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東京郊外に暮らしていた40年ほど前、伝説の中華料理店『喜楽』があった。激安で食材を惜しまず、味も格別というピカイチの店。本物のカニを使った豪華な五目炒飯が好きだった。ボリュームもスゴい。1品がドンブリ2杯分! 餃子1皿で20個! 店内はカウンター席のみで、ほぼ全員が常連客。『喜楽』で食事をする時は、当日の朝昼食を控えるなど、完食できるよう体調を整えてから出かけた。「持ち帰り」は許されなかった。そこに、頑固一徹で無口な店主の心意気が感じられた。「最高の素材、最大の量を出すから、見事に平らげてくれ」という、無言のメッセージが —— 。カウンター越しの調理場には強面 (こわもて) の店主と若いコックの2人だけ。店主は若いコックを「小僧」 と呼び、その扱い方は粗暴だった (今ならパワハラか)。「お客さんを待たせるな、小僧!」 客の前で店主の怒号が飛ぶ。ある時、「仕事が遅いぞ、小僧!」と小突かれたコックがキレた。「オレは腕2本しかないんスよ!」彼の右手にはキャベツを切っていた包丁が! 客は「これはヤバイ」と固唾 (かたず) をのんでいたが、突然、コックが「オレが悪かったス!」と詫びを入れた。ふと見ると、店主の大鍋には鶏の唐揚げに使う大量の油がグラグラと煮立っていた。究極の大サービスが祟ってか、数年後に『喜楽』 は姿を消してしまった。 (SS) |
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▽日本に里帰りした時に、友人が「まじ、面白いから行こーよ」と、小学校居酒屋『6年4組 渋谷分校』に誘ってくれた。店内、料理、BGMなど全て “あの頃” を思い出させるものばかり。あげパン、わかめごはん、ソフト麺など、懐かしの給食メニューを楽しんで、ランドセルを背負って写真を撮りまくった。「学校でビール、やばくない! 抜き打ちテストもあるんだって! この店で、同窓会やろうよ! 絶対やろう!」と友人が異様に盛り上がっていた。このユニークなお店は全国展開しているそうで、本店は笑いの聖地、大阪とのことだ。▽その昔、友人のピンチヒッターとして2週間ほど、夜のバイトをしたことがある。現役の女子大生が働くスナックで、自然体の接客とトークが楽しめる店という触れ込みで人気だった。品川という土地柄もあって、若さを注入され、笑顔もツヤツヤになったところで、お店を後にするビジネスマンが多かった。学費が足りずに大学を中退したママさんが立ち上げた店だけあって、“大学&バイト卒業” への思い入れが皆、強かった。「掃除は上から」「挨拶する」「時間守る」「公私混同しない」など、皆、社会人としてのマナーをビシバシ叩き込まれた。あれから40年、あの店は、皆の心のオアシスとして今でもキラキラ輝いているように思う。 (NS) |
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つい最近、千葉で暮らしている “日本のお母さん”、金子おばさんに会ってきた。考えてみたら、おばさんと最初に出会ったのは23年も前のこと! 日本語学校の3か月と大学留学の4年間、学校の近くにあるおばさんのアパートを借りていた。あの時、日本舞踊の先生だったおばさんはいつも着物を着ていて、昼間はアパートのすぐ隣で 「山崎パン屋」さんもやっていた。学校から帰ってくると、おばさんはいつもパン屋さんで誰かとお喋りしていて、お茶を飲んでいた。通りに私の姿を見かけると「ちょっと入って!」といつも声をかけてくれた。あのパン屋さんで皆さんとお喋りをしたり、パンを食べたり、お茶を飲んだり、、、本当に楽しかったし、暖かい日本人と出会えたことに感謝! そして、日本語もそのため、短期間でかなり上達した! 大学卒業と同時に就職先の社員寮に引っ越した。その後、おばさんの足が悪くなり、あの店をクローズ。私の日本の青春はあの店にあって、おばさんとの長いお付き合いもあの店からスタート。あの店は恋しい! けど、おばさんに会えるだけで嬉しい! そして、元気で長生きしてもらいたい! (S.C.C.N.) |
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2009年頃までOld Town内にあったハンドメイドソープ、アロマ、コスメ&ボディケア製品のお店 “US House Apothecary & Soap Shop” がお気に入りの店だった。家から近く、オールドタウンの裏の駐車場 (空いている!) から歩いてすぐのロケーションが便利だし、こぢんまりしたお店の中は、いつもアロマの良い香りがしていた。手作り石鹸は多種類あり、大きさも選べて、店の奥にはハーブピローが置いてあった。いろいろな可愛い木綿や、麻の布で作られた長方形のものから、ネコや犬をかたどったものまであった。温めて使うハーブショルダーピローもあって、試してみると肩こりに効きそう〜 そして良い香り〜 いつか買いたいなと思っていた。そのお店でリピートしていたのは香りの良い Rosehip Water のアイクリーム。お手頃価格でたっぷり入っていて、伸びが良く、しっとりしたクリーム。毎日ふんだんに使っても半年もっていた。いつもアイクリームがなくなる頃 (半年に一度) にお店に行っていたので、ある時、行くと無くなっていた。ショックだった! あれから、まだ気に入るアイクリームに出会えていない。 (YA) |
