ドキドキしたよ」と友人。万が一のことを考えると不気味だ。何だか、大変な時代に生きていると思った。(NS)
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日本に旅立つ当日。ロサンゼルス発の便に乗るため、サンディエゴからLAXへ車で送迎してもらうことに。外の景色を眺めながら、忘れ物がないか、頭の中で確認している私。パスポート、チェック! グリーンカード、チェック! コンタクトレンズ、チェック! 何度も念を押して大丈夫なはずなのに、ここぞという時、うっかりミスをする自分をよく知っているので、気は抜けない。確かに、大事なものはちゃんと持ってきている。安心して、久しぶりの日本に思いを馳せる。そろそろ空港に着く頃、私の斜め前に座っていた弟が「僕、そういえばパスポートがないんだよね」と呟いた。私は耳を疑った。「今なんて言った?」「パスポートないの。コピーは持ってるけど」と言って、カラーコピーされた紙をペラリと私の目の前に差し出してきた。「パスポートなかったら出国できないよ! いつからないの!?」と慌てふためく私をよそに、微笑む弟。いつも冷静沈着で生真面目な弟がしでかす、失態とは到底思えない失態。今さらサンディエゴに戻ってパスポートを探す時間なんてないし。どうしよう〜! 心拍数が一気に上がりパニックに陥る私。と、ここで目が覚めた。夢で良かった! 起きてもしばらくドキドキが止まらなかった。5年ぶりの日本帰省が2週間半後。母国で暮らす弟に、この夢の話、絶対しようと思っている。(RN)
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この春、南米から帰路に就く飛行機に搭乗した際に、かなり揺れた。私はしょっちゅう旅客機に乗っているが、これほどの揺れは久しぶりだ。同行の友達は、墜落するのではないかとハラハラしている。ところが、この私。飛行機はちょっとやそっとの揺れくらいでは決して落ちないことを、ある航空会社のキャプテンから聞いて知っている。故に、ハラハラもしない。ああ、つまらない。たまにはドキドキしたり、ハラハラしたい! そんな感情と出会うのも人生のスパイスとしてウエルカムなのになぁ・・。人間、歳を重ねてくると、酸いも甘いも噛み分けてきているので、そうそう胸がドキドキしたり、ハラハラしたりする機会が少なくなる。私のこれまでの人生は “スーパー波乱” と呼べるもので、他人がなかなか経験しないような “高波” を何度も乗り越えてきた。そのおかげ?で、私の神経が図太くなっているせいもあるだろうが、近年、いつドキドキ/ハラハラしただろうかと考えなくてはいけないほどだ。う~む。と考えていたら、あった、あった、ドキドキが。「新生活は宝物。これから始まるドキドキもハラハラも一つ一つが宝物。心が動き始めたら、さあ新しい宝物を探しに行こう」。これ、なんとドキドキするフレーズだろう。実は、コロナワクチン、ファイザー社のコマーシャル。最後にスポンサー名が明かされるまで、違う形でドキドキしたわ。(Belle)
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今までずっと中古車に乗ってきた。各車それぞれの走りがとてもユニーク!(良く言えばね 笑)。そして全てがドキドキ・/ハラハラもん 笑。「Ford Escort 1984」:人生初の車。マニュアル車で、サンフランシスコの坂道発進がムズいと知らず 笑、道中エンスト、見知らぬ人にケーブルを貸してもらう 笑。「Jetta 1988」:ティフアナの渋滞国境に並ぶとエンストするので、後ろの車に「ぶつけながら押してね」と頼む 笑。「Dodge Colt 1986」:雨が降るとエンスト 笑。雨が止んで車が乾くと運転続行可 (ナゾ)。「Kalman Gear 1972」:ピンク色のコンバーチブル、とにかく目立つ 笑。ラホヤの急坂は1速運転のみ 笑。足元に穴ありなので、地面丸見え 笑。「Alfa Romeo Milano 1988」:フリーウェイで2速でも100マイルに到達するはっええ車。