July 5, 2025

北米各地を車で旅した若い頃は、フリーウェイよりもローカルの州道が好きだった。オレゴン州道97号線を北上し、ワシントン州道2号線でカスケード山脈を通り抜け、カナディアンロッキーの “氷河ハイウェイ” を涼風に吹かれて飛ばしていく道中は、まるで風景画の中をドライブしている気分。景観は劇的に変化するし、広葉樹と針葉樹の分布境界にも気付かされて面白い。一方で、ローカルハイウェイでは想定外の事態にも遭遇する。ネバダ州道95号線でファロン海軍航空基地の近くを旅行中、1機の戦闘機 (ホーネットか?) がバックミラーに映し出された。軍事演習場から離れた公道上空にもかかわらず、その機体は低空飛行を始めたかと思うと、私の車の上を轟音とともに掠 (かす) め去り、再び高度を上げる。すると、はるか先の上空で旋回し、今度は正面から同じことを繰り返して姿を消した。イラク戦争時に、米軍機が敵の装甲車をピンポイントの精度で撃破する映像を CNN で何度も見たことがあるが、それこそ私の車を標的にして、機銃掃射の空射シミュレーションをしていたに違いない。私は逃げることもできず、恐怖と困惑の真っ只中に。田舎道をトボトボ走っている中古の民間車を相手に攻撃練習をする非常識ぶり。どういう了見なのかと腹も立った。 (SS) 
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▽初めての海外旅行がアメリカ留学で、そのままアメリカに移り住み、日本への里帰りが唯一の旅行となっている。訪ねたのはアメリカと日本だけ。リタイアしたら世界中の友人知人を訪問してみたい。▽日本へ里帰りする度に、男やもめの父を誘って格安ツアー旅行を楽しんだ。『はとバス 草津温泉日帰りバスツアー』は1人7,980 円。草津の一流ホテルで会席料理を堪能して、源泉かけ流しの天然温泉に入り、湯畑を散策した。『クラブツーリズム ゆったり沖縄4日間』もお薦め。飛行機はJAL で、ホテルはAクラス、全食事込みで1人74,900 円。パック旅行は、日程さえ合えばとてもおトクだ。▽「この観光バスに乗っている人たちはね、みんな幸せな人たち・・・」 と、旅先で父がボソッとつぶやいた。青空の下を歩くとか、知らない土地を旅するとか、それだけで凄いこと。できない人にとっては奇跡に近いことなんだと、無言で教えてくれた。▽「遺影(いえい)にするから、もっと笑って! お父さん!」「こんな感じか、イエーイ! 道後温泉の前でふざけて撮った写真が遺影になるとは思わなかったけれど、旅の本当の素晴らしさを教えてくれた父に感謝したい。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 日本の東京エリアに8年半ほど住んでいた。留学時代は大学の春休み、夏休みと冬休みの長期休暇を利用して、台湾からの観光客をガイドする添乗員のバイトをしていた。その仕事のお陰でバイト代が貯まったし、いろいろな観光地へも無料で行くことができた (^-^)。観光客に人気の大阪、京都、奈良、名古屋、、、関西地方の観光地はもちろん、四国も瀬戸大橋が開通してすぐに行ってきた。箱根から青森までの有名な観光地や温泉巡り、青森から北海道までの海底トンネルも出来て間もない時に行っている( かなり感動!)。函館の素晴らしい夜景、おいしいラーメン、アイヌの人たちとの出会い、、、私にとって本当に最高の体験で、ベストバイトだった。いろいろな所へ行っていたのに、東京の面白い、楽しい、珍しい、美しい場所はあまり分かっていないようで、日本に詳しいアメリカ人の旦那に東京を毎回案内してもらっている。これからも楽しい旅ができるよう期待している。 (S.C.C.N.)
