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▽日本に暮らす89歳の母が真夜中の無言電話に困り果てていた。就寝前に呼び出し音を消すことで睡眠不足を防いでいたが、音量を戻すのを忘れて連絡が途絶えてしまい、母の安否を気遣う人たちが訪ねてきたことも —— 。どうしたものか。弟が電話口で演歌を歌っても逆効果。イタズラはエスカレートするばかり。母は50代初めに仏門に帰依して精進を続け、今では入信宗派の高位資格を手にしている。魂を込めて唸 (うな) る母の読経は響きが良く、ビブラートも効いて、深夜に聞けば不気味さもハンパない。ある晩、その懲りない相手に聞かせたら、イタズラ電話はすぐに切れた。▽その昔、私と友人の3人が後楽園球場の (古いな … ) 三塁側内野席で野球観戦をしていたら、ライナー性の打球が飛び込んできた。体をよじって直撃を避けたものの、その後もファウルボールが何度も私たちを襲う。友人の1人は完全に “ファウルボール恐怖症” になってしまい、バットの快音を聞くたびにビビリまくる。私たちはイタズラを思いつき、ボールが飛んできたと思わせて大声を上げ、彼の反応を見ようとした。「あーっ! 来たーっ!」 と叫んだら、隣にいたオジさんが 「うわーっ!!」。食べ物をひっくり返したようで全身に降りかかっている。新しいきつねそばを弁償することで許してもらった。 (SS) |
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▽その昔、友人と「幽霊自転車」で盛り上がったことがある。彼女が通勤に利用していた築地駅の道ばたに放置された老朽自転車が、ひとりでにカラカラとペダルを漕いで回り続ける。初めて見たとき、びっくりした。なんでも、地下鉄の駅通気孔から噴き出す排気に目をつけた誰かのいたずら。排気の力でペダルが回ったり止まったりを繰り返し、あたかも透明人間が気まぐれに漕いでいるような「作品」に仕上がっていた。幽霊自転車を置いた人。それを見てニヤッと笑ってる人。放置を認めた警察…。いいなと思った。▽蓋 (フタ) を開けるとヘビが勢いよく飛び出す「びっくりポテトチップ」、本物そっくりの「イミテーションげろ」など、離婚したばかりの同僚と "いたずらグッズ" の仕掛け合いをして、毎日笑い転げていたことがある。「つらいとき、なおさら笑って前を向く」。ウイットに富んだいたずらや笑いには、そんな力があるような気がする。▽初めての外出禁止令。「うわぁっ!」。1週間で目方が10パンド増えた。旦那が体重計の針をいたずらをしたようだが、それを差し引いてもこの増え方はヤバイ。「2020年は本当に大変だったね。神様のイタズラにしてはやりすぎだよね」。笑い話になる日が早く来ますように。 (NS) |
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高校時代はクラスの仲間といつもワイワイしていた。若いせいもあって、私たちはいつもヘラヘラ笑っていた! そんな私たちは、エープリルフールの日に「商業英語」の真面目なK先生に何かいたずらしようと思っていた。クラスとクラスの休憩時間にいつも2階の教室の廊下にいる私たちは、あの日、たまたまK先生がキャンパスを歩いている姿を見かけた。「今だ!」と思って、「先生、こっちこっち!」と叫んで手招きし、2階にいる私たちの方を見てもらった。「先生が持っている何かが落ちてますよ!」「えっ? 何…」と先生が独り言を言いながら地面を見て、グルグル3回も回った。それを見た私たちは大笑い!「先生、今日はエープリルフールの日ですよ〜」と私は大声で先生に。ただのいたずらだと単純に思っていた私だが、このクラスのファイナルテストの点数が59点だった (60点が合格点)! K先生に、もう一度合格のチャンスが欲しいとお願いに行ったら、「二度といたずらしないと約束してくれたら、チャンスを与えるよ」と言われた。結果的に60点がもらえて、合格になった。あれから、いたずらと無縁になったけど、あのときの楽しさは忘れない! (S.C.C.N.) |
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小学校の中学年ぐらいまで、隣に住んでいた従姉妹 (いとこ) 2人と妹と私の4人で、一緒に毎日のように遊んでいた。ローラースケートをしたり、貯水池に置いてあった祖父のボートに乗せてもらったり、稲刈り後の田んぼに落ちている稲ワラで遊んだり、近所の公園に行ったり、暗くなるまで外で遊んでいた。まだまだ辺りには田んぼがいっぱいあり、あぜ道もあり、あぜ道に生えているいろんな草花が私たちの恰好の遊び道具だった。春はレンゲソウ、秋はジュズダマでネックレスを作った。他にも、オシロイバナの種から取れる白粉を集め、スイバの茎を口に入れて酸っぱさを楽しみ、カラスノエンドウの小さな豆はおままごとに、ナズナは鈴に、笹の葉は船にし、露草から青い色水を作ったり、毎日自然と触れ合っていた。いたずらに落とし穴を作ったりもした。浅い穴 (深く掘る根性はなかった) の上に小枝や草花の茎を敷き詰め、上からそっと土をかぶせた。出来上がった後に自分たちで試していたから、いたずらにならなかったのだが…。いつのまにか、実家の周りは全て住宅地になり、あぜ道も田んぼも消えてしまった。思い出の中でしか見られない景色になってしまった。 (YA) |