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日本の実家に帰省すると、必ず滞在中に数回は食べに行くラーメン屋がある。家から近いというのが一番の理由だったりもするのだが、 ラーメンも餃子も美味しい。外観も内装もコテコテの、日本全国どこにでもある中華ラーメン屋なのだが、他とちょっと違うところがひとつ。ラーメン屋というと、ワイドショーやら野球の試合をテレビで流していたり、テレビがなければ、歌謡曲やポップミュージックなどの音楽を流しているのが定番だと思うが、この店は、いつ行ってもクラシック音楽が流れている。このことを教えてくれたのは父。「あの店に行くと、クラシックミュージックがちょうど良い感じの音量で流れていて、ゆっくりとラーメンが食べられるから好きなんだ」と。店にかかっている音楽なんて、私は父に言われなければ気づかなかったかもしれない。モーツァルトを聴きながら、ニラレバ定食。なかなか良い! カウンターの向こうのキッチンで物静かに調理をしている店主らしき初老の男性。ラーメン店の常識(そういうものがあるかどうか知らないが)をものともせず、自分の好きな(と勝手に解釈している)クラシック音楽を頑固一徹に流し続ける(と、これまた私の勝手な想像)店主さん、私の父のためにも、これからも商売繁盛で頑張ってください! (RN) |
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私には、私の人生を賑やかにしてくれた、忘れられない「あの店」がある。20代の後半、地下鉄に乗っていた時のこと。あるインド人が英語で私に話しかけてきて、しどろもどろで応え、10分ほどで彼は下車。その際、私に名刺をくれた。「へえ~インド料理屋さんか」。半年後にその店に行ってみると、当時はマネージャーだった彼は私のことを覚えていて、日本語で「マガジンの人ですね」。なんだ、日本語はできるじゃん! それ以来、その味の素晴らしさも相まって、その店に通い続けることに。週5回なんてこともざら。そんなことがきっかけで、その人と、当時日本に来たばかりの弟と友達になり、私の女友達と4人でよく遊んだもんだ。このインド人と知り合ったことで、私の世界も大いに変わった。彼らのパーティーに招かれ、インドの世界を垣間見ることもできた。こういうことがきっかけで、インドにインド料理を習いに行くことになり、結果、インド料理教室も始めて、私の人生にバラエティを添えてくれた。私が知り合った頃は東京赤坂に1店だけだったが、その後、最多で全国に10店舗も開いたこともあった。その店は、今や皇后となられた雅子様も外務省時代に行ったこともあるという 『MOTI』。もちろん、今でも新橋、赤坂、六本木、二子玉、横浜で営業、繁盛している。 (Belle) |
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イノシシ鍋は聞いたことあるし、食べたことある人もいるよね。でも、イノシシのお刺身って、聞いたこと、食べたことある? これが、なんとも言えず美味い! しかも、石垣島のイノシシではなく西表島のほうが美味い!って沖縄の人 (西表島の人 笑) が言うのよ。狩猟できる期間が決まっていて、なんと解禁日ちょうど過ぎたときに、西表島のお船のガイドさんにイノシシ刺しの話を聞いた。すっごい獣の味がするって (ひえーー!)。でも、他に比べるものがない美味さだって。・・・食べたいけど、イノシシ刺しは公で販売されるものでなく、猟師さんからもらうものなんだって。下船すると、すぐ島で聞き込み調査を開始。観光案内所へ直行 (笑)。去年はあの店で出してたな、おととしはあの店・・なんて感じで、今年の流通事情は分からない、ので、観光局の人が心当たりあるお店に片っ端から電話してくれた。あったのだよ。うっしっしっしー! 自転車で島を横断し、その店にまっしぐら。禁酒時代的な島の人だけが知る、隠れ家的な所を想像してたら、お店の外壁にでっかく “イノシシ入荷!”。そして、イノシシのかわいいイラストが! 笑。密かに取引してるんじゃぁないのね。他でも探したけど、あの店にしかイノシシ刺し置いてなかった。 恐るべし石垣島! (食したのは石垣島のイノシシ 笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪) |
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▽私は『食』にあまり興味がないので、グローサリーショッピングが苦手だ。しかし、家族の食事を作るための主婦の仕事の一部。店内でのマニューバを考えての買い物リストは必須。通路、配置は頭にある。大体は店内、右から入りのマニューバだ。なので、Vons、Costco、Target、Walmart ...「ここの店」じゃないと勝手が悪い。そして、チェックアウト。素早い動きのキャッシャーの顔を記憶。チットチャットが多いキャッシャーはごめんだ。そして、ハシゴは2件まで。仕事帰りの旦那を使うことも多々。週末の戦場 Zion に行く人の気が知れない。▽地元に大好きなディスカウントストアがある。『HERO』。店内は床にも商品が並べてあって、ストローラー突入なんてもってのほか。店内に “カメラがあんたを見ているからね!” という、盗難防止の手書きのサインが何枚も貼られているような少々小汚い店なのだが、安い! ヤバイくらい安い! すごくお得な買物をしたと優越感を感じさせてくれる、この店『HERO』。同僚RNさん、隣の中学校出身。RNさんも『HERO』好き? (IE) |
