September 15, 2025

最近のマイブーム

▽幼少期から虫歯に悩まされている。歯科医院で歯石除去をした時に9本見つかった。“ You have a sweet tooth, don't you? ”(甘党だね) とドクター。(いえ、酒を飲まない辛党です) この10年、健康上の理由から糖質制限を続けて甘味とは無縁の生活。それでも虫歯に。電動歯ブラシ、口腔高圧洗浄器「Jet Washer」、マウスウォッシュ「Listerine®」、高濃度フッ素配合リンス液「Pro-denRx®」など、虫歯予防製品を片っ端から試している。マイブームというより切実な対策。子供に説教するようにドクターが私に歯磨きの指導を行う。傷つく自尊心。“ Stop eating too much candy! ” だから、食べてないって! ▽スパイス好きな私の最近のブームは世界最強激辛といわれるメキシコの「ハバネロ」 。辛さは日本の唐辛子の5倍! 強烈な辛味とフルーティーな香りが絶妙。それでも日本の唐辛子に回帰していく私。「七味」は黒胡麻、白胡麻、山椒、ケシの実などの風味が効いた最高級の香辛料。ストレートで勝負する「一味」も捨てがたい。私は蕎麦、味噌汁に真っ赤になるまで掛ける。買い置きしていた七味と一味を一袋にまとめられているのを発見! (※×@≒%!!)   犯人は分かっている。七味 + 一味 = “八味” になるくらいにしか思っていない、あの人だ。 (SS)
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▽最近、手作り野菜チップスにハマっている。かぼちゃ、サツマイモ、にんじん、ビーツなどの野菜を薄くスライスして、フライパンで煎るだけ。電子レンジやオープンも試したけれど、フライパンに落ち着いた。油や塩は使わないので、とってもヘルシー。サクサクパリパリ、野菜不足を解消できる美味しいおやつにゾッコン。▽30年ぶりにオフィスが移ることになったので、断捨離に励んでいる。作業工程が手作業からデジタルに変わり、いらないモノだらけ。思い入れが強いモノもあるけれど「お疲れさま」「ありがとう」と言葉をかけて、ドンドン捨てている。▽インターネットなんぞ触ったことがないという80代の知人に「人探し」を頼まれた。冥土の土産に、音信不通の同級生に会いたい、とのこと。検索エンジン、SNS、人探し掲示板を駆使して、見事に探し当てることができた。「難しいことは分からんけど、便利な世の中になったもんだ」 と喜んでくれた。ついでに、かつての友人、恋人、先生など、ネットで人探しをして楽しんでしまった。▽近頃、スマホで本を聴いている。ジムで走っている時や料理をしている時などに最適だ。ビジネス書や自己啓発本をセレクトするとモチベーションがグッと上がる。「老眼」もなんのそのと喜んでいたら、「いつか耳も遠くなるぞ」と旦那が叫んでいる。余計なお世話だ。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 掃除するのが好きというワケじゃない。汚いのとメッシーなのが嫌いだから、いつも掃除と片付けをしているわけ! 計画するのが面倒で、やりたくないけど、時間を無駄にするのも大嫌いなので、頭の中でいつも次のステップを考えている。ジョークを言うのは得意じゃないけど、周りの人々をリラックスさせるために、会話しながら冗談も言う。料理をするのも外食が高いためで、自炊することが多い! 結果的にほとんど毎日料理をしている。このようなことは永遠にやらないといけない=永遠のマイブームかなぁ〜。でも、本当のマイブームは運動すること! ジムへ行き始めてかれこれ9年になる。最初は汗をかかない体質を、何とか運動で改善しようとの目的で通い始めた。そのうちに楽しくなってきて、お友達も増え、今はいろいろなクラスを取って楽しんでいる。このマイブームは何年経っても、年を取っても、ず〜っと続けたいと思っている。そして、大好きなクラスの先生たちがやめないように祈っている! (S.C.C.N.)