「VW Bus 1977」:キャンパー仕様。今の時代、あったらいいよねぇ〜。「Ford F-150 1987」:足がギリ、クラッチに届く、ギアが横向き仕様のデカいトラック。運転大変 笑。「Dodge Ram Van 1980」:ドラマ「Dr.チョコレート」車。今流行りの車ってこと 笑。後ろ窓だけなので、バック要注意。「Dodge Ram」以外はマニュアル車。車遍歴がありすぎて、書き切れん!! 笑。続きは飲み屋で!(会えるかな—? 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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昨年、日本に一時帰国する時、空港で久々にドキドキする出来事が起きた。チケットカウンターでチェックインを済ませ、セキュリティーゲートも問題なく通り、余裕で搭乗ゲートへ向かう。チケットにゲートナンバーが見当たらないことが気になったが、日本人もチラホラ歩いていたので、同じ方向へと歩いていき、▲▲航空・東京成田と表示されているゲートに着いて、搭乗開始までそこで待機していた。搭乗手続きが始まり、チケットを見せると、係員が大声で「Wrong Ticket !」と言い放ち、冷たく突き放された。「はぁ!?」▲▲航空・東京成田便だよね?? よく見ると、便名が違う! なんてこった! でも、もっと優しく言ってくれてもいいのに〜! とても恥ずかしかったが、そんなことも言っていられない! すぐに正しいゲートに向かわなければ、乗るべき便の搭乗手続きに間に合わなくなる。急いで2人の娘と一緒にゲートを探して走った。遠くなければいいけれど・・と願いながらひたすら走った。今度こそ、私たちが乗るはずの▲▲航空・成田行きの搭乗口に辿り着き、滑り込みセーフ! もう間に合わないかとハラハラした。子供たちも「日本行けないの〜?」と泣きそうになりながらも、私と一緒に頑張って走ってくれた。ありがとう、娘たち。今年は間違いがないように、しっかりとゲート番号を確かめるからね。。(SU) |
(2023年6月16日号に掲載)
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(2023年6月1日号に掲載)

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▽20年ほど前、私は東京・砂防会館で、国政選挙に出馬した南米在住の日系人候補者を取材していた。困ったことに、インタビューの途中で、目の前にいる人物の名前をド忘れしてしまった。慌てて「お名前をもう一度、お伺いしたいのですが」と尋ねると、相手は一瞬「あれ?」という表情をしたが、すぐに「◯◯△△です」と返してきた。私は冷静さを装って「あ、存じています。漢字の表記を教えて頂けますか?」と、意図的な “変化球” を投じて窮地から抜け出した。確かこれは、田中角栄元首相が番記者の名前を忘れた時に使う、お得意の隠し技だった。▽幼少の頃、強烈な衝撃を受けた短編マンガは『鉄腕アトム』より先に発表された手塚治虫氏の近未来SFで、地球滅亡の恐怖を描いた作品だった。核戦争の危機が迫る中、宇宙で発生した暗黒ガスが地球を覆い尽くし、全生物が窒息死する運命に晒される。地球脱出船に乗ろうと醜い争いを始める若者、オセロに興じながら最期の日を静かに迎える老人、隕石の嵐の中で激しくピアノを弾き続ける音楽家・・。最も印象的だったのは「地球上に戦争はなくなった! 平和の到来だ!」と叫ぶ2人の為政者。実際に地球は滅びた? もう一度読みたいけれど、半世紀以上も昔の記憶が消えて、探し当てる術 (すべ) もなし。現代にも通じる、この秀作漫画の題名を忘れてしまった。(SS)