(2019年7月1日号に掲載)
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アメリカ生活を始めた頃、僅か5年間で3台の中古車が危機的な壊れ方をした。1台目はワシントン州でアイスバーンに車輪を取られ、FWYの中央分離帯に車両後部をぶつけて The End。2台目は購入して1週間後に盗まれ、事故車となって乗り捨てられていた。すぐに盗難届を出していたのが幸いだった。警察から車両登録者の私に連絡が来て、当て逃げ (hit-and-run) の容疑で出頭要請を受けたが、盗難届の受領日時から潔白が証明された。恐怖のドン底に突き落とされたのは3台目。FWY-163を走行中、アクセルを踏んでいないのに、ビューンと時速80マイル近くまで勝手に加速してくる。アクセルが戻らないだけでなく、ブレーキも効かない! ダウンタウンは目前。慌てた私はギアをニュートラルに入れ、惰性走行に変えて減速させようと必死だった。力一杯サイドブレーキを引きながら、人のいない歩道に乗り上げてエンジンを切り、危機一髪で難を逃れた。アクセルが戻らず減速不能に陥る状態は、制御基盤の故障、ブレーキオイル漏れなどの不具合が重なった珍しいケース。こんな車はこりごりと思い、何が原因かを追究せずに、不気味さを残したまま廃車にしてしまった。排ガスチェックのみで車検義務のないカリフォルニア州。中古車だけは入念に点検すべきだ。 (SS) |
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▽先日、パソコンが壊れた。半日いろいろ試してみたが直らないないので、リペアショップに持っていった。トラックパッドを交換して無事復活。パソコンも、人間やペットと同じように 「熱」や「湿気」が苦手らしい。PCが壊れまくる季節が到来。新しく我が家の一員になった猫のように、涼しい場所で大切に触っている。▽最近、筋肉女子に変身しようと、ジム通いに励んでいる。キーワードは超回復。運動によって壊れた筋肉は、破壊 ⇒ 休養 ⇒ 再生を繰り返して、元の状態よりも太く大きくなるらしい。壊れた筋肉が超回復するためには24〜48時間、休息を取る必要があるらしい。あれ、毎日筋トレしているムキムキマンは間違っているのかと思いきや、「今日は上半身」「明日は下半身」というように、毎日違う部位をトレーニングしているそうだ。今日もひとりライザップ、がんばるぞ。▽壊れかけた夫婦関係を修復させた友人がいる。旦那が大病で入院して、泣くだけ泣いた後、人生のあらゆる試練を楽しみながら乗り越えていこう、と思うようになったとか。「全ての物事には価値があり、表面的には、失敗・挫折・不運のように見えることも、全て自分の成長のために用意されている順調な試練」と考えることができれば、障害は試練に、試練はチャンスに変わるような気がする。 (NS) |
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先月、父との中国上海の旅+台湾里帰り+東京の3週間の休暇を取った。サンディエゴの良い気候と違って、3つの国とも蒸し暑く、暑かったり、寒かったり、雨が降ったり止んだり、、、そして、スケジュールがキツ過ぎたために "慣れていないアジア風邪" を引いてしまって、体を壊した! 父との中国旅行はまぁまぁ良くて、体調も大丈夫だった。台湾滞在中に軽い風邪を引き、治りかけだったが、東京に着いた2日目から完全に down.....(!_!)。楽しい旅行のはずなのに、熱が出て、食べられず、飲めずの状態で毎日寝込んでいた。本当に悲しかった! 日本の友達とワイワイしたい、美味しいものをたくさん食べたい、いろいろな所を歩き回りたい、、、全部パー(!_!)。そして、サンディエゴに戻ってきたと同時にラップトップが壊れた(!_!)。1週間の修理期間を要したけど、ラップトップは元気に戻ってきて、私の体調も少しずつ回復してきた。今度は身も持ち物も壊れず、リラックスできる楽しい旅をしたい! (S.C.C.N.) |
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陶器、磁器やガラス製の食器や小物入れが好きだ。食卓に素敵な食器が並ぶと料理も美味しそうに見える。10年ほど前に『Whittard of Chelsea』 というイングランドの紅茶屋さんが Horton Plaza にあった。そこで一目惚れして購入したポーセリンのティーポットにティーカップ&ソーサーは今でも大事にしている。夫に「全然使っていないから要らないんじゃない?」と何度も言われたけど、気に入っているので持っていたい。子供が産まれてから、家の食器類はプラスチック製のものが増えた。落としても壊れない、軽くて手入れも楽なプラスチックのお皿にボールにコップ。見た目はイマイチだが実用的だ。同じ年頃の子供がいる友人は、最近プラスチック製の食器は処分して、子供にも普通の食器を使わせるようにしていると言っていた。あえて割れ物を使わせて、気をつけて扱うように練習させるとのこと。なるほど〜。それは良いアイデアだなと思うのだが、うちはまだ親が用意できていない。この間5歳になった娘にポーセリン製のおもちゃのティーセットを買ったので、まずはそれで壊れ物に慣れてもらおうと思う。 (YA) |