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yoko 手芸、ソーイング。手芸は子供のころから好きだった。小学生のころは「手芸クラブ、刺繍クラブ、木彫クラブ」など、主にものづくり文化部に入っていた。フェルトのマスコット、ビーズのマスコットからスタートし、ボア生地を使った縫いぐるみ作りが好きになった。高校生の頃もテディベア作りにハマっていたが、アメリカに留学し、忙しくなり、止めてしまった。就職し、数年経って、時間と気持ちに余裕が出てきてからテディベア作りを再開したが、続かなかった。その後、子供が生まれ、趣味に時間を取っている場合ではなくなった。5年経ち、子供たちにそれほど手が掛からなくなり、自分の時間が持てるようになった。今ハマっているのは、テディベア作り、刺し子ふきん、そして小さな人形の服作りだ。今まで専ら作るのは縫いぐるみばかりで、洋裁には興味がなかったのだが、服作りの面白さを発見した。小さい服だと手縫いでもあっという間に出来る。ギャザーの寄せ方、袖の付け方、糸ループの作り方などを学んだ。さらに、5才の娘が喜ぶ。娘と一緒にたくさん出来た人形の服で着せ替えごっこをして遊べる! 暫くはこれにハマっていそうだ。 (YA)
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reiko-san 私は酸っぱいものと辛いのものが大好きだ。梅干し、酢こんぶ、キュウリとワカメの酢の物は子供の頃からの好物。キムチ、ソムタム(青パパイヤのサラダ)、スンドブなども大好き。タコショップでは、何種類もあるサルサを片っ端から試したくなる。酸っぱいのと辛いのが混ざり合った食べ物も大好き。日本のラーメン屋さんに行くとどこでも大抵メニューにある酸辣湯ラーメンも大好きなのだが、ここサンディエゴでは、あの私の好きな日本の酸辣湯ラーメンを出すお店を見つけることができない。家で、どこの店でも売っているあの辛ラーメンを作って食べるとき、刻んだピクルスを加え、さらにお酢も少々加えて煮込んだら、あらら、酸辣湯ラーメン風に変身! とろみをつけたら、きっともっと酸辣湯に近づくんだろうな。これが今の私のブーム。そして、ちょっと前に友達の家で食べさせてもらってハマってしまったのが、Trader Joe’s の Chili & Lime Flavored Rolled Corn Tortilla。辛くて酸っぱくて、一度食べ始めたら止まらない。でも、私の胃腸はもう若くなく、食べすぎると、後で大後悔必至のマイブームなのである。 (RN)
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suzuko-san 私は、基本的に「音」が好きである。目を使って楽しむ文字よりも、耳を使って音を楽しむ方がリラックスできるのだ。朝起きると、一番にTVでニュース。そのうちに YouTubeで音楽を聴き始める、というのが日課。このYouTubeは、一旦聴きたい曲、好きな歌手を入れれば、あとはほぼ永遠?にその歌手、あるいはそれに関連した曲が流れ続ける。「音」好きな私にとって、こんな便利なツールはない。レコードやCDをかけ替える手間も要らないのだから。というわけで、YouTube様様であるが、その内容は、少しずつ変わっていく。最初にハマったのは中島みゆき。そしてアンドレア・ボッチェリ。その次は British Got Talent からポッと出て、一躍世界の歌姫となったフツーの、ちょっとデブったおばちゃん、スーザン・ボイル。姿かたちはどうであれ、あの澄んだ声は癒される! そして今の今ハマっているのが、プエルトリコ人の、グラミー賞を5回も受賞しているルイス・ミゲール。ラテン・ポッポスの歌手である。BGM的に勝手にコンピューターに取り付けたスピーカーからかかっているだけなので、曲名も何も知らないが、彼の歌うバラードの数々は私のテイストにぴったり! もう既に2〜3か月毎日聴き続けている。さて、このマイブーム、いつまで続くことやら …。 (Belle)
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jinnno-san 最近ではないし、ベタなんだけどー、料理すること!&美味しいものを食べること!(ベタ過ぎる~ 笑)。買いだめはしないポリシー、なので、ほとんど毎日食材を求めてお買い物。和食を作るときは、とある日系スーパーに (固有名詞は出さないけどさ、買うのはこのお店一筋。笑。ほぼ毎日通う ← お店の方が読んでくれていたら、絶対誰だか分かるほど! たぶん 笑。わたしだよー! わたしぃー! 笑)。和食以外の場合は、家の裏を歩いて30秒のローカル店。夜11時まで開いているので “トマト1個いるわ ” という感覚 (間隔も 笑)。で、1日3回など (笑) ひんぱ ーー んに行く。笑。その店があたいの冷蔵庫 (笑)。美味しいものは、、そのために旅行する! 笑! フォーを食べにベトナム、パエリヤを食べにスペイン、そして最近はミートスパゲティー好き過ぎて、イタリアへ~ 笑! (作れるじゃん 笑)。本場のお味は! う・う・うま過ぎる~!(やっぱ作れねー 笑)。次はピリ辛台湾料理かなー、なーんて、、。本当のマイブームは、、最近知ったテレビ番組「なるみ・岡村の過ぎるTV」笑! 人々のXX過ぎる日常を徹底調査~。知らない方はぜひ検索を~。あ、でも、わたしみたいに面白すぎるから夜中まで見すぎないよーに (結論、マイブーム:過ぎる~ 笑)。(“べた” の意味が分からない人は、過ぎるTVご覧あれー 笑)。