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yoko 手のかかる幼児が2人いて、時間にもお金にも余裕がない今は、旅といえば、日本へ里帰りか義父母に会いにいくのがそれにあたる。夫の母、父、兄、叔父、叔母は皆ベイエリアに住んでいるので、頑張れば車で行ける。だが、私の小型車にはスペースがあまりない。家族4人で乗り (後部座席はカーシート2台でいっぱい、いっぱい)、小さなトランクはストローラーと小さめのカバンでいっぱいになり、もう何も乗せられない。仕方がないのでルーフバッグを買って、全ての荷物を車の屋根に括り付けて出掛ける。朝の3 時に寝ている子供たちをパジャマのまま車に移し、あらかじめトランクに詰め込んでおいたルーフバッグを夫と2人で車の屋根に設置して出発する —— 旅の始まりだ。子供たちが目を覚ます7 時頃には渋滞する LA も通過しているので、余裕で1回目の休憩をとれる。そんな感じで、お昼過ぎには目的地に到着する。大変だけど、これはこれで楽しい。ただ、長〜い運転道中、畑と道しか見るものがないのが残念だ。 (YA)
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reiko-san △子供の頃、夏休みに島根の父の実家に泊まりに行っていた。東京から寝台列車ブルートレインに乗っていくのがお決まり。大荷物を携えて乗り込んで、自分たちの寝台を見つけて一息つく頃、列車が動き始める。楽しい旅の始まりにワクワクしたのを覚えている。夕食は食堂車で。流れ行く外の景色を眺めながら、レストランで食べるような食事を取れるのが格別で、大興奮。寝台スペースは、カーテンを閉めると自分だけの個室になり、弟と部屋を共有していた私にはそれも特別だった。振動や、駅に停車する度に聞こえてくるアナウンスなどを遠くに聞きながら、眠ったり起きたりを繰り返していたような気がする。寝台車の中はよく覚えているのに、目的の駅に着く頃からのことは何も覚えていない。興奮の連続と睡眠不足で電池切れになり、記憶が消滅したらしい。△初めて一人でタイに旅に出たのは20 歳の時。成人式に着る振り袖代の代わりに、旅費を援助してと親に頼み込んだ。外国に一人旅なんてと最初は母が渋ったが、どうしても譲らない私に根負けし、許してくれた。多少のハプニングはあったが事故事件にも遭わず、楽しい旅だった。今、娘を持つ身となり、この子が一人で旅に出るなんて言い出したら、私もきっと大慌てするだろうな。親の苦労子知らず、である。 (RN)
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suzuko-san 以前、この類のテーマの時、幾度となく書いたが、私は無類の旅好きである。とりわけ世界に出て行く旅が。人生初の海外旅行は、当時1ドルが360 円時代、クルーズ船でグアムへ行く、しかも船上のバンドの一員として…であった。私自身はバンドのメンバーではなかったが、友達がバンドでベースを弾いていたことから、話が回ってきて、半額で行けるというので、11日間の船旅を楽しんだ。その3 か月後、ケンブリッジで2 週間の英語研修を含むヨーロッパ1か月間の旅で、私の海外旅行への欲望に火がついた。以来、昨年夏にコスタリカへ行くまで、世界のどれだけの空港に足を踏み入れたことか…。その自分への疑問に回答すべく、実は、これまでの海外旅行の歴史をコンピュータに入れて記録しようと一念発起し、過去ン1十年分の手帳と10 冊近くはあるパスポートを整理して、まとめ始めている。私は出版社勤務だったのに、これらのお金はどこから回ってきたの?と、自分でもびっくりするほど行っている、行っている。サンディエゴ住まいになってからは、時間に余裕のある生活をしているので、お金の都合さえつけばゴーサイン。これからもイケイケどんどんのノリで、世界探検シリーズは続くのである。 (Belle)
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jinnno-san だいすきー! すきすきすきすきすきー! 何がいいかって、異文化に触れて、自分も異人さんになれる気分 (笑)。そして、向こうもわたしも初対面、何があっても笑い話! いやぁねー、この内面から湧き出る充実感というか、後の後まで残る経験力は、ずっと体に焼き付いていーる! 一番おもしろい時間帯は、夜の飲み屋関連 (わたしは男、か? 笑)。コスタリカでは:超イケメン男友達と飲みに行った帰りに、芝生を見つけたので2人で大の字で寝た、ら、朝日が昇ったころに、なんだかザワザワしてるので起きてみると、周りに牛がいっぱいウロウロしてた 笑。マドリッドでは: 持っていた携帯を奪われる!(自分では笑える ← 笑)。年始の沖縄では:ガイドブックに載っていた飲み屋へ行く途中、ビール200 円の看板に惹き付けられ、中に入ったら、もうそこはパラダイス! なんと! カウンターには取っ手の付いてない蛇口があり“ ひねるとじゃーじゃー出る泡盛 600 円” と! まさかと思って頼んでみると、、取っ手が出てきたー! 蛇口に付けてみると、、、ジャージャージャー!! 泡盛がーー ! 目的の飲み屋には辿りつけず … 笑。 