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生きてきて数十年。振り返ってみれば、壊れた、壊した、壊されたものは数知れず。その中からひとつ。まだ結婚したての頃、夫とタンデムバイクに乗りに行った時、家から30マイルほど離れた場所で自転車のチェーンが壊れた。タイヤのパンクぐらいなら修理キットでその場でパパッと直して、はい終わり!で済んだけれど、壊れたチェーンを直すには持ち合わせていないパーツが必要とのこと。夫の知っている自転車屋があるということで、自転車を2人で押しながら歩き始める。だが、バイク用のクリップオン式の靴を履いて、自転車を押しながら歩くのがあんなに大変だとは知らなかった。汗だくになるし、足は痛くなるし、自転車屋は遥か彼方だし、いつしか2人の間に険悪な雰囲気が漂い始める。無言の夫の背中を見つめながら歩くこと1時間あまり、店が見えた時は心の底から嬉しかった。お目当のパーツも無事手に入り、修理して、また自転車をこぎ始めた時はホッとした。困難を一緒に乗り越えた後は、気分爽快。あーだこーだ、またいつものように、たわいもないおしゃべりに花を咲かせて、楽しく帰途についた。壊れたチェーンは無事直り、私たち夫婦の関係も壊れずにすんだ出来事でした (笑)。 (RN) |
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私の持論。形のないもの、例えば愛情、友情などだって平気で壊れるのだから、形あるものは、無論壊れる。特に電気製品などは、 10年ほどで壊れるように作ってあるそうだ。壊れないと、メーカーは製造販売台数が見込めないからだ。瀬戸物、ガラス類は、大事に大事に扱えば一生ものだが、得てしてそういう訳にはいかない。つい、手が滑っただの、縁が欠けただの、落としただの。私はそういう時は、「あ、これでまた新しいものが買える」と逆に喜んだりする。長く使っていると、食器などは結構飽きてくる。以前と趣味も変わってきているのに、収納場所の関係もあり、買い替えの思い切りがつかない、という時などに壊れたりすると、「やった~!」。そうやって、モノが壊れるのはいいにしても、人間が壊れるのは怖い。ある日、知り合いが完全に壊れて、いわゆる精神病院に入院したことがあった。付き添いで行ったその病院で、若い女性が「911、911」を繰り返しながら、廊下を行ったり来たりしている。ぞっとした。私の知り合いもそうだが、彼らは何があって壊れちゃったんだろう? しかし救いは、モノや情と違って、彼らは回復する、できる。私の知り合いも、そんなことなどなかったかのように、元気に働いている。 (Belle) |
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私の歯は、歯並びは悪い方ではないし、どちらかというと、ニッポンの一部の女優さん方よりは美しい (笑)。昔、ティファナの矯正歯科に通ったおかげ? (でもない・・な 笑)。しかし、奥歯で何が起こっているかというと・・歯が欠け、ほっといたら、眠ることもできないほど激痛が走り、ガマンし、その後、痛みが突然治まった。歯医者さんの友達に喜んで伝えると「それ、神経が壊れたんだよ。ほっておくと膿むから神経抜かないとダメ!」と忠告を受けた。それから10か月・・痛くはないけど、絶対歯がおかしい。ムズムズする。本格的に壊れる前に奥歯を救出せねば、、で、来ちゃったよ、久々のティファナ歯医者の冒険記~! 神経抜くって大きな治療でしょ・・が! なんと! 街の工事の影響で、水がないと言われ (ワオ 笑)、うがいは、、持参のペットボトル (笑)。でもって、治療椅子が壊れた (え? 笑)。モーターが壊れたようで、ついでに唾液吸引器も動かない (笑)。ツバは溜まるし、うがいする度に自力で腹筋をし、起き上がり、ぺっぺっ (ワイルド 笑)。興味津々で同席した友人H部長は、まさかのまさかの光景にビビり、先生に目で訴えたらしい (笑)。先生は、両手を宙に浮かせて “壊れたからしょうがないでしょ” ポーズをさらっと見せたって (笑)。・・っていうか、なぜ、今壊れた? (爆) (りさ子と彩雲と那月と満星が姪) |
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最近、車と車庫を壊してしまった。毎朝、子供たちを車で学校へ送り、午後2時50分に迎えにいくのだが、この日は迎えに行く時、家を出るのが少し遅れてしまった。急いで車に乗り込み、車内から車庫のシャッターが開けられるように設定したボタンを押し、勢いよくバックした。すると 『ガガガガッ … ギギー!」と激しい音が聞こえてきた。車庫のシャッターがまだ開ききっていなかったのだ。ヒエ〜! 時間がなかったので、シャッターを開けたまま子供たちを迎えに行き、帰ってきた後、とりあえずシャッターの開閉ができるまでは直した。しかし、夫が仕事から帰ってきて、リモコンでシャッターを開けたら、閉まらなくなってしまった。今度はどのボタンで操作してもウンともスンとも言わなくなってしまった。翌日、車庫の修理屋さんが来たが、車庫の開閉用の機械本体を替えないとダメだと言われた。古いから寿命だろうとも言われたが、多分私がぶつけたことで寿命が縮まったのだろう。2度あることは3度ある・・。一度で2つ壊れたわけだが、車庫と車、あと1つくらい何か壊れそう (壊しそう) な気がして、ビクビク生活している。 (SU) |
(2019年7月16日号に掲載)