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①食べ物。ある食べ物にはまると、そればかり毎日食べ続ける。若い頃は、ワサビチップス、エッセル スーパーカップ バニラアイス、FamilyMart のつぶあんぱん、セブンイレブンのあんこ&バターコッペパン、etc。近年は、セロリ&マヨネーズ、シラントロ、超Firm豆腐、魚肉ソーセージ。で、今のマイブームは『高野豆腐』。普通に作るのではなく、高野豆腐をトロトロにする方法で食べる。これがおいしくて、今、毎日食べているマイブーム。そして毎回、ある日突然に飽きてマイブームは終わる。②ブルーレイ。実家の父親がせっせと日本の番組を録画している。私の好みは別で、彼が私に見せたい番組ばかりだ。しかし忙しい毎日、リビングルームのテレビの前に座る時間などないのが現実だ。1日4食作る、料理嫌いの私のためにキッチンにテレビがある。そしてなんと! 1か月前にBlu-ray Playerまで付けちゃいました! 父親がせっせと録画してくれていたBlu-ray Diskを見始めている。一昨日に 『軍師官兵衛』を終わらせた。今、 『天皇の料理番』 を見始めている。楽しい! お父さん、ありがとう! (IE)


(2019年10月1日号に掲載)

点と線

(*食事中の方は内容ご注意。あしからず) 小学校時代の聴力検査。「ピッ」 という短音と 「ピー」 という長音に強弱をつけながら発信し、 微弱音をどこまで聞き分けられるかをテスト。発信音は電気的な振動としてオシロスコープのスクリーンに表示され、児童たちの反応を見て聴力が判定される。私の右耳は何も聞き取れず、スクリーンの前に来るように言われた。短い音は「点」、長い音は 「線」として点滅される画面を見ても何も聞こえず、右耳は 「重度の難聴」 と判断された。専門病院で点と線のスクリーンによる再検査が行われた。 やはり私の右耳は音をキャッチできない。元気をなくした私に、耳鼻科の先生が笑いながら「耳垢だよ」 と告げる。私の耳垢は “湯葉タイプ ” で、皮膚が線状に薄く剥けて耳の穴に詰まり、全体に膜のように固まる 「耳垢栓塞」 となり、聞こえなくなった。右耳に用液が注入され、固まった大量の耳垢をふやかし、10分後に 洗い流されると、柔らかくなった耳垢が出るわ、出るわ。歓声を上げて看護士さんたちも見ていた (恥ずかしい!)。耳穴が開通した右耳の集音力は凄まじかった。病院の廊下を歩くだけで、耳の中でカショーン! カショーン! という大音響が弾け飛ぶ。全快を喜んでくれた母親の声も、ものスゴくやかましかった・・・。  (SS)
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▽東京都心をグルリと回っている山手線には、出発点も終点もないと思っていたら「出発点は品川で、終点は田端」と、会社の先輩が教えてくれたことがあった。残りの田端〜東京は東北本線や東海道本線の路線で、山手線は複数の路線の集合体とのことだ。来年は、田町―品川に「高輪ゲートウェイ」という駅が誕生する。将来、羽田空港からの電車が止まるようになるらしい。新しい点がまたひとつ増える。▽日本の鉄道は便利だ。都会では、どこへでも電車で行ける。「点」の駅を鉄道の「線」がつないでいる。でも、田舎では暮らし方が異なる。福島の実家では、車が必需品。電車で2時間のところも30分で行けたりする。都会人には理解できない快適さがある。同じようにアメリカも交通手段は車。「点と線」ではなく、縦横無尽に行き交う「面」によって経済圏や生活圏が成り立っている。▽某大学の卒業式で行われた スティーブ ジョブズのスピーチが好きだ。「点と点を最初から結ぶのはむずかしい。振り返ったときに初めて、点と点を結んでいた線が見える。だから、一見無関係に見える点もいずれは、自分の人生の中で大きな線でつながれることを信じなくてはいけません」。あらゆる経験は、決して無駄にはならない。点と点をつなげて線にするために、目の前のことに本気になって、「今」 を精一杯生きたいと思う。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 新宿の草間彌生美術館は2017年10月1日にオープンした! いつか日本の芸術家、草間彌生さんの作品を見に行ってみたい! この美術館には、世界平和と人間愛というメッセージを広く世界に伝えるコレクションが展示されているらしい。昨年のアジアンフィルム・フェスティバル (SDAFF) で初めて草間さんのドキュメンタリーを観た。彼女の細やかさ、強い意志、一つ一つの水玉の点が線となり、それが絵になり、色の鮮やかさで素晴らしい作品になっているのに本当に感動した! ドキュメンタリーによると、幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、絵を描き始めたらしい。本物のアーティストって、普通の私たちの脳の働き方、物事の見方、感じ方が全然違うよね。草間さんの幻覚や幻聴に感謝。この世の中に素晴らしい色をつける草間さんに感謝。あのドキュメンタリーを観た後、水玉に何故か不思議な愛情を持つようになった! 私って、とても影響されやすいタイプかも。。。笑。 (S.C.C.N.)