沖縄は、異国だったー 笑! (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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友達の○○ちゃんとは何度も旅行した。 ①サイパン編。職場に電話かけてきて (その頃は携帯がないので、本当に職場ライン)「雑誌 Fine で読者モニター募集していて、旅行代を雑誌が半分以上持つから、安くサイパンへ行けるの。この前、海で撮った二人で写ってる写真、送ってもいい?」と。「そんな話、後でいいだろう…」と思いつつ、長話もできないので「あー、いいよ。勝手にやっちゃって」 と答え、即切り。そして…なんと選ばれちゃったのだ! 思わずスタッフに「風間トオルは来ないんすか?」「来るわけねぇだろ!」。後から雑誌が送られてきた。私、載ってるじゃん! けど、たったの見開き2ページ ( 笑)。②バリ編。格安旅行パッケージ… それが間違った選択だった。ホテルが泣きたくなるくらいボロだった (涙)。ホテルで過ごしたくないので、朝から晩まで外に出ていようと頑張った。おかげで、いろいろな所を観光できた。③その○○ちゃん、筋肉が衰えていく国指定の難病になり、現在は車イス生活。帰省の度に会いに行くけれど、毎回彼女が言うには「 若い時に、一緒に旅行たくさんしていてよかった。今の私には絶対無理だから」。私も○○ちゃんと一緒にいろんな所に行けて、本当によかったよ。 (IE)


(2018年5月1日号に掲載)

頑固

一度決めたことは変えたくない性分だ。最近、その傾向に拍車がかかり、加齢とともに「ガンコじじい」路線をまっしぐらに 突き進みそうなので、何とかしなければならない。▽夕暮れ時のウォーキングを始めて15年。3.5マイル (約5キロ半) / 75分のルートを毎日歩く。仕事の都合で時間帯が午後8時以降にズレ込むと「 一緒に食事できない」と妻から苦情が出る。私「健康寿命を伸ばすための有酸素運動。サボリ癖が付くので1日も休めない」。妻「 嵐だろうが、雷雨だろうが、意地になって歩くのは頑固というより、もはや病気。XX通信社さんから頂いた紅白の傘を差して歩くのだけはヤメよう」。 ▽賞味期限切れの食品に敏感になり、冷蔵庫を覗 (のぞ) き込んで、飲み残しの牛乳パックに話しかける。 私「 お前もあと3日だな」。うっかりして消費する順番を間違えようものなら、ひどく後悔する。妻「食べても死なない。逞 (たくま) しく生きてほしい」。▽早起きになった。1日の始まりは、明け方に前庭に出て、 仁王立ちで新聞配達を待つこと。配達時刻が10 分以上遅れて、待ちぼうけを食わされると不愉快になるが、腕組みをしながら、暗闇の中でひたすら待ち続ける。妻「弁慶か? 薄気味悪い」。 
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私の父は頑固だった。自分の考えを決して曲げない人だった。故郷の会津から千葉に移り住み、商店街に店を 出した時の「みかじめ料」 (反社会的勢力に支払う場所代 ) にまつわる話は、今でも我が家の語りぐさになって いる。「郷に入っては郷に従え」と、他の商店街のオーナーたちも、母も、祖母も、兄も皆、口を揃えて「払った方がいい」と説得しているにもかからず、「道理に合わない」と言ってチンピラが取り立てにくる “ 用心棒代” を払わなかった。そのうち嫌がらせが始まると、父はひとり、幹部の家に乗り込んでいった。そして、 その日以来、チンピラはもう商店街に現れなくなった。その晩のことを語る人は誰もいないが、 19歳で学徒出陣してシベリア抑留を体験した「一度死んだ身」の父にとって、怖いものは何もなかったのだと思う。敗戦で価値観の転換を経験した人間の戸惑い。それを乗り越えた人間の覚悟。「世の中のこと、人間のことをよく知り、自分の頭で考え判断する人間になってほしい」。無口で頑固だった父親から、そんなバトンが手渡されたような気がしている。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 物を使ったら、必ず元の場所に戻す。汚したら、必ず綺麗にする。約束したら、その約束を必ず守る。お金の余裕がなかったら、買い物をしない。自分の意見を相手に必ず伝えること。自分のベストを尽くすこと。。。。。 こんな素晴らしい考えを持っている私なのに、なぜか "頑固頭" とよく言われている (笑)!? 夫によると、 私は "かなりキツイ性格" をしていて、相手が自分の考える通りに行動しないと気が済まないらしい。そう思っ ているのは夫だけかも (笑) ? まぁ、確かに「ジュースを持ってきてくれる?」と夫に頼んで、 持ってきてくれたのはいいけど、いつも使っているコップと違う、いつも飲む量より多い。。。 つい、ムっとした顔で文句を言ってしまう。なぜ  "Thank you!" と素直に言えないのだろう? きっと、それが私にとっての "ルール違反" だからだ! ちょっとした小さいことでもそこまで気にするし、気になる自分はどんどん疲れていく。周り (特に夫?) の人々も影響され、疲れるかもね。もう少し、この頑固さから解放されないとね。。。 できるかなぁー? (S.C.C.N.)