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▽子供時代によくやったいたずらは、地面に穴を掘り、落ち葉などで目隠しして、誰かを落とし入れるというもの。誰を引っかけようかと相談しながら、弟や友達とつるんで穴をセットアップするという作業はよく覚えているが、いたずらが成功したかはあまり覚えていない。唯一覚えている引っかかってくれた人物は私の父。「うわー」と大げさに叫びながら穴に落ちてくれて(落ちるといってもせいぜい50センチくらいの深さ)私たちは大喜び。でも、今から考えると、あれは私たちを喜ばせるための父の名演技だった可能性が大。▽十数年前のこと。 昼休みにオフィス近くのモールに車を停め、店でランチを買って外に出ると、停めたはずの車がない! 一瞬、頭の中が真っ白に! 停めた場所をたまに忘れることもあるので、気をとり直して駐車場全体を見回したが、どこにも見当たらない。盗難? それとも牽引されてしまった? と焦っていたら、笑いをこらえながこちらに歩いてくる夫の姿が。一緒に昼食を食べようと私のオフィスにやってきた彼。モールに停めてある私の車を見つけ、鍵を持っていたので、知らぬ顔で他の場所に移動させ、隠れて私の様子を窺っていたらしい。最初は本気で怒りそうになったが、一緒に大笑いしてしまった。忘れた頃に、あっと驚くいたずらを仕掛けてくる夫なのだ。 (RN) |
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この号が出るのは4月1日。つまりエイプリルフールである。この日は、堂々と嘘や人をかつぐ行為や言葉が許される日である。というので、会社勤めの頃は、よく仕事仲間をかついでは、皆で笑っていたもんだ。例えば、出勤してきたばかりの後輩に、「お母さんがお弁当を持って来ているので、駅まで取りに来てほしい、と連絡があったよ」と。携帯などない時代。それを確かめることができない彼は、慌てて駅に母親を迎えに行ってうろうろするが、もちろん来ていない。母親と会えなくて、しょぼくれて帰って来た彼に「今日は何の日だっけ?」。こんな4月1日の遊び以前に、私の高校時代、友達との会話は「口でいたずらをする」というのが、我々の日常会話の基本であった。つまり、相手の失敗や弱点をついて、どんどん落としていくのだ。相手も負けてはならじと応戦してくる。この相手をいかに落としていくか、という会話合戦は、いたずら心を満開にしなくては応戦できない。こんな会話をいたずら心のない人に投げかけると「むっ」とされて、嫌われるだけだ (それで何度嫌われたことか)。しかし、この会話を勝って終えると実に爽快なのであるが・・・。ここで学んだこと。悪戯は、徒に誰彼になく言ったりしたりするものではない、ということ。ちゃん、ちゃん! (Belle) |
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ドリフ大爆笑 (← ちょっと! 漢字変換でドリフターズ出てきたよ!笑) で習った、寝てる人のまぶたに黒の太字マジックで目玉を描く、または自分が眠いときに自分に描いて参加する、は王道でしょ 笑。そんな昭和を代表するドリフのパロディと勝手に解釈してる平成代表スマスマでも、金物屋に売っているようなでかい銀色ボールが天井から頭に落ちてきたり(笑)、デコピンやら、いやデコピンならまだかわいくて、ちXびに選択バサミはさんで引っ張ったり (笑)、ふっといゴムをバァーン!!て容赦なく顔にぶつけたり (ヒドイ 笑)、走ってくる誰かの必ずちXこになぜか目がけて金物が当たったり (ブブ)。いたずら心たっぷりの昭和/平成のバカ笑いできる番組が、わたしには合ってるわー。わたしの小さないたずら例では、かっぱ巻きに見えないように、わさびをタップリ入れて人に食べさせるとか、にぎりっぺを妹にするとか、中学生の頃は、男子のズボンをみんなの前で脱がすとか、、。あ、これらはただ、純粋で昭和を代表するイタズラだから、イジメじゃないから安心してね~ (って、イジメっこは口をそろえて言うんだよね 笑 ← ウソウソ 笑) (いまだにやっちゃってますけどね 笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪) |
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①まだ5歳の頃の『いたずら』。団地に住んでいた私は、外に出れば誰かしら一緒に遊ぶ人がいた。人数が集まれば、良い知恵、悪い知恵も集まる。昔の一軒家に黄色い配達牛乳の箱があったのを覚えている人はいるだろうか?(今思うと、あまり衛生的でもない気もするが)。 私たちは黄色い箱を目指して家々を回り、箱を開け、牛乳を飲んで瓶を戻す。コーヒー牛乳が入っていた時はみんな大喜び。ある日、見つかって怒鳴られた。のでやめました。 ②高校の頃の『いたずら』。以前にもこの場で書いた記憶があるが、放課後、毎日と言っていいほど、5、6人のメンバーで一人の家に集まっていた。この悪知恵の能力を、学業に上手に使っていれば鬼に金棒だったはず。が、私たちは “いたずら電話” にエネルギーを費やしてしまった。適当にダイヤル回して、出た相手に「巨大ガニがそちら方面に逃げているから、気を付けてください」「いーっぺぇ大根がとれたからよ、今から届けにいぐから、待っでて (すごい訛りで)」などなど、一人が電話で話し、他はスピーカーフォンで笑いを抑えて聞いている。今思うと、なんて失礼極まりない。2020年。あちこちに防犯カメラがあり、電話番号もすぐ調べられる時代。下手なことしたら、すぐ訴えられる。『いたずら』要注意!(お前が言うか!) (IE)