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yoko 「点と線」と言えば、星空観察。小学校のころ、理科の授業で使った星座盤。当時の私には「???」で、星座の見つけ方がよく分からなかった。星座盤では、点と点が線で繋がっていろいろな星座の形になっているのに、実際に夜空を見上げると、つなぎの線がなく、星の点々しか見当らない(当たり前)! 「北斗七星はあれだよ」と言われても、「え?どれ??」と思っていた。成長するうちに分かってきて、秋の「カシオペア座」と冬の「オリオン座」が見つけやすくて好きだった。星空観察にハマったのはサンディエゴに来てからだ。アートカレッジの自由プロジェクトで天体観測をモチーフにした卓上カレンダーを作った。制作に当たり、リサーチする内に興味を持った。友人とパロマーマウンテンへ見に行った流星群は壮観で感動した。星空観察にハマっていたころは、友人と夜空ばかり見上げていた。北斗七星、はくちょう座、ペガスス、カシオペア、オリオン、シリウス…、2人で見つける度に嬉しかった。今度は子供たちと一緒に見つけたいと思う。 (YA)
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reiko-san 「点と線」といえばモールス信号。点と線を組み合わせて、アルファベット、数字などを表現するモールス符号を使って交信する。(正しくは、短点、長点というらしいが)例えば、Aは「・ー」、Bは「ー・・・」といった感じ。映画『崖の上のポニョ』の中で、宗介と母親が、船に乗った父親と光を点滅させてモールス信号でやりとりをしている場面が出てくる。なんとも面白い会話の方法に感激した。改めてモールス信号について調べてみると、これは習得したらいつかどこかで役に立つかもしれないと思い始めた。なんらかの事情で、言葉やテキストでの会話ができなくなった時の最終手段になりうるかもしれない?あ〜でも、送信機や、宗介たちが使っていたようなライトがいるか。しかも、信号を送っても相手がモールス符号を習得していないと無意味だし。考えれば考えるほど、せっかく覚えても、実用的ではない気がしてきた。利用法として考えられるのは、娘と一緒に覚えて、秘密の会話をして遊ぶってことくらいかな。自分で作った記号をアルファベット表にして、文章を作って遊ぶのが好きな娘なら、このモールス符号表に興味を示すかもしれない。私にとっては、頭の老化現象を食い止めるためのエクササイズとして有効かもしれない。あとで娘に提案してみよう。 (RN)
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suzuko-san 「点と線」と言えば、間違いなく松本清張の長編推理小説、2つの死体(点) がつながって線になるという筋の『点と線』が真っ先に思い浮かぶ。死体でなくても、地球上の各人間を点とすると、地球上に約75億の点があることになる。それらが家族なり、学校なり、会社なり、友情なり、愛情なりでつながると線になる。そんな中、人は何十本、何百本の線でつながり生きているのだろう? 今はインターネットのおかげで、以前より遥かに多い線を持ち得ていると、容易に想像できる。私もかつて、皆がコンピューターを持つ時代ではなかった30年近く前に知り合った、3人のハンサム・ドイツ人と、現在も二重線でつながっている話をしよう。彼らとはタイのプーケットからピーピー島に向かう船上で知り合った。最終目的地がクラビ経由コサムイということで、意気投合。私の大好きな島、コサムイには私の方が一足先に着いて、後日彼らがやって来た! そして若い彼らと日本人お姉さんという4人で泳いだり、夕食を一緒にしたりと、コサムイでの時間を楽しんだ。 その後、私はこの地に移住したが、彼らがサンディエゴに来たり、私がドイツを訪ねたり…。単なる点であった個人が立派に線となって今も連綿とつながっている。線=繋がりの構図のなんと素晴らしいことか! (Belle)
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jinnno-san このコーナーにどれだけの期間携わっているのだろう。たぶん小学生が高校生に成長しているくらいは、参加してると予想している。あー!わたしの姪っ子が満星だけだったのに、那月、彩雲と増加し、ペンネームに飽きてきたわたしは、一番年上の姪のりさ子をついに採用。りさ子は社会人だし、満星は来年大学受験!? 姪っ子はサンディエゴにいないし、バレないだろうとヤツラの話をこの場によく登場させたなぁ。でも一番登場しているのは自分(笑)。まぁわたしの話なんて、だっれも気にしてないし、つまんないし読んでねぇーだろう、と。小学生が高校生になるくらい参加しているのに、未だにそう思いながら書いていてー、で、普段自分の身に起こることをそのまま書いてー、周りにも同じことを話していてー、そうするとどうなるかと言うとー、とっきどき(ときどきよ)その話している相手の方に“あーー!あーた、満星+なんちゃらなんちゃらのオバでしょう!”と指摘されることが、あーる(笑)。まさにその方たちにしてみれば、点と点が結ばれちゃった=線=あたい=このコーナーの人(笑)。これからは何を書くか、気をつけ・・・ないと…。姪の名前をシャッフルして遊んでいるの気づきました?←どーでもいい(笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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えー、点と線…。うーん?いや、何書いていいのか全然浮かばない。これはヤバい。仕方がないのでググってみましたが、松本清張の長編推理小説『点と線』ばかり出てくる。見た事ないし〜(泣)。どうしようかな〜、そういえば高校時代の担任の先生が描いていた点描を思い出した。普通によくいるおじさんの美術の先生だったが、絵はメルヘンチックで繊細な絵を描いていたのを記憶している。先生元気だろうか?それはさておき、この点描法、線を使わずに点や非常に短いタッチで描く絵画技法の一つ。昔から細かい作業が好きな私は、時々この方法で絵を描いたりもしていた。点描画は細かいタッチで、ひたすら無になって描くので、考え事で頭がいっぱいなときにやると、現実逃避できて良い。さすがに、今は現実逃避している場合ではないが、若い方ならやってみるのもおすすめ。絵が苦手な人でも色んなカラーを使って好きなカタチや模様を描いていくと、意外と素敵な絵が仕上がりますよ。 (SU)