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夏に『遭遇』のテーマと来れば “納涼怪談” と相場が決まっている。高校時代に旅した青森・下北半島。20分で「本州最北端の碑」に行けると聞き、夕暮れに友人と大間崎 (おおまざき=碑のある岬) を目がけて一本道を歩き出した。到着して碑の脇から眺めるサンセットの見事さを心に刻み、帰路につく。やがて異変が … 。途中の集落を過ぎ、歩き続けていたら、再び同じ集落が出てきたのだ。一本道なのにおかしい … 。すると、私たちの背後から、タバコを燻 (くゆ) らし、笑いながら独り言を呟 (つぶや) いて近づいてくるオジさんがいた。手ぬぐいのハチマキ、半天、雪駄という姿。道を尋ねたら「オレについてきな」と言う。夜の帳 (とばり) が下りて静寂が広がる中、オジさんの姿が忽然と消える。戻れたのは深夜。心配した旅館の人達が総出で待っていた。・・下北半島の霊場「恐山」。 宿坊を出ると、友人の1人が意味不明な言葉を発して前後不覚の状態に陥った。「水が欲しい」と必死に訴える。慌てた私たちは前方の小さな店に飛び込んだが、7〜8人の女店員さんがケラケラと笑っているだけで (またも不可解な笑い)、私達には目もくれない。正気に戻った彼を連れて宿坊に戻り、翌日に再び行ってみると、そこはクモの巣に覆われた廃家だった。・・“遭遇” してしまったのかな? もう下北半島へは行かない。 (SS) |
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▽インターネットに初めて遭遇したのは、1990年代の初めの頃だった。共同通信社LA支店の方が日系のIT企業に連れていってくれて、いろいろ見せてくれた。「スゴいでしょう! 世の中、激変しますよ」の言葉どおり、インターネットはありとあらゆる面で私たちの生活を大きく変えた。▽そのインターネットを駆使して、15歳の少年がすい臓がんの早期発見を発明したそうだ。ジャック・アンドレイカ。慕っていた親戚のおじさんがすい臓がんで亡くなり、ネットを使って調べ続けたとのこと。ジャック曰く 「インターネットを使えば、何でもできます。自分の変顔写真をアップする以外にも、もっと良い使い方があることに僕は気づきました。皆さんも世界を変えられるかもしれませんよ」。▽還暦を過ぎた頃から、全ての遭遇は特別で素晴らしいものだと思えるようになった。祖父母、両親、義理の姉、親戚、恩師、友人、知人が亡くなり「人は老い、やがて死に行く」という現実を目の当たりにして、逆に、ヒトと関わることの大切さ、愛おしさに気付かせてもらった。自分が今存在しているのも奇跡で、また誰かと遭遇できたのも奇跡。さらに、一期一会の精神に立った時、その奇跡はさらに大きなものになるような気がする。 (NS) |
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《その1》アメリカの友人Gさんが日本人の彼女と初めて一緒に日本へ遊びに行った時、新幹線から降りたら、自分の財布が無いことに気がついた。どこで無くしたか、盗まれたのか (?) も全然分からなかった。旅行中にこんなことに遭遇するなんて運が悪い…とショックを受けた彼は、ダメ元で、とりあえずその駅の駅員室へ行った。何と、誰かがその財布を駅員室に届けてくれていた!「日本は本当に素晴らしい国!」と感動してアメリカに帰ってきたGさんは、あれから何回も日本を訪れた。《その2》前の家は Balboa Park のキャニオンから近いため、いろいろな野生動物がよく庭にやって来た。何と “きつね家族” に遭遇したこともあった! ある晩、外でキャーキャーと人が騒いでいて、家の外へ出てみると、ガレージの上に狐が5匹座っていた! 2匹が大きくて (親きつね?)、3匹がとても小さいきつね。「ええっ?」とびっくりした! 生まれて初めてきつねを見た! 我が家の庭に出入りしていたきつね家族は2週間後に完全に姿を消した。キャニオンに戻ったのかなぁーと?? (S.C.C.N.) |
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私が小学生のころは、野良犬に遭遇することが多かった。家は学校から一番遠い地域にあった。真面目にさっさと歩くとそんなに掛からないのだろうけど、やっぱり小学生。遊びながら、だらだら道草しつつ歩くので、登下校に1時間くらい掛かっていた。草花を摘んだり、虫を見つけたり、石を蹴ったり、もういろいろ。捨て犬、捨て猫にもよく遭遇していた。たびたび家に連れて帰っては、母親に飼えないと言われ、泣く泣く諦めるか、こっそりと飼っていたりもした。従姉妹たちと、こっそり隣りの家の木材置き場 (不法侵入!) で飼っていた子犬は、すぐに母に見つかって叱られた。その後、その子は祖父母の家で飼ってもらえることになった。口の周りが黒く、白足袋を履いた赤毛の雑種犬で「リキ」と名付けられた。でも、すぐに手遅れの寄生虫の病気が見つかり、大きくなる前に死んでしまった。悲しかった。他にも、よく野良犬や捨て犬に遭遇したが、みんな人懐っこい子たちだった。良い人に保護されて幸せな〝犬生〟を送ったことを願う。 (YA) |