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(2020年4月1日号に掲載)
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▽COVID-19 … 当たり前じゃない日常が続く。自分と家族の命を守るのが最優先課題。緊張、忍耐、防衛への覚悟。トランプ氏の言う “We’re at war.” の意味がそこにある。しかも敵の姿は見えない。皆と団結して、この “戦争” にどうしても勝ちたい。▽私の父親は「家父長」たる権威を当たり前のように振りかざすカミナリ親父だった。私が幼少の頃、父は夜を日に継いで司法試験の勉強をしていた。不合格を繰り返すうちに神経過敏になり、人格も悪化するばかりで、少しでも物音を立てようものなら、ひどく怒鳴りつけられた。ある夜、斜め向かいの家が 小火 (ボヤ) を起こし、消防車がサイレンを鳴らして駆けつけると、窓をガラリと開けて「うるさい!やめろ!」と大声で叫ぶ。消防士さんたちは 唖然 (当たり前)。そんなオヤジの権威が失墜する瞬間がやってきた。ある日、母と妹が台所で夕食の準備をしていたら、特大のゴキブリが出現したらしく、恐れをなした2人はキャーキャー騒ぎながら逃げ回っていた。そこへ階段を降りてくる足音。鬼瓦 (おにがわら) のような顔がぬっと現れて「一体全体、何事だ!!」「ゴキブリ? いい年をしてうろたえるな!」と母を叱る。「俺が退治してやる」と台所に一歩踏み込んだまでは良かったが、ゴキブリが飛ぶという当たり前のことを知らなかった。 (SS) |
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▽「有り難い」の反対は「当たり前」。その昔、檀家の寺の住職が法話で教えてくれた。「朝、目が覚めることは、『当たり前』のことだと思いがちですが、朝になっても目が覚めず、そのまま亡くなる人も少なからずおります。日常生活を送っていると、多くのことが『当たり前』と感じますが、非常時になって初めて、わたしたちはその『有り難さ』を知るのです。この世界において、『当たり前』のことは何ひとつありません。すべては『有り難い』ことなのです」。村の小学校の仲間と一緒に、早く川遊びをしたくて、あくびをしながら聞いていた住職の言葉が、50年以上も経って聞こえてきた。▽「当たり前」と思っていた日々が突然、目の前から消えた。“対岸の火事” 気分でいたら、3月中旬、状況が一変した。社会インフラを支えて懸命に働いている医師、看護師、スーパーマーケットのスタッフの皆さんに感謝いたします。もし救いがあるとしたら、みんなが同じ思いをしているということ。朝が来ない夜はないと信じて、今、自分にできることを精一杯やっていきたい。▽『ゆうゆう』では毎週1回、ニュースレターを配信しております。新型コロナウイルス関連の救済措置などもアップデートしています。ご希望の方は http://bit.ly/2O0DZRm よりご登録ください。 (NS) |
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出勤して、仕事を終えて、気楽にジムへ行き、マーケット、いろいろなお店で買い物、お友達とハグしたり、 ハイファイブしたり、握手したりなど、、、、毎日のルーティーンで当たり前のようにやっていたが、先月から新型コロナウイルス対策で、サンディエゴは外出禁止令の生活に入った! 感染者と死者がどんどん増えているので、 外出や移動が制限・自粛され、社会や経済に与える影響は想像以上!何も考えずにしていた、当たり前のことができなくなるなんて、信じられないまま毎日を送っている。何もかも全てオンライン!プラスメール、電話、テキストの生活になった! このようなハイテク社会になる前の生活を思い出すと、結構、不思議な感じ。昔は電話が高くて、数も少なかった時代。別に不便と思ったこともなく、楽しく暮らしていたが、今では考えられないよね。特に若い世代には。ハイテクのお陰で、このような時期でも仕事が続けられることに感謝!私たちを支えてくれている方々に感謝!一日も早く、通常の生活に戻れるように祈っている!! (S.C.C.N.) |
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1か月前 (3月初め) には当たり前にしていたことが出来なくなった。毎朝、子供たちを学校にドロップしてから出勤する。必要なものがあれば、気軽にグロサリーストアや Target や Walmart などの店に寄る。週末は、友人たちとキッズを公園に連れて行ったり、家族でビーチに行ったり、動物園やシーワールドへ行く。たまには一人でカフェに行き、くつろぐ。。。すべてが当たり前の日常だったのに、COVID-19の感染が拡大するにつれ、学校はなくなり、公園、ビーチ、アミューズメントパークは閉鎖になり、食料品、日用品の買い物に行くのも大変+出来るだけ回避したいものとなった。今では、子供たちも毎日家にいるのが当たり前になりつつある。朝起きると、まず YouTube で Cosmic Kids Yoga。朝ごはんの後はアートクラス、それから勉強。勉強が終わったら Lego やブロック、人形やミニカーなどで室内遊び。飽きてきたら、タブレットでゲームやキッズショーを観る。これからディスタンスラーニングも始まる。皆でがんばって乗り越えて、一日でも早く元の生活に戻れるように願っている。(YA) |