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▽週に数回「10時10分テスト」をやっている。紙に円を描き、その中に1から12までの数字を配置し、最後に長短の針を描いて10時10分を示す。CDTと呼ばれるこの方法は、認知症の早期発見に役立つとされている。円や数字、針に異常が見られる場合は要注意とのこと。里帰りして、母の遺品を整理していたら、広告チラシの裏に描かれた美しい時計の絵を見つけ、思わず胸が熱くなった。▽うちの旦那は記憶力が良い。家族や親戚、同僚の誕生日はもちろん、ドラマの登場人物の名前まで正確に覚えている。彼の頭の中では、目に映ったものが映像として記憶されるようだ。この「写真記憶」は年齢とともに衰えると言われているが、それでも俳優の名前さえ思い出せない私から見れば、驚嘆すべき能力だ。▽ポジティブ心理学では、楽天主義者は自身の失敗をあまり詳細には覚えていないとの研究がある。忘れる能力も場合によっては大事なのだ。忘れることが得意な自分は、幸せな人間なのかもしれない。▽世の中には「スーパーエイジャー」と呼ばれる80歳以上でも脳力が若者並みに鋭い人々がいる。彼らの脳は感情や社会性を制御する前帯状皮質が厚く、思考の鮮明さを保っているそうだ。この鋭さを保つ秘訣は、自分の限界をわずかに超える訓練を行うことだと言われている。新たな挑戦が脳を活性化させ、若々しさを保つ鍵となるらしい。(NS)
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小学校の中学年ごろまで、かなり、ぼんやりとした子どもだった。あまり記憶にも残っていないけれど、3年生のときは、度々、忘れ物をして担任の先生に怒られていたようだ。担任は50代の女性教師だったのだが、生徒たちにとても厳しかった。覚えているルールは、生徒は教室の後ろのドアからしか出入りしてはいけない (前のドアは先生専用)。椅子に座って先生の話を聞くときは、背筋を伸ばし、絶対に動いてはいけない。両手は膝に置き、指を動かしてはいけない。給食を時間内に食べられなかったら、残りはビニール袋に入れて (食器は給食室に返すので)、教室の奥で完食すること。私はぼんやりしているし、忘れ物もするし、給食も早く食べられなかったので、先生に好かれていなかったと思う。「ボケナス!」と言われて怒られていたし・・。お人好しだったので、それでも先生が好きだった私。3年生が終わった後、その先生に手作りの白いアザラシの縫いぐるみをプレゼントした覚えがある。今、自分が小学生の親になり、子供たちを見ていると、3年生はまだまだ幼い。改めて、先生のしたことは酷 (ひど) かったと思う。確かに、私はぼんやりとした子どもだったが、それでも成長するにしたがって、変わっていったと思う。 (YA)
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森山良子さんが、シルバー世代の物忘れの現状をタンゴのリズムに乗せて、コミカルに歌っている曲「Ale Ale Ale」をご存知だろうか。私はこの曲を初めて聞いた時、ぶっ飛んで笑い転げてしまった。歌詞がまさに言い得て妙で、見事に現実に即しているのだ。歳を取るにつれて「ほんとにあれ忘れた、これ忘れた」ということが多々ある。ありすぎる。若い時も忘れ物をしたり、名前がなかなか出てこなかったりすることは、勿論あった。しかし昨今、年齢を重ねてきて時間の余裕ができているのに、今度は脳の老化が始まり、しなくてはいけないリスト、したいリスト全てがどうやったって完結しない。例えば、一日の始まりに、今日はこれとこれをやって、あれを片付けて。出かける前にこれとこれを持っていかねば —— と思っていても、それが全てできた、という日がなかなかない。必携品を玄関先に置いていても、忘れる。取りに帰って出かけようとすると、別の忘れ物に気がつき、また取りに帰る。そんなこんなで、一日に何度も家を出たり入ったり。こんなことがしょっちゅう。その度に、己の不甲斐なさ、情けなさを思い知らされる。歳を取るということは、ほんとに面白くないことだ。こうやって、今日1つ忘れたことを明日は2つ忘れ・・。綾小路きみまろではないが、忘れたことさえも忘れ・・。 おお、こわっ! なんてこった! (Belle)