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yoko 子どものころ、母からよく「頑固な子」だとか「強情な子」だと言われていた。自分では、普段、人の意見に流されやすい性格だと思っているのだが、どうなんだろう。アメリカに2年間の約束で留学しに来て、 結局、居着いてしまったのは、やっぱり「頑固で強情」だからなのかな。もうすぐ4歳になる娘の性格がとても強い。2歳上の息子は、赤ちゃんのころからおっとりしていて、育てやすい子だったのだが、娘は生まれた瞬間からすごかった。「ギャー」っと大声で泣き、翌日、ナースが見回りに来て、検診のために抱き上げる度に、真っ赤になって怒って泣いていた。本当にいつも怒って泣いている赤ちゃんだった。しゃべれるようになり、自分の意思が伝えられるようになってましになったのだが、やはりちょっとしたことですぐに怒って、癇癪を起こす。口も達者だ。そして多分、娘と似た性格らしき夫とぶつかる (3歳女児と喧嘩しないでほしい)。ティーンエイジャーになったらどうなるのか、今から不安だ。 (YA)
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reiko-san 自分はいつも正しいと思っている人、明らかに自分が間違っていてもそれを絶対に認めない人。そんな困った頑固な人と接するたび、「あー疲れる、なんとかならないのか、この頑固な人」なんて、思ってしまうのだが、そんな自分にもけっこう頑固なところがあるということに気がつき始めている。私は自分はなかなか柔軟な考え方ができるタイプで、自分と異なる意見の人とも衝突せずに仲良くやれると思っていたのだが、よく考えてみると、そんなことはなかった。自分がどうしても受け入れらない意見を持つ人とはやんわりと距離を置き、自分の周りからその人の存在を消してしまっているのだ。その人が私の気に障るようなことを言ってきても、ハイハイと聞いておきながら、耳から筒抜けで心に留めないようにしているのだ。それってよく考えると、頑固の塊 (かたまり) のような気がする。自分が正しくて、この人が言ってることはおかしいと意固地になっている状態。衝突も起きないけど、理解もし合えない、中途半端な状態と言える。スムーズにいかない人間関係に悩む時、相手の頑固さを非難するより、自分の頑固さに目を向けるようにしたい。 (RN)
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suzuko-san 頑固親父、頑固爺さん・・。頑固と形容がつく世代は、どうやら年配になってかららしい。そう、年を取るにつれて、人間どんどん頑固になっていくものだ。若い時はカメレオンよろしく、いろいろな人に合わせられていたと思うのに、徐々にその柔 軟性を失い、己の意見を通したがる。もちろん私もご多分に漏れず、多かれ少なかれ、いや多かれ多かれ頑固である。まず 他人の意見を聞かない。人から助言をもらい、聞いているふりはするが、結果は自分の思いを通そうとする、恐ろしく強い自分がそこにいるのだ。いつからこういう性格になったのか。思えば、高校生あたりから、人と迎合したがらない自分がそこにいた。例えば、学校から皆でスキーを楽しむ旅行に参加せず、親を説得し、そのお金で東京にミュージカルを観に行ったり・・。以来、その頑固と言おうか、よく言えば個性と言おうか・・その性格に拍車がかかり、常に人と同じことをしたくない自分が出来上がってしまった。 結果、私は誰にも呼ばれていないのに、勝手に45歳でこの国に移住した。誰の意見も聞かない、 頑固な性格のおかげで、この国の住人になれたのだ。イケイケ、頑固!てなもんである。 (Belle)
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jinnno-san うちのお父さんは、典型的なソレですわ 笑。こうと決めたり、そうと感じたら、かたくなにその意思を貫き通す。幼い頃、ネコが苦手なお父さんの前に (というか家の中に! 笑) お母さんがネコを住まわせた時、離婚騒動に発展 (というか、苦手って言ってんの! ←どっちが頑固? 笑)。お父さんの弟たちは「兄貴はヘソを曲げたら、口をきかなくなる」(小学生? 笑) と言ってるって。そもそも、うちのお父さんは4人兄弟の長男で、名古屋の田舎の大将のように食べるものまで弟たちと違う (長男とその父はすき焼きの上等なお肉 vs. その他大勢は豆腐とネギ 笑) という、家の中では殿様のように育ったせい、らしい。うちではお母さん始め家族揃って “頑固オヤジ ” の太鼓判を押されている。そのお父さんが印象深く覚えていることがあって、 実はそれは、わたしにとってはウッシッシー 笑。かなり昔にサンディエゴに1日だけ遊びに来てくれた時のこと。カッコつけでオトコ前のわたしは、朝、昼、夜ごはんはもちろん、お父さんが持って帰るお土産すべて、サッと 出してあげた (コレ$$ね 笑) ことを、年始に会った時も涙を流しながら「 一生感謝しているよ」だってー! 笑。コレでわたしは、家族の中で一生優位な立場を確立したのであ—る 笑。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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我が家は8歳と6歳の娘たちと私と夫の4人家族だが、夫と次女が一番の頑固者だと思う。