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当たり前の日常が当たり前に続くことの幸せさ。忘れがちだけど、本当だなと思う。時として当たり前の日常は、前触れもなく突然寸断される。そんな時、当たり前の日常を送ることができていたことがいかに幸せであったかを思い知る。△母が深刻な病気にかかったと連絡を受けた時。両親はいつまでも元気にいてくれると安心しきっていた私は、一気に奈落の底へ突き落とされた。治療の甲斐もなく死に向かう母を前に、私は母と過ごした今までの時間に想いを馳せた。いろいろと衝突もしたし、ケンカもした。あまりの口うるささに閉口したこともしばしば。でも、私たちを愛情たっぷりに育ててくれ、頼りになる母だった。いなくなってしまって、母の存在の大きさに改めて気づく。母が亡くなって数年経つ。母のいない日常生活が当たり前になってきているような気がして複雑な気持ちだ。△新型コロナウイルスの影響で、当たり前だった日常生活を当たり前に送ることのできない状況が続いている。先が見えず不安が尽きないが、ここはもう自分にできることを真面目にやるしかない。手を洗う、外出はなるべく避ける、マスクをしてくしゃみや咳の飛沫を飛ばさない。そしてこんな時だからこそ、 周りの人への思いやりの気持ちを忘れないようにしたい。 (RN) |
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最近、私の周りで起きた、これが「当たり前?」と首をかしげたくなるような事実を紹介しよう。彼女は、日本からの弱冠25歳。外国の家庭で子どもの世話をする若い人たちを紹介する国際的なプログラム「Au Pair (オペア)」から送られてきた、大学出の日本女性。そのプログラムの応募者は、外国で一般家庭に入り、共に生活をする。食住、車+月々の給料が支給されるというもの。応募者は、給料をもらいながら外国生活が経験でき、その国の言葉も学べる、という一石三鳥、若人にとっては嬉しいプログラムなのである。そのプログラムから前述の女性が、私が仕事で関わっている家庭に送られてきた。彼女の到着当日、雇い主は空港に彼女を迎えに行く。すると彼女は「友達が今日、日本から着いているので、ホテルに送って行ってほしい」と、雇い主をタクシー感覚で使おうとしたというではないか。雇い主は勿論、即座に断った。その1、2か月後には、仮にも彼女にとってご主人様、雇い主の洋服を、寒いからという理由で許可も得ず勝手に着ていたという。これらは彼女にとって「当たり前?」なのか? 一体どういう感覚? どういう教育をされれば、こんなことができるのか?これが最近の若い日本女性の「当たり前」でないことだけを祈るのみである。アーメン! (Belle)(Belle) |
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1月あたりの編集後記を覚えている方は、いらっしゃいますかぁ。その時、わたしは、わたしには去年と同様、大事なミッションがあるとお伝えしてました。それは、、日本から持ち帰った健康診断用けXべX採取!(← あとで分かるよ 笑)。でも、昨今のコロナウィルス問題で、心はけXべXどころではなくなってしまった。まず、うXこするにもトイレットペーパーが限られているので、おちおち行けないし、1日に何度もするワケににもいかない。けXべXキットは、2つあるうちの1つは失敗済み (どうやったら失敗するのか 笑)。あと一度しかないチャンスを決して逃してはならない。もう1月から採取を試みているのに、3か月後もまだダメ。と、去年も同じ状況だったので、去年、↑の人に話したら「え?朝起きたら、ツルンと出ないの?」 と簡単そーに言うではないか。「それってみんなそうなの?」「そう」 「う、うそでしょー?!」・・・わたしの場合は、毎日出ないし、出ても、いつでもどこでも (笑) お好きな時間にひょっこり出て、起きてすぐに出ることはまずない。その時、朝べXが、世間一般では当たり前のこと、と生まれて初めて知ったのであった (おそっ! 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪) |
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Covid-19の影響で、数か月前には普通に会社に行き、普通に学校に通っていた人々の生活がガラリと変わってしまった。誰がこんなこと想像できただろう。娘たちは、毎日先生から送られてくる課題をオンラインでチェックし提出している。この影響で、家にいる時間が長くなったため、家族と過ごす機会が今までよりも多くなり、会話も増えたので、悪いことばかりではないが、やはり今まで当たり前に送っていた普通の生活が恋しい。外を散歩していても、人とすれ違いそうになると反対側の歩道へ移動する人もいれば、距離を置いて通り過ぎるのを待つ人もいる。スーパーに行けば、レジの人と客の間には透明のボードが設置され、フロアには距離を保つためのテープが引かれている。こんなにも人との距離を意識したことは今までになかった。Covid-19がいつか終息し、普通の生活に戻るころには、皆が人と距離を置くことが当たり前になっていて、果たして以前のような日常が回復するのだろうかと、ふと思ってしまった。屋外で人と挨拶を交わしたり、気楽に会話していた生活が、こうも変わるとなんだか寂しい。早く平凡な生活に戻れることを心から願う。 (SU)