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サンディエゴに住み始めて、遭遇した野生動物たち。△スカンク。初めてスカンクの噴出する分泌液の匂いを嗅いだ時は、その悪臭さに衝撃を受けた。遠くに歩いているのを初めて見た時は、感激した。ガレージに迷い込んできたのと遭遇した時は、恐れおののいた。つい先日も、夜更けに庭に続く戸を開けた状態で猫と戯れていたら、暗闇から何かがこちらに向かって歩いてくる。何かと思って目を凝らしたらスカンクだった。すんでのところで戸を閉めたが焦った。あのスカンクの目的は何だったのか? △オポッサム。初めて遭遇した時、私もびっくりしたが、向こうもびっくりして目の前でパタンと倒れた。ショック死させてしまったのかと焦ったが、それが死んだふりだとわかり、安心した。△コヨーテ。この子との遭遇も衝撃的だった。猫を食べているところを目撃してしまったから。近所の人は飼っていたマルチーズを目の前でさらわれたことがあるらしい。△アライグマ。自分の家の庭で初めて見た時は嬉しかった。親子と思われる数匹のアライグマたちの愛嬌のある仕草が可愛かった。△ゴーファー。前庭が荒らされているなと思っていたところ、穴を掘っている現場に遭遇。穴から土が飛び出してきているので覗いてみたら、ゴーファーが顔をひょいと出し、目が合った (笑)。 (RN) |
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このテーマから誰もが思い浮かべるのは、スピルバーグが1970代後半に作った『未知との遭遇』であろう。この映画はSFであるが、私の人生に “未知” ならず「未来との遭遇」とも呼べる出会いがあって、その遭遇に導かれるようにして、私はこのサンディエゴにいる、という実話をご紹介。姉がスイスにいた関係で、出版社を退職後、すぐにチューリッヒに飛んだ。翌日、姉と行ったアムステルダムでの話。ある日曜日の人通りのない交差点を渡ろうとすると、反対側から来る男性と遭遇。交差点の真ん中で「中国人?」「日本人?」と声を掛け合い、お互いに「ノー」。ここから始まる物語である。彼はシンガポール航空の機長であった。この遭遇がきっかけで、私はシンガポールに1年滞在する機会を得た。その数年後。アメリカの住宅の紹介という急な取材のため、渡米を迫られた。運よく、シンガポールで知り合った駐在員の奥様だった人がサンディエゴにいた関係で、私はその方に助けてもらい急きょサンディエゴに。この仕事が縁?となり、私はサンディエゴに住む選択肢が生まれた。全く考えもしなかった人生展開である。あの時の遭遇がなければ、私はサンディエゴのサの字も知らず、全く異なった人生を送っていただろうに…。ああ、なんと遭遇の素晴らしいことよ! (Belle) |
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会った人の顔をまったく覚えてないことが多い (笑)。ハッキリ言って失礼なヤツ (笑)。「初めましてー」と明るく挨拶した後に「以前会ってるよ」「えーー! あの ーー・・どちらで?」と、なるわけよ。つい先週、ティフアナの歯医者シリーズ2回目の帰り、巷 (ちまた) でヒップなフードトラックや飲み屋さんが軒を連ねている一角にブラっと立ち寄った。神経治療後に (いいのか 笑) ウマいサングリアをガブガブ飲むぞ (いいの? 笑) の勢いで1軒目へ。その時! カウンターの店員さんが順番を待っているわたしを指して「あなたのこと、知ってるわよ!」だって。「えーー、ウソでしょ! わたしはあなたを知らないよ (出た 笑)」「だって、異国の地で誰がわたしを知ってるのよ!?」「あなた Encuentro Guadalupe のバーで写真撮ってたでしょ!」・・・ひえぇー! 思い出した! このティフアナ人は、3年ほど前に『ポケット サンディエゴ』の取材で (飲みに 笑) 行ったエンセナダのワイナリーのバーで、バーテンダーをしていて、わたしに何杯もワインを注いでくれた女の子だああーー! しかし・・わたしって、そんなに飲んだくれたっけ? 本人も覚えてないことを、他人が覚えてくれてるだなんてーー。どこで誰と遭うか分からないから、これからはもっとお行儀よく飲みます! (そこ? 笑) (りさ子と彩雲と那月と満星が姪) |
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短大を卒業した後、東京のある大学病院の外科医局で3年間働いた時の『遭遇』話。 ① 外科医局は別館の3階にあった。エレベーターを待っていたある日のこと。ドアが開いた。そこには2人のナースとご遺体が! ボディバッグに入っているので、一目瞭然。「すいません、次にします… 」 その時、初めて知った。別館の地下が霊安室ということを。予測していなかった、一瞬の強烈な遭遇。 ② 医局員とは言えども、いろいろな科に同期がいる。内視鏡室の同期から「元首相の 〇〇さんが大腸鏡しに来たよ! 普通のおっさんだった (笑)」とか、外来のナースから「西城秀樹(故、涙)が来たよ」とか、内線で連絡が来る。いいな~、私も遭遇してみたかった! ③ 別館の4階は会議室。ある日、「今週は4階、立ち入り禁止」という連絡が来た。な、なんと、病院を使ってドラマ撮影があるというではないか! 主役、沢口靖子! 会議室は俳優の控室に! 私の頭上にくつろいでいる沢口靖子がいるのね! いつもなら別館にめったに来ないナースたちも、何かと都合つけて別館にやって来る。「見た?」「いや、まだ見てません」「行ってみようよ」「じゃ、チロっと行ってみます?」 結局、厳重警戒で沢口靖子とは遭遇できませんでした … チッ。 (IE) (SU) |
(2019年8月1日号に掲載)