6歳の娘に関しては、自分の思い通りになるまで絶対にあきらめず、いつも私が根負けしてしまう。長女は年齢のせいもあるのか聞き分けがよく、 あきらめも早い。とはいえ、まだ8歳なので、我慢できずに感情が爆発する時もあるが、頑張っているのがよく分かる。 2人ともまだ子供なので、頑固な性格なのか、成長すれば変わるのかは分からないが、頑固な性格は悪いことではないと 思っているので、このまま逞 (たくま) しく、かつ周りの人々とも柔軟に合わせられる協調性のある人になってほしいと思っている。夫はといえば・・ これも頑固者だ。一応、何かあれば私の意見を求めるが、本人が期待していなかった答えを言うと、あーだこーだ言って、結局、自分の思い通りに持っていく。私も譲りたくないことは多々あるが、言い争いは嫌なので、適当に「そーだねー」なんて言いながら相手に合わせてしまう。若いうちは頑固なくらい強い方がいいと思うが、ある年齢になったら頑固もほどほどがいいのではないかと、年を取ってから思うようになった。 (SU)


(2018年5月16日号に掲載)

内緒

▽今年3月、FBI や NSA (国家安全保障局) が令状なしで、無制限に個人データにアクセスできる権限を与える「CLOUD法」が成立した。官憲側は内緒にしているが、テロ監視強化として、米国内に潜伏する “危険人物” を割り出すプロファイリングを徹底するらしい。ネットの検索記録やオンライン購入履歴、電話やメールで頻用する言葉から、その人物の行動様式が推測できる。とりわけ “危険ワード” に指定されている単語をSNSで多用していると、破壊行為や殺人計画を意味する暗号と疑われる。その根拠は知らないが、「サンディエゴ」や「サーフィン」も “警戒ワード” に含まれていると何かの記事で読んだことがある。私たちには迷惑な話だ。▽考えてみれば『スタッフ閑談』も多かれ少なかれ各自のプライバシーを公開している。話のネタとして内緒話を小出しにする場合もあるので、その意味では “危険なコラム” と言えそうだ。ところで、左側最下段のスタッフが「皆の似顔絵が若すぎる」と苦言を呈していたが、 私もその一人。正直に言うと、私のイラストは15〜16年前の姿。今では毛髪量が激減、風貌が激変した。あまりにも抵抗感が強いので、昔のままにしている。おっと、これも内緒話・・・。 (SS)
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▽ずっと、台風一過を “台風一家” だと思っていた。家族で来るからあんなに風が強いんだなあ〜って。「勘違いしているバカな奴もいるんだよな」・・・旦那のそんな言葉に顔がひきつった。▽先日、退任を表明したスターバックスのシュルツハワード会長は、学生時代に血を売って生計を立てていたらしい。「壮絶な人生を歩んでる人がいるんだね」と友達にLINEをしたら「ここだけの話、自分も若い頃、生活に困って、やったことがある」と返事が届いた。 ▽日本に里帰りした時、夜行寝台列車「サンライズ出雲」の個室に乗った。扉は暗証番号が設定でき、キーロック可能。何回か練習したにも関わらず、なぜか、開かない! 開かない! このまま、廊下で寝るわけにもいかず、長〜い車両を延々と歩いて車掌室まで行き、カードキーでドアを開けてもらった。すぐに暗証番号トラウマになってしまい、カギを掛けずにトイレに行った。この話、旦那にも内緒にしている。▽幸せになる方法は2つあるそうで、ひとつは目標達成や夢の実現により得られる幸せ。そして、もうひとつは親切や触れあいによる幸せ。 NHKの『ガッテン』で 「人に親切な行動を1日3回行うと、体内の炎症を促す遺伝子の働きが抑えられた」という研究結果を紹介していた。健康な心が健康な体を作る。早速内緒で、一日三善の実践を心がけている。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 自分で言うのもおかしいかもしれないが、昔から私はコンクリート頭で、自分勝手なところが結構ある (我がまま?)。他人の意見をとりあえず聞くけど、結果的に周りを無視して、自分のやりたいようにしてしまう (独断専行?)。何もかも気になるタイプなので、頼まれていないことも状況が気に入らない場合は勝手にやってしまう (余計なお世話?)。人にしてもらいたいことがあったら、何度も何度も繰り返し言ってしまう (しつこい?)。怒っても “いきなり爆発” するような行動はあまりしない。どちらかというと冷静になって、話し合うタイプかなぁ〜 (Cool? ^.^)。完璧主義者だとよく言われているけど、実はどこかでかなり抜けているところもある (隠し上手?)。自問自答を繰り返して、立場を変え、自分の頭で最善策は何かと考えを巡らしながら、自分で答えを出す (多重人格?)。寝る時までよく働いてくれている私の頭の中は、一体どうなっているのでしょうか?? 「それは内緒で〜す!」の話だったけど、これでバレバレになっちゃったよ。。。(笑) (S.C.C.N.)