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(2020年4月16日号に掲載)
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▽ COVID-19が収束していないのに不謹慎かもしれないが、後世の歴史家は “2020年春の記憶” をどのように回顧するのか考えてみた。 ヒントになるのは “1918年春の記憶”。世界で5億人が感染し、2,500万人が命を落としたスペイン風邪。驚くなかれ、第1波到来時の基本対策は今回とほぼ同じで、経済活動制限、ソーシャルディスタンシング、不要不急の外出禁止、自主隔離だった。徹底しなかったフィラデルフィアでは医療崩壊を招いた。 SD市 (当時人口約75,000人) の死者は366人 (致死率0.5%)。現在の人口に換算すると約6,800人となるが、医療技術の進歩 (ワクチン開発のスピード化など) もあり、もっと抑制されるはず。スペイン風邪の収束までに2年弱。あの惨劇を繰り返さなければ、歴史家は人類の叡智と団結力を讃えるだろう。 ▽ 夫婦の “2020年春の記憶” として誉め言葉と要望を伝え合う。非常時だから素直に聞くことができる。妻から私へ「意志が強いね。17年間ウォーキングを続けているのはエラい。8pm以降はヤメてね。一緒に食事できないから。たまに “史上最大のマイペース男” になるね」 私から妻へ「明るくて声が大きいから元気をもらえる。笑い声が3ブロック先まで聞こえるね。隣の犬が吠えまくるのは怖いからだよ。知ってた?」 (SS) |
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▽ 日本一の豪雪地帯、福島県の会津で生まれた。雪どけと同時に、春一番に顔を出すのがふきのとう。田んぼのあぜ道や土手に咲く薄緑色の芽を祖母と一緒によく採った。天麩羅、酢みそ和え、ほろ苦い春の使者が食卓に登場すると、田畑も、村も、人も、長い冬の眠りから一斉に目を覚ました。▽ 千葉に移り住んでからは、成田山新勝寺の節分会によく行った。著名人に会える「豆まきスポット」として有名で、大鵬、柏戸、大河ドラマの俳優さんを見るために、友達を誘ってお参りに行った。▽ 東京でひとり暮らしをしていた頃、春になるとストで電車がよく止まった。ストライキ中は会社が手配したホテルに泊って、これ幸いにと銀座の夜を楽しんだ。当時、高度成長と春闘のお陰で、毎年給与がうなぎのぼりに上がっていった。▽ サンディエゴの春のイベントといえば日本庭園のさくら祭り。そして、みなと学園の卒園式・卒業式、入園式・入学式。毎年、取材に行っているのだが、今年は中止になってしまった。まだ春が到来していないような気持ちになっている。 (NS) |
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通常なら、春は緑いっぱい、お花がたくさん咲いて、気持ちがとても良い季節。イベントも多く、家族連れ、友達同士で一緒に遊べて、旅行したり、ドライブしたり、野外活動したり、、、いろいろな楽しいことができる最適な時季。しかし、今年の「子年の春」はいつもの春とは違う、そして、みなさんにどんな記憶が残されるのかも想像できる。このスーパーパワフルなウイルスで全世界の経済が混乱、多数の死者が出て、感染者数も信じられないほど増える! 本当にスゴイ! 凄すぎ! 外出禁止令の生活をしているうちに、私たちを支えてくれている人々にもっと感謝しないといけない、尊敬しないといけない気持ちがどんどん強くなってくる。その反面、わがままで、自分勝手、ルールを無視、バカなまねをして、周りに迷惑をかける人々の行動を見ていられない! 目に見えないウイルスと戦うのが非常に大変で、難しいことは誰にも分かるはず。こんな大変な時期だから、お互い助け合うことができれば、この春こそ、素晴らしい記憶を共有できるような気がする! Be kind, be safe, be healthy! (S.C.C.N.) |
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8年前の春に家族だけのささやかな結婚式を挙げた。私の希望とベイエリア在の夫の親族の便利さを考え、サンフランシスコのフォートメイソンにある小さなチャペルを借りた。私と夫はサンディエゴから運転して行き、私の両親と妹は、日本からサンフランシスコに飛び、叔父叔母はアメリカ旅行の合間に参加してくれた。チャペル、ホテルの予約と12人乗りのバンの手配、自分のドレス、ブーケの用意は私がして、オフィシアントの資格を持った夫の叔母と義母が会場の下見、式の進行、音楽、装飾、ケーキ作りをすべてやってくれた。当日は、スーツに身を包んだ新郎自らが特大バンの運転手になり、ホテルに泊まっていた両親と私を迎えにきた。そこから違うホテルに叔父と叔母を迎えに行き、皆でチャペルへ向かった。言葉の通じない夫の親族と私の親族がバンの中で、身振り手振りで自己紹介をし合っていた。特大バンでサンフランシスコのきつい坂を上り下りし、バンプで揺れるたびにみんなで笑っていた光景が目に焼き付いている。 (YA) |