(2019年6月16日号に掲載)

危険

新型コロナ情報を追い続けて3か月半。納得できない謎が解けた。長期の外出制限に疲弊する市民。いつまで我慢すれば危険から解放されるのか? イライラ度がMAXに到達する頃、新規感染の横ばい/漸減傾向を頼りに、米国も日本も条件付きビジネス再開に踏み切った。 でも、行政からの指示に曖昧さが残り (クリアなのは感染者数の増減だけ)、疫学者からの発展的見解も聞こえてこない。公言できない危険性を隠している? 新型ウイルスの実態解明はお手上げ? (それは危険すぎる)。COVID-19を制圧できる明快な数理モデルはないのか?・・・それがあった! 西浦博氏 (理論疫学者) が基盤にしている不等式 (1-p) x RO<1。 Pは予防接種 (行動制限) する人の割合、ROは1人の感染者が生み出す2次感染者数 (基本再生産数)。仮にROが3でも、3人のうち2人が予防接種で感染を免れたなら、残り1人にしか伝播 (でんぱ) しないことになる。3の逆数 (掛け合わせると1になる数) は約1/3なので、予防接種率が2/3を超えれば2次感染者数は1を切って数式に合致し、感染率が自然に減衰して、新型コロナ終息の見通しがつくらしい。早い話が、ワクチンが完成するまでは危険な状況に置かれていることに変わりはない。今の時点で専門家が明るい展望など言えるはずもない。 (SS)
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▽「ホンマでっか!? TV」に出演している武田邦彦先生によると、引退して時間をもてあましてしまうと、そろそろ病気にでもなって、忙しくしてみようか、という本能が働いてしまうらしい。退屈に耐え切れなくなり、老後、病気になるのは、危険だ。▽「どれも計画倒れ。だから、進まなくなった時のことも、予定に盛り込んでおくことにしたの」。友人からこんな LINE が入ってきた。確かに、計画どおりに進まないことは多い。あの件は午前中に、いや、ご飯の後に、やっぱり、入浴後に、そして、寝る前にやろう … となり、挙げ句の果てに、明日の自分、2倍頑張れ!状態になる。とても危険だ。▽子どもの頃、炭火の一酸化炭素中毒で意識を失ったり、ワンダーフォーゲルの合宿で山から転げ落ちたり、飲み会の帰りに五反田であやうく暴漢に襲われそうになったり、ワシントン州の冬道で車がスピンしたり、結構、危険な目に遭っている。今、こうして生かされていることが奇跡の連続なのだと思う。▽先日、WHOが、新型コロナウイルスについて「世界は危険な新局面に入った」と警鐘を鳴らした。100年前のスペイン風邪では、第2波が世界で同時に起こり、病原性が強まって致死率が10倍になり、死者が急増したらしい。1日も早く有効なワクチンや治療薬が開発され、安心安全な暮らしが戻りますように! (NS)
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「危険」というのは、人、環境、使い方、考え方によって変わってくると思う。例えば、ナイフはなきゃいけない、 とても便利なツール。ナイフを使って、いろいろな美味しい料理ができる。でも自分の手をカットしたり、人を刺したり、危険なアイテムでもある。車は出勤したり、買い物したり、人に会いに行ったり、生活/人生を楽しむのになきゃいけない交通手段。でも気をつけないと、その車が人、建物、他の車と衝突して、自分と他人の命を失う危険性もかなり高い。昔と違って、私たちは携帯電話やコンピュータ、ラップトップのようなハイテック製品を使って毎日動いている。非常に便利で、どこへ行っても仕事ができるようになっている。24時間いつでもどこでも、連絡がつけられるのは素晴らしいこと。 でも、体とマインドを全然休められない危険な環境も人類が作ったのかもしれない。アメリカは素晴らしい国。努力すれば、夢が実現できる国だと思っている。しかし、「自由」の言葉を間違えて使うと「危険」な状態になる。もっと「平和」を感じたいと思う今の私。 (S.C.C.N.)
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yoko この夏、子供たちが6歳と8歳になる。5〜8年前と比べると随分楽になった。子どもが乳幼児のころは本当に目が離せなかった。新生児はブランケットや枕で窒息の危険があるので、寝かせる時に周りに何も置かないように、寝ている間に間違ってつぶされないようにと、気が気でなかった。ベッドからの落下防止にベッドガードを付けていたのだが、ベッドガードとマットレスの隙間に落ちそうで夜中に何度も確認していた。お風呂は、ベビーバスにお湯を溜めて入浴させていた。ハイハイで動き回るようになると、危険がいっぱいのキッチンへ入れないように柵を付けた。毎度ロックを外して柵の下の部分を跨 (また) いで (慣れるまで、忘れてつまずく)、キッチンとリビングを行き来していた。指を挟んだり、中の細々したものを手にしないように、家中の開き戸と引き出しにドアロックを付けた。何でも口に入れるので、細かいものは全てしまい込み、感電予防にコンセントには全てカバーを付けた。子供たちの成長に伴って、ベビーバス、ベッドガード、キッチンの柵がなくなり、ドアロックも外した。夫も私もよくやったなと思う。まだまだ成長途中の子供たち。いろいろ心配することもあるけど、のびのびと育っていってほしい。 (YA)