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yoko 20歳の時、あるアメリカ人のお家にホームステイしていた。大きなお家で、常に2、3人の学生が滞在していたのを思い出す。そこで、イタリアから来た女の子と仲良くなった。彼女が足首に小さなタトゥーを入れていたのが可愛くて、彼女に付き添ってもらって、左腕に小さなタトゥーを入れた。よくよく考えると、日本では、銭湯に「入れ墨、タトゥーのある方、お断り」と注意書きがあるくらい・・・。「家族に知られたら怒られそう」。怖くなった私は、タトゥーのことを内緒にすることにした。ノースリーブの時は右側から写真を撮り、タトゥーが写った写真はフォトショップで消した。そんな20代を過ごしたが、30歳を過ぎて里帰りした時に、一緒にスーパー銭湯に行ってバレた。「もう大人なんだから、別に何も言わないよ」と、特に咎められなかった。ちなみに、両腕にいっぱい入っている夫のタトゥーは母に不評だ。日本語オンリーの母と英語オンリーの夫はコミュニケーションが取れないので、「あれ、どうにか消せないのかね〜」と私に言う。夫のタトゥーも内緒にすればよかった。(YA)
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reiko-san △まだ若かった頃、「ここだけの話ね」って、内緒話を人から聞くのは特別感があり、妙な嬉しさがあったものだが、年を重ねるにつれ、ここだけの話っていうのには、大抵、あまりポジティブなものがないんだよな・・と思うようになった。秘密を共有し、仲間意識を高めるっていう効果はあるのだろうけれど。最近、小学生の娘が、友達と内緒話で盛り上がっているのを見るにつけ、私も昔はそうだったと懐かしくなる。△数年前、急病で亡くなった母。即入院となっても、アメリカに住む娘の私にすぐ知らせてこなかった。入院して1か月ほど経ってから、やっと私に教えてくれたのだ。深刻な病名と治療経過を聞き、私は暗澹たる気持ちになった。そして、どうして1か月もの間、私に内緒にしておいたのかと怒りに近い感情がふつふつと湧いてきた。でも、当時キンダーに通い始めた私の娘が登校拒否気味で、私がかなり参っていることを知っていた母が、そんな私に病のことを知らせたら可哀想だから、内緒にするよう、父や弟たちに頼んだということを知り、母の優しさを思い知った。治ってから私に伝えようと思っていたが、思うように治療効果が上がらず、家族に説得され私に教えてくれたという訳だ。ポジティブで強かった母らしい私への最後の思いやりだった。 (RN)
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suzuko-san 誰でも一つや二つ、内緒にしておきたいものはあるものだ。特に “若さ” 至上主義の日本にあっては、年齢は隠したい。内緒にしておきたい。うやむやのままでいてほしい、と願うものだ。私の親友は、特にその思いが強く、彼女の実年齢は彼女の家族と私しか知らない。他の友達、知り合い、同僚には一切明かさないのである。「明かすと、相手が自分の母と同じくらいの年齢か ・・ と、その時点で引くでしょ。そうなると、途端に敬語を使われて、関係がまずくなる」というのが、彼女が年齢を内緒にする理由。確かに! しかし、いくら年を誤魔化 (ごまか) しても、体は知っている・・。ある夜、年若の男性に誘われて、夕食に出かけた。当時、彼女はサントリーに勤めていて、ワインには少し蘊蓄 (うんちく) があった。ワインリストを手に、(老眼鏡もかけずに)「どのワインがいいかしら、ロバート・モンダヴィもいいし・・」と思案していた時、その青年から「あのう・・○○さん、ワインリストが逆さまですよ!」。目から火が出そうなくらい恥ずかしい思いをしたという。私は彼女とは逆で、年齢を聞かれると隠さず言い、相手が驚くことを楽しんできていた。のだが、もうそんな時代は終わった! 数年前からリッパにサバを読む癖がついた! (Belle)
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jinnno-san 実は、、(え? いきなり?) あ、でもその前にー (笑) 知れた仲でも、夫婦間であっても、ほんのちょっぴり隠し事があると魅力的な関係が保てるって聞いたことあるでしょ? (え? ない? 笑)・・その観点から言うと、わたしというオンナは魅力炸裂、ほぼヌード状態 (いや、それはない 笑)。だって、わたしの人生って内緒事情が盛りだくさん 笑! わたしにとって秘め事 (何が違う?)・・これはテクなの、魅力を保つための・・(ふふ)。内緒にしてる訳じゃなくて聞かれないから言わない。ひとつ読者の皆さんにだけぶっちゃけると (読んでる人しか読まない 笑)、実は、、 (はい、これで点と点が・-―― -・つながった!) 多くの知り合いや近い友達でも、わたしがこうしてこの場でこの文章を、しかも何年もな ーーー んねんも書いていることを、し・ら・な・い ! (ウけるー <自分で> 笑!)。誰も読んでないだろうと、身近に起きたことを書きまくり、周りにその話をしたら「あー! あーた、これ書いてるでしょ?」と突っ込まれたこともあったけど、「これ面白いね~」と言うわたしが書いているとはつゆ知らず、コメントする知り合いはそのまま放置 (笑)。