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わたしは地元で通った小・中・高の同窓会に一度も参加したことがない。参加している子たちは、同級生の名前や顔、先生方のことを同窓会に参加するたびに思い出すんだろうけど、ブランク期間が相当あるわたしは、記憶空白部分の方が多い 笑。年始に幼なじみに会って「今、XX君はなになにしてる」「2組のYちゃんと3組のS君は結婚したけど離婚した」とアップデートしてくれるんだけど、そもそもXX君ってダレだっけ?から始まる 笑。思い返せば、何組に関係なく、誰とでも仲良く遊んでいたので (違うクラスに勝手に紛れ込んでいたり 笑)、みーんなクラスメイトのような印象があって、ダレがどこのクラスだったのかが、分からない 笑。幼なじみに、わたしと中学で一度も同じクラスになったことがないと聞かされて「ウソでしょ——!?」と、自分の記憶が恐ろしくなったくらい 笑。地元ではJR線一本しかないから、それに乗れば、誰かに会う確率は、ちょっとはある。で、電車内で「○○!」(← わたしの苗字。女子・男子両方から苗字で呼び捨てされてた 笑) と話しかけられた 笑。それはめちゃくちゃ嬉しいよねー。こんなに時が経ってるのに、顔や名前を覚えてくれてるって! ただ、こういうとき困るのが、、わたしがその子の名前も顔も覚えてなくて、会話しようにもできないとき 笑。つくづく失礼なヤツだな (反省して・・ない 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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△ミドルスクールに通う長女は、クロスカントリーに励んでいる。このクロスカントリーを覚えられないのが、日本にいる私の母。「○○ちゃん、トライアスロン頑張ってるねー。あ、違う、トライアングルか!」違う、それ三角。でも、言いたいことは分かる。おかげで私も混乱してきて、ついつい娘に「今日のトライアスロン、どこの学校に行くんだっけ?」と言ってしまい、娘から「クロスカントリーだけどね」と訂正された。次第に、他の家族にも感染して、皆がクロスカントリーなのか、トライアスロンなのか、戸惑うようになってしまった。あまりに間違えるものだから、日本では壁に「クロスカントリー」と書いた紙を貼るようになったとか。母の影響力、大である。△姉と母が森山直太朗のコンサートに行った。私も一昨年、姉が取ってくれたチケットで行ってきた。とても良かった。それはさておき、母が電話でコンサートを楽しんできたことを話してくれた。「え〜っと、誰だっけ、森太郎のコンサート、すごく良かったよ」。森太郎・・。隣で聞いていた次女が「森太郎でもいいじゃない? 分かるし」と、ボソッと呟いた。忘れたというよりは、いいところまで覚えていたけど、合っていないだけ。最近になって、私もだんだん母の気持ちが理解できるようになってきたので、伝われば良しだと思った。(SU) |
(2023年6月1日号に掲載)
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(2023年5月16日号に掲載)

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▽先月、日本へ里帰りして久しぶりに母と弟と郷里で過ごした。母は92歳になった。80歳代の姿しか記憶にない私は、老化の進行や認知機能の低下など、不安の種を抱えて家の扉を開けた。やや腰が曲がり、左耳の聴力が衰えていたものの、その元気な姿 (? ) に喜びを隠せなかった。母は、2年前に交通事故に遭ったものの、約半年間のリハビリ入院で寝たきり生活の危機を克服している。ロボットの動きに少し似ているが、早送りの映像を思わせる歩き方も健在だった。▽時間が許す限り、年老いた母に会おうと思い始めたのは「家族との残り時間を計算できるサイト」 (https://bit.ly/3AMAIgQ) を知ってから。どれだけ、親、配偶者、兄弟姉妹と会って話せる時間が残されているのか? 自分と相手の年齢・性別・職業・同居の有無・社会活動・一緒に行うイベント・対面して話す頻度などを入力し、日本人の平均寿命も換算して結果が出される。 遠く親と離れて暮らす海外生活者は、当然ながら、直接会える機会が先細りしてくる。現在の生活サイクルを変えなければ、今後、私が母と一緒に過ごせる時間は、なんと15時間! ええ〜っ! 衝撃の結果が出た! 来年も帰省しよう。まだ会える「奇跡の時間」が続くなら、それは嬉しいから。(SS) |