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3つの小事件。▽30数年前に参加したハロウィーンのカボチャ彫りコンテスト。日本の 「般若の面」 に似せて彫った (はずの) 私たちの作品は、いくら探しても展示会場に見当たらない。失敗作と勘違いされて、無惨にもゴミ箱に捨てられていた。▽ ゴマに似たメキシコ産の植物の種「チアシード」は栄養素の宝庫。“奇跡の植物性タンパク質” と呼ばれるスーパーフード。健康オタクの私は水に浸けて戻し、ヨーグルトに入れて食べる。プラスティック容器に保存していた大量のチアシードを稼働中の掃除ロボット 「ルンバ」 が全部ひっくり返してしまった。始末が大変と困惑している私を尻目に、ルンバは規則正しく、せっせと “自助努力” を続け、見事なまでにキレイに片付けて事件解決。何事もなかったように充電ドックに戻っていた。感動モノ。▽ グローサリーストアで安いスイカが大量入荷していると、大好物だけに、分別なく7〜8個まとめ買いしてしまう。2週間分の食料と日用品で、車に積み込むスペースが足りず、身動きが取れない。スイカを助手席とヒザの上にも乗せて発進しようとすると、アラームが車内に鳴り響く。仕方がないので、助手席のスイカにシートベルトを掛けて家に戻った。 (SS) |
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今となっては笑い話だけど、あれは事件だった …。▽「ただいま〜!」と帰ってきた支店長に、元気よく「おかえりください〜!」 と出迎えてしまった。▽ 銀行員時代、社員食堂に行くエレベーターを待っている間、同僚と一緒に天井に向かってジャンプ。平和な行内に非常ベルが鳴り響き、シャッターが一斉に閉まった。▽ 新宿発深夜スキーバスに乗った途端、お腹が痛くなり、冷汗が出て痛みは増すばかり。緊急停車してもらって滑り込みセーフ。大きな料金所の地下にはトイレがあることを知った。▽ 夜行寝台列車「サンライズ出雲」の個室は暗証番号が設定でき、キーロック可能。練習したにもかかわらず、なぜか開かない! 開かない! 廊下で寝るわけにもいかず、長〜い車両を延々と車掌室まで歩き、また、長〜い車両を引き返して、ドアを開けてもらったが、番号キーが苦手になった。▽ 代謝の落ちた60代。健康診断にも行かず、壊れた体重計をそのままにしていたら、コツコツ減らした体重が徐々に戻って、気付いたら驚異の70kg超え。さすがに命の危機を感じたので、ジム通い&ダイエットに励み、毎日、体重計に乗って一喜一憂している。▽ 先月、10日くらいの間にモノが次々壊れた。パソコン、DVR、電子レンジ、食洗機、洗濯機、スマホ、掃除機 …、カラダは壊れないようにしたいと思った。 (NS) |
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昨年まで住んでいた家はアップタウンエリアにあった。近所のほとんどの家は、この数年間で短期滞在宿やホステルにどんどん変わっていった。ネイバーよりもいろいろな “旅行者” が出入りすることが多くなり、そしてホームレスもそのエリアでウロウロしている。今までは、生活に最高に便利なエリアで環境も良かったが、状況がかなり変化してきて、様々な問題が出てきた! 身の安全のため、夫が家の周りにセキュリティカメラを付けた。ある日、警察の車が何台も家の前に止まって、黄色のテープが貼られ、人もたくさん集まっていた。夫と外に出てみたら、何と刺傷事件が家の前の交差点で起こったらしい! 刺傷されたのはホームレスっぽい人。逃げた犯人はラテン系の男性。「もしかして、その事件が我が家のセキュリティカメラに映っているかも。。。」と思って、夫が警官に話した。警官が数時間かけて画面を見て、全部映っていた事件現場と過程をコピーした! かなり時間を要したが、家のセキュリティカメラのお陰で、あの犯人が逮捕された!!(S.C.C.N.) |
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小学生のころ、毎日のように、隣りに住んでいた年の近い従姉妹たちと遊んでいた。小学生でも平凡な毎日を繰り返していると、ちょっとしたスリルが欲しくなる。当時流行った(?) 「114」 に電話をして受話器を置くと、すぐに電話がかかってくるが、 取ると無言という “おばけ電話” を楽しんでみたり、エンジェルさん(狐狗狸さんと同じようなもの)をしたり、オカルトな遊びでスリルを味わっていた。そんな私たちにとっての “大事件” は 『1999年に地球が滅びる。』:ノストラダムスの大予言。「ゆうちゃんは25才、ようちゃんは24才、あきちゃんは22才、ゆかちゃんは20才。みんな20代で死ぬなんて、私たち可哀想。わぁ〜、二十歳の時に地球が滅びるなんて、ゆかちゃん(← 私の妹)が一番かわいそ〜!!」と言って、一番チビの妹を怒らせていた。当時の私にとって、24才はすごく大人で、想像もつかない先の話のはずだったのに、あっという間に何事もなく“地球も滅びず”20年が過ぎた。今は事件もスリルも欲しくない、平和・平穏に毎日を送っていけることが幸せだと感じるようになった。 (YA) |