だって、魅力的な関係をキープしたいでしょ? (というか、人の反応を面白がっている自分が、また面白い! 笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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できれば内緒にしておきたいことはいくつかある。まずは年齢。40も超えればあまり答えたくなくなってくる。聞かれれば正直に答えるが、聞かれるまではあえて自分から言うこともない。親しくなってくれば、会話をしているうちに、だいたい見当はつくだろうと思っているからだ。しかし、ワインなどを買うときに「IDを見せて」と言われて喜んでしまう自分は、歳を取ったんだなぁと感じる。そして、アメリカに在住している年数もできれば言いたくない。ずいぶん長くアメリカにいるのに低い英語力。英語を母国語としている人たちと話をしていると、「あなたの英語は素晴らしいわ〜」とか「なにも問題ないじゃない」とか言ってくれる人もいるが、私はそれを信じていない。自分の英語力は自分が一番よく知っているからだ。昔からあまり人に積極的に話しかけるタイプでもないし、用がなければ家にこもっているタイプなので、大学の頃から全然上達していないのだ。アメリカに来て2、3年でアメリカ人の中に溶け込んでペラペラ話している人を見ると、本当にすごいと尊敬してしまう。だから「アメリカに来て何年?」と聞かれると、いつも「長いよ・・」とだけ言ってごまかしている。 (SU)


(2018年5月16日号に掲載)

ピンチ

1993年にサンディエゴで世界少年野球 (WCBF) が開催された時の話 (古い話で恐縮です)。野球ファンの私は、日米のスーパースターが集まる前夜祭ディナーに出席し、WCBF設立者の王貞治、ハンク・アーロン両氏のほか、ジョー・ディマジオ、デューク・スナイダー、掛布雅之、柴田勲など往年の名選手を前にしてハイパー状態になっていた。各テーブルに1人ずつOB選手が加わると聞いてワクワクしていたら、登場したのはビリー・ノース。陽気な彼はワールドシリーズのチャンピオンリングを私の指にはめてくれたり、ホロ酔い加減で “♬Take Me Out to the Ball Game♬” の合唱指導をするなど、彼の旺盛なサービス精神でとても和やかな雰囲気に。ビリー・ノースって誰?? 今さら尋ねられない。野球オンチの女子編集員が掛布選手を見つけて、プログラム冊子にサインを書いてもらい、サイン入りボールまで頂いてきた。ところがイニシャルは S.K.。「人違いだよ。(掛布氏は) かなりハゲていて、趣味の悪い黄色のネクタイが目印」 と説明した私は、自分の真後ろでご本人が座っているのに気づいた。(S.K.は4月にがんで亡くなった衣笠祥雄氏。伝えられていた通り、優しさと心遣いの人だった) (SS)
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▽小学3年生の時、空のランドセルを背負って登校してしまった。先生にもクラス全員にも爆笑された。男子と一緒に秘密基地で遊んでいたあの頃が懐かしい。▽紙コップ式の自動販売機でアイスコーヒーを購入。すると、まず氷とコーヒーとミルクが出て、最後に紙コップが出てきた。▽銀行に勤めていた頃、社員食堂に行くエレベーターを待つ間、手持ち無沙汰になって、同僚と一緒に天井めがけてジャンプ。平和な行内に非常ベルが鳴り響き、シャッターが一斉に閉まった。▽帰宅途中の満員列車の座席を確保して安心したのか、大きな紙袋に顔を埋めたまま寝てしまった。途中で気が付いたが、降りるまでそのままの体勢でいた。▽新宿発深夜スキーバスに乗った途端、お腹が痛くなった。冷汗が出て痛みは増すばかり。緊急停車してもらって滑り込みセーフ。大きな料金所の地下には事務所とトイレがあることを知った。▽先日、同級生の父親が「ボケないための本」を買ってきたとのこと。一所懸命、熱心に、読んでいた。そして、昨日も買ってきたそうだ。▽結婚した教え子からEメールが来た。「性 (姓?) が変わりました」。まさかとは思うが、恐くて連絡できない。▽ロシアW杯。2試合で1勝1分けの日本代表。悲願の1次リーグ突破へ! ピンチをチャンスに変えて頑張ってほしい。 (NS)
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sheau-ching-san.gif お客様への訪問の際、ミーティングが長くなる場合もあるので、いつも直前にトイレを済ませてから伺うようにしている。何年か前に、ある英語学校へ行った時、「トイレはどこでしょうか」と尋ねたら「そちらです。従業員のロッカーと同じ場所にあるので、この鍵で入ってください」と言われた。手渡された鍵で入ったのはいいけれど、トイレに座っていた時、誰かが入ろうとして、ドアの鍵を開けるガチャガチャという音がしていた。まぁ、鍵が掛かっているから大丈夫だろうと思っていたら、、、、女性の方が入ってきた!! えっ? ウソ? 何で? 私は絶句して、座ったままのピンチ状態に! すると “Oh, sorry. I am just getting my bag. No worries.” と笑顔で言われた! 何これ? 恥ずかしい! また誰かに入られたら困るので、急いでトイレロッカーから脱出! アポの時間になり、その英語学校に入ったら、トイレの女性が受付係!! 信じられない! 不思議な空気に囲まれていた私には逃げ場がなかった。。。。 (S.C.C.N.)