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▽メジャーリーグが開幕したこと。がんばれパドレス!▽行方不明になった万歩計が出てきた。探すのをやめたとき〜♪ 陽水の歌を口ずさみながら喜んだ。▽天気の良い日が続いている。まさにサンディエゴ日和! ▽ウクライナに春が到来したこと。一日も早く、平和な春が訪れますように!▽いなくなっていた通い猫が、また姿を見せるようになった。元気で良かったにゃ〜。▽少し早い母の日のプレゼントに義理の母が喜んでくれた。ギネス更新を目指して長生きしてね。▽今年も大輪の花を咲かせたと、友人から写真が届いた。2年前に贈った胡蝶蘭 (こちょうらん) の生命力に感動!▽ミニトランポリン運動を復活させて10日目。21日間継続したことは、習慣化できるらしい。がんばれ自分!▽網膜剥離の症状が出たので、専門医に診てもらったが、重症ではなかった。健康が一番だ。▽日本入国時に接種証明や陰性証明が不要になった。これでコロナ前と同じように里帰りできる。▽知人と4年ぶりにランチをした。彼女は、2020年に日本の母親、その翌年には父を亡くした。コロナ禍で通夜にも葬式にも行くことができなかったことを話してくれた。彼女の家族全員がSDでコロナに罹患し、その苦労も教えてくれた。お互いがこうして無事に会えること、生きていることを奇跡だと感じ、掛けがえのない日常の大切さを改めて認識した。(NS)
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▽我が家の庭の金柑の木に、ハミングバードが巣を作ってくれたこと。庭にいると、ハミングバードがすぐ近くを飛び回るようになり、ずいぶんと好奇心旺盛な子だなと思っていたら、手を伸ばせば届きそうなくらい低い枝に作られた、可愛らしい巣を娘が見つけた。あれは巣を守るための威嚇 (いかく) 行為だったのか。手のひらに収まるくらいの小さな巣は、鳥の羽や柔らかそうな動物の毛、葉や細いツルのようなもの、苔のような緑色のものなどが上手にアレンジされて芸術作品のようだ。なるべく邪魔にならないよう、金柑 (きんかん) の木の下は掃き掃除も控え、うろうろしないようにしていた。数週間経った頃、飛び回っていたハミングバードの姿を見かけなくなった。しばらく観察していても、巣に戻ってくる気配なし。そっと巣の中を覗いたら空っぽ。気がつかぬ間に孵化 (ふか) して、ヒナが無事に飛び立ったのかな? (そう願う!) また戻ってきてくれるよう、ハミングバードが好きな花がたくさん咲くように庭造りをがんばろうと思っている。▽移り住んで十数年目にして、家の近所に美味しいメキシカン料理のお店を見つけたこと。タキトスが特にお気に入り。その隣のピザ屋さんも美味しいことが判明。一気にピザとメキシカンフードの行きつけができて、とてもうれしい。(RN)
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私は18歳で上京。その後、大学、出版社時代を東京で過ごした。この間に友人・知人が山ほどできたが、サンディエゴへの移住に伴い、彼らの大半と縁が切れた。しかし、親友と呼べる3人とは、住む場所は違えども、現在も連絡を取り続けている。1人は35年前にパキスタンの山奥に移住し、現在もそこで少数民族と共に暮らしながら、彼らの生活環境改善に努めており、昨年は外務大臣賞を受賞した。もう1人の友達は、彼女も高卒後に鹿児島から上京し、編集畑一筋で、長年身を粉にして働いてきたが、母親の加齢に伴い、60歳で帰郷することを決断。以降、彼女の言葉を借りれば 「老々介護」が主の仕事となっている。私が帰国するたびに、彼女の住む鹿児島まで赴くも、母親の体調急変などで2度ドタキャンを食らっていた。そして、もう1人は東京に暮らしているものの、体調が悪く、帰国しても会えていなかった。ところが、今年の春に東京、別府、宮崎で、とうとうこの3人の友達と再会することができた! パキスタン在住の友人とは実に15年ぶり、鹿児島の彼女とは7、8年ぶり、東京の友達とも5、6年ぶりの再会! こんな嬉しいことが他にあるだろうか。皆、健康とは言い難い状態だったが、一緒にお酒を酌み交わして昔話に花を咲かせ、旧交を温めることができた。久しぶりの再会はお涙頂戴モノだった!(Belle)