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△ 子供の頃、寒い冬に飽き飽きしてきた頃、近くの森や河原でツクシやフキノトウを見つけると、無性に嬉しくなったのをよく覚えている。私たち子供は収穫するのが楽しくて、次々とツクシを摘み取り、フキノトウをそっと土から掘り起こした。まだまだ冷たい空気を肌に感じながらも、春がすぐそこまでやってきているのがわかり、ワクワクした。家に持ち帰ると、母や父が、それらをきれいに洗って、ツクシはおひたしに、フキノトウは甘辛の味噌煮や天ぷらにして美味しく食べた。ヨモギもよく取りに行った。母がヨモギ餅を作ってくれたっけ。春の記憶として蘇るのは、満開の桜より、断然フキノトウやヨモギ。地味だな〜(笑)△ サンディエゴに住むようになって、春といえば、あちこちに咲き乱れる花々の強烈な鮮やかさが真っ先に頭に浮かぶ。道路脇やキャニオンが色とりどりに染まり始めると、春が来たと思う。ピンク、オレンジ、黄色、紫色 …、見ているだけで元気が出てきそうな色だ。△ 先日、実家の父と話そうとビデオチャットをかけたら、父は森にいた。私たちが子供の頃から全く変わらない森の中のスペース。誰にも邪魔されず版画の制作が進むらしい。取り留めのない話をしていると 「ホーホケキョ♪」 とウグイスの鳴き声が聞こえてきた。春だな〜。 (RN) |
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春と言えばもちろん、さくら。サンディエゴでもバルボアパークで桜が見られるが、日本の、あの何とも言えないほのかなピンク色の染井吉野ではなく、ピンク色が強い種類の桜で群生もしていないから、あまり花見に行きたいという気にならないのが、残念だ。それならやはり日本だ!と数年前、桜の季節をめざして帰国。青春18切符を購入して、わが故郷の福山の福山城から始まり、岡山の津山 (鶴山公園)、山口の岩国(錦帯橋)、そして四国の香川は高松城の桜と、一生分の見事な満開の桜の花見遊山。各地へ赴く車窓からは、見事な花吹雪も 堪能した。しかし桜の季節は、まだ少し肌寒いことが多い。私は日本では20人弱の小さな出版社に勤めていたが、桜の季節になると、誰が一番乗りで半袖を着てくるかという競争が暗黙の内にあった。毎年、その競争には勝ちたいが、しかし、ちと寒い。やせ我慢をしなければ、半袖は着られない。そこで、とっくり首の半袖のセーター、暖かそうなモヘアの半袖セーターなど、半袖一番乗りを果たすため、毎年、厚手の半袖のセーターが一枚ずつ増えていく。というわけで、私の春の記憶と言えば、半袖のセーター。ここサンディエゴでは、それらのセーターをほとんど着る機会がなく、箪笥の肥やしになっているのが、ちと残念である。 (Belle) |
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わたしの実家は愛知県春日井市という田舎町で、市のお花は、桜。春になると、実家の門に樹齢50年近くなる桜の木が満開の花を咲かせて、誰も申し出ないけど 笑、近所の人たちはぜったい毎年見惚れているハズ 笑。田んぼの向こう側の家なんか、縁側からとっくり片手に花見してんじゃないのー?くらい、桜は遠くからも見える (どんな田舎? 笑)。それもそのはず、市のお花のくせに、うちの周り半径500Mには桜が見当たらなーい。こんな素敵な大木なのに、区画整理によって伐採されちゃうのー! 公園になるんだから、残せばいいと春日井市に訴えたわたし 笑。そしたら、家族ぐるみで“静かにしていなさい” と怒られた 笑。もうこれは、わたしの大好きな番組 “探偵ナイトスクープ” に依頼して桜を救ってもらうしかない!と家族に言ったら、番組のこと誰も知らないし 笑。皆さん想像してみてよ。樹齢50年の桜が公園に残ってて、近所の人たちが今度は堂々と (笑) お花見を楽しむのと、ただの広場になっているのと。わたしは記憶だけでは物足りないわ。と、桜を公園に残し、さらにはわたしの名前を “XXX贈呈樹” と入れてもらうべく 笑、リモートで根回しをする日々であった 笑。あ、わたしの去年の春の記憶は、けXべX (去年の号見たらわかるよ 笑!)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪) |
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春と言えば入学、卒業のシーズン。出会いと別れの 『涙』 のシーズンだ。小学、中学、高校、短大と4回も卒業式を経験しているが、私はその 『涙』 とは無縁だった。卒業式で泣いている人がとても可愛く見えた。友達と抱き合って涙をこぼし、男の子たちに「お前、何泣いてんだよー」 と言われている女の子が羨ましかった。私も可愛く見られたかったので、作戦に出る。親が命に関わる病気になったこと、彼氏に浮気されることなど、悲しい出来事を想像してみたり、目を見開いて、瞬きをしないで “眼球乾燥” をしてみたりと、涙を絞り出そうとしたが、一粒たりとも出てこなかった。やがて、そういうことをしている自分が可笑しくなって、卒業式の最中にニヤニヤしてしまう始末。そうなるとおしまい。泣いている先生を見ても可笑しい。「何回も卒業式を経験しているのに、毎年泣くのかね?」と非情なセリフまで出てしまう。しまいには、中学2年の時の一級上の先輩の卒業式。友達から「式終わったら、先輩たちが ○○ (私の名前) のこと、卒リン (卒業リンチ) するってよ」 と聞かされ、学校が終わった途端に、 速攻、 逃げるように帰ったこともある。私の春の記憶は淡いピンク色とは無縁だ。 (IE)