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reiko-san
我が家の庭にはいろいろな生き物がやってくる。トカゲ、ネズミ、オポッサム、スカンク、ラクーン、などなど。最近、地面に小さな穴がいくつか出来ていて、何の動物が作った穴なんだろうねと、家族で話していた。ある日、庭でくつろいでいた猫がいきなりガバッと飛び起きて、地面に頭を埋めるような格好をしているので、何かと思ってそばに行ったら、例の穴に顔を突っ込んでいた。蛇にでも噛まれたら大変と猫をどかして、穴を見ていたら、しばらくして穴の奥から土がバッバッと掻き出された。近づきたがる猫を押さえて、またしばらく穴を見ていたら、可愛らしい顔をした小動物が頭を突き出した。ゴーファーだった。このゴーファー、とてものんびりした子で、私たち人間と猫がそばでじっと見つめているのも気にせず(気がつかず?)、土を掻き出したり、穴から頭を突き出して周りの様子を窺ったりしている。猫はいてもたってもいられないといった風に、そわそわとそのゴーファーを見つめている。それ以来、猫は穴の周辺に寝そべって好機を狙っている模様。危険な状況を察知して、猫に捕まらないでね、ゴーファーよ。 (RN)
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suzuko-san 人は生まれた瞬間から、事件や事故、病気など、命の危険にさらされながら生きている。生まれる機会は1度なのに、死ぬ機会は山ほどある。そんな危険を潜り抜けて、日々「ああ、今日も生きていられた。よかった、よかった」と繰り返しながら、寿命を全うする人も、残念ながらできない人も。そんな中、私は周りから「100までは絶対に生きる」とよく言われる。私もそうかなあと思うことがある。というのは、 子供時代、階段から転げ落ちるだけでなく、窓や床から3回も落ちた。1度目は鬼ごっこをしていて、窓の外に隠れようとしたら、手が滑って落下。一旦、隣の家の屋根に落ち、そこから我が家の1階窓のひさしに落ちたが、最終的な高さが低かったので助かった。2度目は隣家のまだ建築途中のべニア板だけの天井に足を踏み入れ、コンクリートの床の上に。幸い、かんな屑が貯めてあった所に落ちてそれがクッションとなり、助かった。3度目は新築の我が家の2階の窓から。コンクリートの門塀 (もんぺい) の中に余った瓦が積み上げてあったのだが、コンクリの門と瓦の僅かな柔土 (やわつち) の隙間に運良く落ちて助かった。さすがに3度目は気を失っていて、両親はとうとう死んだ!と思ったらしい。これらの経験から、私はどんなに危険な目に遭っても、不死身!?と思う次第。100までは頑張れるかな? (Belle)
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jinnno-san 昨今の自宅待機令で、YouTubeともっと仲良くなり、出会ってしまった沖縄のあるサイト。コレがめちゃめちゃおもしろい (笑)。無人島で釣り生活をしたり、捕まえたイカをそのままかじって食べたり (かなりワイルド 笑)、まず、テントがない。でも、寒いから、砂浜に穴掘って寝ぐらにしたり 笑、釣った魚を近くの食堂に売りに行ったり、魚をさばくのに、うろこを5本の指で全力ではがし始めたり(想像もつかん行動 笑)、人食いサメを釣ってしまったけど、重くて海から引き上げられず、ロープで縛り、車で引っ張って、別の車の屋根に載せたりと、やんちゃもいいとこ (笑)。中でも危険だったのが、ハブ捕り (さすがウチナンチュー 笑) からの、ハブ酒造り(笑)、しかも、キングギドラ仕様!(ハブx 3!笑) 捕るだけでも危険なのに、3匹相手にハブ酒ぅ~? 捕まえてきたハブ (x 3 笑) を氷に漬けて眠らせ → 泡盛漬けでハブを酔わせるらしい (笑)。ハブの内臓を取るときも、シッポ (ある? 笑) は動いてるし (怖) ハブ (x 3 笑) を扱う手順は、噛まれたら死んじゃうかもとの背中合わせで、危険度大! 見た目をよくするために、ハブ (x 3 笑) のお口をガッと開けさせて牙を見せるんだけど、毒がまだまだ出るわ、出るわ。危険なんだけど、超笑える。わたしって S? (Mか?笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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このコロナ自宅自粛要請からの『危険』。①人間はいくらでも “怠け者” になれる。以前は息子たちの弁当作りで朝5時には起床していた。学校へ迎えに行く前に出来ることを済まし、スイミングの練習に連れて行き、待ち時間を有効に使い、帰宅後、夕食と次の日の用意。1日24時間を有効的に使っていた。が、自粛要請1週間後には、この世の中に時計がなくなってしまったような生活に慣れてしまっていた。ところが、2週間前にスイミングの練習が再開したのだ! 朝6時20分からの練習。家を出るのは早朝5時50分。ダラダラ生活を偲んでしまう自分。危険だ。②コロナデブ。ジムが閉まってしまった。運動ができないと困ってしまった (笑)。特にやることもないから、スーパーをいつもより時間をかけて探索。「あら?これ美味しそうね」「これ、トライしてみようかな」と、いつもなら買わないジャンクを買っている自分。新しい発見を繰り返している間に体重増加。危険だ。③化粧。マスク必須の日常。マスクが汚れるのを気にして、目だけしかメイクしないようになった私。女度 (おんなど) … 急降下。コロナウイルスは危険だが、第2次?第3次?災害も危険だ。 (IE)