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年始に、久しぶりに実家で兄弟4人全員が集まった。我々全員、まぁまぁいい大人。子供の頃には話さなかったことや、これまで言ったことのない愚痴をこぼし始めた (笑)。姉は、今まで秘密にしていた、親戚から受けたイヤな昔話などを明かした。姉より2つ年上の兄は、それを聞いて「えーーっ、ウソだろーー? 今は普通に一緒に喫茶店へ行っとるやん」と驚きの声を上げた。姉はますますヒートアップ。「お兄ちゃんは初孫で長男だから、私たちとは扱いが全然違ったのよ」と続ける。私は兄のリアクションがとても面白くて、笑ってしまったし、姉が親戚にイジメられていたことを父も母も知っていたはずなのに、どうして見て見ぬふりをしたのかを楽しく突っ込んだ。血がつながっているのに兄弟はかくも違うとは、と思いながら、ますます笑いが止まらない私。すると突然、兄が「(私が) 幼い頃、あまりにも可愛くて (顔が!) 写真を何枚も撮っていた」と言い出した。そして母も「お人形のように可愛くて、誰かに盗まれるんじゃないかと心配していた」と付け加えた。・・ちなみに私は3番目の子。他の子供にはそんなこと言ってない (ハズ 笑)。えーーっ! それって超美人だった!!ってことじゃん! 今でも可愛いけれども (笑)。なんで今まで黙っとったの? 早く言わんかい! もっと自慢しながら生きてきたのに! (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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今年の夏休みに日本へ帰省する予定になっているが、コロナワクチンを3回以上打った証明書が必要と思い、最近、子供たちに3回目を済ませたばかりだった。しかしその後、「全ての入国者に対して『出国前72時間以内に受けた検査の陰性証明書』および『ワクチンの接種証明書 (3回) 』のいずれも提出を求めません」とのメールが届いた。ようやく日本帰省が普通にできるようになって、とても嬉しい。3回目を打つ前に知りたかったけどね。コロナ感染症が拡大してからというもの、日本へ帰るのに、まるで外国に行くような気分で「書類等に不備はないか」「ちゃんと飛行機に乗れるか」「空港で検査に引っかかりませんように」・・と、いくつもの障害物を乗り越えるストレスを感じていたので、本当に嬉しい。新たな感染症などが流行 (はや) らないことを祈りたい。嬉しいというほどでもないが、最近高めだった血圧が落ち着いてきた。寝不足や疲労など、その時のコンディションによっても血圧は変わるようだが、去年までなぜか高かった。それからは、なるべく一日に歩く量を増やし、夫に付き合って飲んでいた夕飯時のアルコールはやめて、意識して水分を多めに取るようにしていた。相変わらず、寝不足は治せていないが、夏休みの帰省中にゆ〜っくり寝かせてもらおう! 楽しみ。(SU) |
(2023年5月16日号に掲載)
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(2023年5月1日号に掲載)