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我が家の居候猫 (♂ 年齢不詳) は、体重15パウンド。ずんぐりむっくりの体に、垂れ下がったお腹がトレードマーク。鋭い眼光で、ぱっと見は意地悪そうだが、実はものすごーく優しくて甘えん坊な可愛い子である。近所に本当の飼い主がいるのだが、どういうわけか我が家が気に入り、今ではすっかりうちの猫になっている。この子がうちに出入りするようになって半年くらい経った頃、事件が発生! 朝、外出しようと玄関を開けると、扉のすぐそばに死んだネズミが横たわっていた。私は思わず、ギャッと後ろに飛び退いた。私たちの目に必ず止まることを期待するかのように、きちんと置かれたかわいそうなネズミ。これはもしかして噂に聞く、猫からのギフトなのか?! そして、その翌週、今度は一回り大きいネズミの死体・・・。2〜3週間置いて、今度は鳥の無残な姿が・・・。捕った獲物を私たちのために持ってきてくれているらしいが、こちらは大迷惑。そして、忘れた頃に、今でもこの死体遺棄事件は勃発する。事件発生のたび、ギャーギャー騒ぎながら、かわいそうな遺体を箸でつまんで処理する私たち。全く褒めもせず、猫の威信を傷つけているかもしれないが、そんなことはどうでもよい。ギフトはもういりませ〜ん。(RN) |
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私は普通の人はこんな目には遭わないだろう、と思うような多くの事件を経験してきている、いわゆる「事件の女」。「どうして、人生こうなるのん?」。日本でサラリーマンをしながらこつこつ貯めてきた、新車のベンツが買えるほどの大金を騙されたり、この国でもその半額ほどの詐欺に遭ったり。しかし、しかし、人生の最大の事件は入国拒否という、そんな目に遭った人はほとんど誰もいないという、人生の一大事件。ビザ問題を抱えていた私は、ある知り合いに弁護士を紹介してもらい、その弁護士にビザの更新を依頼したのが大間違い。この国に来たばかりで、その弁護士がビザに詳しくないということも知らなくて、言われるままにお金を払ってしまった。で、ティファナでは何のビザの更新もできないということも知らず、ティファナの米領事館へワーキングビザの申請に。もちろん却下。そのパスポートを持って、次は弁護士のアドバイスに従い、I-20を取って学生ビザの申請。当然却下。パスポートに 「Reject」 の2スタンプが押されたまま、国境の移民局に行ったら、残り2週間のアメリカ滞在許可も没収され、入国拒否処分。目の前が真っ白という表現があるが、まさにそのまんま。生きた心地がしなかった。もう、これからの人生は穏やかに穏やかに。事件はいらな~い! (Belle) |
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私の服のサイズは子供サイズ (10才女子用 笑)。なので、あまり子供っぽくなく大人が着てもオッケーで、気に入ったお洋服はなくなる前に速攻で購入する。で、この夏めっちゃ暑いじゃあないですか。それにピッタリの木綿の可愛い、しかし大人っぽいスカートがあって、ちょうどいいと思ってパームスプリングス (ど暑い砂漠 笑) に着て行った。大きなイベント会場で、その可愛いスカートとジャケットですましていた私。そしたら、斜め前に座っていた知り合いのおばさんが 「パンツ、見えてるわよ」 「は?」 なんと、スカートの横にあるチャックが全開。だから下のパンツ、まるみ〜え 笑。その場はスカーフを腰に巻いてセーフ、だったわけで、、。でも、ホテルに帰って、無理矢理チャックをあげたら、下がらなくなったわけで。。そのまま寝た 笑。その会場で同じメンバーと丸3日間くらい顔を合わすのだけど、スカート下がらない = スカート脱げない = 同じスカート3日間 = 寝るときも一緒 笑。家に帰ってからチャックが緩くなったのか、やっと脱げた! でも捨てるのはイヤだから、器用なSCCNしゃん (↑) に直してもらっちゃった〜。よ! 一件落着〜(というか3日3晩同じ服は、“事件“ というか “普段“ ? 爆)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪) |
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事件なら毎日のように起こっている。しかも、大体同じような事件の繰り返し。そして、事件を起こしてくれるのは7歳と9歳の娘たちである。1日1回は聞こえる悲鳴や泣き声。それらを聞いた私はすぐに現場へと駆けつける。現場では、右腕の内側に赤くつねられた痕があり、泣いている次女と、怒っている長女。何があったのかは知らないが、次女をつねったのは長女なので、まずは、手を出した長女を叱る。その後は2人から事情聴取。話を聞くと、ケンカの原因はゲームアプリだったようなので、原因となったゲームアプリ、すなわちタブレットそのものを即、没収し、反省するまで返さないことになった。すると、大泣きして私に反抗してくる次女。「もうケンカしないから〜! 約束するから〜!」 とお願いしてくるが、何と言おうとも、タブレットは翌日までおあずけとなり、とりあえず仲直りさせて一件落着。このようなやりとりは、これまでに何回も繰り返している。そして昨日、夕飯のオムライスを作っていた私のところへ長女がタブレットを持ってきて、写真を見せてくれた。その時、私が手を滑らせて、タブレットを出来上がったオムライスの皿にガシャーン!と落としてしまった。皿は見事に砕け、夕飯は作り直しとなった。目眩がするような事件だった。 (SU) |
(2019年9月16日号に掲載)