(2020年7月1日号に掲載)

夏の記憶

「盛夏の灼熱の光は、我らを深く死に導く」 (誰の言葉だっけ?)。夏の太陽は旺盛な生命力の象徴なのに、胸騒ぎを覚える不吉さがある。特に日本の夏。幼少期から今まで、夏に寄せるスリリングな感触は変わらない。湿気まみれの暑苦しさ (諦念)、蝉の鳴き声 (読経)、蚊取線香の香りと煙 (法要) … 前世、現世、来世が渾然一体となった奥深い安堵感かも。COVID-19がもたらす死への恐怖感とは違う。茨城県の漁村 (平潟港) に家族と逗留していた6歳の夏。喫茶店で母とかき氷を食べていると、男児が溺れて行方不明になり、漁村全体が騒然となった。警察と村人総出の捜索が続いたが、少年は見つからない。薄暮に霞む無表情な漁港の海が幸福感を奪い去った。止むことのない蜩 (ひぐらし) の合唱、無機質に旋回して夜のしじまを破る灯台の光 … 鮮烈な記憶。2つの対照的な海岸があった。荒波が人を寄せつけぬ男性的な五浦 (いづら) 海岸と穏やかで女性的な勿来 (なこそ) 海岸。その夏に初めて海を見て、波の表情に人の心を感じた。五浦海岸には尊厳、勿来海岸には慈愛、静かな平潟港には安息、断崖絶壁から見下ろす太平洋には畏怖を ―― 。人間の喜びと悲しみは表裏一体と教えてくれた “原風景” となった。それにしても、父はどうして寂寥感の漂う8月末の海を好んだのだろう。 (SS)
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▽子どもの頃、毎夏、潮干狩りを楽しんだ千葉県船橋市の海岸には、当時、国内最大のレジャーランド「船橋ヘルスセンター」があった。遊園地、プール、ボーリング場、観覧車、ホテル、大ローマ風呂、宴会場などがあり、無節操なパワーが炸裂していた。「ヘルスセンター」は1977年に閉園。1983年、すぐ近くに「東京ディズニーランド」がオープンした。▽夏と言えば甲子園。高校1年の時、東関東大会を制覇した母校、千葉商を応援するためにバスで甲子園に行ったことがある。緑のツタが絡まる球場はとにかく暑かった。校旗を掲げている男子にバケツで水をかけ、カチワリやタオルを持って走り回っている間に試合は終わった。▽学生時代、ワンゲルに入部してあちこちの山に登った。夏合宿ともなると、30kgの荷物を背負って1日10時間、約1週間、ひたすら山を歩く。飯豊連峰、朝日連峰、日本アルプスなどの山頂から稜線を振り返り、歩いてきた道のりと、壮大な景色にいつも感動した。▽20年前の夏、両親と姪がサンディエゴの我が家に初めてやって来た。SDを満喫した後、 「モニュメントバレーと3大国立公園」のバスツアーに参加。皆のスリッパを用意したまでは良かったのだが、自分の下着を忘れてしまい、母の綿製のデカパンを穿きながらアメリカ西部の壮大な自然を満喫した。 (NS)
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私は暑い夏に生まれた。2年前の夏、現在の家 (自分への誕生日プレゼント?^.^) に引っ越してきた。一階建て、天井が非常に高く(2階くらいの高さ)、風通しがとても良い家。上手く窓を開けたり、閉めたりすれば、エアコンを付けなくても、暑い夏でも快適に過ごせる。正式に入居する前、家具なしの新しい家で一晩 "キャンプ" をした。今までの家とまったく正反対で、夜は非常に静かで、虫の鳴き声しか聞こえないエリア。あの夜、リビングルームにブランケットを敷き、天井のスカイライトから綺麗なお月様と星を観ながら、夫とこの家を見つけるまでの "長い経歴" (1.5年間、400軒以上の家、オープンハウスを見てきた) の話をした。あの夏から少なくとも2年が経った。問題になっていたバックヤードの大きな7本の木をカット、広い範囲に伸びた雑草を抜く作業、キャニオン側の敷地内の雑木をカット、、、、いろいろな作業をしていた。自分の理想の家 (全然豪華じゃないけどね) に住むことができることに感謝。そして幸せを感じる。 (S.C.C.N.)
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yoko
毎年夏になると、母の実家に父を除く親子3人で帰省していた。母の実家は隣の県で、母の運転する車で2時間半ほど掛かっていた。車酔いする私は助手席に座り、気持ち悪くならないように、少し緊張しながら2時間半、外の景色を見たり、母と話をしたりしながら過ごすと、それが見慣れた景観になり、祖父母の住む家に到着する。車酔いとは縁のない妹は、旅の間、後部座席で横になり、昼寝したり、本を読んだりしていた。古い日本家屋の玄関をガラガラと開けると、祖母がにこやかに「よう来たねー、つかれたやろ」と私たちを迎えてくれた。滞在中、日中は田畑の畦道を散歩したり、従兄弟たちとセミを採ったり、スイカを食べたり、祖父母の家のすぐそばに住む叔母に手芸やお菓子づくりを教えてもらったりして過ごした。夜は母と妹と3人で蚊帳の中で寝るのが面白かった。今でも、夏の記憶というと祖父母の家が思い浮かぶ。ここ数年、夏は北カリフォルニアに暮らす夫の母の家にお邪魔している。子供たちはプールで泳いだり、裏庭でキャンプをしたりして夏休みを満喫している。子供たちにとっての夏の楽しい記憶になるといいなと思う。 (YA)