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(2020年5月1日号に掲載)
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▽COVID-19の感染対策に各国の国民性の違いが見られる。米国:CDCがWHOより早く第2波の到来を警告し、第1波より壊滅的な被害が出るという最悪ギリギリのシナリオを提示した。自由を尊ぶ米国民に適切な行動を選ばせて全体の利益 (安全) を守るため、厳しい見通しを正直に伝えるという「現実主義」。日本:ギリギリまで緊急事態宣言を出さず、発令後は政府の要望を聞かない業者の実名を明かすという「恥の文化」の制裁法。ドイツ:大枠で徹底した対策を早期に実施し、1週間40万件ものPCR検査を進め、ベッドを空けた病院への補助金 (集中治療ベッドの新設に1床580万円相当!) を出すという用意周到ぶり。ギリギリの窮地には絶対に陥らないというメルケル首相のリーダーシップが光る。死者も米、仏、伊と比べて1桁少ない約6,800人 (5/1現在)。さすが「統制の国/規律の国」。▽ 時間的、精神的に追い詰められるのは好まない自分だけど、中学校時代は “滑り込みセーフ” の毎日。自宅と学校の距離が遠くなり、全速力で走る遅刻ギリギリの登校を繰り返していた。そんな日々を送っていたら、脚力がついて、学年1、2位の韋駄天になり、一躍、運動会の花形に!(これ実話!)「ギリギリの恩恵」をありがたく受けた。 (SS) |
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▽新宿発深夜スキーバスに乗った途端、お腹が痛くなった。冷や汗が出て痛みは増すばかり。緊急停車してもらって、ギリギリセーフ。大きな料金所の地下には事務所とトイレがあることを知った。以来、コーヒー牛乳は飲まないようにしている。▽子どもの頃から先延ばしが得意で、ギリギリで頑張るタイプだった。夏休みが終わる頃になると、慌てて友達の家に行って、絵日記の天気を写させてもらっていた。大人になってからは、締め切りこそ守るものの、お尻に火がつくのはいつもタイムリミット寸前。ギリギリが嫌いなのに、自らそのギリギリを招いている。▽モノの本によると、締め切りに追われない人は、集中力を高めるきっかけを多く持っているとのこと。時間を管理するのではなく、集中力を管理するのがカギらしい。「もっと早くやっておけばよかった」ではなく、「もっと集中すべきだった」ということだ。▽「もう本当にギリギリよ。1,200ドルもまだ届かないし、先月申し込んだ失業保険の連絡もないし・・。子どものオンライン授業も見てあげないといけない・・。とにかく、コロナに感染しないようにしないとね・・」 。シングルマザーでがんばっている友人から電話があった。自粛が長期化して、先の見えない日々にストレスがうっ積する。ワクチンや治療方法が開発されて、事態が早く収束しますように。 (NS) |
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“ギリギリ” が大嫌い! 余裕を持っていろいろな事をするのが私の性格。だが、旦那は私と正反対で “ギリギリ”の人。例えば、DMVからスモッグテストの通知が来たら、私の場合はすぐ車屋さんへ行き、スモッグテストを受ける。その後、DMVにonlineでお金を払い、手続きを完了する。旦那の場合、deadlineのギリギリ前にスモッグテストを受ける。パスできなかったらどうしようと、いつも私はドキドキ。もっと早めにすればいいのにと私は思う。里帰りの時も同じ。母国の台湾と“第2故郷” の東京へ行く1か月前から、お土産の準備、荷物の用意、会う友人との連絡取り、現地でのプランなどをし始める。出発の3日前に全て準備完了、そして再確認! 旦那の場合、出発のギリギリ前日に部屋中ぐちゃぐちゃにして、スーツケースの2倍ほどの着替えを出し、クールな顔をして「はい、用意ができた!」と。。。その後、私が彼の着替えをキレイに畳んで、何とかスーツケースに収める! “ギリギリ” は心臓に負担が掛かり過ぎ、もっと余裕を持ってもらえたら、と思うけど、無理だろうなぁ〜。。。 (S.C.C.N.) |
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コロナウイルスの影響でいろいろなものが手に入りにくくなった。ハンドサニタイザー、トイレットペーパーに始まり、3月は、米、パスタ、乾燥豆類や缶スープなどの保存の利くもの。4月は、皆がお家でベーキングを始めたのか、小麦粉やイースト菌が手に入らなくなった。うちは夫も私も普段からよくパンを焼き、お菓子も焼くのだが、イースト菌が手に入らないとパンが膨らまない。小麦粉はあるのだが、イースト菌はもうぎりぎりだ。そこで、サワードウスターターを始めてみた。小麦粉と水を混ぜて、瓶に入れて室温に置いておくと、発酵してパン種ができる。手順通り、毎日かき混ぜて、スターターの半分を取り除き、新しい小麦粉と水を追加 (エサやり) している。実は、今回が3回目の試みだ。1回目のは手順がうまく呑み込めていなくて、スターターの動きがなくなり失敗。2回目のはエサを早くやりすぎて、どんどん微妙になり、匂いもイマイチになり諦めた。3回目のは今日で6日目だ。順調に育っているはず。スターターが瓶ぎりぎりまで膨らんだら完了! サワードウブレッドを焼くのが楽しみだ。(YA) |