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yoko ドライバーズライセンスを取得して、初めて買った車がハズレだったこともあり、今でも車の調子にすごく敏感だ。いつもと少し音が違っていたり、見たことのないランプが点いたりするとドキドキする。見た目と名前で選んでしまった最初の車 (VW Rabbit Convertible) は、本当にしょっちゅう、どこかしら故障していた。まずはバックギアが壊れた。シフトレバーをいくらバックに入れても、後ろに進まない。頭から駐車をしたので出られない! ピンチ!! 結局、近くにいた人が車を押してくれて出られた。次はクラッチが壊れた。学校に行く途中、なだらかな坂の途中で急に焦げ臭いにおいが! そして前に進まなくなった。またまたピンチ! 端に寄せて、トーイングカーを呼ぶ羽目になった。その日は学校に行けなかった。そして、修理をしても坂道に弱い車だった。下り坂で助走をつけないと登らない。一度、上り坂の途中で止まりそうになり (とってもピンチ!)、ものすごくゆっくりどうにか登り切ったが、それからは坂道があると迂回しまくっていた。そうして直し直し4年ほど乗ったその車は、最後は全く動かなくなり、ジャンクヤード行きとなった。 (YA)
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reiko-san 珍しく夫がサンディエゴにいないある日、ゴミを捨てようと玄関から外に出たところ、後方で、風にあおられたドアが勢いよく閉まった。この時点では、あードアが閉まったとしか思わなかった。ゴミを捨て終わり、植木などをチェックして、さて家の中に戻ろうとドアを開けようとしたら、あれ、開かない。さーっと血の気が引く。夫から散々注意されていたことを思い出した。「ドアの外に出る時は、解錠しておくこと、あるいは鍵を持って出ること」 ガーン! ロックアウトされた! 夫は遥かかなたの外国。アメリカに住み始めたばかりで頼れる知り合いもいない。大ピーンチ! 一人でパニックになるが、3階建てのタウンハウスの2階部分の窓の鍵が開いていることを思い出した。1階部分から柱を伝って2階によじ登り、なんとか家の中に入ることができた。この話を夫にしたら、「よかったね、警察に通報されなくて」と言われた。夫は子どもの頃、同じようなことをして、近所の人に泥棒が侵入していると勘違いされ、通報され、警察が玄関を突き破って家に入ってきたことがあったそうだ。恐ろしや〜。それ以来、ロックアウトされるのがこわくて、家から出る時はしつこいくらいチェックするようになった。 (RN)
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suzuko-san 後にも先にも、私の人生最大のピンチは、米国への入国拒否という処分を受けた時である。以前にも書いたが、私はビザもないのに、勝手にこの国に住むためにやって来た。I-94 で滞在できる3か月で、ビザ取得の方法を探るために。で、知り合いから弁護士を紹介され、労働ビザ取得を試みてそれなりの大金を払った。が、失敗。その弁護士の助言で、2度目は学生ビザの申請を。I-20 を持って。ところがその弁護士は、ティファナの領事館ではI-94 からはどのビザにも変えられない、ということを全く知らなかったのだ。愚かなことに、この国に来たばかりの私もビザに全くの無知。で、2度もティファナの米領事館に足を運び、その度にパスポートに {Rejected] と書かれた。その足でティファナ国境を通過する際、 足止めをくらって調べられる羽目に。前の年に4回も入国、若くもなく独身・・等々の悪条件が重なり、まだ米国の2週間の滞在期間があったのに、それを取り上げられ、入国不可となった。その時点で頭の中が真っ白になった。まさにこれ以上のピンチはない。しかし悪運の強い私は、この事件がきっかけで結婚することになり、見事永住権もゲット。ピンチ転じて福となった。嗚呼めでたし、メデタシ。 (Belle)
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jinnno-san 『スタッフ閑談』の提出日は毎回決まっている。何月だろうが何年前だろうが、ずっとずっとずーーっと同じ日。だのに・・毎回 “いつまでに出してください” 催促メールがきて、スルーするとテキストメッセージが。そして電話がリンリン。とっくに過ぎている締切後のいつ何時までにと約束をし、ギリに提出。なぜ期日が同じ日なのに厳守できないのか (しないのか 笑)。そろそろイヤがられて降板の時期が来るかも、、ピンチ到来! (思ってないけど 笑) で、開き直って自分だけの日記のように今も書いているけど、以前、誰も読んでいないという想定で自分に起きた出来事を記している、と書いたんだけどね。そしたらー! ヒルクレストの洒落たバーで、こXXさんと飲んだときの話・・こ: “甥っ子だか姪っ子だかたくさんいるんでしょ?” 私: “はぁ・・ (心) あれ、そんな話したっけ?” こ: “鍋に最近はまってるんだって? ”私: “まぁそうだねー (心) いや、こXXさんとはヒッサしぶりに会うし、話してねーし” こ: “マジックなんちゃらとか、好きなんでしょー? ” 私: “・・ (心) え? まさかのまさか! ”私: “ゆうゆうの後ろの方のページの話してる? ”やっぱり余計なことは書かない方がいいと悟ったわたし。だけどー、お約束通り、あーたのこと書いたから! Mr.こXX! (笑!)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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最近のピンチ。仕事場を出て、運転中のこと。Miramarエリア。バタバタバタ~とうるさい音が聞こえ、またミリタリーのヘリコプター飛んでるのね、と思いつつの運転。が、タイヤアラームのランプが点いている。何だこれ? しばらく、そのまま運転。けれど、やっぱり心配で路肩に付ける。タイヤパンク発見!! パンクというよりも、タイヤがベロベロに破れている! まずは、子供たちの学校に迎えに行ってもらおうと、とりあえず旦那に電話。いつもは近くのオフィスにいる旦那が、その日に限ってポイントローマにいると言う。しかも子供たちの携帯電話は取り上げ中。ピーンチ!! 急いで旦那が学校に向かったが息子たちがどこにも見当たらない、家に帰るルートを探しているけれど、見つからないとの連絡。ピーンチ! 結局、無事に自分たちで家に帰って来たが、その間約1時間半。私はフリーウェイでパンクした車の隣で待ち状態。暑い、日焼けしてしまう、私のお肌もピーンチ! 旦那がレスキューに来たのはパンク発見から2時間以上も後。その間、3台の車が止まってくれて、大丈夫? 助けは必要かと聞いてくれた。感動した。誰かがピンチの時には、助けてあげようと思った。スペアタイヤの取り換え方も学びました。 (IE)


(2018年7月1日号に掲載)