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生前の父は滑稽 (こっけい) なほど頑固一徹で、いつもジレンマに陥っていた。人一倍プライドが高く、モノを尋ねたり、アドバイスを求めることを一切しない。見かねて進言しようものなら怒鳴られる。ヘビー級の時代遅れでもあり、家電音痴もいいところで、不便と知りながらも、旧式の生活から抜け出せない。▽VCR (懐かしい!) でTV録画をするにも、予約機能を無視し、猛ダッシュして Record ボタンを押しまくる。携帯電話がほぼ全家庭に普及しても、固定電話から離れられない。父に内緒で家の「固定」 を処分して「携帯」に替えたところ、子機をTVリモコンと間違えて怒りまくる始末——。ある日、落雷で携帯が故障してしまい、父の憤怒が頂点に達して一喝!「業者に電話して、すぐに来てもらえ!」▽ホテルのフロントでカードキーを手渡された父は、どうにかオートロックのドアを開けて入室できたものの、室内照明をONにする方法が分からない。部屋のカード受けに差し込む発想など出てこない。誰かに聞きたくもない。薄暗い中で憤然としていたら、別の要件でフロントから電話が来た。渡りに船とばかりに「ライトはつかないし、スイッチもない。どうなってるんだ?」と不愉快そうにクレーム。そんな父を相手に丁寧に説明してくれて、問題解決。困り果てて、近くのコンビニでロウソクを買いに行くつもりだったらしい。 (SS)
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▽「新しい技術や発明品が登場するたびに、批判がでるよね。自動車やパソコン、スマートフォンもそうだった。最近では、チャットGPTだね。イノベーションのジレンマをモロに感じる」と、AIに詳しい友人からLINEが届いた。そして彼曰く、「次に開発したい製品は、出来た文章を見直して、AIの回答を巧妙にボカすソフト。使ったことをカモフラージュできるソフト」とのことだ。▽「ヤマアラシのジレンマ」の寓話を、新入社員のときに、会社の先輩から教えてもらったことがある。相手に自分の温もりを伝えたいと思っても、身を寄せれば寄せるほど、体中のトゲでお互いを傷つけてしまう。でも最近、そんなジレンマが、必ずしも常に起こるとは限らないことを知った。実際のヤマアラシが仲間と密着して、温もりまくっている写真をSNSで見つけた。なんだか、とってもホッコリした。▽私と夫は、コロナワクチンを4回接種した。だけど、5回目の予約は、接種日の当日にキャンセルした。オミクロン株対応ワクチン接種後に、男性が原因不明で死亡したという記事を読み、ロシアンルーレットのような不安を感じたためだ。考えてみると、この3年間の新型コロナとの関わりは、ジレンマの連続だったような気がする。(NS)
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おおらかにのんびりと育ててもらった。大きなジレンマで悩んだことがないと思う。アメリカが好き、アメリカで生活がしたいというだけの理由で留学した。そして、アート系が好きだからという理由だけで進路を選び、グラフィックデザインが身に付いたから、その道の仕事についた、という感じだ。楽観的な性格なので、失敗やリスクは深く考えずに行動する傾向にある。悩まない。そういえば、日常のどうでもいいジレンマはたまにある。私の住居のコンドは円形になっている。駐車場も建物を囲むようにぐるっと円になっていて、出入口は一箇所のみ。私のパーキングスポットは出入口から近いのだが、たまに出かける際に、ゴミ収集車の来るタイミングと重なって通れなくなる。出入口付近でゴミ収集車が、コンドの真正面にある巨大なゴミ箱を持ち上げている間、結構待たされる。そんな時、駐車場内を反対側に大回りして、出口まで行くと通れるけれど、小回りして出口まで来ると、すでにゴミ収集車が移動済みだったりする。急いでいるときは、待つべきか、回るべきか、ジレンマに陥る。 (YA)