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reiko-san
夏の記憶といえば・・・ 蚊取り線香の匂い、スイカ割り、かき氷、キャンプ、凍らせたポカリスエット、海の家、サザエの壺焼き、夏祭り、ラジオ体操、寝台車、etc。こうやって挙げてみると、どれも日本に暮らしていた頃、それも子供時代の記憶が多いことに気づく。大人になってからも、いろいろ夏の思い出はあるはずなのに不思議。今でも夏に日本の実家に帰省中、セミの声、夜に聞こえてくるカエルの大合唱、夕暮れ時に鳴き始めるヒグラシの声を聞くと、幼い頃の思い出が一気に蘇ってくる。サンディエゴに住み始めてからの夏の記憶といえば、娘を妊娠中の夏。その年はサンディエゴには珍しく、蒸し暑い猛暑日が続き、冷房のない自宅で臨月の大きなお腹を抱えた私は暑さでバテそうになり、慌てて簡易式のクーラーを買って設置した。予定日を1週間以上すぎてやっと生まれてきた娘と一緒に帰宅すると、庭のプルメリアが綺麗に咲いていたのをよく覚えている。あれから月日は経ち、娘も12歳になった。今年は新型コロナウイルスの影響でいろいろな事が変わってしまい、いつもの夏の過ごし方もできない状態。まだまだ大変な状況が続いているが、家族みな、元気に日々を過ごせることに感謝したい。 (RN)
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suzuko-san
父は5人妹弟の長男。彼の祖父母は瀬戸内海の海辺で半農半漁を営んでいた。器用だった彼は、やがて田舎の海辺を去り、町に出て技術者となり、呉 (広島県) の造船所に勤務の後、自分で工場を立ち上げた。仲の良い妹弟4人に次々と機械と従業員を分け与え、それぞれを独立させた親分肌だった。毎年夏になると、彼と妹弟の家族全員が海辺の祖父母の家に集まり、三世代集合の大宴会が始まるのである。当時は瀬戸内海の透明度も高く、浜辺では直径10㎝はあろうかという蛤や大貝がざくざく取れて、それらを焼いて皆で食べる。祖母は娘や嫁たちと、総勢30人分ほどの天ぷらを朝から揚げている。揚がった天ぷらは麹蓋という平たい木製の特大盆のような容器に盛られる。アクセントに緑色の色粉が使われた天ぷらもあった。それを兄弟姉妹、姪や甥、従兄妹らとわいわい、がやがや言いながら食べる。毎年夏に繰り広げられる、平和そのものの家族絵巻。そんなノスタルジックな思い出も、今は昔。大手鉄鋼メーカーが進出して海は汚染され、魚介類の漁は大打撃を食らってしまった。あれから半世紀以上。祖父母どころか、両親さえもなくなってしまった今、二度と味わえない幻と化した10㎝大の蛤と、薄緑色の衣がついた天ぷら。これぞ私の夏の記憶以外の何物でもない。 (Belle)
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jinnno-san
わたしの育った愛知県春日井市の実家の裏には、イチロ-選手の母校、愛工大名電高校 (名電) の野球部合宿所があって、基本、一年を通して金属バットの音がカーン、カーンって鳴り響いていた。一番うるさく (うるさかったんだ 笑) 響いていたのは、夏。日が長いから、朝っぱらから夜まで音が鳴ってるし、暑くて窓開けているので、よーーく聞こえる。昼間はセミの鳴き声と混ざって、本当に暑苦しかったわ (笑)。野球部のお兄ちゃんたちは、家の近所や堤防を走っているのでよく見かけるし、当時の中村監督の娘さんと歳が近かったので、小学校の水泳大会/運動会となると、野球部員が娘を応援に詰め掛けていた (笑)。巷では、お兄ちゃんたちは大人気。わたしも調子にのって名電野球部のグラウンドを遊び場としていた。高校生と遊ぶのがすっごく楽しかった子供時代の中でも一番感動したのは、お兄ちゃんたちを応援に甲子園へ行ったこと。友達のお父さんの軽トラで向かい、暗いうちから入口に並んだよ。でも甲子園ということは、いろいろな高校のスターがいるワケよ。目移りするほど (笑)。名電野球部そっちのけで他校の球児をギャーギャー叫んで写真撮ってた、かわいい夏の記憶ですわ (球児見てギャーギャー言うの、かわいすぎじゃね?笑) (あれ?感動はどこへ?笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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夏の思い出と言えば、地元の『河童まつり』。♪うしーくー沼には、カッパがござーるぅ♪ カッパ誰の子、芋銭 (うせん) の子~♪ という河童ばやし。牛久 (茨城県) で小川芋銭 (河童の絵で有名な画家) を知らない人は、非国民ならぬ非市民。中学の時には友達と行き、見回りの先生に 「おごってくれ」とたかり、高校時代には好きな人と手をつないでプラプラ。2回ほどテキ屋のバイトをしたことがあった。紐を引っ張ったら賞品と繋がっているというゲーム露店。これがまたハッタリで、紐は豪華賞品には全く繋がっていないというインチキ商売だった。3年前、丁度、帰省時が河童まつりと重なった。私も軽く25年ぶりだ。子供たちにも体験させようと、地元の友達と妹家族で行ってみた。どうせインチキであろう露店ゲーム (笑)、たこ焼き、焼きそばを買って、思い切り日本の祭りを満喫。メインイベントは、地区ごとにいろいろな恰好をした、河童ばやし音頭パレード。観客で見ていたら、友達の地区が近づいてきた。皆でお揃いのハッピを着て楽しそう!「Iちゃん!入りなよ! 一緒に踊ろう!」と言い出した。遠慮していたら、周りのおばちゃん、おじちゃんまで「入れ!入れ!」と言ってくる。ここはノリだ!と思い、息子たちも引き連れジョイン! 楽しかった~。 地元ラブ ♡ (IE)

(2020年8月1日号に掲載)