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もう何度もここで書いているが、我が家の雄猫CCは、家の中に入ってきたいとき、鳴いて知らせる、に加えて、網戸を 「ギリギリ」と引っ掻いて知らせる。夜中に、私たちの寝ている寝室の窓の網戸を背伸びして引っ掻いて「入れろ、入れろ」と要求する。お陰で、網戸は引っ掻き傷だらけの悲惨な状態。数か月前に、家の中から外に出ようと、その網戸に自分が通り抜ける穴も作ってしまってある。夜中に私(その音で起こされるのは必ず私)が起きてわざわざ扉を開けに行かなくても済むよう、穴からCCが自由に出入りできるよう、猫用の梯子を作ろう、と夫が提案。冗談かと思っていたら半ば本気らしい。でも、うちの庭にはスカンクもアライグマもオポッサムもやって来る。CCじゃなくて、他の野生動物がひょっこり入ってきたらと思うだけでNO!である。放っとけばよいと言われるのだが、眠りの浅い私はちょっとの物音でもすぐ起きてしまい、入れてほしい〜と要求する猫を無視して眠れない。なので、夜中の猫の出し入れ、しばらく続きそうである。 (RN) |
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私はこのテーマをもらって、すぐさま頭に浮かんだのが、語呂合わせか? イソップ物語の一つ『アリとキリギリス』。暑い夏に、来る寒い冬に備えて、せっせと働き、食糧を蓄えているアリをよそに、遊んで暮らすキリギリス。やがて冬が来て、お腹を空かせたキリギリスが、アリに食べ物を乞う。そこでアリは「夏は歌っていたんだから、冬は踊っていれば」と突き放し、キリギリスは飢え死にする、という話だ。このことから学ぶ教訓が「備えあれば憂いなし」であるが、私はアメリカに来て、びっくりしたことの一つが、アメリカ人の、何も考えていなさそうなお金の使い方である。かつて評論家の竹村健一氏がよく言っていた「日本の常識は世界の非常識」、まさにそれである。稼ぎはそれほど悪くないと思える人たちも、給料前にはピーピーしている。それでもギリギリの生活にならないのは、最終的にはクレジットカードがあるから。彼らは蓄えがないことなど少しも気にならないようなのだ。蓄えの代わりにクレジットカードをバンバン使って、その場、その場で楽しく陽気に過ごす。誰かが言っていた。「アメリカ人、備えもなければ、憂いもなし」。イソップのキリギリスの時代にもクレジットカードがあれば、ギリギリで死ぬことはなかった? アーメン。 (Belle) |
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最後に長距離を走ったのは高校の10Kmマラソン大会くらい (笑) (記録=400名中25位!笑) の、わたしが、唯一駆ける場所・・この状況で、今はあまり行かない空港。なぜでしょう (あ、なんで空港に行かないのか、じゃなくて、走るのか、ね 笑)。搭乗時間がギリだから (笑)。この距離が程よくなが〜くて、よく走るのよ。空港はちょっとした街の大きさよ。空港ロビー → チェックインカウンター → セキュリティー → 搭乗口。バルセロナ空港のカウンターで前に並んでいたスペイン人が、子犬を入れていたバッグの形がダメと言われ、空港からわざわざ出て買いに行った。“げっ、わたしも遅いのに、この人絶対間に合わないよ” と、可哀想に思っていたら ・・ 「君、これダメだよ」・・ 実はESTAみたいなのが必要と言われ、空港備え付けのコンピューターでこの場でしなさい、と。「えー!」あまりに焦って、スリがぜったいいそーな混み合った空港のカウンターに赤いリュックサックを置いてきてしまった! 見つけてから走りまくって搭乗口に直行、ギリギリだった! かなり速く走ったよ。でもなんと! 例の子犬の人が新しい子犬バッグを持って、わたしより先にいた! なぜ? ギリの世界の中でも彼は上手だったわ。感心。← というか、もっと早く行動しろって話よ (笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪) |
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考えてみれば、通勤、通学など、朝に割と強かった私は、常に余裕を持って自宅を出て職場に向かっていた。通勤をしていた頃は、最寄り駅から会社へ向かう途中のスタバでコーヒーを飲んで、一息ついてから出勤する時間の余裕があった。子どもができてから仕事は在宅になったが、申し訳ないことに、仕事の締切はいつもギリギリになってしまう。なぜだろうと考えた。まずは、年のせいか、徹夜が利かない体になった。夜中の1時半を回ってしまうと、たとえパソコンに向かっていても、いつのまにか同じキーを押し続けて目を閉じている。座っているだけで、実は何もはかどっていなことに気づき、あきらめて数時間寝てから、翌朝に仕事を再開する。しかし、朝は朝で、朝食の準備、子どもを起こしてご飯を食べさせる、着替えと歯磨きなどを始めるまでうるさく言い続ける、オンライン授業の勉強をさせるなどして、ようやく自分の仕事に戻ると、今度は子どもが 「リンゴ切って!」「喉が渇いた!」「Mathが解らない!」 など、次々と用事を増やしてくれる。そうか・・いつも仕事が締切ギリギリになるのは子どものせいだ。そういうことにしよう・・。 (SU) |