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大半の女性が知らず知らずに抱えている日々のジレンマ。「食べた~い、でもやせた~い」。もちろん、私もご多分に漏れない。このテーマをもらって検索すれば、ジレンマとは2つの選択肢がどちらを取っても、ネガティブな結果になる。しかし、そのどちらかを選ばなくてはいけない状況にある時に使う言葉。ネットに掲載されていた例は「城に残れば焼き殺される。城から出れば撃ち殺される」という究極の選択を強いられる。日本語では両刀論法というそうだ。しかし、そこまで究極の状態に陥る場面が、人生でどれほど起こるのだろうか。まあ、強いて言えば、私の最大のジレンマは、東京での出版社時代。音楽が好きで楽器の業界誌の世界に飛び込んでみたものの、日々残業、残業で帰宅は深夜に。20代の頃は若かったから「まあ、こんなものか」と。しかし、30代も半ば近くになると、将来の自分を考えるようになる。確かに、お給料は良いが、自由に使える時間がなさ過ぎる。しかし、辞めて一般的な仕事に就いたなら、家のローンは払えない。さあ、どうする!? これを考え始めると、会社への足取りがすこぶる重い。先ほどの例の、どちらを選んでも死が待っている…というほどの究極とは言えないが、結果、私はお金より時間を選んだ。これは、実に正しい選択だった。故に、私はサンディエゴ暮らしができている。こうなると、ジレンマも悪くない? (Belle)
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ダブルブッキングしたいけど、できない状況・・。わたしが「2人」に分裂できたら、同じ時間に違う場所にいられて、2つのイベントを同時にこなし、ダブルで楽しめる! なーんてことは、現実ムリ (笑)。だから先日、惜しくも実現できなかったことがある。その日は、大親友H部長の誕生日。年に一度しかない、その人にとって特別な日。祝ってあげたかったよ、本当は。「はっぴばーすでー、とぅーゆーっ♪」って歌って、ふぅーって、ロウソクを消すシーンも、作ってあげたかったよぉー。ところが、H部長より付き合いの長いロサンジェルスの友達から1年ぶりに連絡があった。「今度の木曜日、過越祭 (Passover) のディナーにおいでよ〜」と。過越祭って、去年もお呼ばれしたけど、毎年、微妙に日付が違う。ユダヤ教に詳しくないから調べもしなかったけど、ただハッキリしたことは、今年はH部長の誕生日のド真ん中! (←当日ね、笑)。頭の中ではこの垂れ幕が、“H部長誕生日会 vs 過越祭” (笑)。過越祭には、2年は会っていなかった、わたしの愛する大道芸人ミュージシャンの友達も来る、、、。そして、結構わたし、過越祭のシナリオのある儀式が好き (笑)。まるでミュージカルを観ているような歌と演出がすごいのだ。迷ったあげく、車はロサンジェルスに向かっていた (笑)。いや、必死に悩んだんだよ〜 (5分くらいね、笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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特に深刻なジレンマは抱えていないと思う。でも、怠け心からくる、しょうもないジレンマは結構ある。夜更かしはするべきではないが、家族が寝静まった後に、自分の好きなことをする時間が好き。高血圧に気をつけなければいけないが、味の濃い食べ物が好きでやめられない。時々、昭和の時代に戻りたいと思いながらも、便利なモノが無くなるのはイヤ・・。私の子ども時代は今とは違って、子ども同士でもっと外で遊んでいた。駄菓子屋さんで何かを買ったり、海が見える土手に座ってお菓子を食べたり、公園に行ったりして、もっと自由に動き回っていた。最近、テレビやファミコン、ゲームボーイを楽しんでいた時代が懐かしく感じられ「あの頃は良かったな」と思うことがある。当時は、何の不便も感じていなかった。ただ、スマホはもう手放せない。友達との待ち合わせも、昔だったら、家を出た瞬間から約束の場所へ時間通りに行く使命感があった。今では、少し遅れてもスマホで連絡が取れるし、道が分からなくても Google map が教えてくれる。地図を広げて私は今どこに??なんて、パニックになることもない。現代の利器の便利さを十分に知ってしまった今、昔に戻りたいとは思わないけれど、それでも「昭和の時代が懐かしい」と感じることがある。(SU) |
(2023年5月1日号に掲載)